歴史・時代小説
李陵・山月記
中島敦
一個の丈夫たる太史令司馬遷は天漢三年の春に死んだ。そして、そののちに、彼の書残した史をつづける者は、知覚も意識もない一つの書写機械にすぎぬ、−自らそう思い込む以外に途はなかった。無理でも、彼はそう思おうとした。修史の仕事は必ず続けられねばならぬ。これは彼にとって絶対であった。修史の仕事のつづけられるためには、いかにたえがたくとも生きながらえねばならぬ。生きながらえるためには、どうしても、完全に身を亡きものと思い込む必要があったのである。(「李陵(二)」より)
中国史書の原典とも言える「史記」は、紀元前1世紀頃、漢武帝の時代に司馬遷によって編纂された。歴史の記録を司る太史令の任にあった司馬遷は、匈奴との戦いで敗北し敵に投降した旧友の李陵を、唯一人宮廷内で弁護。そのことで武帝の逆鱗に触れ、死刑か宮刑(性器を切断して宦官になる)かという選択を迫られた結果、生きて史書を書き継ぐため宮刑を選択。屈辱に耐え忍びつつ、「悪霊にでも取り憑かれているような凄まじさで」史記を完成させたのである。「李陵」には、そんな司馬遷の苦衷と葛藤、歴史を書き継ぐ事への凄烈な使命感が格調高い文章で描かれており、個人的には、主人公である李陵の生き様よりも深く印象に残った。
ちなみに中島敦は、「李陵」の草稿に題名を付けないまま33歳で夭折した。生前残したメモには「漠北悲歌」「李陵・司馬遷」の二つの題名が候補として記され、前者は斜線で消されていたという。
人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。(「山月記」より)
[2011年6月12日] この日の感想・書評へ→
玄界灘
白石一郎
近頃、夜ごとに亡き母の笛を吹くおせんの気持は、卓次にも何となく判っている。
自分も母のように父親の猟の手助けができる技量を身につけたいのだろう。
−それはむりだ。お前のお母はわしやお前とは素性がちがう。いくら練習してもお前にはお母のような笛は吹けはしないよ。(「魔笛」より)
四方を海に囲まれた海洋国家でありながら、日本という国は長い歴史の中で、その地理的条件を外向きに活かすことを余りせず、専ら異文化に対する障壁として利用するに止まった。徳川期の鎖国政策はその最たるものであり、悲喜交々のドラマがそこから生まれている。
本書はそんな“鎖ざされた世界”の不条理に翻弄された人々の姿を様々な形で描いた、バラエティ豊かな8話の短編集。土臭さを感じさせる民話調の奇談あり、温かい余韻の残る時代小説あり、史実を活かした歴史小説あり、歴史人物の数奇な生涯を手際よく捌いた伝記あり…と、“海の幸”を得意とする手練れの料理人による、深い味わいを湛えたフルコースがお腹一杯堪能できる。
「霧の中の船は眼では見えぬ。ここで見るのさ」
五平次は右手で自分の薄い胸のあたりを叩いて見せた。
「ここに写るんだよ」
「船がですか」
「うん」
「あの時も唐人の小舟がそこに写ったんでしょうか」
五平次は黙ってうなずき、
「眼で見ては何も見えん」
といった。(「霧の中」より)
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呂布 猛将伝
塚本青史
「何をいたしておる? 早う、不心得者を押さえよ!」
董卓は命令するが、呂布は剣を構え、かつて殴られた怨みも込めて一言浴びせる。
「勅命が降りました」
言いながら、力任せに剣を突き出すと、董卓の厚い皮下脂肪を突き破って、切っ先が心臓を貫いた。
「この、野良犬めに、してやられたか!」
最期の言葉を引きずって、董卓は長安の仮宮殿で斃れた。(第四章「董卓殺害」より)
三国志における呂布は敵役である。だが、関羽・張飛・劉備の三人が束になっても敵わない程強く、女性には純情かつ潔癖で、浅慮で節操はないが妙に人間味のある呂布を愛する三国志ファンは多い。という訳でどのような人間・呂布が描かれているのか楽しみだったが、かなり期待はずれの内容であった。
何より、呂布の人物像に魅力がないのが致命的。後記に「現代の父親のごとく、日曜日には粗大塵扱いされる呂布も、一度描いてみたい図であった」とあるが、そんな呂布を読みたいと思う人が何人いるのだろう? また、どうでもよい登場人物が多すぎて、それぞれの人間性や相関関係が分かりづらい。その結果最大の見せ場になったはずの、劉備達との邂逅や曹操との最後の戦いの場面が全くかすんでしまった。クライマックスの絶命の場面前後に至っては、もはや出来の悪い劇画の世界で、作者の意図が全く分からない。
せっかくの美味しい食材を、料理人によって台無しにされた気分である。
呂布の軍団は常山に三日で着き、黒山の賊を捜して交戦した。呂布は騎馬の部隊を見つけると長柄の戟を振り回して突進し、相手を一度に三、四人と渡り合っても何ら苦戦せず打ち落とした。
彼が武器を振るうと、相手の腕や脚、頭など肉体の一部が、塊や顆粒状になって飛び散った。その烈しい中にも華麗な武器捌きには、味方である顔良、文醜は無論のこと、敵も目を瞠った。(第六章「袁術から袁紹」より)
[2011年2月16日] この日の感想・書評へ→
俄
浪華遊侠伝
司馬遼太郎
左様、この俄。
ニワカと読む。仁輪加と書いたりする。路上などでやる即興喜劇のことだ。この小説にそういう奇妙な題名をつけたのは、この小説の主人公が盤面、小林佐兵衛と名乗って日本一の侠客、といわれるようになったころ、自分の一生をふりかえって、
「わが一生は、一場の俄のようなものだ」
といった言葉からとっている。読者は、この男のやることなすことに、一場一席の「俄」を感じてもらえれば、筆者の主題は大いにつらぬき通せることになる。(「北野の雪」より)
二十年近く前に一度読んだまま書棚の飾りとなっていたが、この秋にケーブルTVの「時代劇専門チャンネル」で本作の旧作TVドラマ(昭和45年作)が放映され、全13話を通して観る機会に恵まれた。そして最終回を観終えた後に、どうしても小説を読み返したくなり、頁を捲ることに相成った次第。
舞台は幕末の大阪。“どつかれ屋”から身を起こし、命をいかに軽く捨てられるかを信条に、上方一の侠客として名を成した実在の人物・明石屋万吉の一代記。ドラマでは当時二十代後半の林隆三が演じており、上方の侠客というより江戸の鯔背な職人風の身のこなしではあるが、何ともこれが格好いい。また、万吉の初恋の人でドラマの語り部でもある芸者小左門に藤村志保、万吉の女房・小春に大谷直子を配し、大御所辰巳柳太朗、島田正吾も二度ずつゲスト出演してどっしり脇を固めている。原作とドラマとでクライマックスの筋立てが何と真逆となっていたが、まあこれもご愛敬か。
「わいは極道屋という稼業がら、いつ死ぬかわからん。あすにも、すぱっと」
頬を煙管でたたいた。
「飛ぶかもしれん。そのとき、わしを偲んで泣きくさる奴が、この世で一人でも居たらかなわん。ぞっとする」
「ぞっと」
小春は、ぼう然とした。
「そやがな。そういうときは、万吉めも死にくさったかとさらさらと笑い、あくる日からけろっと忘れてくれるような嫁がええ」(「八百八橋」より)
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荒ぶる波濤
幕末の快男児陸奥陽之助
津本陽
小次郎は思わず口走った。
「私もできることなら、先生のもとで航海術やらオランダ語を習いたいものです。勝先生というお方は、世に稀な賢才だと思います」
龍馬は拍手してよろこんだ。
「お前さんがそういうのを待ってたがじゃ。先生は門人を百人でも二百人でも集めてこい。俺が食わしちゃるきというて下さるがじゃ。お前さんがその気なら、明日にでも入塾できるよう頼んできちゃるきに」(「龍馬と小次郎」より)
あの坂本龍馬に「(刀を)二本差さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」と言わしめ、不平等条約の改正等数々の事績を残した明治期の外務大臣、陸奥宗光(陽之助)の青春時代を描いた作品。神戸海軍塾の時代はもちろんのこと、後には兵庫県知事を務めるなど、神戸との縁が深い歴史上の人物である。
龍馬との出会いを機に世界へと目を開いた陸奥は、その後龍馬の片腕として神戸海軍塾、亀山社中、海援隊と行動を共にしたため、本来陸奥の物語であるにも関わらず、結果的に龍馬に喰われてしまった形だ。そして何より龍馬と永別した後、有為転変を経た末に外務大臣に就任。諸外国と堂々と渡り合う傑物へと成長していく人物像にも興味があったので、後半生の描き方が駆け足で済まされてしまったのが残念である。
小次郎は龍馬の心情がよく分かった。貿易を盛大におこない、富を手にすれば自然に国力がついてきて、大艦巨砲を手にいれることもできよう。
そうなれば、腐りきった柿のような幕府は潰れ、あたらしい指導者があらわれてくるのだ。小次郎がしきりにうなずくのを見た龍馬は、歯を見せた。
「潮に乗って、沖へ出ようじゃいか」(「神戸海軍塾」より)
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信長の棺
加藤廣
「三河狸相手には、何よりも、それ以上の誑かしの技が必要じゃな。それにはまず、言葉から刃を取り去ること。失礼だが、治部殿の言葉は言葉でなく、言刃じゃ。それも剃刀、錐の刃じゃ。城内で愚か者を相手に物を言われる時は、一度、ごくりと唾を呑み込んでから、ゆっくりとお話しなされては如何かと。その間に言葉の刃を葉に変えることをお勧めしたい」
「良いことを承った。確かに言われてみれば、そうじゃ。君子の言、流汗の如し。二度と戻らぬからの」(第四章「舟入学問所」より)
織田信長に関する小説や評論を描く際、絶対不可欠とされる一級史料に「信長公記」がある。信長が足利義昭を奉じて上洛した1568年(永禄11)から、本能寺で落命する1582年(天正10)迄の事績が綴られた一代記で、著者は信長の家臣だった太田牛一。そして本書はその太田牛一が、戦国最大の謎「消えた信長の遺体」を追い、光秀謀叛の動機や、秀吉の「中国大返し」の真相を含めた衝撃の結末にたどり着く…というストーリーである。
発売当時は小泉元首相の愛読書と紹介された事もあって、TVドラマにもなる程話題を呼んだ。謎解きの結論は少々突飛で少々こじつけの感もあるが、オリジナリティの点で一読の価値有り、というところか。
「権兵衛殿」
牛一は、ゆっくりと一語、一語噛みしめるように言った。
「ここまでで、遺骨探しのご案内は十分でござる。権兵衛殿のお気持ち、ようわかった。嬉しい。だがその場所が特定できないのは、むしろ天慮かも知れぬ」
「天慮?と仰せか」
権兵衛は、不思議そうな顔で牛一を見た。(第六章「吉祥草は睡らない」より)
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開国ニッポン
清水義範
家光は、元和九年(一六二三)に出されたポルトガル人の居住制限、ポルトガル人航海士雇用の禁止、日本人のマニラ渡航を禁じた法を廃止した。どこの国の者であろうが、交易を目的として来日すること構わぬ、というこれまでとは百八十度違う方針を打ち出したのだ。
これが、幕府開国、という方針である。(第二章「切支丹冥加金」より)
「開国ニッポン」という書名から、てっきり明治維新を背景にした娯楽小説だろうと思って読み始めたが、さすがに曲者・清水義範。何と史実上では鎖国を始めたはずの三代将軍家光に、「開国」をさせたのである。
さーてその結果何が起こったか。“鎖国しなかった”徳川幕府は諸国との交易を振興させ、江戸は世界最大の都市として繁栄することになる。そして由井正雪や浅野内匠頭をはじめ歴史上の人物はビミョーに生き方を変え、明治維新も薩長vs.幕府の基本構造は変わらないものの、ペリーが勝塾で講義をしたり、ワイアット・アープが池田屋で新選組を撃退したり、龍馬が渡米してリンカーンと会談したりと、作者の筆は奇想天外、自由気儘に暴れ回る。史実を知っている人程楽しめる、良くできた歴史パロディ。
「おれは、ワイアット・アープだよ」
この時、ワイアット・アープは十六歳。
アープが青年ながら驚くべき早撃ちの腕前を持っていることに目をつけ、ペリーが日本の勝のところへ送り込んだのである。勝が龍馬に紹介し、龍馬は、おれより護衛の必要な人間がおるきに、と北添に貸したのだ。この夜の池田屋に、そのせいでワイアット・アープがいた。(第八章「幕府瓦解」より)
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七人の龍馬
神坂次郎・澤田ふじ子・新宮正春・田岡典夫・津本陽・童門冬二・戸部新十郎
いきなり、竜馬は懐手にしていた右手をひきずりだすと、虚空をつきあげた。と同時に、凄じい炸裂音がした。頭の中で雷がはじけたような衝撃をくらって、檜垣はよろけた。檜垣は、一点の散り雲もない蒼穹が、にわかに無数の真青な破片となって降り落ちてくるような錯覚をおぼえた。炸裂音が、また、続いた。
「これが西洋の武器、能くみておけ」(神坂次郎「さんずん」より)
坂本龍馬を描いた七人七様の短編小説を集めたアンソロジー。“龍馬を斬った男”今井信郎の視点、寺田屋の女将お登勢の視点、共に暗殺された盟友中岡慎太郎の視点など、いろいろな角度から見た龍馬、全く異なるモチーフの作品がバランス良く選ばれている一冊。
個人的には龍馬の影を追い続けた揚げ句、龍馬の引き立て役としてしか歴史に名を残せなかった土佐の檜垣清治を描いた「さんずん」(神坂次郎)が一等賞。そして龍馬の姉乙女が愛する弟に会うため、相撲を挑んできた妖怪シバテンを負かすという異色のファンタジー「お仁王さまとシバテン」(田岡典夫)が二等賞、かな。
(おれが斬る……)
相手が龍馬と知ったときから、伸郎はそれなりに策を練った。
果たしてやれるかどうかはわからないが、なんとしてもそれを試したかった。
氷雨が、竹の子笠を叩いた。信郎の歯ががちがち鳴るのは、京の底冷えのせいばかりではなかった。(新宮正春「坂本龍馬の眉間」より)
[2010年4月 8日] この日の感想・書評へ→
坂本龍馬最期の日
岳真也
「ま、しかたありまへんな」
冷たく突き放すような声を出した。
「今夕は坂本龍馬のもとを中岡慎太郎が訪ねてくる模様」
間諜が告げたとおりに、大久保一蔵がそう伝えたことへの返答だった。
中岡が龍馬と同坐しているところを刺客が襲えば、当然のことに、中岡も犠牲になる。それを岩倉は、「しかたない」の一言ですませてしまったのだ。(「十一月十五日・夕七ツ」より)
「龍馬伝」人気を当て込んでか、この一月に書き下ろされたばかりの作品。かつて原田芳雄が龍馬を演じたATG映画「龍馬暗殺」と類似したモチーフではあるが、暗殺直前の十二刻(24時間)だけに舞台設定を絞り込むという着想自体は悪くない。特に遭難直前の龍馬と慎太郎の間にどの様な会話が交わされていたのか、当日真犯人はどういう心理状況下でどういう行動を取ったのか、等々を掘り下げて描けば、そこそこ興味深い作品になるはず…と期待して読んでみた。
が、残念ながらそうした深みを追求しようとした作品ではなく、内容的にも西郷・大久保・岩倉が黒幕で、その意を受けた高台寺党(新選組を脱退した伊東甲子太郎一派)が実行犯であるというプロットも中途半端だ。最初の20ページ目辺りからこりゃ期待外れかなぁ〜と思いつつ読み進めたが、予想通りだった。
床の間を背にした龍馬が、
「はて、どなたかな」
と答える間もなく、加納の刀は龍馬の額を横に払った。
ほとんど同時に、中岡は後頭部に激しい衝撃を感じた。もう一人の刺客たる藤堂平助が、おもいきり剣を振りおろしたのである。
龍馬は懐ろに短銃を持っていたが、指の古傷ゆえに使い物にならない。また、それを放りだして、かまえる間すらなかった。(「十一月十五日・宵五ツ」より)
[2010年3月23日] この日の感想・書評へ→

