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スポーツ/芸能

日本シリーズの決定的瞬間

その時、指揮官は何を決断したか
松下茂典

「スクイズに決めたのは、サードランナーが藤瀬だったこと。バットに当たって転がりさえすれば、セーフになる。たとえ投手の正面に転がったとしても、動作が鈍い江夏なら、十分間に合う。試合はタイになる」
足の速い藤瀬と動作の緩慢な江夏。そのふたつから導き出された結論がスクイズであった。西本の決断がまちがっていたとはいえまい。まさか江夏が次の1球をはずすとは夢にも思わなかったのだから。
西本は意を決し、三塁コーチャーの仰木彬にスクイズのサインを出した。(第1章「古葉・広島VS西本・近鉄」より)

「江夏の21球」ですっかりおなじみになった1979年の広島vs近鉄をはじめ、川上野球に多大な影響を受けた知の広岡達郎と情の藤田元司がしのぎを削った1983年の西武vs巨人、「巨人はロッテより弱い」という近鉄・加藤哲の発言(実際そんな言い方はしていない…)に巨人ナインが発奮したされる 1989年の巨人vs近鉄、さらには野村克也vs.森祇晶の知将対決で7試合中4試合が延長戦となった1992年の西武vsヤクルトの4つのシリーズを題材に、勝負の分かれ目となった監督の采配にフォーカスしたドキュメンタリー。いずれも第7戦までもつれ、球史に残ると言われたシリーズばかりを取り上げている。
いずれも「4勝しなければ…」と焦る敵将に対し、「3敗まではできる」と最後まで冷静さを失わなかった監督が覇権を掴んだ。短期決戦の場では勝てると思えば惜しみなく戦力をつぎ込むべきか?あるいは冷静沈着に自らのスタイルを貫くべきか…?この辺りは素人には何とも言い難いが、プロの「勝負勘」というのはまさしくそういったギリギリの場面で、人智を超えて発揮されるのであろう。
著者は野球に関する著作の多いベテランのノンフィクションライター。衒いや力みを感じさせず、それでいて心地よい躍動感のある年季の入った文章に好感。

「大きな流れという点では、広岡さんのやり方も、私のやり方も、同じである。源流は川上さんだ。いかにして勝つかということを考えると、結局、川上野球に到達する意外に道はない」
藤田と広岡のGL決戦は、“新・巌流島の決闘”と呼ばれた。1958年の水原巨人と三原西鉄の“巌流島の決闘”から25年の歳月が流れていた。
第6戦、4対3でサヨナラ勝ちした広岡は、藤田に同情するコメントを残した。
「ガッツで働いた西本を胴上げ投手にしたかったのだろう。藤田は人情家だから…」(第2章「広岡・西武VS藤田・巨人」より)

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9回裏無死1塁でバントはするな

野球解説は“ウソ”だらけ
鳥越規央

2006年から09年までを平均すると、先頭打者が単打で出塁したときの生還率は35.0%で、四死球で出塁したときは34.4%である。これを統計学的に調べてみると、P値が0.26%となり、特に有意な差があるとはいえない。
単純に、単年での数値を比較してみても、先頭打者が四死球で出塁したときの生還率が単打での出塁の生還率を越えた年は、4年の間に一度もない。
つまり、「四球での出塁は、単打で出塁させるよりも悪い」という言葉は、データから見れば、何の根拠もないことになる。(第2章「失点は誰の責任か」より)

統計学的手法によりプロ野球の解析を試みる「セイバーメトリクス(野球統計学)」の研究者が、野球界の様々なセオリーに疑問を呈示し、緻密なデータ分析に基づいて最適解に迫ろうと試みた野心的な書。タイトルにある「9回裏無死1塁でのバント」は勝率を上げるのか?を皮切りに、「左打者に左投手」は本当に有効か?「バッティングカウント」はあるか?「先頭打者に四死球」はヒットより“悪い”のか?2ストライク・ノーボールでは1球外すべきなのか?etc.、定石とされている作戦が細かく検証されている。「セイバーメトリクス」はあくまでチーム作りを任されたGM視点による、年間を通じて勝率を稼げるチームを編成するための方法論であり、個々の試合の勝負どころに持ち込む手法ではないと個人的には思っているが、野球というスポーツへの見方に柔軟性と広がりが生まれるのは間違いない。「野球人の錯覚」との併読がお勧め。
なお2007年の日本シリーズで賛否両論を巻き起こした、中日・落合監督による山井→岩瀬への投手交代についても取り上げているが、統計学的には落合監督の采配が正しかったと結論づけられているのが興味深い。

しかしながら、ノーアウトランナー1塁の状況でも、ノーアウト2塁の状況でも、さらにはどの点差においても犠牲バントを成功させることによって勝利確立を上げる効果はなかった。その減少率はプロ野球のそれとあまり変わらない。
特筆すべきは、9回裏ノーアウトランナー2塁での勝利確率が81.0%であったのに対して、1アウト3塁での勝利確率が80.3%でほぼ変化がなかったのである。(第4章「高校野球は『スポーツ』か?『教育』か?」より)

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考える野球

野村克也

プロの世界でやっていくなら、ピッチャーもバッターも内角に強くないと生き残れない。いかに内角を攻められるか、あるいは内角の珠をうまくうちこなせるか。ピッチャーはどうしてもぶつけるのが嫌だから内角を攻めきれない。一方のバッターは内角を打ちこなせないから踏み込めない。だから、内角に強くなったものが生き残れる。ここが勝負どころになる。(第一章「考える力が一流を生む」より)

野茂や伊良部など、数々の日本人メジャーリーガーの代理人として知られる団野村氏は、ノムさんの継子(沙知代夫人の連れ子)であり、実はビジネス面でもノムさんの代理人を務めている。本書のウリは、巻末にこの二人の往復書簡が5通収められていること。義理の親子ということもあって、内容はあまり鋭く切り込んだものにはなってないが、それでも「個人事業主のプロ野球選手が契約を他人任せにしたら、人間形成の面でいいことは一つもない」というノムさんに対し、団は「選手が契約交渉の席につくことが、人間形成に役立つとは思わない」との持論を返し、「代理人は儲かるのか?」というノムさんの直球の問いには、「もうからない。僕がそう言うと『嘘だろ』と思う方が大勢いるでしょうが」と団が答えるなど、興味を惹く問答も所々にある。そしてメジャーへの思いについては、「もう少し若ければ監督として行ってみたかった」というノムさんに対し、「一番連れて行きたいのが野村克也という監督」だと団も答えている。
メジャーでは今年、80歳のJ・マッキオンがマーリンズの監督として復帰し話題となった。あながち夢物語ではないかも知れない。

日本人選手がメジャーリーグに移籍する上で分岐点になったのは確かに野茂選手ですが、本当に大変な思いをしたのは伊良部秀輝選手の時です。この移籍の時はいろんな議論が起こりましたし、僕も相当に非難されました。ただ、伊良部選手の移籍という段階があったことで、今日のメジャーリーグへの道(ポスティングシステムなど)が整えられました。
そして、今、日本人メジャーリーガーが特別な存在でなくなった段階で、僕がメジャーリーグにいちばん連れていきたいと思っているのが野村克也という監督です。(巻末付録「野村克也・団野村『往復書簡』」より)

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小説コント55号

いくよ、二郎さん はいな、欽ちゃん
山中伊知郎

もし欽一が下宿にいなかったら、坂上はたぶんまた再び電話をかけたりしなかったろう。元来、欽一と親しかったわけではない。坂上がフッと懐かしくなってかけてしまった、ほんの「出来心」だったからだ。
人間の力の及ばない世界の誰かが、二人を再会させるためにかけさせたとした思えない一本の電話。
あるいは、いつも欽一がお祈りをしていた夜空の星が、二人をもう一度引き合わせてくれたのかもしれない。(第七章「運命的再会」より)

思えば、コント55号は相当に斬新だった。漫才でも喜劇でもない「コント」という新しいお笑いの様式もさることながら、テレビ画面の枠をはみ出すパワフルな狂気と、「野球拳」に代表される確信犯的な俗っぽさが、理屈抜きで子供心を鷲づかみにした(そのぶん世の親たちには大いに顰蹙を買って嫌われたが…)。
やがてブームは沈静化し、欽ちゃんは一時の低迷を経て「欽どん」「欽どこ」など、家族で安心して楽しめるお笑いへと芸風を昇華。二郎さんは「夜明けの刑事」など演技の世界へ活躍の場を移したが、一定世代以上の人にとって、永遠に二人は「コント55号」の欽ちゃんと二郎さんである。そんな二人が浅草時代は互いに反目していたこと、二人が世に出るために事務所社長の人一倍の熱意と努力があったこと等、本書を読んで初めて知った逸話も多い。会話や描写が妙に青臭かったりもするが、それも「昭和」の空気感なのかなあ〜と思わなくもない。

いくら動きが身上の浅草のコメディでも、こんなに派手なアクションを次から次へと繰り広げる人たちはかつていなかった。彼らのコントには湿った義理人情も、練り上げられた話術も、台本に基づいた緻密な計算もなかった。
あるのは狂ったままの状態で舞台を右へ左へ走り回る二人の男と、狂ったようにそれを笑い転げる観客たちだけだ。すべてはハプニングだった。(第八章「コント55号結成」より)

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ひとを見抜く

伝説のスカウト河西俊雄の生涯
澤宮優

河西はどんなに時間がかかっても四回も見れば、これはものになる、ならないを見極めた。あとは他のスカウトたちが必死で見ている姿を尻目に雑談ばかりしていた。彼はお目当ての選手が本塁打を打とうが、三振しようが、完封勝利を挙げようが、ノックアウトされようが、結果を見ていなかった。投手であれば9回すべてを見るとか、野手であれば5打席見ることはしなかった。河西は選手の素質を見ていた。肩がいいか、足が速いか、それだけだった。(第3章「タイガースのスカウトに」より)

プロ野球界は只今「佑ちゃん」フィーバーで持ちきりだが、このアマ球界屈指のスター選手でさえ、プロで通用するかどうかの評価はきれいに二分されている。ましてや中央球界で実績を持たない無名選手を穫った場合、活躍できるかどうかはギャンブルのようなもの。全ては、埋もれた原石を見抜くスカウト達の眼力にかかっている。特にチームの屋台骨を支える大黒柱的存在は、元から“磨けば光る珠”でなければならない。育て方の大切さは言うまでもないが、「四番とエースは育てられない」と野村克也がよく口にする通り、石ころはいくら磨いても所詮は石ころ。ダイヤモンドにはなれないのである。
さて古くは江夏、最近では岩隈という“光る珠”を発掘した伝説のスカウト河西俊雄なら、斎藤佑樹をどのように評価しただろうか。この本を読むと、その答えを本人から無性に聞きたくなる。

とくに河西独特の見方は、内野手の足の運びを見ていた点だった。
「これをよう見とけよ」
と堀井に言った。ダブルプレーのときである。走者一塁で遊撃手にゴロが行く。すぐに二塁手が二塁に入る。このときの足の運びである。
あるいは二塁ゴロのとき、遊撃手が二塁ベースに入る足の動きである。捕球した内野手ではなく、間に入った野手である点が特徴である。(第6章「近鉄最後の優勝の基盤を作る」より)

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心の野球

超効率的努力のススメ
桑田真澄

それにキャッチボールするときは声を出しちゃいけない。声なんか出していたら、そっちに気をとられちゃって、「捕って」「投げる」という感覚に集中できないわけだから。
そもそも試合では声出して投げないでしょう。
「オィオィー!」
って言いながら投げないんだ。だから必要ない。試合でやらないことは練習でやっても仕方ない。(第7章「指導者とは」より)

全盛期に反感を買っても、晩年になって徐々に同性のファンが増えるタイプの選手がいる。“キングカズ”三浦知良などはその典型であり、桑田真澄もそうした存在の一人だ。巨人入団時の経緯で負のイメージを纏い、全盛期には借金問題や登板日漏洩疑惑でスキャンダラスな扱いを受け続けたが、度重なる故障と闘いつつ、いぶし銀の投球を見せた現役晩年から、桑田の生き様に惹かれる大人の野球ファンが増えたように思う。そして38歳にしてメジャーに挑戦、遂に白星を手にすることなく現役を退いたが、その後も早大大学院スポーツ科学研究科を首席で修了するなど、野球以外でもストイックな努力の人であり続けている。
そんな桑田の“超合理的精神主義”に基づく野球観が、モノローグ的に等身大の肉声で語られているのが本書。特に少年野球に関するくだりを読むと、ああこの人はホントに野球が好きなんだなと感じる。

僕は150キロのストレートを投げるわけでもない。
打者に対して迫力のあるピッチングフォームでもない。
絶対的な決め球となるようなすごい変化球があるわけでもない。
それでも一球一球に心を込めて、何万球というボールを投げてきた。
ボールに真心を込めると個性が出てくる。
自分にしか投げられないボールになる。
スピードガンに表示されない「目に見えない」力が僕のピッチングを支えてくれた。(第18章「心の野球」より)

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流れの正体

もっと野球が好きになる
手束仁

10 回戦って9回勝てない相手であっても、トーナメントの一度だけに勝てるときがある。その一度が出るときというのが、実は野球の神様と言われている何かが、力では劣るほうに加担してくれた結果なのである。その野球の神様に加担してもらえるように仕向けることこそが、流れを呼ぶことであり、指揮官の役目でもある。それが「流れの正体」なのではないだろうか。(第4章「横浜隼人、“打倒横浜”を果たしての甲子園初出場」より)

「今のヒットで流れが変わりましたね」等々、野球中継では解説者やアナウンサーが何度も「流れ」を口にする。草野球のオッサンたちも、二本程自軍にヒットが続くと「流れはこっちのもんや!」と盛り上がる。野球に限らずバレーボールやテニス、卓球などを見ていても、実力が拮抗した者同士程、ちょっとした隙をきっかけに、連続して片方に得点が入る「流れ」になる瞬間がある。
本書によれば、「流れ」はどうやらメンタルな要素が引き起こしているらしい。往々にして「流れ」が変わるきっかけは、野球の場合は四死球や失策、怠慢プレーが絡むことが多く、これらが焦りを引き起こし、逆に挽回しようと力んでしまったりと、負の連鎖を引き起こす。だからこそ本当に強いチームは、凡ゴロを打っても全力疾走して相手のエラーを呼び、僅かな綻びを突いて「流れ」を変える。「流れ」に任せるだけではダメ、「流れ」を呼び込む努力をする者だけに、勝利の女神は寄り添ってくれる。

「野球は“間”があるスポーツですから、それだけ気持ちが入りやすいんです」
気持ちが入りやすいということは、気合が入るという要素もあるが、もう一方では邪念が入ることにもなる。これもまた、野球の面白い要素である。
野球において、メンタルトレーニングの効果が語られるのも、考える“間”が多いからとも言えよう。そして、いい方向にも悪い方向にも転がり得る“間”をいかに上手に使うことができるのか、これもまた「流れ」を呼び込むための大事な要素と言えるはずである。(第9章「『流れの正体』とは何だったのか」より)

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[2010年11月27日] この日の感想・書評へ→

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脇役力 〈ワキヂカラ〉

生き残るための環境づくり
田口壮

日本時代には考えもしなかったことなのですが、自分が控えという脇役に徹しているからこそ、レギュラーという主役に求める部分が生まれ、それと同時に自分を輝かせてくれるであろう「脇役力」を磨こうと思えたのです。
そして、ぼくはベンチでの定位置を決めます。メジャーリーグを代表する名将のうしろの席に陣取り、監督と頭の中をいっしょにしようと考えたのでした。
名将の名は、トニー・ラルーサ。(第1章「『まぁ、しゃあない』の生き方」より)

スマートなルックスと走攻守三拍子揃ったプレースタイルを武器に、オリックス時代の田口壮は、イチローと共に球団を代表する主役の一人であった。それが FAで米メジャーのセントルイスへ移籍した後、単に「右打者だから」という理由だけで3A落ちする苦闘の時期を経験。そこからチームに欠かせない“名脇役”へと這い上がり、リーグトップの得点圏打率(2005)と代打率(2007)に輝くなど八年間もメジャーリーグで生き抜いた。そのひたむきな脇役ぶりを愛したセントルイスのファンは、彼を「二〇〇〇年代最強のサブプレーヤー」に選んだばかりか、2009年に敵方カブスの一員として出場した際には、試合が中断する程の熱狂的なスタンディングオベーションで迎えている。熱いものがこみ上げた田口は、涙でしばらく打席に立てなかったという。
監督の思考とシンクロさせる、自力でどうにもならない場面は「まぁ、しゃあない」と気持を切り換える、笑顔で運を引き寄せる、自分自身を研究する、変化を楽しむetc.…、スーパーサブに徹して生き抜いた経験から紡ぎ出された言葉は、世の大半を占める脇役達への力強いメッセージだ。

対戦相手の研究はもちろん必要ですが、それと同等に価値があるのが、自分自身を研究するということ。なぜなら相手投手は、ほかならぬぼくを研究して攻めてくるのですから。基本的に捕手のリードが中心となる日本と、投手主導のアメリカという違いはありますが、相手バッテリーの配球は、打席に立っているぼくを研究しているからこそのそれなのです。(第5章「自分研究のすすめ」より)

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野球を学問する

桑田真澄・平田竹男

いくらプロ野球での実績や経験があった上で発言しても、野球界の改革はできません。実績があるだけでは、信頼してもらえないんですよ。どうせ野球しかできない、野球のこと以外は何も知らないんだろうと思われてしまう。
やはりビジネス面の勉強をしたり、組織はどうなっているのか、経済はどうなのか、社会はどうなのか…と学んでいかないと、発言にも説得力がないだろうと思います。(第一章「学問を志す」より)

早大大学院の1年制修士コースを総代で卒業し、「最優秀論文賞」を受賞した元巨人のエース桑田と、指導教官の平田教授による対談。書名からイメージされるような野球の学術的論考・分析ではなく、主にイジメや体罰、長時間練習といった日本球界の悪しき伝統、飛田穂州(とびた・すいしゅう)以来の“根性野球” の功罪、身体を壊さない学生野球の在り方等、野球界の未来に向けた建設的な提言が、解りやすい言葉で語られている。
大舞台に強い精神力の持ち主で、おまけに強豪PL学園出身であれば、高校時代はさぞ長時間の猛練習を連日課されたのだろうと思われがちだが、実は一年生の時、短時間で集中して練習したいという趣旨で「練習を3時間にしましょう」と監督を説得、そこからPL学園の黄金時代が始まったという。そして巨人入団後も、無駄なウォーミングアップやランニングを止めるよう何年もかけてコーチと交渉し、少しずつ練習の効率化を実現させたとのこと。桑田=努力の人=精神主義者というイメージを少なからず抱いていたが、現役時代の投球通り、全ては頭を使っての努力だったようだ。

真夏の甲子園は40度を超えるんです。準々決勝、準決勝、決勝と、あそこで3日間連続で投げることの大変さは、おそらくやった人にしかわからないでしょうね。ぼくは運良く、肩、肘を壊さずにすみました。でも、あそこで壊してしまった球児がどれだけいるか。本当だったらプロ野球選手になれたはずなのに、という選手がたくさん壊されています。たとえば10代だったら何球以上は投げないほうがいいなどと、いまではすでに科学的データとして調査結果が出ているんです。高校も大学も、大会日程の問題は考え直すべきです。(第七章「野球界の未来のために」より)

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阪神タイガース変革論

大下英治

−万が一、ぜひということがあったら、まだユニフォーム着てもいいという気はありますか。
星野 どこかにありますね。
−いまの体調でもったいないもの。
星野 どこかにありますね。もう一回、勝負したろか、っていうのはありますね(笑)。(第一章「星野仙一SD独占インタビュー」より)

