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coyote No.8「深夜特急ノート」

沢木耕太郎

私が未知の外国を旅行するときにほとんどガイドブックを持っていこうとしないのも、できるだけ素のままの自分を異国に放ちたいからなのだ、と。放たれた素のままの自分を、自由に動かしてみたい。実際はどこまで自由にふるまえるかわからないが、ぎりぎりまで何の助けも借りないで動かしてみたい。(旅の掌編4「素のままの自分を異国に放つということ」より)

「深夜特急」を初めて読んだのは家庭を持ってしばらく経った頃だった。もっと早くこの本に出会っていたら、何かが自分を突き動かして、衝動的に旅に出ていたかも知れないと真剣に思った。一瞬家庭を持ったことを後悔するほど、この本には人の心を駆りたてる魔力があったのだろう。
この本は一見旅を描いているようで、実はその視線は常に内側へ向けられている。旅先での様々な景色や出来事、人との出会いを描きつつ、実はそれらを通じて何かを感じ、何かを思う自身の内奥を描いている。つまり本質的には沢木耕太郎が旅を描いた本というより、「旅する沢木耕太郎」について描いた本なのだ。
いつかの折「沢木に憧れてノンフィクションが書きたいという人は、結局ライターになりたいのではなく、沢木のように書きたいのだ」と喝破した一文を読んだことがあるが、まさにその通りだろう。

なぜユーラシアなのか。それもなぜ乗り合いバスなのか。理由は自分にもわかっていなかった。きっと日本の平均的な若者と同じように、ぼくもまた「どこかへ行きたい」とは思っていたが「どこへ行きたい」かはわかっていなかったのだ。(「飛光よ!飛光よ!香港流離彷徨記」より)

[2005年10月23日] この日の感想・書評へ→

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