龍馬の船
清水義範
この人の弟子になろう、と決めた。そう決めた理由はいろいろあるが、いちばんの決め手は、その人の名前だった。勝義邦、通称は麟太郎というのがその人の名だが、号を海舟というのだ。
海と舟、という名である。
わしの大好きなものが二つ並んで人の名前になっている。この人こそわしの師となる人だ、と思ったのである。
思ったのは、二十八歳の坂本龍馬だ。(第一章「海と舟」より)
大河ドラマ「龍馬伝」が好評だ。毎回欠かさず見ているが、龍馬を偉人ではなく、自分の行く道に迷い苦しむ等身大の青年として描いている点に親しみを覚える。「JIN-仁-」の野太くアクの強い龍馬像も良かったが、当代一、二を争うモテ男が演じる福山龍馬は文句なしに格好いい。
さて「龍馬伝」の影響を受け書店では数多の龍馬本が並んでいるが、本書も昨年12月、「旬」を狙ったかの様に出された文庫書き下ろしである。勝海舟への弟子入りから暗殺直前までの半生を僅か230頁程に収めたため、ディープな龍馬好きには随所に物足りなさが目立つが、本書には類書にないユニークさがある。それは、龍馬を徹底的に「海好きの船オタク」として描いた事。幕府と諸藩が買い付けた全ての船に関する知識を持つ「船の虫=フナムシ」龍馬が、自分の船を手に入れようと奔走した結果、薩長が手を結び、大政奉還への道筋がおまけとして付いてくる、という歴史解釈である。少々強引ではあるが、これはこれで魅力的な龍馬像が呈示されている。
いろは丸のことを考える。わしはあの船に惚れておったなあ、と。
しかし、船はいろは丸だけではないのだ。わしは、もっとええ船を手に入れちゃるぜよ、と思った。この夕顔よりええ船を、わしの船にするんじゃ。いろは丸の賠償金もかなり手元に残るだろうし、それに何より、個人が汽船を持てる時代がもうすぐ必ずくる。
そうしたら船を持ち、世界へ乗り出して海運を一生の仕事とするんじゃきのう、と龍馬は夢見た。
自然に、笑いがこみあげてくる龍馬であった。(第十章「船中八策」より)
[2010年2月26日] この日の感想・書評へ→