ペナントレースも残り1/3を切ったが、我が阪神タイガースは概ね好調である。宿敵巨人に13ゲーム差を覆された2008年の借りを、是が非でも返してほしいところだ。ここ三回の優勝(1985/2003/2005年)は全て前年度4位から巻き返したもの、今年もひょっとしたら…、いやいや、要らぬ皮算用はするまい。
21世紀に入り、タイガースはほぼ毎年優勝争いに絡むようになった。地べたを這い砂を噛んでいた暗黒の90年代とはエライ違いだ。こうした変革の原動力が星野元監督であったことは衆目の一致するところだが、本書の巻頭インタビューによると、どうやら辞任の際に「早まった…」という想いがあったとのこと。今は体調も良さそうだし、北京五輪で叩かれた悔しさを晴らす意味でも、今後の再登板への色気は十分にありそうだ。

「バースは、かならず残してほしい」
外国人助っ人であるランディ・バースは、来季監督をつとめるはずだった安藤監督の構想には入っていなかったらしい。吉田監督が、三好から聞いたところによると、「走れない」「守れない」というのがその理由らしかった。
しかし、吉田監督から見れば、その打撃は目を見張るものがあった。(第三章「一九八五年、阪神日本一への道」より)

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ホームランアーティストの美学と力学

田淵幸一

重心は軸足の親指のつけ根からかかとにかけての内側の部分にかかっていなければならない。親指のつけ根にあれば軸足は早く回りやすく、これでは逃げる球や落ちる球に泳がされる。
かかとの内側で地面を押すような感じで一瞬我慢し、ここだというタイミングでかかとを一気に解放すれば、ためた力が足からひざ、腰、上半身、肩、腕をらせん状に伝わっていく。(第二章「美しいホームランを打つ方法」より)

ホームランアーティスト田淵幸一は天才だった、とよく云われた。せめて王の半分でも努力していたら、あと5回はホームラン王が獲れたはず、とも云われた。たぶんその通りだろう。自身の中のとてつもない才能を半分も生かすことなく、生死を彷徨う頭部死球や骨折、花粉症等にも苦しめられ、田淵が放ったアーチは “たったの”474本に終わった。
しかし私を含めた田淵ファンは、彼の屈託のない華やかさを愛した。並の選手が努力では到達し得ない、天才だけが身に纏うことのできる輝きに憧れた。そして何より、滞空時間の長いホームランに酔った。松井秀喜をはじめ、球を力強く遠くへ飛ばせるスラッガーはその後何人も登場したが、田淵の様に美しい放物線を空中に描けるアーチストは、今もまだ現れてはいない。
ただ本書を読めば、その美しいアーチが、決して才能だけの賜物ではなかったことがよく分かる。

腕をたたんでホールをとらえ、腰を回転させながら右手で押す。そうして打球にゴルフでいうフェードをかけて左翼ポールの内側に入れる。
同じインコースでも高めは最も腕が窮屈になるから、脇をしっかり締めなくてはいけない。アウトローは両ひじを伸ばして拾う。私は右より左腕の方が2センチ長かったから、その分拾いやすかった。(第二章「美しいホームランを打つ方法」より)

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タテジマ

新・阪神OB会会長が、その想いを綴る
田淵幸一

どうして中日戦が江夏で、巨人戦が上田二朗だったのか。
普通に考えれば逆じゃなかったのか。…(中略)
0,5ゲーム差で届かなかった優勝。私は西宮市の自宅マンションにこもり、1週間は外に出られなかった。
もしあの年に優勝していれば、私の野球人生は違ったものになっていたはずだ。おそらく5年後に出されることはなかったと思う。(第二章「私とタテジマ」より)

第3代ミスタータイガース田淵幸一が、昨年11月に第6代の阪神OB会長に就任した。功労者への仕打ちとは思えなかった“深夜のトレード会見劇”から今年で30年。星野阪神での打撃コーチ就任(2002-3)という布石を経て、ようやく真の意味でタイガースに戻ってくれた感がある。1969年の田淵入団以来阪神一筋のファンとしては、全く以てうれしい限り。本書にも江夏との出会い、生死を彷徨った頭部死球事件や、最終戦で優勝を逃した巨人戦後の放心、青天の霹靂であった西武へのトレード等、タテジマ時代の悲喜こもごもの思い出が、田淵らしいカラッと明るいトーンで語られている。
こうなれば飲酒運転で検挙され、「うちの四番は欠陥品」と時のオーナーに酷評されて以来球団と疎遠になり、今や日テレとの契約も打ち切られ莫大な負債を抱えている第4代ミスタータイガース、掛布雅之の球団復帰を待つばかりだ。

球威だけではない。コントロールも凄かった。ストライクゾーンぎりぎりのコースを何センチ、いや何ミリというレベルで出し入れする。まさに異次元の世界。長嶋さんや王さんが三振するわけだ。
感心しながら受けていると、江夏がつかつかと近づいてきた。そして座ったままの私に腰を曲げて耳打ちする。
「ぶっつぁん、右バッターのインコース、ミットが(ベースの)外に反り返っとるよ。ちゃんと受けてくれんとボールにされてしまう」
キャッチングへのダメ出しだ。(第三章「タテジマの仲間たち」より)

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野球は人生そのものだ

長嶋茂雄

王さんは「天才」、僕はいわゆる一つの「努力の人」。…(中略)…周りから茶々も随分入ったが、ONの間にただの一度もトラブルはなかった。技術では擦り切れるほど競い合ったが、二人の間には口げんかすらない。考えてみればそれも奇跡ではないか。右と左で歳が四つ離れ、性格も役割もタイプが全く違っていたことが良かったのだと思う。王さんも大人だし、僕も兄貴分として、互いを知っていたということだろう。(「ON砲」より)

人並み以上に打って守って…というのは当たり前。いかにファンを楽しませるか。それが“プロ野球人”長嶋茂雄の最優先テーマだった。「私はファンあってのプロ野球を全身で意識していた」。手のひらをひらひらさせる投げ方も、ヘルメットが飛ぶ空振りも全てファンサービス。全ては、ファンを喜ばせたいという長嶋ならではのパフォーマンスだった。
そして今。脳卒中から奇蹟の回復をしたミスターは、リハビリで苦しむ大勢の人々の励みになればと、かつての活力溢れる颯爽とした長嶋茂雄とは真逆の、会話も動きも不自由な自分の姿を堂々と晒している。全てはファンのため。とことんまで「長嶋茂雄」として生きようとするその姿に、心から尊敬の念を抱かざるを得ない。そんなミスターの思いが明るく率直に綴られた野球ファン必読の一冊。

若手が自信をつけて来シーズンこそ日本一になれると思っていた。
中畑にしても篠塚にしても投手では定岡や西本、こういう連中が激しい勝負に耐えられる力をつけてくるのは来シーズン以降だと思っていた。それに江川もいろいろあったので、彼本来のコンディションになるのは早くて来シーズン。若い連中が少しずつ自信をつけてきているので、来シーズンは面白いと思っていたのだが、それがこのザマだ。(「志半ばで『男のけじめ』」より)

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オリの中の虎

愛するタイガースへ最後に吼える
岡田彰布

動ける荒木雅博あたりが一塁に出て、カウントが1-2とか、なんか仕掛けて来るぞという場面やね。投手にわざと、3球くらい続けて一塁にけん制させる。いかにも相手ベンチの出方を探っているってかんじやね。
それで向こうのベンチに座っている落合博満監督が、にやっと笑ったらはずす。
「阪神ベンチは何も分かってないな。分からんから、けん制で探りを入れて来とる。それならちょっくら、仕掛けてやりましょうか」
落合さんが笑うのは、そういう心理のときや。(第一章「日本一おもろい野球解説者」より)

我らが岡田彰布が、いくら現役時代の晩年に世話になったとはいえ、オリックスの監督就任要請を受けた時は正直驚いた。何せこの9年間で石毛・レオン・伊原・仰木・中村・コリンズ・大石と7人の監督の首をすげ替え、使い捨てにした球団である。性急に結果を求められた末、結局ぼろくずの様に捨てられるのではと、早大時代から30年以上もウォッチし続けてきた一ファンとしては大いに気を揉んでいる。ただ本人曰く、阪神でやれることは全てやり尽くしたと思っていたが、ただ一つ「阪神に勝つ」という経験だけが引き出しの奥に眠っていた、ということらしい(…確かに)。そして「勝つことで、阪神タイガースというチームに精一杯の、おれなりのメッセージを送る」という気持ちで臨むとのこと。
こうなったらもう今シーズンは、ぜひ阪神vs.オリックスで日本シリーズを争ってほしい、と切に望む。

勝つことを目的にやっているのに、おもしろい野球って、なかなかこれは、難しいことやで…。こんなこと言えるのも、ユニホームを脱いだからやけどね。
勝ちパターンができると、試合はおもしろくなくなる。安心して見られる、安心して試合できる、そういうチームを作ることが目的やからな。
でも見る側からすれば、そんな野球は、なんかおもろないんと違うんかなあ。
試合見とって、いま一番おもしろくないのは、中日やろ。それは実は、そうなることが監督としては理想なんやけど…。(第三章「道一筋」より)

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[2010年4月11日] この日の感想・書評へ→

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四番、ピッチャー、背番号1

甲子園9ストーリーズ
横尾弘一

審判員をしていて一番ホッとするのは、何事もなく無事に試合が終わった時だと、秋村は言葉を続けた。試合を管理、運営するのが役割だから、そんなふうに考えてしまうのだ、と。
「僕の野球人生は、一〇年前にすっかり終わった。今は、野球人生の延長ではなく、大好きな野球のそばにはいますが、まったく違う仕事、人生を歩んでいると思います。その仕事をしっかりとやっていくだけです」(秋村謙宏 1983年・夏/宇部商「プラチナシートの『プレイボール!』」より)

かつて甲子園で“四番エース”としてスタンドを湧かせた元球児9人に取材し、それぞれの半生を描いたノンフィクションストーリー。著者自身が立教大で白球を追い続けていたこともあってか、元球児達に向けられる眼差しはとても温かく、読んでいて心地良い。
9人の中には、プロ野球や社会人、高校野球の世界に身を置き続ける者もいれば、営業マン、カメラマン、理容師など別の本業を持ちながら野球と関わり続ける者もいる。生き様は九人九色だが、共通しているのが「四番、ピッチャー、背番号1」を何らかの形で心の支えとしながら、その後の人生を歩んでいること。そして、当時の経験から何かを学び取ろうという気持ちを真摯に持ち続けていることだ。
さて、度重なる故障で不完全燃焼のまま高校野球を卒業した息子が、春から晴れて大学野球で“四番エース”を目指すことになった。親父としては唯々ケガなく、充実した四年間を過ごしてほしいと願うのみ。

優秀と言われる投手は、打者の呼吸を外すのが上手い。投球フォームや間の取り方、さらに多彩な球種を駆使することで、スイングしてきた打者の呼吸を一瞬外せば凡打に討ち取れる確率が高くなる。反対に、プロ野球でも滅多打ちされている場面の投手は、精神的な重圧から我を忘れ、打者の呼吸で投げているのが大きな原因なのだ。 その呼吸の取り方を身につけている藤岡は、投手であった時と反対に、被写体となる選手に呼吸を合わせていく。そして、「その選手が最も輝いているシーン」を踏まえ、独特の距離感でフレーミングを決める。(藤岡雅樹 1986年夏/松山商「被写体までの距離」より)

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人間・王貞治

安枝新吾

東京の下町で伸び伸びと育った。世間一般に認知される聖人君子のイメージは「とんでもない」と自ら否定する。「ちょっと付き合ってもらえば分かると思うけど、俺は大ざっぱな性格だし、世俗的だと自覚しているよ」。注目度が高い巨人時代はそうした部分を封印せざるを得なかったが、王という人間の根幹に九州、福岡のおおらかな土地柄、人柄がなじんだのだろう。徐々にそうした愛すべき面が顔を出し始めていた。(第二章「勝負師−勝利の方程式」より)

王さんが現役引退した翌年に出した自著「回想」に、次の一節がある。
「努力しても報われないことがあるだろうか。たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか。」
十代だった私はこの言葉に衝撃を受け、赤線を引き、複数のノートや手帳に書き記した。「報われない努力はないよ」と励ます人は多いが、それでも報われなかった人に対し、「それはまだ、努力とはいえないのではないか」と言い切って憚りない存在が当時の王貞治であったし、この冷徹な言葉に底知れない凄味を感じたものだった。
そんな巨人時代の“努力の人”王貞治を語った本は多いが、本書はホークス時代の番記者だった著者が、主に福岡での監督時代の知られざる素顔を伝えた貴重な記録。はっきり言って良い事しか書かれていない本だが、王さんの良くない面など知りたくもない私にとっては、これで十分である。

「この世界は減点法でなく加点法。特に打者は10回のうち3回成功すれば褒めてもらえる。7回の失敗は責められない。俺だって1200個以上(1319個)も三振しているけれど、そんなことは誰も言わない。積み上げてきた方を評価してもらえる。ファンが手に汗握る緊迫した場面で自分も手に汗握っているようではダメ。ファンをどう振り向かせるか、見せる側の意識を忘れずに思い切ってやればいいんだ」(第六章「野球魂」より)

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日本シリーズ全データ分析

小野俊哉

つまり野球とは、日本シリーズ、ペナントレースを問わず、2試合に1試合ある3得点以下の試合の勝率をいかに上げるか、そこの格闘なのです。監督とは、少ない得点の試合を、投手のやり繰りで対抗し、いかに粘り勝つかという采配、用兵を問われる職業であることが理解されると思います。プロ野球の本質というものが、ここにひとつ潜んでいると考えて間違いはないと思います。
森祇晶監督は日本シリーズについて「よそいきの野球は必要ない。普段着の野球をすればいい」と語り、自信の野球観について「1点に執着し、用心深く、なおかつ細心に戦う」と語っています。(第2章「2戦目必勝論は本当か」より)

前著「全1192試合V9巨人のデータ分析」でV9巨人を多角的かつ緻密に分析、プロ野球の本質に迫ろうとした著者が、今度は日本シリーズを中心に米国のワールドシリーズ、五輪、WBCを含む「短期決戦」の全データを分析した。前著に続く究極のプロ野球オタク本だ。
プロ野球経験者ではない分、著者の分析には数字のみを根拠とする冷徹さと客観性があり、精神論の類は一切差し挟まれていない。三原脩、川上哲治、広岡達朗、森祇晶、野村克也といった名監督が、長丁場のペナントレースだけでなく短期決戦でも勝てた理由、反対に“悲運の名将”と呼ばれた西本幸雄が、あるいは “闘将”星野仙一が短期決戦に一度も勝てなかった理由が、評論家など玄人の視点と一味違う分析の下で白日に晒されている。
POSデータの分析だけではヒット商品が創れないのと同様、過去の戦績の分析だけで必勝の戦術を編み出せる訳ではないが、「シリーズ2戦目必勝論」など結果を出して来た人の哲学や戦術には、それなりの論理的根拠があることが改めて実証されている。

2006 年の第1回WBCの第1ラウンド(4地区による予選)の全集計では、3回を終えた時点でリードしたチームは、勝率が.950の結果でした。第1回、第2回 WBC全体で、同じ勝率を計算すると.867の結果です。2008年までの日本シリーズ全体では.749ですから、同じ短期決戦は短期決戦でも、WBCのほうが、より先手必勝であることがわかるのです。
いわばWBCの野球とは、日本シリーズを含めて、普段我々が国内で目にするプロ野球よりも、高速野球、または「光速野球」であると表現していいのです。(第7章「北京五輪、WBCを検証する」より)

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全1192試合 V9巨人のデータ分析

小野俊哉

V9巨人は、3回を終了した時点でリードしていると、その勝率は.831と、かなり高い数値をはじきだしているのです。3回終了時に同点の状態(0対0を含む)では.551とかなり落ちますし、負けている状態では.329ですから、早く相手からリードを奪う野球をすればするほど、勝利数が伸びる計算になります。
・・・(中略)・・・V9巨人は3回リードの試合を全試合数の42.5%にまで伸ばし、413勝しています。全703勝のうちの59%、約6割をここで稼いでいるのです。(「勝利の普遍法則は『初回リード』」より)

V9巨人は憎らしいほど強かった。その強さは王・長嶋の存在に集約されがちだが、それだけで9年も続けて勝てるものではない。という訳で、V9巨人の強さを全1192試合のデータを基に分析した本が出たと知り、読まずにいられなかった。見出しを見ても「巨人キラーは、シピン、ロバーツ、川藤幸三」「『長嶋はチャンスに強かった』を検証する」「V9のエースは堀内恒夫か、高橋一三か」etc.ノスタルジックな視点からも十分に楽しめる内容だ。但し本書の価値は、単にV9巨人の強さを分析したにとどまらず、野球というゲームにおける「勝利の本質」をとらえた所にこそある。
その「勝利の本質」とは、「9イニングのどこかで点を奪えば勝てるのが野球ではなく、一刻を争って初回からリードを奪うこと、その試合運びこそが勝利の普遍法則だ」ということ。その証拠が、史上最強のチーム=V9巨人の戦記の中に山程詰まっている。野球の質は変わっても、「本質」は変わらないんだよと、一昔前のスコアブックが静かに語りかけている。

川上監督はV9時代、金田を代打に指名すること27度。実は、後楽園球場の代打では、打率.417という驚異的なハイアベレージを残しているのです。 これは、後楽園球場にかぎっては、野手を含めてV9時代の代打におけるチーム最高打率ですから、ただごとではありません。
V4シーズン(1968年)の7月中日戦、3対4とビハインドの9回裏、川上監督が金田を代打で指名すると、小川健太郎から同点犠飛。この試合は、長嶋が延長サヨナラ打を放っています。また、同じ年の8月大洋戦、2対3の7回に満塁の場面で川上監督が金田を指名すると、今度は2点タイムリーの逆転打を放ちました。(「投打におけるエンターテイナー・金田正一」より)

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オリンピア

ナチスの森で
沢木耕太郎

長身のフィンランド選手たちに包みこまれるようになりながら、日本選手としても小柄な村社が、正確なピッチで、背筋を伸ばして走る姿には、孤立無援の悲壮感のようなものが漂っていた。その姿が、十万の大観衆の心を揺り動かした。ドイツ人観客が「ムラコソ!ムラコソ!」と声を合わせて叫びはじめ、しだいにその声は場内を圧するようになった。(第二章「勝者たち」より)

本書は1936年、ナチスドイツ下で開催されたベルリン五輪について書かれたドキュメンタリーである。遥か70年以上も前の話だが、「前畑ガンバレ!」の絶叫中継や、銀と銅のメダルを半分に切ってつなぎ合わせた友情のメダル(西田修平と大江季雄)、日本人として走る事を強いられた朝鮮出身のマラソンランナー孫基禎の逸話を、誰しも一度は耳にした事があるだろう。
さて沢木といえば、取材対象と向き合った時の私的な思いを軸に話を展開する「私ドキュメンタリー」で知られるが、本書は、ベルリン五輪の記録映画「オリンピア」を監督したレニ・リーフェンシュタールとの対話をベースにした序章と終章のみその形式で構成。中に挟んだ八つの章は、出場した日本人選手個々の客観的なノンフィクションとしてまとめている。いわゆるサンドイッチ構造とでも言おうか。いつもの“熱い”スポーツドキュメンタリーと一味違う沢木の作風に出会える作品。

私は、しばらく、誰もいなくなった中二階をぼんやり見上げていた。
すると、不意に、ベルリン・オリンピックというひとつの歴史が、レニと共に階段の奥に消えてしまったような気がした。
そう、歴史というなの鳥はすでに飛び立ってしまっていたのかもしれない。(終章「階段へ」より)

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47番の投球論・現役力

工藤公康

要するに、バッテリーはバッターにいかにボールを意識させる配球をするかが大切であり、それを意識させることができなければ完璧な配球とはいえません。意識させることでバッターにストライクゾーンを錯覚させることができるわけで、またそれができるとピッチャーにとって投げるボールの選択肢が広がり、バッターに消せる球が少なくなるからです。(“47番の投球論」第3章「僕の配球論−打者を見る『眼』」より)

