演義から正史、そして史実へ 渡邊義浩
曹魏を滅ぼして建国された西晋(265〜316年)の史官であった陳寿は、曹魏から西晋への革命が正統であることを示すため、三国の中で曹魏を正統とし、蜀漢・孫呉を曹魏の臣下として扱う必要があった。(中略) また、旧蜀臣であった陳寿は、蜀という地域とその歴史を愛していた。…(中略)…陳寿は、蜀漢を代表する宰相として諸葛亮の忠義を強調し、諸葛亮と劉備との関係を関羽・張飛とのそれ以上に密接に描こうとした。…(中略)…『演義』に虚構が含まれるように、『三国志』の記述にも、陳寿が生きた西晋という国家のための、そして著者である陳寿の考えに基づく偏向が存在するのである。(「はじめに」より)
いわゆる「三国志」には、物語としての「三国演義」と、正史の「三国志」があることは衆知の通り。そして「演義」は虚構に過ぎず、「正史」の記述こそが歴史的事実だと思われがちだが、著者は本書の冒頭において、正史の成り立ちから否応なく生じる“偏向”をロジカルに指摘。その上で、一般に親しまれている「演義」を入口にして「正史」の記述を検討し、読み手を史実の世界へと誘う。そもそも正史は、決して“正しい歴史”という意味ではなく、前王朝を倒した後継王朝が、自らの正統性を後世に伝えるために残す歴史に過ぎないのだ。 本書によれば、暴君の董卓や優柔不断な袁紹にも意外な美点があり、劉備と諸葛孔明の間には知られざる葛藤があったと言う。また志半ばで非業の死を遂げた一介の武将・関羽が、なぜに「関帝」として世界中の中国人社会で祀られるに至ったのか、その経緯についても分かりやすい説明がなされている。ディープな三国志ファンなら、一度は読んでおいて損はない一冊。
『演義』の中で、関羽の義を示す虚構は多いが、最も見事な表現は、「義もて曹操を釈つ」である。史実に基づくものは、曹操から劉備のもとに帰参した事実であった。この両者に曹操が関わっている。しかも、「義絶」である関羽を史実において義と評した者は、曹操なのである。ここから『演義』の主役には、諸葛亮と関羽だけではなく、「奸絶」の曹操が書かせないことを理解できよう。(第五章「『義絶』関羽 神となった英雄」より)
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三国志
演義から正史、そして史実へ
渡邊義浩
いわゆる「三国志」には、物語としての「三国演義」と、正史の「三国志」があることは衆知の通り。そして「演義」は虚構に過ぎず、「正史」の記述こそが歴史的事実だと思われがちだが、著者は本書の冒頭において、正史の成り立ちから否応なく生じる“偏向”をロジカルに指摘。その上で、一般に親しまれている「演義」を入口にして「正史」の記述を検討し、読み手を史実の世界へと誘う。そもそも正史は、決して“正しい歴史”という意味ではなく、前王朝を倒した後継王朝が、自らの正統性を後世に伝えるために残す歴史に過ぎないのだ。
本書によれば、暴君の董卓や優柔不断な袁紹にも意外な美点があり、劉備と諸葛孔明の間には知られざる葛藤があったと言う。また志半ばで非業の死を遂げた一介の武将・関羽が、なぜに「関帝」として世界中の中国人社会で祀られるに至ったのか、その経緯についても分かりやすい説明がなされている。ディープな三国志ファンなら、一度は読んでおいて損はない一冊。
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