飛将軍李広
塚本青史
「名はなんと申す?」
「はい、李広でございます」
すると、傍らにいた郎中令の張武が、皇帝恒に耳打ちする。おそらくは、李信の末裔と告げたのであろう。囁きを聞き終えると、大きく頷いて李広に向き直る。
「そこもとは、生まれてくるのが少し遅かったのかもしれぬな。高祖(劉邦)の時代であれば、直ぐにも列候になれたであろうに」(第二章「徂徠 前一六五年」より)
古来中国では、行動が迅速で武勇に優れた将軍のことを「飛将軍」と呼ぶ。三国志に登場する猛将呂布がこの異名で知られるが、その元祖は文帝・景帝・武帝に仕えた前漢時代の武将で、北方の異民族・匈奴に怖れられた本書の主人公・李広の呼び名である。弓の名人として天下に名を轟かせ、辺境の太守を歴任して出世をしてきた彼の人生は、壮年に至るまでは順風満帆そのものであった。だが時は移り、武将として彼を上回る若き才能の持ち主衛青と、さらにその甥である天才・霍去病が台頭し始めた頃から、少しずつ運命の歯車が狂い始め、最後は半ば仕組まれた状況で合戦に遅延した責任を取り、自ら命を絶つことと相成った。
結果的に悲運と言える名将の人生ではあるが、全編通じて過剰な悲壮感はない。あるのは唯、所詮歴史というのは諸行無常、盛者必衰、そして泡沫夢幻の繰り返しなのだなぁという思いのみ。例えば北方謙三が描けばもっとドラマチックに泣かせてくれただろうが、抑制の利いた塚本青史ならではの文体こそが、李広の人生譚にはちょうど良い塩梅だったようにも思える。
砦を襲っても、迅速に騎馬姿で突進する彼は、弓を取ると抜群の命中率を示した。それゆえ、この頃から匈奴は、李広を『漢の飛将軍』と畏怖するようになった。 勢い、代郡への侵攻は少なくなり、雁門郡の西方が被害を受けるようになった。それが直ぐ隣の定襄郡であり、またそこと郡境を接する雲中郡であった。だから、漢の中央としては対症療法的に、李広をその地へ派遣した恰好だった。
「どこへでも異動させろ。その地その地で腕を上げて匈奴を蹴散らせてやる」(第六章「長安 前(一四四〜一三八)年」より)
[2010年2月 4日] この日の感想・書評へ→

西郷隆盛
池波正太郎
「ともあれ、国家の重大・・・」
また大隈がいいかけるや、西郷が突立ち、めずらしく声をふるわせ、巨眼を屹と見ひらいて大隈をにらみつけ、
「堂々たる一国の政府が、国家の大事に際し、その是非を決定できぬというのなれば、いまから院門をとざし、百般の政務を放りすてたがよろしかろう」
と、叫んだ。
すさまじい西郷の見幕に、満場、息をのむよりほかはない。(「征韓の論」より)
「正論の人」。池波正太郎は本作で、そう西郷を位置づけている。そして、こうもつけ加えた。「正論は、いつの世も容れられぬ」と。
理想のためには権謀術数も辞さず、という幕末時の生き様も西郷なら、理想が叶わぬと見るや、きっぱりと権謀術数の世に距離を置いた明治期の生き様もまた西郷である。新政府成立を境に西郷の悲劇が始まったのだが、「正論の人」という視座から見ればこれも歴史の必然かも知れない。
半藤一利が「幕末史」の中で、詩人の魂を持つ革命家・理想家として西郷と毛沢東の類似性に触れたが、西郷は権力闘争に依って理想を貫く生き様を選ばず、毛は権力闘争を繰り返すことで理想を追い求めた。その結果、西郷は維新後わずか十年にして生命を断たれたものの今なお世人の敬愛を得、毛は己の政治生命こそ長らえたものの、十億の民にとっては災厄となった。その違いは大きい。
「利秋どん」
寝そべっていた西郷が半身をおこし、赤子へ乳をあたえるようなやさしい眼ざしをあたえつつ、
「賊軍も官軍も、人間、骨になってしまえば同じごわすよ。わしの名誉なぞ考えてもらわんでもよいのじゃ」
「はあ・・・・」
「今度の戦争な、日本人同士の最後の戦争になってくれればよいと思うちょる・・・・そうなることと思うが・・・・」(「西南戦争」より)
[2009年12月 7日] この日の感想・書評へ→

さむらいの巣
池波正太郎
「その笄には、わしの・・・」
と、五兵衛は嬉しげな微笑を見せ、
「世の中の善も悪も知らなんだころの、生気にみちみちておったころの、わしの思いがこめられておるのじゃ。わしの一生は、あのころをもって、すでに終わっていたのやも知れぬなあ・・・」
「と、申されますと・・・?」
「訊くな。言わぬ」
降るような茅蜩の声の中に、やがて、五兵衛の呼吸がとまった。 (「さむらいの巣」より)
短編小説、人物史伝、歴史紀行、インタビュー等7編を詰め込んだ少々まとまりのない一冊だが、興味深いのは表題作の短編「さむらいの巣」である。主人公の徳山五兵衛は、鬼平同様火付盗賊改方の長官を務めた実在の人物で、妾腹故に屈折した少年期を過ごし、本所を舞台にさんざん放蕩三昧を重ねた末に家督を継ぎ、壮年期に盗賊退治で辣腕を振るった。まさに長谷川平蔵とぴったり重なる人物像である。そして本作の初出は「鬼平犯科帳」が世に出る前の昭和38年であり、ここに描かれた徳山五兵衛は、ある意味鬼平像の原型であったと言えるかも知れない。
但し一方で著者は、既に4年前の昭和34年に、同じ徳山五兵衛を題材にしながら全く主題が異なる中編「秘図」を発表。さらに昭和50〜52年には、この「秘図」の方を基にした長編「おとこの秘図」を週刊新潮に連載している。この二作での五兵衛は、峻厳な火盗改長官でありながら密かに春画作りにふける異能の人として描かれ、その人物像は鬼平と重なって来ない。「鬼平犯科帳」を遠景に置いて「秘図」「さむらいの巣」「おとこの秘図」を発表順に眺めると、徳山五兵衛の人物像の変遷が透けて見える様だ。
−『鬼平犯科帳』の中でご自身で意図して、小説の底に流れているのはこういうものだ、というものはありませんでしょうか?
池波 ぼくが書いている『鬼平犯科帳』は捕物帳じゃないんです。もちろん捕物もありますが、それよりも泥棒の世界、そして捕まえる者たち−同心、与力、平蔵たち、そういう人間どうしの色々な関わり合いというものを、読む方々が自分の色々な社会に置きかえて読んで下さるなら、そうして頂いた方がありがたいですね。(「実録・鬼平犯科帳」より)
[2009年10月30日] この日の感想・書評へ→