1985年のバース・掛布・岡田のバックスクリーン三連発は既に伝説化しているが、当時の“あの”タイガースと日本シリーズで対戦した工藤(当時西武)が今も第一線で活躍し、つい先頃も勝ち星を挙げたのはまさにアッパレという他はない。阪神打線の前に立ちはだかった24年前の工藤は、ユニフォームの第一ボタンを外したマウンド姿がいかにもクソ生意気な若武者だった。
さてそんな“ハマのおじさん”工藤が、同時期にやや性格の異なる二冊の本を出した。「47番の投球論」はバッターとの実践的な駆け引きを含めたマニアックな技術論で、「現役力」はプロとしての心構えの在り方に比重を置いた精神論である。長く続けている分、後輩たちのちょっとした振る舞いで「未来が見える」という工藤の言葉は、言い回しこそ平易だが、随所に経験に裏打ちされた深みと、限界まで己を追い込んだ者にしか語れない重みがある。

プロフェッショナルの道を貫くためには、ある意味で、邪魔な謙虚さがあるといえるかもしれません。もっていなければいけない自尊心と、捨ててしまってもいいプライドがあるとお話ししましが、謙虚さにも似たような側面があると思います。
「こいつはまじめにやる、いいヤツだな」と思わせる謙虚さがあったとしても、それが前に向かっていく意欲を削いだり、すぐに打ちひしがれてしまう弱さにつながるのだとしたら、これはいらないものに属します。(「現役力」第3章「変えるために気づくことの大切さ」より)

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未熟者

藤川球児

セットアッパーは味方の攻撃が残っているから、ある程度「行け行け、ドンドン」でいい。でも、クローザーはリスク回避を優先して、より慎重にならなきゃいけない。何しろ、その1イニングを守り切れば、全員が報われるのだから。その日エラーをした人も、打たれた人も、打てなかった人も。(第四章「クローザーの矜持」より)

一度でもマウンドに立った経験のある人なら、誰も皆「分かっていても打てない快速球」を投げてみたいものだ。並み居るプロの強打者が直球だけを狙って振っても、バットは球筋の遥か下で虚しく空を切る・・・。これ程投手冥利に尽きる場面はない。そんな夢の様な直球を、藤川球児は2004年のシーズンから突如手に入れた。本人の表現を借りれば、火の玉ストレートと「出会った」のである。過去、数々の名投手が様々な伝説を作ってきたが、マシンで好きなだけ速球を打ち込める打者優位の今日にあって、2004年から2006年頃にかけての球児の「分かっていても打てない」直球は、既に生きた伝説となっている。
そんな「火の玉ストレート」誕生の経緯を含め、「2008年のタイガースは、まるで『青春ドラマ』のようだった」と語る球児の、熱い思いがこもった一冊。岡田前監督や下柳、赤星、久保田ら同僚達による藤川球児評、矢野捕手との対談等もファンには興味深い。

矢野 ・・・球児がもうひとつすごいのは、バントが転がってきて跳ねたらイヤだと思うところの土を、絶対にならしに行くやろ。マウンドの前がちょっとでもへこんでいたり、サード側で足を取られそうとか、バウンドが変わりそうとかいう場所があったら、必ず下りてきてならす。
藤川 プレッシャーをかけてるんですよ、ランナーコーチとバッターに。
矢野 そういうのが大事なんよ。(特別対談「矢野輝弘×藤川球児」より)

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阪神タイガースの正体

井上章一

「プロ野球選手は野球の商売人」である。藤村のこんな言葉にも、プロ野球創成期の心意気はうかがえる。「商売人」という表現は、プロを見下す意味をこめて、当初しばしば用いられていた。その蔑称を、藤村は積極的にひきうけている。そして、ショーマン・シップのよりどころにしていたのである。(第三章「プロ野球創成記」より)

本のタイトルや装丁の印象からお気楽な阪神ネタのエッセイかと思いきや、タイガースの球団史及び日本プロ野球黎明期の真実が、綺麗事でなくリアルに書き綴られた骨太な本であった。創設時は読売戦より阪急との定期戦の方が重視されていたことや、「大の大人が野球で生計を立てるなんて」とプロ野球を蔑む時代の空気、二リーグ分裂時に阪急・南海を土壇場で裏切り読売にすり寄った経緯、読売戦以外は閑古鳥が鳴いた昭和三十年代等、阪神ファン歴40年の私も詳しく知らなかった事実が、豊富な文献の引用を基に語られる。
特にV9読売に敢然と挑んでは打ち砕かれ、その哀感が故に魔性の輝きを放っていた昭和40年代の阪神を語る下りは、同時代の空気を共有した者同士として、随所で「そやっ!」と相槌を打ちたくなった。また神戸のU局サンテレビや、当時の阪神ファンの「教祖的存在」だった中村鋭一が果たした役割にも触れるなど、随所に目配りが利いている。

阪神は、村山や江夏をおしたてて、ジャイアンツにたちむかう。そして、しばしばあと一歩というところで挫折した。多くの反権力闘争と同じ途を、より劇的にたどっていたのである。こういう歴史をへて、阪神の球団色も、ロマンティックにそめあげられていく。たんなる敗北ではない。その敗北に、ある種の感傷がただよいだしたのである。(第四章「阪神をそだてたもの」より)

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頑固力

ブレないリーダー哲学
岡田彰布

「なぜ鳥谷を使うか? それは使う価値のある選手だからや。将来、チームを支えることのできる選手だから、オレは使う。ただそれだけのことよ。複雑なことではない。簡単に考えたらわかるやろ。そうなる選手と判断しているから。ただそれだけや」 どうして、大学の後輩だから可愛くて仕方がないという発想になるのか。そういう私情を挟み起用すれば、この先、どういうことになるかくらいはわかるだろう。(第1章「常勝軍団への険しき道程」より)

13ゲーム差をひっくり返された責任を取って、阪神前監督・岡田彰布は辞任した。「まさか、こんなことになるとは・・・」という本書冒頭の言葉は、偽らざる本音だろう。もちろん、優勝を逸した責任を指揮官が負うこと自体は珍しいことではない。ただ今回の辞任の鮮やかさ、潔さは、ゴタゴタが絶えなかった阪神の球団史上では特筆もの。ついでながらオーナーまでが、V逸の責任を取り自発的に報酬をカットしたというから、良い意味で阪神球団は明らかに変わりつつあるようだ。
それにしても、熱狂的な阪神ファンとして育ち、6球団の競合の末にクジ運良く憧れの阪神へ入団し、伝説のバックスクリーン3連発を演じた一人として日本一に輝き、一軍コーチとしても、さらには第30代阪神監督としてもリーグ優勝を経験した。本人が言うところの「永遠の阪神ファン」として、何とも幸せな人生としか言いようがない。

星野さんは「阪神の監督は命を削る」と表現したらしい。それほど重圧を受けるポジションであるし、想像を絶するストレスがたまる。
巨人との死闘が続いた今季終盤はストレスで食事が喉を通らなかった。眠れぬ夜も続いた。07年の終盤もそうだった。10連勝で一旦首位に立ったが、その後8連敗し、優勝を逃した。遠征先のホテルで何度も嘔吐し、汚れたカーペットを自分で掃除したこともあった。(第5章「信念を貫く」より)

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[2009年1月29日] この日の感想・書評へ→

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いつだって青春

わが人生のホリプロ
堀威夫

前年の暮れも押し迫った頃、百恵から急に「相談がある」とのことで、夜、食事を共にした。そこで初めて三浦友和君との結婚話が持ち出された。・・・(中略) しばらくの間、心の態勢を立て直すのに時間が必要なほどだった。現代っ子といわれるこの年格好の娘が、地位、名誉、収入を捨てて家庭に入る、という決意に舌を巻いた。
瞬間、「これはホリプロの敗北だ」と感じた。我々のマネージメントが、友和、そして家庭の魅力に勝てなかったのだ。(第8章「終わりと始まり」より)

ホリプロの創業者による自伝。山口百恵、和田アキ子など数々のスターを育て、芸能界で一大勢力を築いて来た栄光と挑戦の歴史である一方で、手塩にかけたタレントに離反されたり、共同経営者に会社を乗っ取られたりという失敗と挫折の歴史でもある。「若気の至り」の連続でありながら結果オーライに恵まれてきたと本人は謙遜するが、マイナスの状況をプラス思考でチャンスに変えたり、失敗から必ず何かを学びつつ常にポジティブシンキングで先々の手を打っていく姿勢には、見習うべき点が多いなと感じた。ギョーカイの成功者が書いたにしては嫌みのない自伝。

実際に五十歳になって潔く社長交替ができるかどうか?この考えを持ったのは四十代前半のことで、「もしかして、若さが言わせているのではないか」という不安が自分にも当然あった。それを払拭する意味でも、先に口に出してしまったわけである。前にも述べたが、「仕事の世界には有言実行あるのみで、不言実行はない」というのが私の持論である。(第9章「バトンを継ぐ人々」より)

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覚悟のすすめ

金本知憲

「雑草はアスファルトの下からでも生えてくる。けれど、おまえはコンクリートで固めても出てくる奴だな」
その言葉を、私は誇りに思う。
これまでの私のプロ野球人生は、踏まれては顔を出し、また踏まれては顔を出すという、繰り返しだった。その結果、知らず知らずのうちに我慢強くなっていた。
考えてみれば、人生の転機にはいつも「覚悟」があった。(「はじめに」より)

「元気があれば何でもできる!」と拳を振り上げて叫んでも、人間どうにもならないことは多い。ただ「覚悟があれば何でもできる」とは、少なくとも(他人には偉そうに)言えそうな気がする。逆に言うと「覚悟がない」から我々凡人は壁を越えられず、変わり映えしない日常を這い回っている。
冒頭、金本は言う。「私は、どちらかといえば強くはない人間である」。恐らくその言葉に嘘はないのだろう。ただ野球界のみならずどんな世界であれ成功と失敗を分けるものは、素質と努力と運だけではなく「覚悟」なのかも知れないなと、己を振り返って自己嫌悪に陥ったりもする。これまで自分は、どれ程の覚悟を以て事に臨んできたのだろうかと。

けれども、星野さんはあきらめなかった。毎日電話をかけてきた。
入団会見で私は「半分脅迫のようだった」と話したが、交渉の席ではいきなり、
「タイガースに来なければぶん殴るぞ」
と冗談まじりだがいわれたし、本当に強引だった。最後には、
「今日は返事するんやろ? おまえは来るようになっているんだ。おれと一緒にやる運命なんだ」
と迫ってきた。(第三章「チームプレー」より)

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[2008年12月26日] この日の感想・書評へ→

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バカでエースがつとまるか!

堀内恒夫

コンピューターが伝えるバッターの特長や数字をたくさん積み上げても、経験値ほどの重みはない。積み上げた数字による選択とは、まったく逆のボールを選択するときもある。どれだけ痛い目にあったか。そして、痛い目にあった分だけの“免疫”をきちんとつくれているか。ピッチャーは“免疫”の抗体が多いほど、一流といえるかもしれない。(第二章「記憶力の悪いピッチャーはエースになれない」より)

少年時代の阪神−巨人戦、江夏対堀内のエース対決はいつも、「1点先に取った方が勝ち」という緊張感で溢れていた。江夏の調子が良いと、長嶋でさえ「今日は速くて打てない」と試合中に音を上げたそうだし、堀内が絶好調だと田淵も藤田平もきりきり舞い、阪神ファンから見ても「こらアカンわ〜」と脱帽だった。巨人にはもう一人高橋一三という20勝左腕がいたが、V9時代の憎っくき巨人のエースと言えば、やはり面構えからして憎々しい堀内でなきゃいけなかった。
しかし“甲府の小天狗”と呼ばれ、生意気だったと自認する堀内が投手として最も大切にしたもの、それは、「打たれたことをしっかりと覚えておく」能力だった。試合後は打たれた反省点や打ち取った時の感覚を必ずノートに書き留め、さらに翌日に新聞をスクラップすることで記憶を整理していたと言う。ただのバカでは一流の野球バカにはなれない、ということか。

エースの条件なんて挙げたらきりがない。記憶力、持続力、忍耐力、精神力、技術力・・・・。技術面だけでもピッチャーにとって身につけるべき技術はたくさんあり、さらに適応力、分析力、創造力など、オレが考えるだけでも多くの項目が浮かんでくる。これらをすべてクリアできる完璧なピッチャーなんて、この世に存在しない。 大切なのは、「無事これ名馬」のようなけがをしない体。そして、「感性」だ。(第六章「エースの本領」より)

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[2008年12月 7日] この日の感想・書評へ→

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最強打撃力

バットマンは数字で人格が決まる
張本勲

理論、理屈ではどんなことでも言える。たとえば、無心で打て。たとえば、ボールから目を離すな。たとえば、肩の力を抜け。私にしてみれば、これらはすべて「常識のウソ」である。肩の力を抜け、と言われて、本当に肩の力をだらりと抜いてしまったら、バッティングはできない。肩の力を抜くには、ヒザの力を抜くことを教えなくてはならないのだ。(「はじめに」より)

張本勲は、今でいうイチローである。ヒットを量産する能力と、最盛期で41盗塁(1963年)した走力はほぼ互角。ルックスと守備力ではイチローに分があるものの、本塁打数ではイチローは勿論、長嶋茂雄さえ凌駕する通算504本(史上7位)を記録している。
さて此程の大物ながら、パリーグ時代はTVで見る機会がなく、当時の平均的野球ファンにとって張本は“幻の名選手”だった。だからこそ巨人への移籍で初めてベールを脱いだそのバッティングは、当時のマニアックな野球少年達に少なからず影響を与えたのである。
理論的にバッティングを考察した場合、体幹を軸に地面と水平にバットを振り抜く“レベルスイング”こそが理想であるものの、当時の学生球界ではバットを振り下ろす“ダウンスイング”が主流だった。しかし張本のフォームは常に地面と水平な軌道を描き、精密機械の様にボールを打ち返した。その芸術的なバッティングにアンチ巨人の私でさえ魅せられ、練習や試合ではついつい張本のフォームを真似て打席に立ったものだ。無論、それでポカスカ打てる程野球は甘くなかった・・・。

最後にもうひとつ、子供たちに「ドアスイング」の矯正法をアドバイスしておきたい。バットが遠回りするこのスイングのポイントは両ヒジにある。バットを構えたところからフォロースルーまで、常に両ヒジが下を向いていれば、ワキが締まった状態でのスイングとなる。反対にヒジが上を向いてしまうとワキが開き、バットは遠回りすることになる。(第三章「安打製造機が明かす打の極意」より)

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[2008年12月 4日] この日の感想・書評へ→

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勝者の流儀

トップアスリートの知られざる原点
羽佐間正雄

日本のスポーツマンの頂点に立つ長嶋茂雄と王貞治は、病に倒れてもなお、築き上げた実績に揺るぎはない。現役時代からインタビュー取材に応じる姿も、すべてのプロスポーツ選手たちの鑑である。不快な表情で取材に応じることの一切なかったことを、いまも私は敬意を持って記憶している(「スーパースターの条件−長嶋茂雄」より)

五輪実況回数通算11回のベテランスポーツアナが、スポーツ界の先達の気概と足跡を「いま伝え残さねばの一念から書きはじめた」という人物評伝。といっても堅苦しいものではなく、名調子のアナウンスの如き流れる様な心地良い文章で、かつてのスター達の公私にわたる知られざるエピソードが語られている。
登場するのは長嶋茂雄、王貞治、川上哲治、金田正一、稲尾和久ら野球界に加え、古橋広之進、川渕三郎、古賀稔彦、山下泰裕など大物ばかり。人口に膾炙した逸話よりも私的な交友から採録した裏話が多く、中でも著者が王さんに「痔」の相談を持ちかけ、ベンチの片隅で真剣に助言をもらっていたのを、重要情報の密談と誤解され報道陣に取り囲まれた下りなどは、王さんの何事にも真摯な人柄が窺え微笑ましい。

不慮の事故で負った右手のハンディキャップと、どう闘うか。前人未踏の大記録の、それは礎であったにちがいないのだ。
互いに相手の打撃理論に聞き入る川上哲治と張本勲。2人の左打者。
尊敬してやまない川上の前で、張本は一度だけ、自らすすんで手袋を取ったことがある。 「よくも、こんな手で・・・・」
川上はしばし絶句したあと、そう言って涙を流した。
打撃の神様が心の内で「あっぱれ」と思ったのだろう。(「右手1本に懸けた広角職人−張本勲」より)

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[2008年10月23日] この日の感想・書評へ→

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親方はつらいよ

高砂浦五郎

百人の弟子のなかで、もっとも手こずらされたのは・・・・言わなくともおわかりでしょう。二〇〇七年、俗にいう「朝青龍騒動」で日本中の話題になった、横綱の朝青龍です。きっと後にも先にも、アイツ以上に私を手こずらせてくれる弟子はいないでしょう。(第一章「弟子に一長一短あり」より)

朝青龍の顔写真の横に、吹き出しで「親方、本当に申し訳ありませんでした!」のセリフ。この帯を見ただけで、一連の「朝青龍騒動」に関心のある人ならつい手に取った事だろう。おまけに出版元は「週刊文春」で騒動を煽って来た文藝春秋社。誌面でさんざん叩いて稼がせてもらった相手に、今度は売れ線の本を書かせ、おまけに巻末で横綱からの「反省文」まで添えさせるとは大した商魂だ。これまで叩かれて来た親方にすれば、弁明の場と印税を稼ぐ機会を与えられた訳だから、まあ取りあえずは水に流して・・・といったところか。
内容は、騒動の顛末から親方としての管理能力、個性的な弟子の操縦法、現役時代の思い出等々、ざっくばらんに胸の内が語られていてそれなりに面白い。中でも、騒動を機に取り沙汰されている「横綱の品格」について、「品格だけで相撲が取れるか?」(p.59)と問いかけた一文に、“強い”横綱を育て上げた親方の意地が窺える。

僕が世間を騒がしたこと−−正直言って、騒がそうとしてやったことでもないんだけれど、ああいう形になってしまって、本当に、当時も師匠に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。親方も大変ななか、わざわざモンゴルまで来てくれたし、僕がマンションの部屋で引き籠もりになったときにも、親方が来てくれて、僕、泣いちゃったんです。(特別寄稿「親方、本当に申し訳ない」第六十八代横綱 朝青龍明徳より)

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[2008年10月 8日] この日の感想・書評へ→

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菊とバット【完全版】

ロバート・ホワイティング著/松井みどり訳

日本では、奇妙な“美意識”によって、中継はいつも一時間二十六分で終了してしまう。バッターボックスに誰が立っていようと、そんなことはおかまいなしだ。とくに同点の九回、満塁という場面で画面から球場が消えてしまったときなど、はらわたが煮えくり返る思いがする。(第1章「戸外の歌舞伎」より)

先頃読んだ「サクラと星条旗」がそこそこ楽しめたので、原典とも言える「外国人から見た日米野球文化比較論」としての本書を読んでみた。舞台が30年前の日本球界なので相当今とは様変わりしているが、その分単なる日米の比較論を超え、図らずも日本球界自体の「今昔比較論」的価値が本書に生まれた様だ。
例えばかつては、三連戦の初戦に投げたエースが翌日以降リリーフで登場するのはごく普通で、外国人選手はチームに2人だけ。年俸は長嶋・王の二人が暗黙の上限で、日本選手のメジャー挑戦など夢物語だった。そして何よりプロ野球こそが娯楽の王者、巨人戦は連日20%以上の視聴率を取るのが当たり前だった。
今の若い世代にとっては、遥か昔の異国の出来事の様に思えるかも知れない。

『武士道』はとりわけ投手に過酷な労働を課す。・・・(中略)・・・週の半ばの大事な三連戦を例にとってみよう。日本の監督はまず一日目の火曜日にエースを投入し、続く二試合のどちらかにリリーフとしてまた使う。そして週末にも同じ投手を先発させるだろう。(第3章「野球武士道」より)

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夢・続投マスターズ甲子園

重松清/マスターズ甲子園実行委員会編

「現役」の高校野球の魅力は、おそらく「終わりの美学」にある。最後の夏、最後の試合、最後の打席、最後の一球・・・スポーツの中で、高校野球ほど「最後」が強調されるものはない。それは、3年間というかぎられた時間を生きる高校生ならではの特権でもあり、哀しみでもあり、美しさでもあるだろう。
だが、オヤジはそう感嘆に「終わりの美学」に殉じるわけにはいかない。カッコ悪くても、体にガタが来ても、思いどおりにいかない毎日でも、人生のフィールドから立ち去るわけにはいかない。(第3章「終わらない夢を追い続け」より)

