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坂本龍馬脱藩の道をゆく

左古文男 著/小島真也 撮影

峻険な山道を歩くだけでも厳しいというのに、分厚い雨雲が頭上を覆い今にも雨が降り出しそうだった。雨になれば足下が滑りやすくなり慎重にならざるを得ない。予定した時間通りに進むことができない場合も予想される。雨が落ちてくる前に少しでも時間と距離を稼いでおきたかった。
龍馬と惣之丞が高知城下を発って一夜目を過ごした那須俊平・信吾邸跡までは二キロの距離だった。所要時間は三〇分を見ていたのだが、八時半を過ぎても到着しなかった。(「脱藩の道をゆく 三日目」より)

タイトル通り、龍馬が維新回天に向かって疾駆した脱藩の道やゆかりの場所を、アラフィフ男の漫画家とカメラマンが、昨年11月に五日間かけ実際に足で歩いたルポルタージュである。大河の「龍馬伝」も本日ちょうど脱藩したばかりだし(第13回「さらば土佐よ」)、読むタイミングとしてはタイムリーだ。ふんだんに掲載されているゆかりの地の写真も、土佐の空気感がよくとらえられていて美しい。
史実上の龍馬の脱藩は、絹糸の様な雨が降る文久二年(1862)3月24日の夕暮れ時。「神田(こうだ)に桜を見に行くき」と家族に言い置き、ふらりと家を出たという。傍らには彼を慕う八歳下の同志で、後に海援隊士となる沢村惣之丞の姿があった。現在龍馬脱藩の道は、関係市町村によって案内板が設置され、通行可能になっている。その一部でも良いから、機会があれば歩いてみたい。

高知から長浜まで龍馬とともに旅をしてひとつわかったことがあった。それは「日本を今一度せんたくいたし申候」という龍馬の大志が伝わってくる名言は、桂浜に広がる太平洋と広い空を見て育ったからこその大きな言葉だということである。
現実に「もし」はないが、もし、龍馬が現在に生きていたなら何をやっていただろうか?(「脱藩の道をゆく 五日目」より)

[2010年3月28日] この日の感想・書評へ→

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