密謀
藤沢周平
「内府は必ず、上杉を攻めるぞ」
「まずは、十中八、九」
「いや、必ずだ」
石田は断定するように、きっぱりと言った。
「その兵を内府がひきいて行くとなると、上方はがら空きになる。そのひまに、わしが反徳川の勢力をあつめて挙兵することは可能だ」
「治部少輔にその度胸があれば、だ」(「佐和山」より)
大河ドラマの「天地人」もいよいよクライマックス。天下を窺う家康に兼続が真正面から喧嘩を売る「直江状」の下りを越えた。結局景勝は「敵を背後から討つのは義に背く」として家康を挟み撃ちにせず、関ヶ原の戦いに背を向けた訳だが、もしもこの時景勝が兼続の追撃策を採っていたら、家康の天下取りを含めた関ヶ原の戦いそのものの有り様が、大きく変化していたのは確実であろう。
江戸の人情話を自家薬籠中のものとする藤沢周平の中では数少ない、スケールの大きな「歴史小説」。大河で「直江状」の場面が来る辺りで再読しようと以前から決めていたが、久々に読むと藤沢作品ならではの文章の美しさと品の良さ、「人」に対する目線の温かさに改めて感じるものがある。
「内府が江戸に退くというなら、われまた会津に帰るのみ。敵の弱みにつけこんで追撃をかけるのは上杉の作法ではない。それに、上杉にはまだやるべきことがある。そのことを忘れたか」
血縁のようだった主従の間に、暗い亀裂が口をあけたのを兼続は見た。景勝は謙信のころの古い義を言っている。そこから一歩もすすんでいない。いま、上杉は天下の大勢に遅れるところだと思った。(「革籠ヶ原」より)
[2009年9月16日] この日の感想・書評へ→

仲達
塚本青史
「嘘だ!」
看破したように言ったとき、司馬仲達はさらに声を出して笑っていた。
「あの諸葛亮が、たった一度の戦いで、華々しく討死するような真似などするものか」 呉の孫権はやや直情径行なところはあるが、人となりが王族らしく大らかさに溢れている。だが、諸葛亮は、どこまでいっても策士だ。やることに、必ず裏がある。(第三章「諸葛亮北伐 (226〜231)年」より)
司馬懿(しばい)仲達と言えば、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の言葉に象徴される様に、通常は諸葛亮孔明の引き立て役である。「しかし、本当にその程度の考察で良いのだろうか?」と著者は考え、この物語は生まれた。吉川三国志を筆頭に、孔明の存在があまりに神格化され、無謬無敵の軍師として描かれる事が多いためであろうか。その最大の宿敵である仲達の視点で書かれた「三国志」は過去にない。何よりこの着想自体がユニークさを生み、慣れ親しんだ三国志ワールドが、終始仲達の目線で冷徹に語られていく。劉備、関羽、張飛、さらには孔明も含め、蜀漢のヒーロー達も単なる遠景に過ぎない。世の三国志物でクライマックスとされる「五丈原の戦い」も、無論重要なエピソードではあるが、その後も物語は粛々と続き、やがて仲達の死を以て唐突に終わる。まさにタイトル通り、司馬仲達を描き切る事だけに力を注いだ快作。
勝つという結果が得られれば、持て囃される必要などないわけだ。
五丈原の闘いなどもその一つで、司馬仲達は内容の充実が得られれば、世間の評価など二の次だとして、梁幾を諭したのである。
「花など、死んだ諸葛亮に持たせてやればいいのだ。それが、敬すべき敵将への供養にもなろう」(第四章「五丈原 (231〜234)年」より)
[2009年4月10日] この日の感想・書評へ→

のぼうの城
和田竜
「あのな」
そこに座の空気に斟酌しない、馬鹿の声が聞こえた。
長親である。
「北条家にも関白にもつかず、今と同じように皆暮らすということはできんかな」
世迷言をいい出した。
あまりの暴論に、成田家臣団は一様に唖然とした。(1-6より)
昨年の直木賞候補作にも選ばれ、「面白い!」と巷で評判の作品。このたびようやく読む機会が得られた。確かに、評判に違わぬ快作である。領民達から木偶の坊を略した「のぼう様」と親しまれながら、得体の知れない奥深さをギリギリまで顕さない主人公も痛快だし、彼を取り巻く重臣達も皆曲者揃いで魅力満点。どのキャラもビンビンに立っている。石田三成率いる二万の大軍の攻めに対し、百姓混じりの二千強の寡兵がどう防ぎ切るかという物語の基本設定も興味を惹くし、おまけに文章自体も随所に適度なユーモアが感じられ、読んでいて楽しい。次作も要チェックかな。
丹波は、長親と自分との違いを、まざまざと見せつけられたおもいがした。
なんの武技もできず聡明さのかけらも感じさせないこの大男が、余人が捨てたただひとつのものを持ち続けていた。
(−−この男は、異常なまでに誇り高いのだ)
丹波は、少年のころから長親に感じ続けてきた違和感の正体がこれだと確信した。(2-14より)
[2009年3月22日] この日の感想・書評へ→

昭和侠盗伝
天切り松闇がたり第四巻
浅田次郎
元帥は天井に目を戻して、病み疲れた瞼を静かにおろした。
「名もない盗ッ人に勲章を奪われるわけにはいくまい。俺がおはんに二ツ名をくれちゃる。天切りの技を使う松蔵ならば、天切り松でよかろう。以後、そのように名乗られよ」 天切り松。神様がお付け下さった名前なら、親分も文句はあるまい。
「ありがとうござんす。天切り松の二ツ名、しっかりと胸に括らしていただきやす」(第一夜「昭和侠盗伝」より)
いよいよ「天切り松」も第四巻、舞台背景はこれ迄の大正から、太平洋戦争突入へとひた走る昭和初期へと一気に飛ぶ。時代の重苦しさを反映する様に、目細の安吉親分には少しずつ老いの影が忍び寄り、天切りの技の師匠「黄不動の栄治」は結核に冒され、微かに死の予感を漂わせている。そんな中、使いっ走りだった主人公の松蔵はいつしか成人し、天切り松を名乗るきっかけとなった一世一代の盗みを仕掛ける一人前の盗賊に成長した。病床の東郷平八郎元帥と松蔵との会話は、思わず何度も読み返したくなる名場面である。
シリーズ全体を貫く魅力については前回迄にも触れたが、さらに書き添えるならば、シーンの一つひとつがくっきりと浮かんでくる情景描写の技にある。本作に限らず浅田作品が好んで映像化されるのは、物語の面白さのみならず、何より創り手同士のイメージが共有しやすい=創りやすいという点が挙げられるのかも知れない。
「古い歌の文句じゃあねえが、天にかわりて不義を討つのァ、何も軍人の仕事じゃあねえんだぜ。よしんば遠吠えにせえ屁のつっぱりにせえ、不義は不義、不実は不実と口にしてこその人間じゃあねえか。俺ァ天下の盗ッ人だが、衆を恃んで不義を正義と言ったためしァ、ただの一度もありゃしねえ。誰が何と言ったって、俺ァ忠勇無双の日本人だ。東郷元帥から戴いた天切り松の二ツ名に、恥じる仕事はいっぺんだってしちゃいねえ−」(第一夜「昭和侠盗伝」より)
[2008年11月 1日] この日の感想・書評へ→