マスターズ甲子園とは、「高校野球のOBによる甲子園大会」である。甲子園出場歴や野球部在籍期間の長短も関係なく、マネージャーや監督、コーチとして高校野球に関わった人達も含め、甲子園を目指していた全ての元球児に開かれている大会である。今年で第5回を迎えた(「父の日」に開催済)らしいが、本書を読むまでその存在さえ知らず、知った途端猛烈に羨ましく思った。本書に掲載されている数多くの“元球児”のスナップは、どれを見ても憧れの甲子園でプレーしている歓びで溢れている。
純粋に白球だけを追いかければ良かった高校時代と違って、オヤジたちには仕事があり、家族があり、責任がある。それでも、遠いあの日の憧れにつき動かされ、皆で力を合わせて参加費用を工面し、それぞれが仕事に段取りをつけ、夢舞台での90分間の試合に全力を傾ける。だからこそ閉会式で「栄冠は君に輝く」が流れると、思わず涙する人もいる様だ。自分ならきっと、泣いてしまうだろうな。

見せてよ。坊主頭の高校生に戻った笑顔を。
見せてよ。中年太りのおなかが邪魔になっても、気合と根性で振り抜くフルスイングを。
甲子園で、会おう。
グラウンドに立つ資格を持たないぼくは、押しかけ応援団長として、
皆さんの勇姿をスタンドから見つめるだろう。(「エピローグ」より)

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エースの品格

一流と二流の違いとは
野村克也

「人生」という字にはさまざまな意味が込められている。
「人として生まれる」
「人として生きる」
「人を生かす」
「人に生かされる」(第5章「『エース』と指導者の関係」より)

目次からも想像がつく通り、過去の著作と重複する「思い出話」「自慢話」「人生訓」が半分を占める。ただ、そうと分かっていても気になるのがノムさんの本だ。実際読んでみると、シンカーを覚えた事で分かれた杉浦忠と皆川睦雄の明暗や、福本豊の足を封じるためのなりふり構わぬ策略、論議を呼んだ07年日本シリーズの山井交代に関する私見、そしてマー君(田中将大)他楽天主要選手への論評など、初出の内容も半分を占めていてそれなりに興味深い。
とりわけ名勝負と讃えられた、藤川球児によるウッズへの「11球連続直球勝負」(07/9/14)を、チームを優勝から遠ざけた身勝手な行為と一刀両断している点がノムさんらしい。確かにあの時、一球でも変化球を挟めばかなりの確率で抑えただろうし、阪神ファンも素直に拍手を送ったはず。ただ、己の誇りを賭けて球児がストレートを投げ続けたことで、あの日の観衆は“伝説の目撃者”になれたのもまた確かなのだ。

連敗を重ねて雰囲気が落ち込んでいるとき、あるいは打線が振るわずなかなか得点できないとき、「1対0の勝利」を引き寄せられるピッチャー。また、味方がエラーして足を引っ張ろうが不平不満を表さず、マウンド上からナインを奮い立たせるような選手。逆境をものともせず、勝利を稼ぐよりも負けない男−−それがエースなのである。(第6章「田中将大は“真のエース”になれるか」より)

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時速250kmのシャトルが見える

トップアスリート16人の身体論
佐々木正人

佐々木 接地を漏らさない?
朝原 地面を蹴るのではなく、押すのです。足首をがっちり固める感じで押す。実際に意識としてはほんとに蹴らないですよね。蹴ると絶対、脚が後ろにいってしまう。脚が地面に着いたところから脚を上にではなく、重心を前にやる感じです。地面に着いて重心をズルッと前にやる感じです。脚を着いたままで、です。(朝原宣治 100m陸上「100mを10秒台で走るとはどういうことか」より)

アスリートの身体を取り巻く地面、氷、水、空間などの「環境」にスポットを当て、一流選手だけが到達し得る境地に生態心理学の専門家が肉薄したユニークなスポーツ論。登場する顔ぶれも、女子レスリングの金メダリスト吉田沙保里をはじめ、16人の豪華メンバーが勢揃いだ。“オグシオ”がコート内の空間を20 分割して認識したり、“平成の三四郎”が背負い投げの瞬間相手の股下に「道」を見たり、シンクロと飛び板飛び込みの各水泳選手が、プールの水の硬軟、滑らかさの違いに応じて体の動きを変えてみたりetc.、常人の知覚範囲を超越した鋭敏な身体感覚の体験が、スムーズな対話の流れの中でさりげなく浮き彫りにされる。
そう言えば以前落合博満「超野球学2」の中で、相手投手の球の軌道を一枚の「風景」として記憶すべしとあるのを読み、独特の感性に驚かされた記憶があるが、どの世界でもトップレベルになると、世の中の見え方、感じ方が我々凡人とは違っているのだなあと本書で改めて思い知らされた。

佐々木 水面の上の空気の層はどうですか。
武田 選手生活の後半には空気が同じではないとわかりました。水面を出て空中に上がって落ちますよね。その落ちるときに空気をつかむ感じで、できるだけ止まる。空気を制する、コントロールする感じの意識です。上の空気には水面ほど粘りがないので、落ちていくときにどこをどういうふうに引っ掛けていくか、という感じです。(武田美保 シンクロナイズド・スイミング「水面の硬さは、演技によって障子紙にもシルクにもなる」より)

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サクラと星条旗

ロバート・ホワイティング著/阿部耕三訳

相手選手の胸倉をつかみ、腕を相手の体に巻きつけ、こう耳元で囁く。
「おれを殴らないでくれ。おれも殴らないから、終わるまでこのまま一緒にいてくれ」
ケンカの主人公が、仲間の選手に抱きとめられて乱闘を終えるまで、“ダンス”を続けるのだ。
今度、メジャーの乱闘劇をNHKで見る機会があったら、ぜひ、このユーモアにあふれた現象を観察してほしい。(「乱闘劇の鑑賞法」より)

来日した“ガイジン”選手が直面する文化摩擦を描いた、30年前の話題作「菊とバット」の逆バージョン。日本人メジャーリーガーの話題を中心に、メジャーの知られざるエピソードがいろいろと紹介されている。冒頭で引用したマッチョな乱闘シーンの舞台裏や、ボストンの野球ファンのマナーの悪さと人種差別、メジャーリーガーの奇行や奇妙なゲン担ぎ、ステロイドに関する問題等、ありがちなメジャー礼賛記事と一線を画し、自国の暗部を敢えてさらけ出すフェアな姿勢が小気味良い。
但し横浜時代は主に先発、またはストッパーとして87勝を上げた斉藤隆を「日本では、いわゆる中継ぎで・・・」と誤って紹介したりしているので、メジャーの選手に関する記述の全てを鵜呑みにしない方がいいかも知れない。

たとえば、九回裏満塁でフルカウントの場面。
本当のメジャーの投手はここで変化球は投げない。
これに対し日本のピッチャーなら変化球だ。
この場面で投げ込む変化球がホームプレート上でストライクになるという自信があるからだ。(「日本人リリーフ投手の奇妙な成功」より)

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プロ野球の一流たち

二宮清純

中西 大事なのはフォー・アイズ(四つの目)でボールを見ること。顔には二つの目ん玉があるけど、手の甲にも二つの目がついていると考えるんです。必ず前の手の甲(右打者なら左手)をピッチャーに対して正対させる。この形を保ってテイクバックするんです。そうするとゴルフで言うところのコックができて、バットが自然と体に巻きついて出るようになる。前の手がリードして、後ろの手が支える形でバットを押し込んでやれる。(第1章「監督の極意、投打の奥義」より)

スポーツライターとしての著者の文章力、構成力は折り紙付きだが、今回本書を読んで、その源が的確な質問力にあると感じた。中でも前半の中西太、大野豊、土井正博、工藤公康への取材記事は、それぞれの対話がポイントを突いた打撃論・投球論となっており、何気ない言葉のやりとりが、そのまま専門書並の奥深い技術指導として成り立っている。
一流プレーヤーがもっと自らの技術と経験を的確に言語化・文章化して残せる機会が増えれば、次代を担う選手や指導者達にとって何より貴重な財産となるはずである。その意味で著者には、名選手の脳内に止まる無形の資産を的確な文章で引き出し、娯楽としてのスポーツノンフィクションを超えた、アスリートのバイブルとなり得る大作をもっと数多く手がけてほしい。

ーーではなぜ前の方が開いたらインコースは打てなくなるのでしょう。
土井 前の肩が開くとインコースのボールがはっきりと見えるんです。それだけボールとの距離をとっているということですから。 しかし実際には胸元付近のボールは大体がボール球です。前の肩が開くと、そのボールがストライクに見えてしまう。だからつい手を出してしまうんです。(第2章「名選手たちの技術と陥穽」より)

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一球の心理学

マイク・スタドラー著/長谷川滋利・三本木亮訳

ストライクゾーンのど真ん中に球を投げられ、バットを振ることもできずに見逃して三振を取られるバッターもいます。それは思考したがための結果です。しかし考えることで、予測が当たることの方が、外れることより多ければ、十分トライするに値することなのです。バッティングは球の速度がどれだけか、その判断にかかっています。ですから、その判断を向上させるための情報はどんなものでもバッティング向上につながり得るのです。(第1章「バッティングは、50%メンタルで決まる」より)

サッカーやラグビー、バスケットなどと違い、野球は止まっている時間が長いスポーツである。そのため他のスポーツと比べて、心理的要素が占める割合が高い。特に一打逆転のチャンス(=投手から見ればピンチ)などでは、配球を読んだり迷ったりする“間”がある分だけ、心の持ち方一つで勝負の明暗がくっきりと分かれてしまう。そういう観点で言えば、野球はもっと心理学的知見が活かされてもいい分野であり、高度な学問的資産を取り入れることで、プレーヤー及び指導者全体のレベルアップに大きく寄与するのではないだろうか。
米国の心理学准教授が著し、元日本人メジャーリーガーが訳した本書は、本格的な心理学と野球の融合という意味では嚆矢と言える一冊。米国ではこうした本は何冊もあるようだが、これを機に日本でも、例えば古田敦也と大学研究室とのコラボレーションによる「野球心理学」の本等が刊行されたらうれしい。

プレッシャーが必要以上にかかると、投球動作やバッティング・フォームなど技術的な部分に過度に意識が集中してしまうことがあります。そのような過度の自己集中は、練習を重ね、意識しなくても自然と流れるように繰り出されるスキルにとっては害となるのです。(第5章「好不調の波は、なぜ起きるのか」より)

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落合博満 変人の研究

ねじめ正一

生来、封建的な体育会系の上下関係になじめず、秋田工業野球部時代は「八回入部八回退部」。とはいえ、一度も退部届は書いておらず、常に休部状態のまま、試合が近づくたびに呼び戻されたという。映画好きで、映画館で部員に発見されては部に復帰し、たった一週間の練習で四番を打ち、本塁打を量産した。
暴力が好きではない。(「落合伝説ー序にかえて」より)

落合博満という野球人は、たぶん現役時代に誰よりも野球について徹底的に考え抜いた人なのだろう。様々な野球の解説書を読み漁ったが、彼が著した「超野球学」1・2を超える本には出会えていない。例えばどの本も、またどんな指導者も「センター返し」の重要性を口を酸っぱくして説くが、「なぜセンター返しがバッティングの基本か?」を論理的に文章化したのは、恐らく「超野球学」が初めてである。そして基本の説明が平易で納得できるが故に、そこを基点に展開される高度な打撃理論も明解で、かつ奥深い。
さて本書。ただの長嶋茂雄信者に過ぎない著者の落合評は、偏りと牽強付会がキツ過ぎて上滑り感は甚だしいが、読物としてはまずまず。特に江夏豊に落合との勝負の思い出を語らせた章は、人選の妙を含めて読み応えがあった。腕一本で球団を渡り歩いたアウトローの二人には、明らかに共通の匂いがするから。

その時の配球は、いまだに忘れられないですよ。一球目カーブ、ど真ん中。平然と待っていました。二球目カーブ、これも見送った。三球目、キャッチャーの大宮 (龍男)はいろんなボールを要求しましたけど、全部、首振ってもう一つカーブ放った。つまり、カーブ、カーブ、カーブです。それも落合は見送って、三球三振。それで平然と帰ったんです。
その姿を見て、あ、落合は変わったなと思いました。(第2章「落合が変貌した日 江夏豊」より)

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笑いの現場

ひょうきん族前夜からM-1まで
ラサール石井

たけしさんは「天才ゆえの孤独」というものを感じながら、笑いに真っ正面から立ち向かうことに恥ずかしさを覚えつつ、斜に構えて世間に毒づいている。そしてその生き様こそ芸人そのものである。
さんまさんは「孤独にならないことにかけて天才」である。何よりも自分を愛し、芸人であるという前に、驚くほどに「明石家さんま」である。(第2章「お笑い芸人列伝◎評論編」より)

知性派芸人ラサール石井による、80年代以降のお笑い史回顧&芸人評論。前半のノンフィクション編では、「コント赤信号」結成の経緯とサクセスストーリーを軸に「ひょうきん族」前夜からM-1までの歴史を回顧。後半は評論編として、たけし、さんま、志村、とんねるず、ダウンタウンの笑いに対する姿勢・特徴等を、同じ舞台に立つ現役芸人ならではの分析的目線で詳しく解説している。
中でも「ひょうきん族」の分析が興味深い。同番組では人気の漫才コンビを分断し持ちネタをやらせなかったが、こうした芸人の“バラ売り”によって、ネタで勝負する伝統的な漫才師は淘汰され、自分の言葉で喋れる芸人〜たけし、さんま、紳助らが勝ち残っていった。その一方で「ひょうきん族」の成功は、「楽しくなければテレビじゃない」のスローガンと共にフジテレビ全体を“ひょうきん族化”させ、やがてその波は他局へも伝染、芸能界におけるお笑い芸人の地位向上に一役買った。なるほどこの様に分析されると、「ひょうきん族」を挟んでお笑いの質が大きく変貌した事実がよく理解できる。

ダウンタウンの凄いところは、フリートークが結果的にきっちりと漫才になっているところだ。初めて喋っていることなのに、松本の言いたいことが浜田に伝わり、最も適切なツッコミが用意される。
そして必ず松本特有の、ちょっと歪んだ別のオチに発展していく。
雑談がそのままきれいな漫才になっている。これが究極の漫才でなくて何であろうか。(第2章「お笑い芸人列伝◎評論編」より)

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松田聖子と中森明菜

中川右介

七〇年代末になると、アイドルという制度はいきつくところまでいってしまった。山口百恵が進めた自らの実人生とアイドル像を限りなく一致させる方向と、その対極であるピンク・レディーが進めた徹底した虚構化である。そして、二つとも破綻してしまった。
そのアイドルの荒野に、時代遅れの白いフリルの着いたドレスで武装した少女が挑もうとしていた。忘れていたものが蘇ったのだ。
松田聖子はアイドルの原点に戻った。(第二章「遅れてきたアイドル−一九八〇年」より)

「八〇年代」を覆っていた時代の空気感を、時代を象徴する二人のアイドル松田聖子と中森明菜の楽曲を通してリアルに描ききった、かなり読み応えのある社会評論。彼女らの「スキャンダル」や「生き方」に比重を置くことなく、あくまで「作品」に焦点を絞って読み解いたところがミソである。当時の人気番組「ザ・ベストテン」のランキング推移をデータとして利用した点も、同時代で番組の熱気を知る読み手には実感的で判りやすく、かつ懐かしい。二人を描くための前史として置かれた70年代アイドルの象徴=山口百恵論も含め、個人的には結構ツボにはまってしまった一冊。
文章を読む限り、本人や関係者達への直接取材は行われていない。逆に言うと、その気になれば誰でも(=私にでも)入手・閲覧できる出版物や公開資料だけを駆使して、ここまで人を引きつける論考を書き上げた構成力に脱帽する。

この時期の松田聖子作品のほとんどを作詞した松本隆は、マンネリに陥らないように、一曲ごとに異なる女性像を描いた。ひとりにまかせたがゆえに、松田聖子作品は多様性を得た。中森明菜はその逆に、ほとんどの作詞家が彼女のためにせいぜい数曲しか書かなかった。彼らは一曲入魂の姿勢で「中森明菜らしい女性像」を描いた。それが結果的に、歌の舞台や人物設定は異なっても、不幸と孤独を繰り返すことになった。(第七章「宴のあと−一九八五年」より)

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野球人の錯覚

加藤英明・山崎尚志

4番が打点を挙げた次回の失点確率(失点平均)は全体平均とあまり違いはないが、その次の自軍攻撃回の得点確率は、4番以外の打者が打点を挙げたケースと比較すると若干高いという結果となった。したがって、4番が打点を挙げたことによってわずかだが試合の流れらしきものが見られる。(第2章「『試合の流れ』って本当に存在する?」より)

「試合の流れ」は本当にあるのか?送りバントやエンドラン、盗塁はそれぞれ有効な作戦か?大量得点した次の試合は往々にして点が入らない、のか?左対左は本当に良い選択か?サヨナラ勝ちをすると波に乗るのか?等々。野球を実際にやったり観たりした者なら何度も耳にした通説、ジンクス、勝利の方程式を、 2005年度プロ野球の全試合データを元に分析を試みた意欲的な書。結果的には、解説者が語るおなじみの通説やジンクスの多くが否定される結果となった。
データの絶対的少なさや分析のツメの甘さなど、異論反論の余地とツッコミどころは満載だが、こうした実証的見地から野球研究書が過去になかった点を思うと、これを機にどこかの機関で継続的な論証・考察を手がけてくれると、戦術面での球界発展につながる興味深い結果が導き出されるかも知れない。

無死満塁のケースにおける得点確率は84.5%、得点平均は2.3999点と、他の状況と比較しても高水準であることに間違いない。無死満塁はやはり点が入りやすいのだ。

7回裏に多くの点が入っているわけではない。むしろ6回裏の方に点の入る見込みは高い。チャンスメイクは6回なのだからジェット風船を飛ばすのは6回裏がよく似合う。(第4章「『野球のジンクス』嘘?本当?」より)

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プロフェッショナル

仁志敏久

プロや技術あるアマチュアの内野手の多くは、正面に関してですが、ゴロを捕る時、掴むということをしません。両手で捕ることのできるゴロに関しては、捕るというよりも、グラブに当てる、または送球する手に持ち替えるための道具といった感覚で使います。(第1章「プロの守備論、打撃論」より)

甲子園と神宮で華々しく活躍し、社会人野球の名門・日本生命を経て指名枠で巨人に入団した著者は、その外見や洗練されたプレーぶりも含めて絵に描いたような野球エリートだ。こうしたいかにもジャイアンツらしい選手に、古くからの阪神ファンは大いに敵愾心を掻き立てられ、逆に言えば、敵ながらその憎っくき実力を認めざるを得ない存在だった。二遊間のヒットゾーンに痛烈な打球が飛んで「よしっ!」と思った刹那、まるで予測していたかの様な守備位置にいた仁志が悠々とボールをさばく・・・、そんな悔しい光景を何度目にしたことか。
その順風満帆の野球人生を歩んできたエリートが、ケガと故障で二軍落ちを経験した後巨人からトレードされ、新天地横浜で再び職人としての輝きを取り戻した。本書には本人が望んだというそのトレードの経緯や、巷間噂される原監督との確執の真偽などが率直に綴られていて興味深い。そして何より守備・走塁の技術論や、豊富な経験に裏打ちされた体の使い方・動かし方等は、中学・高校球児にとって貴重なテキストとなっている。

観察力と集中力。この二つが融合することで、能力以上のプレーは出来上がります。
打者の構えから、体の立ち具合、バットの位置や角度。打ちにいく姿勢の肩の入り具合や回転の速さ、バットの軌道と打ち出す方向。客観的にはこれらを見極め、統合する。あとは打者の得手、不得手、その時の状況などを付け加えて考えていきます。(第1章「プロの守備論、打撃論」より)

