岡本裕一朗
一見したところ、「現実の教師」と「教師を演じること」はまったく違っています。演技する場合、教師らしく見えるように気を配り、現実の教師のマネをします。それに対して、現実の教師は自然のままにふるまい、教師のマネをするわけではありません。 ところが、マネをするという点では、現実の教師だって同じではないでしょうか。なぜなら、現実の教師も、教師らしくふるまわなければ、周りは彼を教師と認めてくれないからです。(第1章「コピーからオリジナルが生まれる?」より)
今や「現代思想」に関する文章が、国語の中学入試に出題される時代らしい。ろくに教わってもいない(たぶん教師達も理解できない)ことを必死で答えさせられる子供達が不憫でならないが、せめて「現代思想ではどんなことが問題になっているのかを、子どもにも分かるように提示したい」と考え、著者は本書を構想したという。 これはありがたい。12歳向けに書かれたのであれば、いい歳のオッサンなら十分理解できるだろうと期待し、読み始めた。が…、なるほど各章の書き出しから中盤位迄はとても平易に書かれているものの、キモの部分に入ると、結局難解な表現が剥き出しのまま、分かった様な分からない様な、中途半端な状態で毎度放り出される感じであった。これって、当方の理解力が12歳未満だということか…。次はちびまるこちゃん(小3)レベル迄敷居を下げてもらえるとありがたい。
かつては、「アイデンティティの確立」が、真剣に追求された時代もありました。しかし、現代では、そうした真面目な「パーソナリティ」ではなく、むしろ遊びのような「キャラ」を演じることが、日常的な風景となったのです。その場その場に応じて、「キャラ」を演じながら、コミュニケーションすること−これこそが、私たちの生き方になったのです。とすれば、その人の「アイデンティティ」は、消滅したのでしょうか。(第2章「n個の性、n個の人格?」より)
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12歳からの現代思想
岡本裕一朗
今や「現代思想」に関する文章が、国語の中学入試に出題される時代らしい。ろくに教わってもいない(たぶん教師達も理解できない)ことを必死で答えさせられる子供達が不憫でならないが、せめて「現代思想ではどんなことが問題になっているのかを、子どもにも分かるように提示したい」と考え、著者は本書を構想したという。
これはありがたい。12歳向けに書かれたのであれば、いい歳のオッサンなら十分理解できるだろうと期待し、読み始めた。が…、なるほど各章の書き出しから中盤位迄はとても平易に書かれているものの、キモの部分に入ると、結局難解な表現が剥き出しのまま、分かった様な分からない様な、中途半端な状態で毎度放り出される感じであった。これって、当方の理解力が12歳未満だということか…。次はちびまるこちゃん(小3)レベル迄敷居を下げてもらえるとありがたい。
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