残侠・初湯千両
天切り松闇がたり第二・三巻
浅田次郎
「俺の名前ェは、村田松蔵。そんなこたァどうでもいいが、天切り松といやァちょいとは名の知れた盗ッ人だ。天切りたァ、大江戸以来の夜盗の華。ケチな所帯にァ見向きもせず、忍び返しに見越しの松、長屋門に車寄せてえお屋敷ばかり、夜に紛れて屋根を抜く、富蔵、籐十郎、鼠小僧の昔から、一子相伝、親分から子分へと奥義を伝えた荒技でぇ。おっと、自慢話はたいげえにして−」(第二巻/第一夜「残侠」より)
娘のお薦めでハマってしまった天切り松の、二巻・三巻を立て続けに読破。のっけから伝説の博徒、老境に達した次郎長一家・小政が登場。筋の通った本物の渡世人ならではの、堂に入った立居振舞と大御所の貫禄に当方はすっかりヤラれてしまった。
勿論これらは全て虚構の世界、いわば文章力の成せる業。登場人物達の粋な科白も情景描写も、勿論物語の構成力も、ここまで来ればまさに至芸という他ない。名人・浅田次郎の場合、いかにも「さあ、ここが泣き所ですよ」と手ぐすね引いた感じが鼻に付く印象もあるが、このシリーズはその辺りの匙加減が絶妙であざとさがない。
尚、小政以外にも竹久夢二、森鴎外といった大正期のスタアが“特別出演”。その魅力溢れる人物描写も一つの大きな読み所となっている。
「私っちァ十七の春にゆえあって、不忍池の弁天様に願かけた。金輪際、男にァ頼らねえ。たとえどんなにいい男だって、私っちを女だと見くだす野郎には、惚れもしねえ抱かれもしねえ。意地と度胸で、男どもが片っ端から腰を割って仁義を切るような、女の中の女になってやる。この弁財天のモンモンは、そんときの誓いのあかしさ。」(第三巻/第三夜「宵待草」より)
[2008年10月29日] この日の感想・書評へ→

闇の花道
天切り松闇がたり第一巻
浅田次郎
江戸と東京とがせめぎあう不確かな時代、大正。混沌として定まるところの何ひとつない闇のただなかに、男は黒ずくめの装束の腕をがっしりと組んで立っている。痩せた長身の襟元に、黄不動の赤い目が炯々と輝く。
栄治の立っている場所は、時代のはざまから天に向かって折上げられた、理不尽の甍の上だった。(第三夜「百万石の甍」より)
大正ロマン華やかなりし頃、義理と人情に命を懸けた、粋でいなせな怪盗達の活躍ぶりを描く傑作悪漢小説のシリーズ第一弾。年老いた元盗賊の「天切り松」が、六尺四方にしか聞こえない夜盗の声音「闇がたり」で、遥か昔に自分を育てた盗賊達の思い出話を語るという怪しくも魅力的な設定が、読む前から読者を惹き付ける。そしてストーリー展開の面白さ・痛快さは勿論のこと、文章の美しさとリズムの良さ、とりわけ盗賊達による江戸弁の粋な科白回しが、思わず大向こうから「いよっ、天切り松!」と掛け声をかけたくなる程の名調子で何とも心地良い。
これまであまり考えたことはなかったが、この本を読んでからは、生まれ変わるなら一度っくれェは、粋でいなせな江戸っ子になんのも悪かァねえな・・・と柄にもなく思ってしまった。出張の供にと娘が勧めてくれたが、若けぇくせになかなか味のある本を読んでるじゃァねえか。
「それにしてもおとっつぁん、相変わらず、良い普請だなあ」
「そうかい。この鼻ッタレが、一丁めえに親に向かってお世辞なんざぬかしやがる」
棟梁は嬉しそうに脚絆のすねを叩いた。
足元に力なく目を落として、栄治はまるで叱られた子供が言いわけでもするように、そっと呟いた。
「そうじゃあねえ。お世辞なんかじゃねえって・・・・この造作だけァ、どうしたっておいらの手にゃあ、負えねえんだい」(第三夜「百万石の甍」より)
[2008年10月26日] この日の感想・書評へ→

孫子伝
塚本青史
「しかし、それぞれの陣立ては、飽くまでも基本である」
孫武がそう言うのは、凡将は陣形ばかりに捉われがちだからだ。
「戦いの最終決着は、将軍に具わった臨機応変の想像力が決する」
このように評して、孫武の講義は戦の本質へ踏み込んでいった。(第三章「兵法家 前(523〜518)年」より)
武田信玄やナポレオンが座右に置き、軍事関係者の必読書とされて来た「孫子」だが、著者である孫武の事績は定かでない。わずかに史記「孫子呉起列伝」で、初めて呉王に拝謁し「侍女を使って練兵ぶりを見せよ」と命ぜられた際、ふざけて号令に従わなかった侍女たちの責任を追及すべく隊長格の王の寵姫を斬り捨て、軍律を徹底させた—とのエピソードが記されているのみだ。そのため孫武の生涯を描き切るには大半を想像力+創造力に頼るしかなく、国内の作家では海音寺潮五郎のみが、長編小説(「孫子」1963年)の形で血の通った孫武の人間像を活写している。
さて本書は、この海音寺の「孫子」から45年ぶりに刊行された本格的な長編であり、世に出る前の暮らしぶりや稀代の軍略家らしからぬ非業の最期等、大胆な想像力で従来にない孫武の生き様を描いている。戦国物に期待するスケール感や、小説としての深みに欠ける気もするが、一つの伝記物語として著者なりの筋の通った世界観が構築・呈示されてはいる。
孫武は、佩いていた剣を引き抜く。そして、大きく旋回させた。
「なっ、なにをする!」
闔閭が、信じられぬ面持ちでそう呟いたのと、西夫人が頸動脈を斬り割かれて赤い噴水を作るのは、ほぼ同時であった。無論、兵にされた女たちも悲鳴をあげた。
「兵を律しえない隊長は、死罪というのが軍法でございます」(第五章「呉 前(512〜506)年」より)
[2008年10月17日] この日の感想・書評へ→

臥竜の天(上)(下)
火坂雅志
「わしはお手前を、血を分けたわが息子のように思う」
どこまでが本気か、家康は肉親のような親しみを込めた目で政宗を見つめた。
「それゆえ、ひとこと申しておく」
「何でござりましょうか」
「刃物は肚に呑んでおけ」
低く、つぶやくように、家康が言った。(第十章「棘の道」より)
「臥竜」と聞くと、諸葛孔明の異名を思い浮かべる人も多いだろう。天へ昇ることを宿命づけられている竜が、時機をうかがいながら地上でじっとその身をたわめている姿を指す言葉である。
そして孔明、政宗の二匹の臥竜とも結局は天に昇り詰めることは出来ず、特に後者は天下人たり得る剛胆さと器量を併せ持ちながらも、わずかに秀吉、家康より遅れてこの世に生まれた不運を呪うしかなかった。それでも不屈のしぶとさを持つ隻眼の暴れ竜は、関ヶ原の戦い以降全ての戦国大名達が次々と家康に牙を抜かれる中、海の向こうのローマ法王を引き込んでまで徳川から天下を奪わんと、最後まで見果てぬ夢を追い続けた。
山岡荘八の「伊達政宗」を先に読んでなかったら、十分の出来だと感じただろう。
「それでも、わしはやる」
政宗は昂然と胸をそらせ、
「天下に向かって挑みつづけることが、わしがこの世に生まれた意味だろう。挑むのをやめるとき、それはわが命の尽きるときだ」
きっぱりと言い放つ口もとに、爽やかな風のような微笑が刻まれた。(第二十一章「遣欧使節」より)
[2008年6月29日] この日の感想・書評へ→