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楽天が巨人に勝つ日

スポーツビジネス下克上
田崎健太

今のプロ野球界で、選手の年俸総額が二十億円程度では、強いチームは作れない。ただ、二十五億円から三十億円あれば、飛び抜けたチームは作れないかもしれないが、三位以内、つまりクライマックスシリーズに出場できるチームはできる。(第四章「『地元密着』と『健全経営』という終わりなきゴール」より)

「読売」中心の旧態依然たる球界の体質に一石を投じ、健全な球団経営を実現するためのビジネスモデル構築に、あるいは選手育成の新たな仕組み作りに挑んだ男達を描いたドキュメンタリー。東北楽天イーグルスや四国アイランドリーグが創設された舞台裏で、それぞれの思いを胸に野球と関わり続ける有名無名の人々の生き様が、荒削りではあるが熱っぽくまとめられている。
新球団の創設は、かつての「プロ野球ニュース」の名キャスター・佐々木信也氏が活躍した高橋ユニオンズ以来、球界では50年ぶりの出来事だった。そんな千載一遇の機会に自ら手を上げて参画し、事業計画の構築、スポンサーの獲得、イベントの企画、ファンクラブの立ち上げ、グッズのプロデュース、査定の仕組み作り等の仕事に、寝食を忘れて打ち込む貴重な体験をした人達が心底羨ましい。

IBLJの合同自主トレーニングは二〇〇五年三月初頭から、香川県で始まった。旅館の座敷に選手たちは雑魚寝。壁には翌日の練習スケジュールが貼られ、トレーニングウェアなどの野球用品の他、野球雑誌が転がっている。まさに合宿という雰囲気だ。 ユニフォームは間に合わず、全員真っ白のユニフォームに白い帽子。各自様々な色のアンダーシャツを着ていた。背中には、姓名が書かれた布が貼り付けてある。(第七章「四国から野球界を変える」より)

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植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」

戸井十月

「等、これはヒットするぞ」
「なにがヒットするだよ、こんな歌」
植木には父親の反応が意外だった。
「いや、“わかっちゃいるけどやめられない”って詞はすばらしい。人間てものはな、みんな、わかっちゃいるけどやめられないものなんだ。・・・」(第一章「めんどうみたョ」より)

小学生の頃、人気絶頂だった「8時だョ!全員集合」が唐突に終了し、半年だけクレージーの「8時だョ!出発進行」に切り替わった時期がある。PTAが嫌悪=子供ウケする判りやすい俗悪さを前面に出したドリフに比べ、“大人の集団”クレージーが無理して演じている(様に見えた)舞台上でのドタバタは、今で言えば少々“イタイ”空気が漂っていた。ただその中にあって植木等だけは、当時小学生のカリスマだった加藤茶とは異質な“大物感”を子供心に感じさせ、面白いというより何か“スマート”で“オシャレな”存在として映っていた記憶がある。
今回本書で改めて「責任感の強い“無責任男”」植木等の生き様と人間性に触れ、なぜ無知なガキの眼にさえこの人がカッコよく映ったのかが氷解した。かつて TVの追悼番組(「いつみても波瀾万丈」等)で語られた既知の話も多かったが、植木への深いリスペクトが文中にも行間にもたっぷりと感じられ、読んでいて温かい気持ちにさせられる一冊である。

「・・・無責任男のイメージが強くてね、いろんな芝居をやっている内に消えるかなと思ったけど、消えない。それが嫌だったこともあったけど、でも、やっぱり消えちゃ駄目なんだと思うようになってね。それが植木等の存在価値っていうかね、人と変わってるところがあっていいと。笑顔と明るさね。笑顔がなくなって、明るさがなくなったら、僕の存在価値なし!」(第四章「そのうちなんとかな〜るだろう」より)

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戦術眼

梨田昌孝

「梨田も羽田も知っとるわ。おまえらがいるから、俺はここ(近鉄)に来たんだ」
さらに、取り巻く記者に向かって、「こいつら、3年後には1000万円プレーヤーになるぞ」とまくし立てた。・・・(中略)・・・この言葉をかけられた途端、私の中には「よし、やってやるぞ」というエネルギーが沸いてきたのを覚えている。このように、西本さんにはひと言、あるいはひとつの行動で周囲の人間を引きつけるパワーがあった。(第3章「先駆者から学ぶ目」より)

現・北海道日本ハムファイターズ監督で、かつて近鉄バファローズの監督としてリーグ優勝の経験を持つ、ゴールデングラブ賞4度の名捕手が語る野球論。全八章の中身は「日ハムのチーム作りビジョン」「現役・コーチ・監督時代の体験談」「リードのセオリーと攻め方」の三つのパートに大きく分類できる。
興味深いのは名将と言われた西本幸雄、仰木彬両監督の下での体験を語る下り。奇しくも同じ近鉄という球団を、(著者自らを含めて)それぞれ異なる時代に、異なる方法論で優勝へ導いた足跡が検証される形となっている。そして鉄拳指導へのアレルギーがあり“愛のムチ”には否定的と明言する著者が、一方では何度も鉄拳を食らった闘将・西本監督への思慕を隠さない辺り、人と人との絆が一筋縄ではいかない面白さを秘めている事を私達に示してくれる。

5位でペナントレースを終え、選手は分配ドラフトによって新生・オリックスと新規参入した東北楽天に分かれることになった。最後に選手たちを集め、私は言った。
「おまえたちが今つけている背番号は、大阪近鉄バファローズの永久欠番だ・・・・・」
選手たちは俯いて涙を流している。日本のプロ野球界は、もう二度とこんなことを繰り返してはならないと強く思った。(第8章「戦術眼」より)

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あぁ、阪神タイガース

負ける理由、勝つ理由
野村克也

しかし、いちばんの原因は、私が自分との闘いにも負けていたからだと思う。「もうダメだ、限界だ」と考えてしまう自分に打ち克つことができなかった。
なぜか。
いま思えば、私がヤクルト時代に監督として日本一を経験したことで安堵感を抱いてしまっていたからかもしれない。(第二章「なぜ、阪神監督で失敗したか」より)

楽天がAクラスを狙える戦力となった今シーズン開幕前。自らの“名誉回復”を図るには絶妙のタイミングで、ノムさんが阪神時代の自らの“失敗”を冷静に分析した本。ある意味「巨人軍論」の続編でもある。
球団創設以来の阪神の歴史を踏まえつつ、フロントと現場が抱え続けて来た悪しき体質、人間教育とビジョンが欠如したチーム作り等を糾弾。同時にそうした環境の中で徐々に熱意を失っていった自分自身を振り返っている。内容的には、藤村・別当に始まる「両雄並び立たず」の歴史や、「優勝争いして2位に終わるのがベスト」と平気で言い放ったフロントの姿勢、久万元オーナーに指摘された「自分と星野との違い」、例によって繰り返される「今岡への愚痴」など、長年の阪神ファンにすれば何処かで読んだ話が大半なのであまり新味はない。そして結論は、「V9時代の川上巨人に倣え」ということの様だ。

星野という“闘将”が来てから、緩みきっていた阪神のチームの雰囲気がガラッと変わったのを、みなさんも感じられたことだと思う。ピーンと張りつめた空気が漂うようになった。・・・(中略)・・・私も含めたそれまでの阪神の監督は、こうしたムードを醸したくてもできなかった。星野はまだ若いこともあって、まずはその存在感だけで選手たちをやる気にさせたのである。(第四章「阪神を星野、岡田は強くしたか」より)

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青春ドラマ夢伝説

あるプロデューサーのテレビ青春日誌
岡田晋吉

シリーズの中心人物になる中村雅俊扮する津村浩介は、若者らしく何でも思ったことを思った通りに行動したい青年なのだが、彼が行動を起こすと、必ず誰かを傷つけてしまうので、それができずに悩み、苦しむ。是もこのシリーズで描く「優しさ」の一つだ。昭和50年代は、この「優しさ」で勝負しようと思った。中村雅俊はこんな役を演じてもらうのに、最適な俳優だった。(第四章「青春の旅」より)

今「ROOKIES」という学園ドラマにハマっている。昭和の「熱血青春物」を彷彿させるベタなストーリーで、主人公の教師のセリフなどは当時のドラマよりもクソ熱い。その「熱さ」「クサさ」が半端じゃないから、どんなに醒めた受け手でも、「現実味がない」などと野暮なツッコミを入れる気にならないだろう。
そもそも子供の頃から青春ドラマが好きで、毎週日曜8時になると「飛び出せ!青春」「おれは男だ!」「われら青春!」等にチャンネルを合わせては、数年先に迫った高校生活に期待を膨らませたものだった。本書はそんな青春ドラマを数多く手がけた超ベテランTVプロデューサーの回顧録。上記の他にも「俺たちの勲章」「俺たちの旅」「俺たちの朝」「太陽にほえろ!」etc.、当時のキャスティングや脚本作り、撮影現場にまつわる裏話やエピソードが満載で、懐かしさの余り一気に読み終えてしまった。

私もその例にもれず、30を過ぎて初めて「青春」の素晴らしさを感じ取り、歯軋りした。しかし、私は幸いであった。普通の人ならば、もう過ぎた日は戻らず、せめてその郷愁に浸ることしか出来なかったのだろうが、私は、たまたまテレビ映画のプロデューサーという職業についたお陰で、自分の作るドラマの中で、自分の分身としての登場人物に「青春」を謳歌させる事が出来たからだ。(第四章「青春の旅」より)

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プロ野球2.0

立命館大学経営学部スポーツビジネス講義録
小島克典

3ボールからのボールを強振した新庄は、芯でとらえたもののショートゴロとなりました。すると隣に座っていたチームメイトが、スペイン語のような聞き慣れない言葉を発しました。・・・(中略)・・・「歩いては海を渡れない(四球ではメジャーに昇格できない)と言ったんだよ。これ、カリビアン球界の教えね」(最終章「プロ野球の未来」より)

横浜ベイスターズでの勤務、メジャー時代の新庄剛志の通訳等を経て、現在スポーツビジネスの会社を経営する傍ら立命大で客員教授を務めている著者が、 2007年に開講した「経営学特殊講義」の講義録を編集したのが本書。代理人の第一人者、スポーツ紙のベテラン記者、球団のファンクラブ運営に携わるマーケター、スポーツ弁護士、球団社長といった錚々たるゲストを毎回招いての講義ということで、現代の大学生が実にうらやましい。
実際のところ、立命館大での講義録という副題がなければ、「また××2.0の類か」と辟易して本書を読むことはなかっただろう。プロ野球界の現状と将来を至って真面目に考察した本であり、着想の原点が「ウェブ2.0」だった為仕方のないところだが、そろそろ「〜2.0」は賞味期限切れではないかな。

本書では「プロ野球2.0」を
「球界(球団)が絶えず変化を続けながら、既存の野球ファンが新たな野球ファンを呼び込む仕組み造り」
と定義して、次世代のプロ野球を考える概念として提唱します。(最終章「プロ野球の未来」より)

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甲子園への遺言

伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯
門田隆将

「高畠導宏です。五九歳の新人です。私は、プロ野球という世界で三五年間、野球一筋に生きてきましたが、昨年の教育実習でみなさんと出会い、挑戦者魂が再び湧き起こりました」
紺のブレザーにグレーのズボン。額は見事なまでに広く、色浅黒いこの中年男は、挨拶のマイクを渡されるや、そう話しはじめた。(第一章「教壇に立った異色の新米教師」より)

NHKで放送された土曜ドラマ「フルスイング」の原作。ドラマは教師になってからの「高さん」を、史実を参考にしたフィクションで描いていたが、本書は主に本人の生い立ちと打撃コーチ時代のエピソードが大半を占めている。ドラマも実にすばらしい作品で、最終回から既に三ヶ月近く経っているにも関わらずまだ番組HPに熱い書き込みが寄せられている程だが、本書の場合は実話という事もあり、胸に迫る思いはドラマ以上の深さがある。
「私は、コーチになる時、よーし、ほめまくってやろう、選手をほめてほめてほめまくってやろうと思ったんですよ。」「プロの世界に入ってくる人間は、必ずどこかにいいところがある。・・・(中略)・・・だから私は、人より優れているその部分を徹底してほめようと思いました。以後三〇年、私は一度も選手を怒らずに通してきました」。高畠氏が亡くなる約三ヶ月前に行った講演での言葉だ。もちろん卓抜した技術論と指導力の裏付けがあっての事なのだろうが、コーチングの極意がこの言葉に集約されている様な気がしてならない。

「大丈夫やから・・・。なあ、みんな、大丈夫やから・・・」
意外な女子生徒たちの行動に、高畠の表情に戸惑いと嬉しさ、そして一抹の寂しさが浮かんだ。女子生徒たちの肩を抱きながら、高畠の声は詰まっていた。 「先生、がんばってください・・・」
「ああ、絶対帰ってくるとも」
二度と戻ることができないことを知りながら、高畠は生徒たちを逆にそう励ました。(第一六章「生徒の心の中に」より)

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星野流

星野仙一

自分が投げて苦しみながらも勝った試合のあと、伊良部は必ずロッカーの入り口に立って、引きあげてくる選手ひとりひとりとていねいに感謝の握手を交わしている。お立ち台でヒーローインタビューを受けている選手が最後に戻ってくるまで、さらに5分でも10分でも伊良部はロッカーの入り口で出迎えるのである。メディアには登場しない、なかなか味のある光景だった。(第一章「人をつかむ20の法則」より)

北京五輪まであと三ヶ月。五輪競技としての野球は今回が最後ということで、星野ジャパンにかかるメダルへの期待は、いつもの五輪以上に大きいようだ。
それにしても、星野さんという人は運の強い人だと思う。現役時代の成績、監督としての実績は決して超一流とは言えず、「闘将」ではあっても「名将」と呼ぶには若干躊躇われる、というのが正直なところだろう。それでも長嶋、王という二人のスーパースターの後を引き継ぐ将として、恐らく大多数の野球ファンが星野仙一の名を心に描いた。あのダメ虎を就任わずか二年でリーグ優勝に導いた指導力があれば、必ずや日本に悲願の金メダルをもたらしてくれるだろう、と。
色紙にサインをする時、星野さんは必ず「夢」という一文字を添えるとのこと。願わくば三ヶ月後、日本中にとてつもなく大きな「夢」を見せてほしいものだ。

野球先進国の代表チームとして全員心をひとつにして、きちんとしたプレーを、きちんとした野球を世界に見せなければならないと思う。コンディションを整え、モチベーションを高め、ひとつひとつの連係プレー、サインプレー、バント、全力疾走、マナー、技術、力、すべての基本プレーのお手本を示し、ていねいに1 点を取り、ていねいに1点を守る野球の醍醐味、野球というもののすばらしさを伝えることを代表チーム全員で誓い合いたいと思う。金メダルだけではないそうした役割や使命も日本代表チームにはあるのではないか。(第五章「成功をつかむ7の法則」より)

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職業としてのプロ野球解説者

江本孟紀

元西鉄の豊田泰光さんと一緒のときは、「今日の試合はあんまりおもしろくないから、どこかで喧嘩しませんか」「お、いいのう」と、途中で打ち合わせしたものだ。あまりに激しく言い合いするので、聴取者から苦情が殺到したこともあった。(第一章「“エモやん”が見たプロ野球解説者の実態」より)

野球解説の「質」はともかく、視聴者を退屈させないという点ではピカイチの元阪神エースによる解説者論。お得意の毒舌・放言のオンパレードだが、解説者が持つべきプロ意識や球界における二軍のあり方への提言など、耳を傾けるべき正論も意外に多い。
ただ残念なのは、自分より目下・年下の解説者や現役選手を実名で茶化しているのに比べ、何かにつけて「私らが現役の頃は・・・」「走り込みが足りませんなあ」と、ア○の一つ覚えのような精神論しか説けない大御所達については、一切名指しすることなく巧妙に一般論化しすり抜けている。かつて「ベンチがア○やから野球がでけへん」と言い放って球界を去ったエモやんだからこそ、本来俎上に上げるべき大御所達を快刀乱麻で斬りまくり、溜飲を下げさせてほしかった。

僕の周囲を見回してみても、「今日はバットのヘッドのトップが決まってました」だの、「軸足がずれてました」だの、毒にも薬にもならない技術論を垂れ流す解説者があふれかえっている。解説者の間に競争原理が働いていないから、彼らはみなじぶんのやっていることこそ「解説」なのだと妄信している。解説者という職業が、より多くの人たちに野球を楽しんでもらうことにより、野球人口の拡大に貢献するという大きな責務を抱えていることに、彼らはまったく気づいていない。(第一章「“エモやん”が見たプロ野球解説者の実態」より)

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スポーツニュースは恐い

刷り込まれる〈日本人〉
森田浩之

女子選手の私生活に目を光らせるスポーツニュースは、彼女たちが結婚しているかどうかに特別な関心を寄せる。女子選手が結婚すると「ミセス」「奥さま」とうれしそうに呼び、出産でもしようものなら、すぐに「ママさん選手」と呼びはじめる。 これも女子選手だけに向けられる偏ったまなざしだ。「パパさん選手」と呼ばれる男子選手はひとりもいない。(第2章「女子選手に向けるオヤジな目線」より)

「スポーツニュース=男優位の偏見と固い思考枠にとらわれたオヤジ」として擬人化し、その視点から世のスポーツ報道の中に深く静かに満ち溢れている偏った世界観を分析した書。あとがきにあるように、著者は親の仇だと思って言葉をねちねちと読み込む“ディスコース・アナリシス”の手法を用いながら、スポーツ記事を執念深く読み込み論旨を構築している。その結果、スポーツニュースという取っつきやすいテーマでありながら、「メディアリテラシーの重要性」について世の中に警鐘を鳴らすユニークな本に仕上がった。
著者は元ニューズウィーク日本版の副編集長ということもあり、豊富な記事例を挙げながらジャーナリスティックな視点で分析を進めている。だからこそハンカチ王子の名が全て斎藤「裕」樹になっているという初歩的なミスが残念。(「佑」が正解。編集者も気付いてあげようよ。)

スポーツでめざましい活躍をしたヒーローは、社会の「シンボル」になるという。ちょうど宗教儀式でたてまつられるシンボルのような存在だ。そこには社会が大切にしている道徳的価値観が投影され、シンボルごと称賛される。 価値観は抽象的なものだから、それ自体を称賛するのはむずかしい。でも価値観が人のかたちをとれば、みんなでそれを再確認し、称賛することができる。(第3章「スポーツニュースは〈人間関係〉に細かい」より)

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告白

松井秀喜

自分はそんなことを思ってはいませんでしたが、心のどこかで、「五打席連続で敬遠された打者であること」を証明しなければいけないという気持ちもありました。そうなって然るべきバッターだったと、後に野球ファンが、みんなが思えるようにならなくてはいけないと、今は考えています。(第一章「人生観」より)

「不動心」を読んだ時にも感じたが、やっぱり松井秀喜という人は、悟りの境地に到達した偉い僧侶みたいな性質を持つ反面、他人の視線や意見に左右されない超マイペース人間なんだろう。小学生でもスラスラと読める、絶対に誤解され様のない分かりやすい文体で、己の「人生観」「自己観」「価値観」「恋愛観」「野球観」を極めて真摯に、日々の生活習慣まで含めて細かく語り下ろしている。
「彼女が美人に越したことはない」「ベッドの堅さは普通ぐらいが好き」「メディアに追いかけ回されることも苦になりません」「いつも神様、『My God』には感謝しています」「掃除のこだわりは髪の毛一本残さないこと」「足の指の間もドライヤーで乾かすのが習慣です」etc.、松井選手ともしや結婚できるかも・・・と考えている女性の必読書。

巨人に入団してから、長嶋監督とは、とにかく毎日毎日素振りの連続でした。一緒にどれくらい素振りをしたかは分からないぐらいです。一瞬一瞬が真剣勝負でした。みなさんは長嶋さんが感覚でものを言う人だと思っているでしょうが、決してそれだけではありません。経験から来る長嶋さんの一言は胸に響きます。(第五章「野球観」より)