天地人(上)(下)
火坂雅志
「敢えて、毒を飲むのです」
「毒?」
「武田と手を結ぶ。この難局を乗り切るには、それよりほかに手はありませぬ」
大胆というより、あまりに奇想天外な兼続の言葉に、さすがの景勝が顔色を変じた。
「武田と結ぶだと」
「はい」
「そなた、正気か」(第六章「御館の乱」より)
「利」と「欲」が主な行動規範であった戦国の世に、「愛」を掲げ「義」を貫いた上杉家の重臣・直江兼続の一代記。世に言う「直江状」で家康に喧嘩を売った男として元々興味はあったが、兜の前立てに「愛」の一字を掲げていたとは、本書を読むまで寡聞にして知らなかった。謀略渦巻く戦国の世に愛だよ、愛。かつてサントリーが90年代に「愛だろ、愛っ。」というコピーを流行らせたが、それより遥か400年も前に斯くも大胆な個人用のキャッチフレーズを掲げた人物がいたとは驚きだ。
謙信が毘沙門天の「毘」を旗印に用いた様に、直江も愛染明王を信仰するが故に「愛」を掲げたに過ぎないとの説が有力だが、例え事実はそうであっても、兜に「愛」はなかなかなセンスだなぁと思う。09年NHK大河ドラマの原作で、直江の役は妻夫木クンが演じるとのこと。なるほど彼なら「愛」という字が似合いそうではある。
兼続と幸村は、それきり何も言わず、ただしずかに杯を重ねつづけた。言葉にはしなくても、酒を飲んでいるだけで、万言をつくす以上に心が通い合った。
ひとりは、愛という思想のために、あえて泥をかぶり、厳しい“生”の道を民とともに歩むことを選んだ男。
もうひとりは、みずから信じる義をつらぬき、清冽ではなやかな“死”の道へ突きすすもうとしている男。(第二十一章「愛」より)
[2008年6月23日] この日の感想・書評へ→

商人龍馬
津本陽
龍馬は麟太郎が屋敷にいるときは、そばにいて長い間話し込んでいる。留守の日は間崎哲馬の後ろについて諸藩の志士と交流して、千葉道場にも滅多に顔を出さない。航海術の勉強など問題ではないと思っていた。
「航海術の伝習はやらんがか」
長次郎が聞くと、龍馬は言う。
「俺は今、日本国の舵の取り方を習いゆうがよ」(3章「日本国の舵取りを」より)
龍馬が創った亀山社中や海援隊は、日本最初の株式会社と見なされることが多い。また龍馬が高知の豪商・才谷屋の血筋であることは、幕末史に多少詳しい人にはよく知られた話。故に「商人龍馬」という書名に違和感はない。それよりは、日本史上の人傑を題材にした小説を次々と執筆し、龍馬についても既に全5巻の大作「龍馬」を上梓している著者が、いまだにこの人物に興味を持ち続けていたことに軽い驚きを覚えた。
著者はかつて「龍馬残影」という小説で、英雄としての固定したイメージに縛られず、「いろは丸事件」での龍馬の狡猾さ、横暴さを容赦なく抉り出した。無論その背景として、海援隊存亡の崖っぷちに在った当時の龍馬の必死さも公平に描かれており、龍馬好きの私にとっても斬新な視点であった記憶がある。それとの比較で言えば、「商人龍馬」で描かれている内容や人物像に特段新味はない。ただ没後140年というタイミングで、龍馬の本質を「商人」と捉えた作品を世に出したことには、それ相応の意義がなくはないと思う。
「まっことのう。蒸気船を使うたらなお儲かるろうねや」
龍馬は、社中の同士とともに今は薩長の必要とする武器・雑貨の購入を行っているが、戦が収まれば蝦夷、下関から長崎、上海を行き来して、さらに広東からルソン、パシフィック・オセアン(太平洋)を渡ってアメリカにも出向き、貿易をしようと考えていた。蒸気船という文明の利器を使えば、そのような夢が達成できるのである。(6章「薩長連合を策す」より)
[2008年2月18日] この日の感想・書評へ→

孫文
(上)武装蜂起(下)辛亥への道
陳舜臣
小型蒸気船のなかで、孫文はこみあげてくる慟哭をけんめいにこらえていた。
盟友陸晧東の刑死を、広東をはなれる直前にきいたばかりである。彼は目をとじて、しずかに十字を切った。
十一年前、孫文と陸晧東は、ともに洗礼を受けた仲である。十字をひとつ切るにも、孫文は最も親しかった親友、陸晧東、洗礼名中桂を思い出さずにはおれなかった。(「重陽の後」より)
この本の表紙と同じ写真が、かつて母の実家に額入りで飾られていた。確か私が四つか五つの頃だったと思うが、「この人は誰?」と曽祖母に尋ねると、「国父 (guo fu)」と中国語で教えてくれた。変な名前だなあと思いつつ、何となく「偉い人」なんだろうなと子供心に思った。
本書を読んで、ようやくこの「偉い人」の前半生を少しだけ知ることができたようだ。
ちなみに私の住む神戸は孫文ゆかりの地として知られ、彼がこの地を訪れた回数は生涯で18回にも及んでいる。その際の滞在先の一つとして知られているのが、舞子浜にある移情閣(八角堂)だ。1984年からは「孫文記念館」となり文化財にも指定されているが、かつては私の友人一家が管理人として居住していて、小学生の頃は館内で卓球をしたり、布団部屋で跳びはねたりしてよく遊んだものである。
船内で一人になった孫文は、しずかに目を閉じた。
重陽蜂起失敗から十六年たっている。清国からみれば叛徒として追及され、香港からも五年間の居留禁止の処分を受けた。清国当局は日本、東南アジアの植民地政府に孫文の追放を要請し、彼には世界に安住の土地はなかった。アメリカでも努力して、居住の権利をやっと獲得したのである。
いま彼は誰に憚ることもなく、自分の二本の足で世界を踏みしめている。(「是れ中原」より)
[2007年10月25日] この日の感想・書評へ→

裂果
塚本青史
突然、趙鞅は狄の息子を呼んだ。
「はい」
周囲の者は、また、なにが言い渡されるのかと注目した。
「掴み取ってみろ!」
彼は、それだけ言うと広間から消えた。(第一章「総領」より)
中国・春秋末期、韓・魏・趙の三国に分裂する時期の晋国を舞台に、中原の政治動乱の様子を著者独自の視点と解釈で描いた歴史小説。裂果とは熟すると自然に裂けて種子を放出する果実のことで、「春秋末期の晋をはじめとする,多くの国の象徴として使った」とあとがきで著者は述べている。主人公は趙襄子。と言っても、よほどの中国史好きでなければピンと来ないはず。同時代人としては「臥薪嘗胆」の故事でおなじみ呉王夫差や越王勾践、伍子胥、そして孔子がいて、物語の背景として所々で名前が登場する。作者が塚本青史(または宮城谷昌光)でなければ、たぶん手に取ることはなかっただろう。物語もそれなりに読ませるが、クライマックスの籠城戦も特段の盛り上がりもなく、総じてまあまあという印象の作品。
「泣き言は聞かぬぞ!」
「そうではない。最期に臨んで、大卿の上着と剣を貸してくれ」
「どうするのだ?」
「士として、死なせて欲しい。剣で上着を切り裂いてから自害する!」 (第五章「分裂と刺客」より)
[2007年10月13日] この日の感想・書評へ→

血涙
北方謙三
もう一度、ぶつかった。楊六郎の剣が、石幻果の兜を飛ばし、口から頬を傷つけた。楊六郎も、肩に傷を受けたはずだ。
そこまでが、石幻果でいられた。不意に、視界が回っているような気がした。右手の合図を出すのも、忘れていた。赤龍が、ただ疾駆している。
誰かが、自分を呼んでいる。それも、四郎と。なんなのだ。四郎と呼ばれて、なぜ自分が呼ばれていると感じるのか。(第六章「その日」より)
宋王朝建国前後に活躍した軍閥・楊一族の闘いを描き、第38回吉川英治文学賞に輝いた『楊家将』の続編。但し中国の原典にはない、北方謙三オリジナルの物語である。
名作と言われるものの続編にはがっかりさせられるケースが多いが、本書の場合には当てはまらない。気が付けば、七百頁近い大作を正味二日間で一気に読み終えていた。前作の流れを自然に受け継いだ無理のない舞台設定、ストーリー運びのテンポの良さ、つい感情移入してしまう個々の人物造形、無駄がなくかつ必然性のあるセリフ回し等、書かれるべくして書かれた感のある“完結編”である。登場人物が絞られた分、一人ひとりが丹念に描き込まれており、個人的には前作よりも面白く読めた様な気もする。
「楊業は、あなたの祖父にあたる人です」
「いえ」
「なぜ?」
「私は、楊四郎の息子ではありません。石幻果の息子です。祖父は耶律休哥、祖母は太后様だと、思い定めています」
不意に涙ぐみそうになり、簫希姫は横をむいた。
自分と耶律休哥が残したものが、はっきりとしたかたちでここにある、という思いがくり返し襲ってくる。生きていた。闘った。それは無駄ではなかった。(終章「草原」より)
[2007年7月23日] この日の感想・書評へ→