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野球愛

萩本欽一

もう一つ禁句にしているのが、「野球を楽しみたい」っていう言葉。そんなこと言うのはやめてくれ、って声を大にして言いたいね。
あくまでも「野球を楽しむ」のはお客さんであって、選手ではないんです。自分たちが楽しんでいたって、お客さんは楽しくなんかないですよ。(第2章「欽ちゃんの脱常識監督論」より)

「茨城ゴールデンゴールズ」の設立を通じて、これまで日の当たらなかったアマチュア野球の世界に、世間の注目を集めるきっかけを作った萩本欽一。でも本書を読むまで、ここまで徹底的に「お客さんを楽しませる」ことを考え抜いているとは知らなかったし、また単なるお飾りの監督ではなく、実質的にもチームの統率者としてこれ程迄に貴重な役割を果たしているとは思わなかった。
中でも「運を回す」という発想は斬新だ。「三振は、次の打者に運を回しただけ。だから次の打者がヒットを打てば、それは前の打者のおかげ」という独特のポジティブ思考は、野球というスポーツの性質を楽しくするし、チームの心を一つにする貴重なヒントが隠されている気がする。
素人が野球の何を論じるのかなあと軽い気持ちで読み始めたが、全編野球へのリスペクトと、コメディアンとして観客を楽しませ続けてきたプロとしての矜持が溢れている。バカうけ。

だから、僕はクラブチームの監督を通じて「お客さんがどうやったら喜んで野球を見てくれるか」ということを、ずっと試行錯誤しています。お客さんだって、考えようによっては、いろいろな形で野球の試合に「参加」することができるでしょう?(第4章「野球を通じて町を元気にしよう!」より)

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甲子園が割れた日

松井秀喜5連続敬遠の真実
中村計

「あの試合でいちばんしんどい思いをしたのは星稜の5番バッターでしょう。月岩でしたっけ。大学で野球を辞めたって聞きましたけど」
月岩信成。「4番・松井」の次の打者だ。あの試合、月岩はスクイズを1本決めた意外は4打数無安打だった。もし月岩に1本出ていれば、おそらく試合展開はまったく違ったものになっていた。確かに、ある意味では松井以上に辛い思いをしたに違いない。
河野に指摘されるまでそんなこと考えたこともなかった。(第一章「失望」より)

敬遠は、野球における一つの作戦である。打たれる確率の高い打者を避ける代わりに、無条件で塁を与えるというリスクを犯して次打者との勝負に賭ける。ルール違反でもなく卑怯な行為でもない。ただ1992年8月16日、甲子園で星稜高・松井秀喜が5打席連続で敬遠された時、一般の野球ファンは勿論のこと、マスコミ、評論家、更には時の高野連の会長までが、明徳高が採ったこの“戦術”を非難した。ご多分に洩れず元野球少年だった私も、「ピッチャーは勝負したかったやろな」と、勝利最優先主義の権化と映った馬淵監督に怒りを覚えた。
本書の取材も、そんなありふれた明徳ナインへの同情から始まっている。そして最後まで読み切った読者は、あの“事件”に関わった人々の心理と意志が、実は全く別次元の高みにあったことを知り、高校野球において勝利とは何なのか?そして野球というスポーツにおいて“勝者”とは誰なのか?というテーマの奥深さを突きつけられることになる。

松井の野球観、星稜の野球観は透明だった。
だが、それは馬淵をはじめとする明徳にも言えた。星稜に劣らない透き通った部分があった。山口がこんな言い方をしていた。
「あいつらは真っ直ぐなんですよ。キャッチャーなんて生き生きしてたでしょう。ボール捕ったらすぐ返して。ただ監督のいうこと聞いてただけかもしれないですけど。そういう面ではあいつらは純なんですよ」
両校の野球観の違いの背景にあったもの。それは、野球に純粋だったのか、勝負に純粋だったのか、その違いだった。(第五章「挫折」より)

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1976年のアントニオ猪木

柳澤健

プロレスのすべてを知る彼らならば、現役世界ヘビー級チャンピオンをプロレスのリングに上げたことの重み、世界一強い男と正々堂々のリアルファイトを行い、痛めつけたことの凄さを理解してくれるはずだった。
にもかかわらず、プロレス記者たちは一般メディアと一緒になって猪木を批判した。
猪木は裏切られたと感じた。 (第4章「リアルファイト」より)

A.猪木−M.アリの“世紀の対決”が行われたのは、1976年6月26日(土)。当時通っていた中学は土曜の午後にも授業があり、試合開始時刻はちょうど昼休みだった。何としても試合が観たかった私と悪友数名は、学校内で唯一TVのある会議室に忍び込み、固唾を呑んで試合を見守った。ほんの数ラウンド観た後、午後の授業が始まるため後ろ髪を引かれる思いで会議室を後にしたが、猪木が寝転んでばかりで何だかつまんなかったなあ、というのがその時の正直な感想だった。
さて、その“世紀の凡戦”の真相を含め、1976年に猪木が戦ったリアルファイト3試合を含む“異常な”4試合の経緯、及びその前後の猪木の生き様を綿密な取材で描ききったのが本書だ。著者は私より二学年上の同世代、恐らく同じワクワク感を持ってあの日はTVの前にかじりついていたのだろう。プロレスとは何?リアルファイトとは?そしてアントニオ猪木とは?がいろいろ見えてくる力作。四十代後半にして、この興味深いテーマで単行本デビューを果たせるなんて、何となくうらやましい。

猪木にとって、1976年に自分が戦った4試合のことなどどうでもよかった。
猪木はリアルファイトが好きだった訳でもなく、プロレスを超える総合格闘技を指向した訳でもなかった。
にもかかわらず、ルスカ戦から始まった異種格闘技戦、アリ戦から続く3試合のリアルファイトは、確かに日本のプロレスを変えたのだ。 (終章「そして総合格闘技へ」より)

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アグネス・ラムのいた時代

長友健二+長田美穂

愛されたのは憧れのハワイにいるアグネス。演技力や歌声じゃなくて、イメージの世界にいる姿。まさにピンナップガール、今でいうグラビアタレントそのものだったんだ。今、かわいい笑顔と豊満な体の水着アイドルを表紙にしたマンガ雑誌があふれてるけど、アグネスは、そういうものの原典なんだね。(Chapter1「アグネス旋風が日本を席巻したころ」より)

「アグネス・ラムのいた時代」というタイトルに象徴される70〜80年代は、まさにアイドルという言葉が、真に人々の偶像として目映い輝きを放っていた時代だった。正統派アイドルの系譜として、天地真理、キャンディーズ、ピンクレディ、山口百恵、そして松田聖子が時代のシンボル的存在として君臨したが、その一方で今で言うグラビアアイドルの元祖として男性の心をわしづかみにしたのが、アグネス・ラムだった。今日ではリア・ディゾンが「アグネス・ラムの再来」と騒がれているが、一般への浸透度や衝撃度の違いは比べものにならない。でも本書によるとアグネスの素顔は「ハワイ大好き、芸能人としての成功なんてまるで興味のない、おとなしい娘なんだ」そうな。そう言えば10年程前、双子の普通のお母さんとして車のCMに出てたっけ。
ちなみに高校時代に付き合っていた彼女のことを、何人かの友達が「アグネス・ラムに似てるなあ」と言ってくれて、内心喜んでいた。アーモンド型の瞳で、ロングヘアーで、胸が大きくて・・・(懐)。

「小首をかしげてみて」「うれしそうな顔してみて」
ダボッとしたシャツ一枚にして、部屋にいる妹のような雰囲気にしたり、キャンドルを使ってクリスマスの天使のような演出をしたり。指示を出し、ファインダーをのぞく。そのたびに息をのんだ。男なら抱きしめたくなるよ。なんてかわいい顔をするんだ、この子は。驚愕した。・・・(中略)・・・ありがとうございました、とペコリと頭を下げて帰っていった彼女は、松田聖子という名だった。(Chapter5「フォークソング、キャンディーズ、そして八〇年代へ」より)

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[2007年11月26日] この日の感想・書評へ→

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コーチ

マイケル・ルイス著/中山宥訳

「人間には、ここから半径十キロ以内にいる連中がひとりとして知らない種類の才能がある。“ガッツ”だ。それをわれわれはきょう、全身で示した」
そのあと、ぼくにウィニングボールを投げてよこし、「マウンド上であれほどの度胸を見せた男は見たことがない」と言った。
メジャーリーグの有名投手−キャットフィッシュ・ハンターやローリー・フィンガーズ、そのほかおおぜい−の球を受けた経験のあるフィッツが、おまえはもっと上だとほめてくれたのだ。(p.34〜35)

100頁程の薄い本だが、問いかける中身は濃い。手短に云えば「自分の弱さを直視し打ち克つ気構えの大切さを全力で生徒に教え続ける老コーチ」の生き様を、「マネーボール」の著者で元教え子である作家が、郷愁を込めて描いたルポ風エッセイである。
昨今のいじめの問題を見ていると、学校生活や教育指導の現状に親が細かく目配りする大切さを思う。ただ「今こそ親の出番だ」というタイミングの見極めが難しい。私自身も小・中・高と息子の部活動の監督に意見した経験を持つが(小うるさい父親だ・・)、相手の言動に信念を感じた場合は、多少考えは食い違っても、相手をプロとして尊重し任せる気持になれるものだ。
「『子供がなるべくつらい思いをしないように』とばかり気づかう親は、知らず知らずのうちに、その子供が人生でえらべる選択肢の幅を狭めている」(p.73)
この一文を自戒の念としつつ、子供達の成長を見守っていきたい。

「自分の弱さを直視できるだけの強さがない者は、たくましい戦士にはなれない」
人生には、あきらめるための安易な言い訳がいくらでもころがっている。そのすべてに打ち勝って、自分の道を切り開いて進む姿勢の大切さ。それがフィッツの言う“肝心なこと”なのだ。
そういう気構えを生徒に教え込む才能が、フィッツにはある。しかし最近は、才能を封じられてしまっている。
「なにしろ、おれが何かやろうとするたびに、親が口出ししてくるんだ」(p.57)

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[2007年10月28日] この日の感想・書評へ→

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野球で学んだこと ヒデキ君に教わったこと

伊集院静

野球をほとんど知らなかった彼女にキャッチボールの手ほどきをしながら、女性のキャッチボールも美しいものだと思った。
その折、彼女が暴投を投げ、あわてて拾いに行こうとした。
「いいんだよ。キャッチボールは暴投が来ても捕球する人が拾いに行ってあげるもんなんだ」
「へぇー、野球ってやさしいんだね」
その言葉がとても印象的だった。(第二章「監督は野球を教えながら、人生を教えている」より)

親父は今月で72歳になるが、七十代の元野球少年たちと共に古稀リーグで元気に白球を追っている。捕手として甲子園に2度出場、大学時代は後のミスタータイガース故・村山実の豪球を受けていた。
私の息子も甲子園を夢見て、私の親父の母校へと進学し野球部に入った。残念なことに今は原因不明の背中痛と膝痛のため休部中だが、元阪神・田村勤氏の整骨院で治療と指導を受けながら、来春の復帰を目指して少しずつトレーニングに励んでいる。
この爺と孫の二人は、休日などによくキャッチボールをし、バッティングセンターで共に汗を流す。息子にせがまれ、私もたまの休みに相手をする。硬球の感触は懐かしく、掌の痛みも不思議に心地よい。私自身も子供の頃は、毎日の様に親父とキャッチボールをした。とりとめのない話だが、キャッチボールは心の対話なんだと、今さらながらに思う。

あれは奇妙な感覚だった。一人でボールを壁に投げ、返ってきたボールを拾い、また壁に投げる。原っぱで青空にボールを投げ、それをキャッチする。何度も同じことを一人っきりで続けていたのに寂しさはなかった。やがてキャッチボールの相手ができ、ゲームに加わるようになると、ますますベースボールに魅了された。(第五章「何もかもが挑戦だった」より)

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[2007年10月17日] この日の感想・書評へ→

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不動心

松井秀喜

ファンの方が聞いても、物足りないかもしれません。よく知人からも「もっと感情を表に出せばいいのに」と言われることがあります。しかし、僕は感情を口や顔に出すと、その感情に負けてしまいます。
悔しさは胸にしまっておきます。そうしないと、次も失敗する可能性が高くなってしまうからです。コントロールできない過去よりも、変えていける未来にかけます。(第2章「コントロールできること、できないこと」より)

松井が阪神ファンだったことは有名な話。本書にも「かなうならば『ぜひ阪神に』という思いは非常に強かった」とある。今さらながら釣り逃がした魚は大きい。ただ阪神へ入団していたら、今の松井であり得たかどうかは大いに疑問だ。ユル〜い球団組織の中で、田淵幸一みたいにあり余る才能を浪費するかの如き野球人生を送ったかもしれない。(田淵の場合、その歯がゆさがたまらない魅力ではあったが。)
さて本書。学生時代に読んだ王貞治の自伝(「回想」)を思い出した。内容は徳を積んだ僧侶が書いた修身あるいは自己啓発本の様だ。「そんな生き方、疲れない?」と思わず言ってあげたくなる箇所も少なくないが、普段の松井の言動や実績から見て、ああ、彼は心からそう思って生きてるんだろうなあと感じさせる説得力とリアリティに満ちている。小中学生の副読本にしたい一冊。

松井秀喜でいることに大変だなあと思うことも正直、結構あります。楽しい時ももちろんありますが、窮屈な思いもしなきゃいけない。・・・(中略)・・・ただ、松井秀喜をやめたくなったことはありません。窮屈なのは仕方がないことだし、なんでも受け入れようと思えば、たいていのことは我慢できますから。(第6章「すべては野球のために」より)

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大矢明彦的「捕手」論

大矢明彦

(右投手の場合)スイングを誘い、芯を外して打ち損じさせたいならシュート、スライダー。バットが遠回りする打者ならシュート、引っ張り型ならスライダーと使い分ければいい。タイミングを外したいならカーブ、バットに当てさせたくないならフォーク、百パーセントのスイングをさせないのであればチェンジアップやスプリットが有効。これらの球種の特長を把握しておかないとよい配球はできない。(第二章「打者を攻める」より)

著者の大矢氏は前回の監督就任時(1996-97)に、当時Bクラスの常連だった横浜ベイスターズをリーグ2位に導きながらも、2年契約の満了を理由にあっさりと退団させられた。横浜球団の無情さは阪神贔屓の私から見ても腹立たしかったが、一切恨み言を口にしない氏の態度は実に男らしかった。そしてあれから10年。再度横浜の監督として迎えられ、近年低迷気味だったチームの立て直しに力を発揮されている。まあ、わが阪神を上回らない程度に頑張って欲しいもんだ。
さて本書は中高生以上で捕手を志す者、既に捕手としてプレーしている選手にとってはまさに必携の実用テキスト。わずか200頁強の中に、捕手ならば知っておくべき実践的知識とノウハウが溢れている。無論野球好きのオヤジにとっても、ハイレベルな蘊蓄を垂れるためのネタ本として大いに活用可能だ。

一瞬、「まさか」と思ったが、ジョンソンの表情を見ると彼自身もびっくりしている。これでスクイズを確信した。ところが、誰も予想していないジョンソンのスクイズをウエストで外してしまえば、こちらがサインを見破ったことがバレてしまう。
私はカーブで外すことにした。こうすれば、相手ベンチも「たまたまだ」と思ってくれる。
たとえスクイズを外したとしても、せっかく見破ったサインを変えられては困る。結果、私の読み通りスクイズを失敗させ、サインも変えられずにすんだ。(第三章「相手チームの戦術に対応する」より)

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アンダースロー論

渡辺俊介

黒木さんと工藤さんふたりの考えは、僕が思っていた常識とまったく違いました。
長方形が捻れない。常態を真っ直ぐ立てたまま横に移動して、足を踏み出して投げる瞬間に、パッと九〇度回転して投げる。足を上げてから下ろすまで、打者に対する上体の角度は変えずにスーッと真っ直ぐいって、投げるとき、タンと上体を返す。ふたりとも、そうやって投げていると言うのです。(第1章「本格派から技巧派への決断」より)

一日で読んでしまえる程の平易な文章だが、実にマニアックで奥の深い野球本。現在日本中で何人いるのか分からない「現役のアンダースロー投手」(!)にとっては、過去これ程までに分かりやすくかつ役に立つテキストはあるまい。もちろん私の如きただの野球好きのオヤジにとっても、先発ローテーション投手の一週間の過ごし方や、爪を切るタイミング、ボールの縫い目の方向と変化球の関係をはじめ、プロの技術やこだわりの奥深さを垣間見るのに絶好のネタ本だ。プロの一流バッターにとってはよく曲がるカーブよりも曲がらないカーブの方が打ちにくい等、プロの体感的な経験でしか語れない話が随所に満載である。著者の視点だけでなく、ブルペン捕手や学生・社会人時代の監督の証言を織り交ぜた立体的な構成もGOOD。

一番簡単なのは、バッターが次は真っ直ぐだと思っているカウントや、真っ直ぐを打ちにきているところで、少しだけ落としてやる。シンカーを大きく落としてボテボテの当たりや空振りを取るのではなく、バッターが割と気持ちよくスイングできるくらいの、気づかないくらいの落差をつける。真っ直ぐに近い感覚のシンカーを少しだけ落とす。わざとバットに当たるようにです。バッターにすれば、自分が打ち損じたのかな、と感じる程度の落差が最適です。(第2章「アンダースローの技術」より)

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[2007年6月 4日] この日の感想・書評へ→

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なんでそーなるの!-萩本欽一自伝

萩本欽一

だからうちのチームでは、個人スポンサーもつけてるんです。「アミノバリュー藤本」「お〜いお茶岩田」とかね、スポンサーがついたらユニフォームに大きく入れる。もちろんこれも公式戦では禁止です。その理由は「アマチュア精神に反するから」っていうんだけど、アマチュア選手にこそスポンサーつけてあげたいよね。給料をもらってないんだから。(序章「最後の大きな夢」より)

昭和50年代に一世を風靡した「欽ドン」「欽どこ」以降、欽ちゃんブランドは家族揃って見られる番組の代名詞だったが、出始めの頃の「コント55号」は反体制的で毒のある、どちらかと言えば俗悪な存在だった。その最たるものが昭和44年にスタートした「裏番組をぶっとばせ」の名物コーナー、「野球拳」。二郎さんとのジャンケンに負けた女性タレントや歌手が、観衆の目前で一枚一枚肌を露わにしていく甘美な光景は、小学校低学年だった私を目覚めさせた(?)禁断の果実であった。
家族揃って楽しめる欽ちゃんも面白かったし、社会人野球を盛り上げる姿にも共感するが、できれば毒を放ちながらも燦然と輝いていた頃の「55号の笑い」をもう一度見てみたいもんだ。

僕にとって二郎さんはどんな存在かといえば、「生涯のライバル」でしょうね。二郎さんも記者さんに「ライバルはどのコンビですか?」って聞かれるたびにこう言ってた。
「よそにはいない。ライバルは欽ちゃんだけ!」
だからといって、二郎さんと僕は仲が悪かったわけじゃない。むしろ仲がよくならないようにしてた。(第四章「最大のライバルが『運』をくれた」より)

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[2007年6月 1日] この日の感想・書評へ→

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野村ノート

野村克也

たとえば、打者に対してその打席の最初の内角球はストライクを投げてはいけない。理想はボールを1個分か2個分外し、それでキャッチャーが打者を観察し、次の球を決める。
その際に非常に効果的なのがシュートという球種であり、打者の恥辱という心理を揺さぶることにも適している。(第2章「管理、指導は経験がベースとなる」より)

マスコミを通じて垣間見る日頃の言動や、本書を含む著書・インタビュー等でまき散らしている元部下達(今岡、古田他)への愚痴を見るにつけ、毒気と俗っぽさが抜けないこの方が人間論・教育論を語るのってどーなんだろー?と斜に構えてしまうが、こと野球理論やプレー解説に関しては、「もっと読みたい!」と思わせる奥深さと説得力に満ちていてさすがだ。
変化球が必要な理由、一つひとつの球種が持つ意味、打者を攻略する際のチェックポイント、ギャンブルプレーの仕掛け方、短期決戦の戦い方等、衆人環視の下で繰り広げられている目に見えない一球毎の駆け引きや、ワンプレーの持つ意味が明解に説き明かされており、独特の“間”を持つ野球というスポーツを深く掘り下げたい人には必携。

状況は満塁。投手は先発で勝ち星を挙げているとはいえ、経験の浅い若手。どうしても投手に「押し出しはしたくない」「ぶつけたくない(死球)」という心理が働く。あるいは1-1、0-1というカウントであるならば、「ボールを先行させて押し出しになるのは嫌だ」という意識・・・・。こういったことから、内角へ要求したときは、ミットを構えたコースより甘く入ってくる可能性が高いと考えなくてはならない。「打者中心」から「投手中心」の思考(リード)に変わらなくてはいけない場面だ。(第4章「才能は学から生まれる」より)

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[2007年5月24日] この日の感想・書評へ→

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巨人軍論

野村克也

スカウトには最初にこう訊ねる。
「あなたたちは何を基準に選手を獲っているのか」
だいたいは答えに窮するのだが、「かんたんなことじゃないですか」と言って、私はこう要請する。
「足が速い、球が速い、遠くへボールを飛ばす。そういう天性を持った選手をまず獲ってください」(第一章「巨人はなぜ凋落したか」より)

「巨人が強くなければプロ野球人気は危うい」との意見を述べる人は、なぜかプロ野球関係者に多く、本書も結局そうした意見を後押しする内容となっている。でもこの種のノスタルジックな枠組みから一年でも早く脱却し、プロ野球界全体が広くアジア〜世界市場を見据えた長期戦略を呈示していく事こそが、本当にプロ野球の将来を考える上で必要なんじゃないか、と、プロ野球ファン歴(=阪神ファン歴)40年弱の素人は考える。
もちろん一方で古くからの阪神ファンとしては、「強い巨人をやっつけて胸がスッとした」という原体験が心の片隅に根付いている(注:但しその数倍も苦汁を舐めている)ため、巨人には倒し甲斐のあるチームであってほしいと思わなくはない。でもそんな素人レベルの懐古主義的目線で、巨人の強弱とプロ野球界の発展とを結び付けるのは、もういい加減やめにしませんか〜と言いたい気分ではある。

じつはバッターというのはその打席で結果を出すことに精一杯で、せいぜい「ヒットや四球で塁に出るか、走者を進めて次の打者につなげよう」というくらいにしか考えていない。だが、守っている側はちがう。「こいつを出したら四番まで回ってしまう」とか「次の打者は小技がうまいから、何か仕掛けてくるかもしれない」というふうに、いろいろ考えるものなのだ。つながりというのは、相手が意識するものなのである。(第四章「V9巨人にある手本」より)

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[2007年3月 6日] この日の感想・書評へ→

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野球力

小関順二

今現在、目の前で繰り広げられているプレーによって、ストップウォッチがあれば誰でも選手の走力、守備力をデジタル数字で浮き彫りにできるのである。・・・(中略)・・・打者走者の一塁到達スピード 3.86秒、捕手の二塁送球スピード1.90秒、投手のクイックスピード1.15秒という100分の1秒の世界が無機質ではなく、選手のワンプレーに息吹を与えていくさまを体験できると信じている。(はじめに」より)

野球選手の能力は従来、打者は主に打率・本塁打数・打点・盗塁、投手は勝ち数・奪三振数・防御率で評価されていた。しかし近年、選手の価値はそうした数字に顕れない点にあるのでは?との見方が広がりつつある。例えば米オークランドアスレチックスのGMビリービーンの場合、「打者は塁に数多く出る能力、投手なら走者を出さない能力」を絶対的基準に低年俸の選手を集めては、常に優勝争いができるチームを作り上げている。
本書の主張は、早い話がストップウォッチ片手で観戦すれば、選手の潜在能力を違った一面から判別できるよということ。打者なら打ってから一塁を駆け抜けるまでの秒数、投手なら走者を置いてのクイックモーションの秒数、捕手なら二塁への送球スピードetc.。いずれも野球好きなら「確かに」と納得できる判断基準ではある。基本的に野球は点取りゲームで、勝負の大半は投手と打者の対決に帰着させられることが多いが、野球の中に潜む百分の一秒のせめぎ合いに目を向け、そこからまだ見ぬ勝敗の分かれ目を見抜くのも、新たな野球の楽しみ方を発見するきっかけになるかも知れない。

ストップウォッチの世界ではプロもアマも関係ない。走力、肩力にかぎってはアマチュア選手のほうが能力が高い場合すらある。だから、ストップウォッチは楽しいのだ。
それではプロとアマの差って何だ、ということになる。実はプロとアマを大きく隔てているのは「技術」という大河なのである。こればかりはプロとアマを混同して語ることは許されない。(第五章「ストップウォッチを持って観戦に行こう」より)

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[2007年2月23日] この日の感想・書評へ→

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エンジョイ・ベースボール

−慶應義塾高校野球部の挑戦
上田誠

しかし、そういった接戦に持ち込むことは、それほど強くなくても可能なのです。まさに「接戦は易し、勝つは難し」。その接戦の中で、初めて一球の重みを思い知るようになります。接戦でいつも負けているチームは本当は弱いチームなのです。(第4章「一人ひとりが独立自尊」より)

各都道府県では高校野球の地区予選が真っ盛り。母校の野球部は春夏通算で7回甲子園に出場し、全国制覇をしたこともある古豪だが、ここ数年は初戦敗退続きで、今年ようやく6年ぶりに初戦を突破。地元紙で大きめに取り上げられ、うれしい気分を味わっている。
さて私の時代は県予選の開会式が甲子園で開催されていたため、兵庫県の球児は皆甲子園の土が踏めた。そして仲間と1塁側スタンドで着替えていると、すぐ上方で強豪校が同じく着替えていて、県内屈指のエース投手がどっかと腰を下ろしていた。その姿を見てチームの誰かが小声で「サインもらおうか」と言い、すぐに別の誰かが「アホ、同じ高校生やぞ情けない・・・」と一喝したのを覚えている。で、結局その強豪校は県大会どころか甲子園でも全国優勝。エースはドラフトで指名された。一方我々はと言えば、初戦でいきなり前々年度の優勝校と対戦、屈辱のコールド負けを喫した。暑くなるといやでも思い出す青春の一コマだ。

死ぬ気で練習しているなんてことは絶対、口が裂けても言いたくない。外面的にはカッコよくやりたい。でも、内面はネチネチと粘り強くやりたい。・・・(中略)・・・やっていることの本質は根性野球なのです。(第5章「努力するのは当たり前」より)

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左腕の誇り〜江夏豊自伝

江夏豊著/波多野勝構成

引退式の日まで、何かやりたいとみんなが思っていた。万感の思いがあったから、あのまま見送ることはできませんでした。で、マウンドに向かう村山さんに五人が自然とついていって、打ち合わせも何もなしに騎馬に乗ってくださいと言ったわけです。(「確執の中で」より)

田淵幸一が新人王を取り、試合終了まで完全中継のUHF局サンテレビが開局した1969年から私は阪神ファンとなり、かれこれ40年近くになる。その年江夏は入団三年目、前年に401奪三振の世界記録を作っていた。当時私の親父は盛んに「去年までの江夏はもっと速かったぞ」と言っていたが、子供心に私は(今でも十分過ぎる位速いのに・・・)と思いつつ、江夏の“さらに速かった”快速球が見られないことを悔しく思ったものだ。当時の子供たちはほとんどが YGマークの野球帽を被っていたが、私にとっては長嶋・王より、田淵−江夏の黄金バッテリーが最大のヒーローだった。銭湯へ行けば「22」か「28」の靴箱の空きを探した。学校から帰ると、毎日壁に向かってボール投げをし、右利きなのに左腕でボールを投げたりした。そんな少年の日の記憶が甦ってくる一冊。

辞める日は本当に辛かった。僕は以前から共同通信の記者に草野球の試合に出ないかと誘われていて、たまたまその日が引退発表と同じ十一月十二日だったんです。発表は午後二時だったか三時かだったんですが、僕は寂しさをまぎらわすために午前中、みんなと一緒に草野球をやっていた。(「戦いすんで」より)

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[2006年5月 3日] この日の感想・書評へ→

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捕手論

織田淳太郎

セ・パ両リーグを渡り歩いた若菜嘉晴も捕手業に喜びを見いだしたひとりである。ただし、彼の場合、田淵幸一への強い憧れによって、プロ入りを決めたという背景がある。
田淵は昭和四三年、通算二二本塁打の東京六大学記録を持つ文字通りの強肩強打の大型捕手として、法大からドラフト一位で阪神に入団した。若菜が柳川高からドラフト四位で西鉄に入団したのは、その三年後のことである。(「水沼四郎の21球」より)

古田の登場以来、少年野球の世界でも捕手志望の子供達が増えたという。精神論中心だった昔の野球中継に比べ、今は捕手のリードを中心に理論的に野球の面白さを解き明かしてくれる解説者も増えた。巷では巨人戦の視聴率低下=プロ野球人気の低下に結びつけているが、地方の人たちの応援対象が巨人から日ハム、楽天、ソフトバンク等に移っただけのこと。特に我が阪神タイガースの地元兵庫・大阪では、“プロ野球人気低下論”などどこ吹く風、甲子園は連日超満員だ。高校球児の数も現在は史上最多であり、近年の少子化の流れを考えるとまさに大健闘と言えるだろう。
もちろん、世界とダイレクトに戦うサッカーの人気向上は紛れもなく事実であり、それはそれで大いに結構。共に発展すれば済むだけの話だ。毎日見られる巨人戦の視聴率と、4年に1度の希少なサッカーW杯の視聴率を同列に比べる方がどうかしている。
と、まあ、田淵幸一入団以来の筋金入り阪神ファンは思うのである。

元広島の正捕手・達川光男はキャッチングに難があった。打撃にも特に光るところはなく、自慢できる脚力もなかった。だが、彼は紛れもなく球界を代表する名捕手だった。リードの特徴は頑ななまでに投手の立場に立つものである。
「キャッチャーはあくまでも受けさせてもらう立場。ピッチャーにいいボールを投げてもらって、初めてキャッチャーいうもんが生きるんじゃけん」 (「捕手とチームプレー」より)

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和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか

佐野真

和田のこの余人に真似のできない鋭い腕の振りは、ボールに対しパワー(スピード)として伝わっているのではなく、驚異的な回転数を生みだすエネルギーとして伝わっているのだ。だから和田のストレートは、スピードこそなくても、回転数という点で他のピッチャーの追随を許さないのである。(第五章「驚異のストレートの秘密」より)

プロとしては決して速くはない130km台のストレートで次々と三振を奪う細身でハンサムな投手、というのが一般的な野球ファンの和田毅(ソフトバンク)に対する印象だろう。150kmの球を投げるには天性の身体的素質が欠かせないが、130kmなら少し素質に恵まれた高校生の投手でも十分に出せる数字だ。
ではなぜ、そんな球速で六大学の奪三振記録を塗り替え、プロ入り後も並み居る強打者をきりきり舞いさせているのか?野球解説者の多くは、独特のフォームによる球の出所の見にくさを理由としているが、本書は「強烈なスピン=回転数の多さ」によるものと結論づけている。
和田投手本人の卒業論文を巻末に掲載した点もユニーク。次はぜひ本人に「人一倍スピンの効いた快速球を投げるためのヒント」を明らかにしてほしい。

以上のことから、投手がバランスよくスピードボールを投げる為には、
・バランスよく投げるため、前脛骨筋、腓腹筋に極度の負担をかけない。
・加速相まで長内転筋を最大限活用する。
・加速相まで大臀筋を活用できるようにトレーニングをする。
以上の3点があげられる。(付録ー和田毅・卒業論文V「結論」より)

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怪獣使いと少年-ウルトラマンの作家たち

切通理作著

普通の日本人にとって、生まれればそれで「日本人」なのであって、ただ生活してるだけで日本社会に参加していると感じるのは当たり前であり、〈民族〉や〈国家〉を強く意識する切迫感はない。だがアイデンティティが不安な人間にとっては、意識的に「何人」かになろうとする必然性がある。(「I 金城哲夫 永遠の境界人」より)

沖縄人として屈折した感情を抱きつつ、その思いを怪獣や宇宙人に託していた金城哲夫、上原正三の二人の脚本家について読み進めるうち、久々に自分自身を省みる機会を得た。
在日華僑として中国人学校に通った私は、中学卒業まで友人も教師も華僑ばかりの環境の中、日本に居ながら中国人としての誇りや民族意識を育んできた。日中間に再度戦争が起きたら自分らはどんな扱いを受けるだろうかなどと、子供心によくシミュレーションもしたものだった。
しかし高校で環境は一変した。当然ながら周りは、殊更「自分は日本人だ」などと思わずに日々を過ごす友人達ばかり。周りからは私も同じ様な存在にしか見えない。今思えば何の不都合もないが、当時はそれまで構築して来た自己を風化させまいと、必要以上に中国人である事を振りかざしていた。大学に入り、社会に出て、その心の鎧は堅さを増していったように思う。
ただ、やがて結婚して子供が生まれ、自分のアイデンティティなどよりも大切な存在ができてからは、そうした鎧の存在自体が少し鬱陶しくなり、今は時々手にとって眺める程度に止めている。

日本のなかで異者として生きる上原にとっての「差別」とは、ある日目覚めてみたら、近所の人たちが石を持って窓の外にいるかもしれないという恐怖だったのだ。(「III 上原正三 永遠の異邦人」より)

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イチロー革命 日本人メジャー・リーガーとベースボール新時代

ロバート・ホワイティング著/松井みどり訳

〈EPSN〉テレビのロブ・ディブルは、当時の監督、ルー・ピネラに、シーズン前のインタビューをおこなった際、自信満々に公約したものだ。
「あのチビの青二才が、一つでもバッティングタイトルをとったら、素っ裸でタイムズ・スクエアを走ってやるよ」(第2章「イチローの持つ意味」より)

イチローのメジャーリーグ年間最多安打記録達成の日は、休日出勤前で自宅にいた。ふと思いついてテレビを付けたら、既にタイ記録を達成した直後であったが、しばらく見ているうちに早々と打席が回ってきて、拍子抜けするほどあっさりと新記録は達成された。達成の瞬間をリアルタイムで目撃できたのは幸運だったが、何よりイチローの元に駆け寄って思い思いに言葉をかけるチームメートの笑顔や、スタンディングオベーションで祝福する観衆の姿に感動を覚えた。
先頃新潟で大きな地震があり、ニュース映像を見ているといやでもあの阪神大震災の記憶が甦ってくるが、あの年、被災した我々神戸の人間に希望を与えてくれたのが若きイチローだったことも同時に思い出される。

「イチローは本当に人気があるのかい?」
「日本みたいに、マスコミが過剰に持ち上げているだけなんじゃないの?」
日本人は、さかんに首を傾げている。イチローは、ジョージ・シスラーのシーズン最多安打、二百五十七本を、久々に破るくらいの勢いがある。様々なシーズン記録を、独占してもいる。にもかかわらず、なぜアメリカのファンやマスコミは、そんな彼を一様に温かく見守っているのだろう。彼の成功は、アメリカ人の愛国心を刺激しないのか。外国人拒絶反応を起こさせないのだろうか・・・・・。(第2章「イチローの持つ意味」より)

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[2004年11月 8日] この日の感想・書評へ→

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審判は見た!

織田淳太郎著

「その翌日、二出川のミスジャッジを証明する写真が、スポーツ紙に大々的に掲載された。走者が捕手のタッチをかわして、ホームベースに到達している決定的な写真だった。 リーグ会長はこれを重く見た。連盟事務局に二出川を呼び出すと、ミスジャッジに苦言を呈した。 だが、ここでも二出川は強気だった。スポーツ紙の写真に目をやりながら、毅然と言い放った。 『会長、これは写真が間違ってるんです』」(第一章「審判失格」より)

日本のプロ野球界は今、近鉄・オリックスの合併問題で喧しいが、一般の野球ファンにすればこれほど不可解な話はない。なぜ近鉄買収に手を挙げた「ライブドア」にチャンスを与えないんだろう?
パリーグにはかつて、日拓ホームが1年(1973年)、クラウンライターが2年間(1977-8年)だけ球団を持ち、それぞれ今の日ハム、西武へ売却した前例があるのだ。「ライブドア」がよしんば1~2年後に球団を手放したとしても、その間にバファローズの伝統を受け継ぐ別のスポンサーを捜せばいい。ファンにすれば、ご贔屓の球団がこの世から消滅するよりは、たとえ「近鉄」の名は消えようと、「バファローズ」の灯が消えなければかなり納得感はあるんじゃないだろうか。
コミッショナーをはじめとする連盟のエライさん各位には、プロ野球百年の計に基づく正確なジャッジを期待したいものである。

「三浦によると、気迫の投球を信条としていた中日時代の星野仙一は、球審からの返球にも気迫の要素を見いだしていたという。 『ボールをよこすときは全力投球でよこせ』というんだ。あまりの凄味で言うもんだから、こっちも渾身の力で投げる。そのたびに星野は『ヨッシャ!』と気合いを入れてね。」(第四章「ジャッジは不変か」より)

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[2004年7月25日] この日の感想・書評へ→

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江夏豊の超野球学 エースになるための条件

江夏豊

「最も困るのはボールにしようとして投げたのに、それを『ストライク』とジャッジされてしまうことだ。意図していた伏線が消されてしまい、組み立てがすっかり狂ってしまう。打者の実力が高ければ高いほど、それで自分が打たれてしまう確率も高くなるわけで、そんな時の私はスタンドから大きな拍手をもらいながら、『なんであのボール球をストライク言うんや』とむくれていたものだ。」(第1章「エースになるための基本」より)

待ちに待った江夏豊版の「超野球学」。バッティングの“理屈”を執拗なまでにクールに、論理的に書き記そうとしている落合博満版とは全く異なり、エースとは、投手とはどうあるべきかというハートの持ち様をホットに、独善的に展開している。球界きっての一匹狼という点では共通の両氏ではあるが、同じ「超野球学」という本でありながら、そのスタンスが全く異なる点は結構面白い。落合版の様な精緻な技術論を期待すると大いに期待外れとなるが、現役時代、あのマウンドの上で江夏豊はこれ程いろんな事に目を配りながら勝負に臨んでいたのか、というディープな野球ファンの目線で読むと、相当に興味深い一冊ではある。

「ストライクを1球も投げずに奪う3球三振は、ある意味では究極のピッチングと言えるのではないか。」(第7章「江夏豊はこう攻めるー打者、状況別配球論」より)

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マネーボール~奇跡のチームを作った男

マイケル・ルイス著/中山 宥訳

「守備能力や足の速さは忘れていい。打率よりも出塁率が、アウトにならない確率が、なによりだいじなのだ。野球チームの成功に最も寄与する技能は、どんな形であれ出塁することだ。」(第6章「不公平に打ち克つ科学」より) 「本当に意味のあるデータとは、与四球、被本塁打、奪三振などだ。そういう数字を信頼することで、選手の外見や投球フォームといった主観的要素にまどわされずに済む。」(第10章「サブマリナー誕生」より)

先頃、オープン戦とはいえ我が阪神タイガースが、日本球界史上初めてあのNYヤンキースを打ち負かしたのは衆知の通りである。
まあ、それはさておき。スター軍団ヤンキースの約1/3の総年俸で、ここ数年ヤンキースに負けない好成績を残し続けている球団がある。オークランドアスレチックス。彼らは、札束にモノを言わせるヤンキース流(=読売流)のチーム作りとは対照的に、独自の評価基準と戦術(四球を高く評価する/送りバントや盗塁はやらない等)を貫いてコンスタントに年間100勝前後を稼ぎ、球界に旋風を巻き起こしている。このアスレチックスのGMこそが、本書の主役ビリービーンだ。
野球は27個のアウトを使い果たす前に相手より1点でも多く点を取るゲームである。ビリーはこの原則に徹し切り、打者は塁に数多く出る能力、投手なら走者を出さない能力を基準に、低年俸ながらそれらの能力に秀でた選手を集め、常に優勝争いを演じるチームを作り上げた。他球団で二流の扱いを受けていた選手達が、異質な価値観の下で認められ水を得た魚のように活躍する姿は、なかなか痛快である。