鴨川物語
哀惜新選組
子母澤寛
小石の間をそちこちと縫って流れて行く水が白い糸のようである。その一筋一筋に東山の若緑がほのかに香をうつしてやがて京洛の春はたけなわになる。
その鴨川の三条河原に、よしず張りの東に向いた一棟、三つに仕切ってその三つに揃いも揃って、同じ髪結の床見世が出ていた。(「三人髪結」より)
昭和39年、子母澤寛が亡くなる4年前に当たる72歳の折に刊行された作品。新選組研究の原典・定本として、後世の作家・研究者が大いに恩恵を被った「新選組始末記」を発刊したのが昭和3年のこと。36年後になって、初めて長編小説の形で新選組を描いたことになる。
とは言ってもその存亡にスポットを当てる意図はない様で、三条河原で髪結いを営む三兄弟や、京を彩る花柳界の女達の目線から近藤、土方、あるいは敵方に当たる西郷、桂、伊藤(博文)、井上(聞多)等の事績と日常を紡いでいる。本来一番の見せ場である池田屋事件はさらりと触れる程度だし、山南の切腹や沖田の喀血に至っては全く描かれていない。そうした血なまぐさい逸話よりも、近藤らと芸妓達との色恋沙汰に重点が置かれており、新選組を題材にした小説としては異例の、飄々とした基調の作品である。
「兄弟三人、鴨の河原に見世を出し、こんな事になる迄は、そんなに長げえ歳月でもなかったが、これから先き、河原でのあれやこれや忘れる事も出来ねえだろう」
「はっはっ、鴨の河原の三人髪結、後世の人がどう伝えるかな」
「ろくな話では残るめえさ」
とろとろっとしたら、やがて夜が明けて、新選組の人達は俄に忙しそうに動き出した。(「或る雨の日に」より)
[2007年7月19日] この日の感想・書評へ→

雨の音
子母澤寛
千住から遠く奥州街道、中山道一帯に網を張って待っている。そこへ山の落武者がどんどんこっちから引掛かって行く。
あ、私の祖父も行く。血刀を下げたままだ。どうして、早くあの刀を鞘へ納め、も少し目立たぬようにしないのか。(「蝦夷物語-或る二人の敗走者」より)
子母澤寛は、彰義隊の残党である祖父・斎藤鉄五郎に育てられ、寝物語に徳川家に殉じて戦った無名の人々の話を聞かされ育った。本書は、そんな祖父ら敗者への温かい愛情が随所に感じられる珠玉の短編集。中でも「蝦夷物語」「厚田日記」は、上野の山の戦いで敗れた後から北海道・厚田での厳しい生活に至る祖父の足跡を、事実に沿って小説にまとめている。
実は私自身にも祖父にまつわる思い出がある。今から10年以上も前、夜中に何気なくTVをつけると、何と祖父(1972年没)を描いたドキュメンタリーが放映されていたのだ。えっ、何で?と思わず見入っていると、戦時中に華僑の行商という理由で官憲に目を付けられ、隣家の友人共々無実のスパイ容疑で拷問にかけられたが、官憲の中に心ある人がいて無実の祖父を助けてくれたという秘話があったのだ。隣家の友人は獄死したというから、かなり悲惨な目にあったのだろう。
このように、家族の歴史をTVで知るという稀有な体験をした訳だが、いずれ私自身の筆で祖父の体験を書き残しておきたいと思っている。
「おい戸谷、」
斎藤鉄五郎が思わず叫んだ。宮川愛之助も、福島直次郎も、平井枝次郎も、顔をおおってその辺へ転がるようにうっ伏した。新しいアツシの晴着をきて来てくれて棺を担いだアイヌ五人も、みんなぼろぼろ涙をこぼした。(「厚田日記」より)
[2007年1月 6日] この日の感想・書評へ→

風林火山
井上靖
「晴信の一字を遣わす。以後勘助晴幸と名乗れ」
と言った。おそろしく気前のいい青年武将であった。勘助は黙って頭を下げた。
「御礼を申し上げるよう」
板垣信方が近寄って耳打ちした。勘助は頭を上げると、
「有難い仕合わせでございます。この上は早く城取りの合戦をいたしまして、御恩に報いたいと思います」 と抑揚のない声で言った。(二章より)
来年の大河ドラマは「風林火山」。主役の山本勘助は、原作によれば「身長は五尺に充たず、色は黒く、眼はすがめで、しかも跛(ちんば)である。右の掌の中指を一本失っている。年齢は既に五十歳に近い」というかなり異相の軍師だが、その役を何と二枚目・内野聖陽が演ずる。まあ、山本勘助がどんな風貌の持ち主かを知る人は少ないから問題はなかろうが、かつて浜田雅功や武田鉄矢が坂本龍馬を演じたのに匹敵する位、イメージは違う。この配役の時点で、原作とはかなり違った内容になりそうな気配だ。
なお注目は、武田家の重臣・板垣信方役として、往年のアクションスター千葉真一が登場すること。近年は関根勤のものまねでしかお目にかかれなかったので、大いに楽しみにしている。
「月にいいだろうな、月に。毎年ここで観月の宴を張ることにしたらどうかな」
言われてみると、なるほど、この城から見る月明の夜の眺めはすばらしいものであろうと思われた。合戦とは凡そかけ離れた観月の宴のことを考えている信玄が、勘助にはやはり大きく頼もしく見えた。(十一章より)
[2006年12月 3日] この日の感想・書評へ→

中華帝国志
安能務
伝統的な皇帝の「治世」とは、そもそも天帝と社稷に捧げる「奉納芝居」であった。いや民衆は、その舞台(政治)に背を向けていたから、それは「観客不在の奉納芝居」と言うべきである。(序章(一)「連幇社会と請負国家」より)
「春秋戦国志」の続編とも言える、秦の始皇帝から清朝末期に至るまでの、約二千年に及ぶ中華帝国の治乱興亡を独自の史観で俯瞰した安能務の労作。栄光と挫折、出世と失脚、嫉妬と裏切り、そして士大夫や宦官たちによって王宮で繰り広げられる権謀術数のオンパレード・・・。中国大陸を舞台に、壮大なるワンパターンが延々と、登場人物だけを変えて何度も繰り返される様は、まさに哀しくも滑稽な人間行動の標本とも言えるだろう。
それにしても、権力を維持し自らの勢力を扶植するために、人間は何故かように愚かにも同じような行動を取るのだろうか。
だから基本的に中国の伝統社会では、支配者(皇帝)は税金を徴収する事の他に、なすべきことはほとんどなかった。しかし、そうした「お付き合い」は言わば、一種の「暗黙の了解」に基づいている。
そして、その暗黙の了解に皇帝がどう対処するかで、いわゆる「治乱」が分かれた。もし酷税苛賦、重課苦役が始まれば、易姓革命が胎動して、歴史の「興亡」の歯車が回り出す。(第五四章「体用の論理」より)[2006年11月29日] この日の感想・書評へ→

春秋戦国志
安能務
なんとか、史実を歪めることなく、浪漫に満ちながらも厳しい春秋戦国の壮大な歴史ドラマを、面白く物語ることが出来たら、と念じている。いや、事実もさることながら、その裏に潜む真実を写し出すことが出来たら、幸いこの上ない。(序章「初めに春秋戦国があった」より)
上巻の初版が1991年11月ということなので、かれこれ15年近く前に読んで以来の再読。分かりやすく歯切れ良い文体と、法治主義と皇帝権力の矛盾を追求した独特の歴史観、そして政治力学の論理を知り抜いた様な断定的な物言いは、例えば陳舜臣氏の労作「小説十八史略」とはひと味違う春秋戦国絵巻が展開されていて興味深い。
それにしても著者の安能務(あのうつとむ)とは、そもそもどんな人物なのだろうか?別の著書に記してあった著者紹介によると「1925(大正14)年、台湾生まれ。香港大学卒」とあり、数冊著書の紹介があった後「2000年4月逝去」と書かれたのみ。どの著書にもいわゆる「解説」が巻末に掲載されておらず、職業も風貌も、そもそも日本人かどうかも定かではない。個人的な背景や生き様を表に出すのをよほど嫌う方だったのか、作品だけで勝負という姿勢がある意味清々しい気もする。
暴君どころか、始皇帝は中国史に「進歩」の概念を導入した唯一人の偉大な皇帝であった。しかも彼が天下を統一して中央集権の帝国を築き上げたのは、ヨーロッパの世界にローマ帝国が出現する二百年ほど前のことである。つまり始皇帝の秦帝国は、世界史に出現した最初の法治体制と官僚組織を備えた帝国であった。(第六十五章「弾疽の痛」より)
[2006年11月15日] この日の感想・書評へ→