「ビリーは、陽の当たらなかった野球選手を発掘して、彼らの人生を変えた。新しいひらめきによって不遇から救い出された彼らは、いま、恩に報いようと懸命に努力を続けている。」(第12章「ひらめきを乗せた船」より)

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落合博満の超野球学(2)続・バッティングの理屈

落合博満

昨年刊行され、アマチュアだけでなくプロの若手選手達にも読まれているらしい「超野球学」の続編。前作同様、打撃の“理論”ではなく、バッティングに関する万人のための普遍の“理屈”を解き明かすというスタンスが貫かれている。元野球少年にとっては、まさに目からウロコがボロボロ落ちる思い。その“教え”を実践しているおかげで、近頃はバッティングセンターへ行ってもすこぶる調子がいい。

「勝負事に身を置く者は、データ人間になってはいけない。自分自身がデータの宝庫になるべきなのだ。」 「野球というのは、多くの失敗の中にあるわずかな成功で勝利を追い求めていくスポーツである。だが、その舞台に立って戦うためには、パーフェクトを追求する気持ちが不可欠なのである。」(第6章「机の上でも野球をやろう」より)

さて、我が阪神タイガースは読売に3タテを食らわせ好スタートを切ったが、落合中日も同じく開幕3連勝。特に打撃陣が好調のようだ。書物ではなく直に“ミスター三冠王”の指導を受けている訳だから、今シーズンの中日打線は侮れない、とは思う。

「本当のオフというものは、ユニフォームを脱いだあとに一生味わえるのだ。野球人生は常にオン。自分の野球人生を振り返って後悔をしないためにも、オフ=休養という概念は捨て去ろう。プロの一流選手がオフをゆっくり過ごすのは、それが2月1日に向けて最も効果的な練習だからである。このレベルになって初めて、休養も練習と言えるのだ。」(第7章「技術も上達させる野球の考え方」より)

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牙ー江夏豊とその時代

後藤正治

「江夏ー田淵。二人は、タイガース史上、もっとも華やかなコンビだった。田淵は病明けの年は外野や一塁も守ったから、バッテリーの実働は数年である。ONとの違いは、互いにどこか弱さともろさを帯びていたことだろう。それがまた、夜空に流れる帚星のごとく、消え行くゆえの煌めきを残している。」(第五章「黄金バッテリー」より)

昭和44年、田淵が22ホーマーを打って新人王に輝いた年からの阪神ファンとしては、まさに「巻を置く能わず」状態。江夏豊とその時代というサブタイトル通り、江夏一人の生き様にとどまらず、阪神時代の江夏を取り巻く田淵、川藤らチームメートの逸話や、好敵手・王貞治をはじめとする巨人の選手たちの思い、さらには昭和40年代のプロ野球が持っていた独特の輝きが、綿密な取材を通じて見事に描き出されている。
甲子園の空に無数の美しい放物線を描いた田淵と、V9巨人の前に敢然と立ちはだかり牙をむいた江夏。選手生活半ばで阪神球団から冷たく放り出された二匹の虎が、今もなお率直に縦縞への愛着を口にする様は、ファンにとってはまさに感涙である。

江夏の言ーー。「南海でリリーフを覚えた、広島で日本一になった、ハムでも優勝したといっても、タイガースとは比較にならない。それは全然違う。・・・(中略)・・・縦縞は僕の青春そのものが詰まってるユニフォームであって、その意味で棺桶に入れるユニフォームは一枚しかないということです。」 田淵の言ーー。「この一枚ということでいえば、それはどうしたって縦縞になりますよ。あの甲子園、あのファン、伝統に培われたタイガースというチームにはやはり格別のものがある。」(第五章「黄金バッテリー」より)

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なつかしのTV青春アルバム!

岩佐陽一著

「『ロボのバカ、なにをするんだ?死ぬぞ!ロボ・・・!』 命令を無視して飛ぶ、飛ぶロボ! 『ロボ、僕の命令をどうして聞けないんだ?』 星の海へやって来たロボは、折しも前方に飛来した深紅の大隕石に特攻を敢行。宇宙の塵と消えた。」(「慟哭の章」より)

両親が酒場を経営していて留守がちだったので、子供時代はヘビーなテレビっ子だった。戦争体験や学生運動、ビートルズなど世代をくくる共通のカルチャーがないせいか、60年代生まれはテレビ番組、それもヒーローものの話題で盛り上がることが多い。そのうちウルトラシリーズと仮面ライダーについては、共に語り合える年齢にもかなり幅があるが、ジャイアントロボやスペクトルマン、快傑ライオン丸、シルバー仮面、愛の戦士レインボーマンあたりになるとグッと年齢層が絞られ、さらに魔神バンダー、行け!ゴッドマン、白獅子仮面にまで話が及ぶと限られた者しかついて来れず、座が白けてしまうことも多い。
この本は、そんなヘビーな元テレビっ子たちに捧げられたマニアックな一冊。

「かつて、これらのドラマや実写変身ヒーロー作品を創っていた人々のほとんどが実際に身をもって戦争を体験し、その経験に対する自身の“答え”を映像にぶつけていたからだ。だから、そこには“生の迫力”があるーーこの上もない“説得力”がある。映画やテレビ、漫画や小説、それにゲームで、しかも“リセットの利く人の生き死に”しか知らないような、今の若造ならぬバカ造どもの創る生半可なドラマとはワケも格も違うのだ。」(「おわりに」より)

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[2004年1月 8日] この日の感想・書評へ→

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鬼平犯科帳人情咄

高瀬昌弘著

「『やっとこの頃、平蔵の心が判って参りました。夢中で演じた十年前の作品を、今一度、総て演じ直してみたい』-この人は、生涯、平蔵役者として成長を続ける人に違いないとの想いが私の心を強く打った。(第四部「中村吉右衛門編」より)

ストーリーの完成度、映像の深さ、ディテールへのこだわり等、TVシリーズの鬼平犯科帳の面白さ、すばらしさを語り始めると、とてもこのページでは足りない(もちろん原作のすばらしさは言うに及ばず)。見たことない方は、TSUTAYAでもどこでもいいからとにかく一本借りて観なさい!
松本幸四郎(白鸚)主演に始まり、以後丹波哲郎、萬屋錦之介と続き、今日の中村吉右衛門主演で黄金時代を築いた鬼平シリーズ。本書はその全シリーズの制作に関わり、うち77本を監督した著者による撮影秘話。随所に描かれる四人の鬼平役者のエピソードが興味深い。

「運ばれて来た膳の上には、台本の指定通り、鮎の塩焼き、その他初夏の料理がのっていた。それらを見られた吉右衛門さんは、そのまま控えの間に入って、丁度来合わせていた松竹のプロデューサーを呼ぶのであった。 しばらくして蒼ざめた顔色のプロデューサーが私を手招きする。 何事ならんと近寄ってみると、吉右衛門さんが『私はこの作品、冬のつもりで全シーン、冬の芝居をして来ました。季節が初夏なら芝居が違います。全部撮り直して下さい』とのこと・・・・。 一瞬、全スタッフも息を飲み、セット中が静まり返った。」(同上)

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流血の魔術 最強の演技

ミスター高橋

「星の売り買いがないというのは、真剣勝負だから売り買いがない、という意味ではない。プロレスは最初から勝負が決まっているショーだから、もとより裏で売り買いなどする必要はないということである。シルベスター・スタローンが、映画「ロッキー」の中で相手に勝つために『オレは主役だから負けられないんだ』と、相手から“勝ち”を買う必要がないのと同じだ」(まえがきより)

プロレスとリアルファイト(K-1、PRIDE等)の関係は、かつての「にっかつロマンポルノ」と今のアダルトビデオのようなもの。プロレスが生本番かどうかを目くじら立てて論じるのは無粋であり、プロフェッショナルなエンターテインメントとして、虚実の狭間で躍る肉体と肉体のせめぎ合いを楽しむ姿勢こそが、正しいファンの在り方なのだ。
その反面AV的リアリティに慣れた今の若い世代にとっては、プロレスは単なる似非本番としか映らないだろうし、作為が見えた時点で萎えてしまうのかも知れない。昔の若者は、ロマンポルノでも十二分に興奮したんやけどね。
なお個人的にはAV的リアリティの方に惹かれてしまう今日この頃であるが、アントニオ猪木が永遠のヒーローであることに変わりはない。

「どんなに優れたアクション映画でも、役者が本当に相手を殴っているわけではない。ましてや血を流しているわけでもない。しょせんは嘘、すべてはつくりものだ。 それでもエンターテインメントとして高く評価されるのなら、徹底的に鍛え抜いたレスラーが本当に肉体をぶつけ合えば、もっと大きな感動を与えられる。スタントマンなしの本当の闘いであり、シナリオはあっても試合の展開はどう転ぶかわからないレスラーたちのアドリブだ。・・・(中略) プロレスラーはリアルファイターではなく、リアルアクションスターだと、胸を張ってもらいたい。」(第五章「キング・オブ・エンターテインメント」より)

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真っ向勝負のスローカーブ

星野伸之

「夢のような目標を掲げたり背伸びをしていると、日々の戦いの中で見失ってしまうものも多い。理想が高すぎて無理を重ね、現実の自分とのギャップに苦しんで、もろく崩れるのもイヤだった。 それよりも、現実的に自分の力を見つめつつ、最初から、 『今日も何とかしのいでいこう』 としぶとくピンチを切り抜けていくほうが、ピッチャーらしいような気がしていたのだ。現実には、そういうケースのほうが圧倒的に多いではないか。」(第4章「メンタル・テクニックで裏をかく」より)

時速120km台の直球と80km台のスローカーブを武器に、18年間で176勝2041奪三振というすばらしい記録を残した名投手の書き下ろし。阪神へ移籍後まもない頃に一度、甲子園でその芸術的投球を見たことがあるが、豪速球ではなく、スローボールの奪三振で大観衆を湧かせたピッチャーを見たのは初めての経験だった。
そのピッチング術同様、味わい深い言葉があちこちに散りばめられている。冒頭に挙げた一文も、日々細かいピンチをしのぎつつ、何とか生きている我々凡人の気持をスーッと楽にしてくれる。
そうそう。「今日も何とかしのいでいこう」。

「凡打したらもったいないと考える余裕や、打ちにいって途中で我慢する技術を持っているプロだからこそ、あえて見送る球、見逃すコースがあるのだ。 投手は、そこをどんどんついていけばいい。その要領を覚え、狙いどおりのところへ投げるコントロールさえ持っていれば、あとは駆け引き次第でそこそこ勝負になる。とんでもなく速い球も“七色の変化球”も必要ないのである。」(第2章「コントロールは投手の命」より)

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夢-命を懸けたV達成への647日

星野仙一

「わたしがいいたいのは本社のVIPたちはみんな、自分たちはそれぞれ経営者であるはずなのにひとりひとりがファンになってしまっているということだ。・・・(中略) ひとりひとりがタイガースのそばにいて、タイガースにいくらでもいい影響力をもたらせる立場にもいて、人気者のレッテルを付けた自分たちのタイガースの“ただのしろうとファン”になってしまっているのだから始末が悪い。」(「変化は望まれていた」より)

3日間で約50人の撮影・取材という荒行を終え、疲れ果てた帰りの新幹線で読むにはちょうど良かろうと、品川駅の書店で購入。ただ、さすがに監督自身がべったり関わって出版されたというだけあって、裏話あり、フロントへの苦言あり、個々のレギュラー選手やコーチへの論評ありで、田淵入団以来の年季の入った虎キチとしては、期待以上に読み応えありの本だった。
「タイガースは率直にいって、いまだ『粗にして密ならず』の状態」と、連覇については厳しい見方をする星野監督であるが、こちらもその辺で気勢を上げるだけの“にわか”阪神ファンとは性根が違う。前回は21年、今回も18年待ったんや。次15年位待つなんぞどうってことおまへんで~。

「なんだかんだといいながらも巨人は獲るべきものを獲り、やるべきことをやって、『巨人軍』のブランドに誇りと責任を持っている。だから巨人の選手たちは幸せなのである。タイガースはどうだったのか。『阪神タイガース』というブランドの大きさ、値打ち、将来性というものをまったく大切にはしてこなかったのではないか。だから阪神の選手は不幸だったのである。わたしの登場はそのアンチテーゼだったのではないだろうか。」(「連覇の夢~明日のタイガース」より)

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トリビアの泉

フジテレビ◎トリビア普及委員会

SF作家アイザック・アシモフ曰く 「人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である」(巻頭より)

放送時間が平日のゴールデンタイムに移ってから、すっかり見る機会がなくなってしまった「トリビアの泉」。仕方がないから本で読んでみたけど、紹介されている64個ものトリビアを、たった15分程で読み終えてしまった。やはり映像で“間”を取らないと、せっかくのトリビアがあっけなく消化されてしまってさびしいねえ。

それにしても、ふだんは大切な事がなかなか覚えられないくせに、この本に書かれたムダ知識の多くは、しっかりと記憶に残ってしまった。まさに:

「人間は無用な知識ほどたやすく頭に残ってしまう悲しい動物である」(by YOU)

「『笑点』のテーマには 歌詞がある」(No.16)
「アントニオ猪木のテーマには 歌詞がある」(No.37)
「パパイヤ鈴木は昔ディズニーランドで踊っていた」(No.40)
「『ルパン三世』の銭形警部の名前は“幸一”である」(No.55)
「オジサンという魚がいる」(No.62)

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8時だヨ!全員集合伝説

居作昌果著

18年ぶりの栄光へ向け、恐るべき強さでVロードを突き進むわが阪神タイガースだが、実は前回の優勝年である1985年の9月に、あの「8時だヨ!全員集合」が幕を閉じていたことを本書で知った。「あれっ、そんなに続いてたの?」というのが正直な感想。何せ一番ハマってたのは小学校の頃(昭和40年代)で、「ちょっとだけよ」や「ウンコチンチン」を一度も真似しなかったガキはいなかっただろう。(余談ながら「ウンコチンチン」は、史上最強のギャグかも知れない。何せ「ウンコ」に「チンチン」でっせ。)

「東宝テレビ部は、スターのイメージを傷つけるような“バカなこと”を加山にはやらせないことを条件に、出演をOKしていた。・・・ところが本番当日のリハーサルで、加山雄三本人が、ここで『ウンコチンチン』をやれば大爆笑だと言い出したのである。・・・ 『バカなことだろうと何だろうと、笑いが売り物の番組に出演して、笑いに参加しなければ意味がない。それでは、歌番組に出演して、歌を歌わずに帰るようなもんだ』 若大将バンザイ!!である。」(第2章より)

他にも、三船敏郎がヒゲダンスを踊ったり、若山富三郎や田宮二郎、菅原文太もゲストでコントを演じていたなんて・・。毎週欠かさず見ていたので、きっとその場面も目撃したはずだが、残念ながら記憶にない。まあ当時のガキにとっては、銀幕の大御所より加トちゃんの方がヒーローやったもんね。

「今、『8時だヨ!全員集合』を再び制作することになれば、当時よりもひどい状況にある一般大衆には、以前にもまして受けるに違いない・・・だが、番組をやる気にはなれない。やる気がないというより、やりたくない、というのが本音である。 なぜなら、番組のエンディング・テーマに乗せて、 『歯磨けよ!』『勉強しろよ!』『車に気をつけろ!』と呼びかけるセリフで、『身体売るなよ!』『薬に手出すなよ!』『人を殺すなよ!』などとは、加藤茶に言わせたくないからである。」(終章より)

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ザ・ファイト

ノーマン・メイラー著/生島治郎訳

「めまいがジョージ・フォアマンに襲いかかり、彼を呑みこんだ。 バランスをくずし、ふらつきつつ、ずっとモハメド・アリをみつめつづけ、どうすることもできず、彼はつまずき、よろけ、身を沈めた。 その心は、チャンピオン・シップの誇りとともに高きにありながら、その身体は大地を求めていたのだった。」(15「敗者決定」より)

あのモハメッド・アリが、当時無敵を誇ったジョージ・フォアマンをマットに沈めて王者に返り咲いた、1974年10月の“キンシャサの奇跡”を描いたスポーツドキュメンタリーの名作。
「ロッキー」のように、無名の挑戦者が王者へ上り詰めていくドラマは無条件で心をつかむが、頂点からどん底に突き落とされた王者が、己の存在と誇りを賭けてリベンジに挑む姿も、物語的構造としては捨てがたい魅力を持つ。
実は、目下予定されている競合プレゼンが、この種の物語的構造を内包した相手先であるため、モチベーションを高めようと読み返してみた。何とか、“蝶のように舞い蜂のように刺す”と言われたアリにあやかって、一撃で相手の心をKOする企画を創り上げたいものである。

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鬼平料理番日記

阿部孤柳著

「大川端のそば屋『さなだ屋』で酒をくみかわしている鬼平と岸井左馬之助。原作『蛇の眼』の掉尾を飾るのは、ひときわ風情豊かな叙情である。艫の音が川面をすべって、『・・・・すいと塒(ねぐら)を立つ白鷺の、残す雫か、露か涙か・・・・』----老船頭のさびた舟唄をさかなに二人が黙然と盃をなめていると、『ありあわせのものでございますが』と亭主が持ってきたのは、茄子の香の物に溶き辛子を添えたもの。『や。こいつは何よりのものだ』と鬼平。」(第三章「鬼平の江戸・旬の味」より)

家族が寝静まった真夜中、独り酒を呑みながら「鬼平犯科帳」のビデオを観る。この楽しみは筆舌に尽くしがたい。そしてこのドラマの中には、原作同様ほぼ毎回料理と酒のシーンが出てくるが、こいつが又どれも実に旨そうなのである。軍鶏鍋、鮎並の煮付け、菜飯、田楽、蛤鍋、白魚と豆腐の小鍋立て、川海老の塩焼、餡かけ豆腐、鴨の叩き団子・・・。画面の中のこうしたご馳走を眺めては酒を呑み、あぶったエイのひれなんぞをつまんでいる。ホンマ、やめられまへんで。
ドラマの中のこうした料理は「消え物」と呼ばれるが、本書は鬼平に登場する「消え物」の監修・指導をしてきた料理家による書き下ろし。撮影時の思い出やエピソードを織り込みつつ、鬼平がいた時代の献立や味付けについて語っている。

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[2003年6月19日] この日の感想・書評へ→

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落合博満の超野球学(1)バッティングの理屈

落合博満著

息子が本格的に野球をやり始めて以来、先輩球児として間違った指導はするまいと、ここ数年様々な野球の指導書・理論書に目を通している。そんな数多の野球本の中でも、「ミスター三冠王」落合氏による本書はまさに白眉で、若い頃にこの本があればもう少し上手くなれたのにと心から思った。

「『基本はセンター返し』、『ボールをしっかりと見る』、『コンパクトにスイングする』・・・まだまだあると思う。この3つは、指導者なら何度も口にしたことがあるはず。一方、選手諸君も基本の基本としてとらえているだろう。では、その理由を明確に説明できる人はいるか?なぜ、センター返しが基本なのか・・・こうした基本の部分が、実は最もおろそかに考えられている。『そんなの“常識”だ』と思う前に、こうした基本について考えていこう。」(まえがきより)

仕事柄、過去いろんな分野の人に取材をしてきたが、真にその分野の事を“分かっている”人というのは、難解な理論や事象、または“基本原理”について、素人にも解る表現で平易に説明してくれるものである。本書では、数々の野球本が決して踏み込まなかった“野球の基本”の真の意味を、野球指導の常識を覆すいくつもの問題提起と共に、氏自身の言葉で極めて分かりやすく語ってくれている。
なお本書は週刊ベースボールの連載(現在も継続中)を書籍化したもので、投手編の担当は私の少年時代のヒーロー江夏豊氏。こちらの刊行も待ち遠しい。(→超野球学2はこちら)

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[2003年6月 6日] この日の感想・書評へ→

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