光武帝
塚本青史
名前を麗華と言った。彼らが噂するだけあって、涼しい目鼻立ちをした愛くるしい娘だった。劉秀が今まで目にした若い女たちの中では、一番心惹かれたことは確かである。
『陰麗華か!』
劉秀は、彼女を密かに心の内で思うことにした。(第3章「黄山宮(AD14年)」より)
漢王朝と言えば、王朝の創立期の「項羽と劉邦」の逸話が有名であるが、王莽の簒奪によって創立され15年間だけ続いた「新」王朝を挟み、前漢と後漢(漢と東漢)の二期に分かれている。そして光武帝は劉邦の血脈を引く地方皇族の一人で、言わずと知れた後漢王朝の創立者だ。この後漢に続くのが三国時代であり、劉備玄徳も劉秀同様漢王朝の末裔であった。
さて中国史を題材にした佳作の多い著者ではあるが、本書に関してはやや期待はずれといった感じ。物語の展開や人物設定、言葉遣いにいつもの緻密さがなく、それでいて随所に無駄なディテールが多くて分かりづらい。何より、主人公である劉秀(光武帝)や、彼を支える周囲の人物達に人間的な魅力が感じられなかった。もう少し物語的な脚色があっても良かったように思う。
光武帝は中国史上ではメジャーでありながら、小説の世界では意外に“未開拓”な存在でもあったので、著者がどのように描くのかなあと期待が大きかったのだが、ちょっと肩すかしを食った感じだ。
「王様には、即位のお心をお決めください」
朱佑は、開口一番そのように言った。
「即位だと。いったい何の位につくのだ?」
「皇帝でございます」
劉秀は面喰らった。(第19章「劉秀の即位と洛陽奠都」より)
[2006年10月15日] この日の感想・書評へ→

楊家将
北方謙三
「見事なものだ」 そう思わずにいられなかった。父への思いに、四郎は複雑なものを持っているが、戦場では、やはり息を呑むほど圧倒的である。あれが敵だったらと考えると、全身に粟が生じてくる。(第八章「遙かなる戦野」より)
日本では全く知られていない「楊家将」だが、中国では「三国志」「水滸伝」と並び民衆から絶大な人気を博している物語。ただ原典(楊家将演義)の出来がイマイチなため、中国では文学というより京劇の人気演目と位置づけられている。
さてこの“北方版”楊家将。宋の軍人として戦いに散った楊業一族を主役に据えた以外はほぼ原典から逸脱、その点では張飛を妻帯させるなどした北方版「三国志」同様、掟破りの北方ワールドが炸裂している。という訳で、本作を読んだだけで中国人と「楊家将」を論じたりすると、話が噛み合わないから要注意。
無論原典と違うからと言って、作者の創作手法を否定する気はさらさらない。絶対的に頼れる武将の父親と個性豊かな七人の息子、一族を取り巻く一癖も二癖もある武官・文官、さらには敵国の武将に至るまで全てのキャラがしっかりと立っており、「そうだ、男はこう生きねば」と雄々しい気持ちにさせられてしまう小説だ。
楊家軍に、六郎は出動を命じた。すでに、騎馬一千を含む八千が、総勢になっていた。 「楊業は敗れず。楊家は負けず。決して敵に敗れることはない。味方に負けたのだ。楊家軍は、敵に敗れてはいないぞ」 声が、あがった。出動、と六郎は低く命じた。全軍が動きはじめる。(第十章「やまなみ」より)
[2006年10月 6日] この日の感想・書評へ→

五郎治殿御始末
浅田次郎
この男は十三年の間、仇を探してきたのではないと直吉は思った。桜田御門の綿雪の中にずっと立ちつくしていたのだ。歩み出すことも、遁れることも、死ぬことすらもできずに、彦根橘の御駕籠のかたわらに、十三年の間ずっと立ちつくしていた。
金吾の腕をすり抜けて、雪の上に落ちた血の色の椿を握りつぶし、十兵衛は泣いた。(「柘榴坂の仇討」より)
明治維新後の激しく転変する世の中にあって、引きずってきた過去との折り合いの付け方に苦しむ男たちを描いた六つの短編集。“泣かせの”浅田節ではないが、時代背景を最大限利用しながら、ほろっと来させつつも爽やかな読後感を持たせるという、著者ならではの熟練の技である。文章もやっぱり巧いしね。
それにしても、武家政治の時代から四民平等の世へと急激に移っていった維新直後のこの時期。政治・行政の仕組みが激変したのは無論のこと、服装、髪型、暦、時間の観念、通貨等、暮らしの絶対的な基準と見なされていた様々なものがわずかな間に急変する世の中を生きるのって、一体どのような感覚なのだろう。
五郎治は始末屋であった。藩の始末をし、家の始末をし、最も苦慮したわしの始末もどうにか果たし、ついにはこのうえ望むべくもない形で、おのれの身の始末もした。
男の始末とは、そういうものでなければならぬ。けっして逃げず、後戻りもせず、能う限りの最善の方法で、すべての始末をつけねばならぬ。(「五郎治殿御始末」より)
[2006年9月25日] この日の感想・書評へ→

生きて候
安部龍太郎
政重は切れ長の目をひんむいて相手をにらみつけ、槍の穂先を腹に当てられたまま足を踏みだした。
凄まじい殺気に気圧された足軽たちは槍を構えたまま後ずさり、物も言わずに道を空けた。(第二章「地を叩きて慟哭す」より)
いくら忙しくても何とか暇を見つけて本を読んできたが、さすがにここ数週間は読書に浸る精神的余裕がない。ただこんな風に仕事に追われている時こそ、現世を離れ束の間時代小説に耽溺するのが良かろうと、たまたま古書店で目に付いた本書を手に取った。
主人公の倉橋長五郎政重は実在の人物で、徳川家康の右腕と言われた本多正信の次男に生まれながら、二代目将軍となる徳川秀忠の近習を斬り殺して出奔。途中朝鮮半島で慶長の役に身を投じるなど紆余曲折を経て、関ヶ原の戦いでは宇喜多秀家軍の先鋒となって徳川方と戦い、合戦後は秀家の助命に奔走した後、加賀藩の筆頭家老に迎えられ辣腕を振るった。まさに波乱の生涯である。金沢市の「藩老本多蔵品館」には政重の遺品などが展示されているらしく、もう少し早く本書を読んでいたら、先頃の金沢行の際に立ち寄れたのにと、少々悔しい思いをしている。
正純が勝ち誇った笑い声を上げた瞬間、政重の脇差が一閃した。
陣笠をはね飛ばし、返す刀で髷を両断すると、政重はぱちりと音を立てて刀身を納めた。
「あなたのせいで、多くの者たちが死んだ。笑いながら引き上げるとは、虫がよ過ぎませんか」(第十三章「義に殉ずるは」より)
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天下騒乱−鍵屋の辻
池宮彰一郎
「そこで権現様と、豊家の石田三成が思いついたのだ。天下を二分してもう一遍、戦するしかない。勝った方は敗者の領国を分け取りにしてふとる。ふとった奴原に天下人は城普請・町造りなどの課役を申し付ける。奴らが普請作事に費う金は農・工・商に廻って、暮らしを助ける。物余りの世に金が出廻って、戦景気は泰平の世にふんわり移る・・・・」(上巻「一張一弛」より)
日本三大仇討ちの一つと言われる「鍵屋の辻」の決闘を、肉体と肉体の個人的争闘ではなく、著者の出世作「四十七人の刺客」同様一つの“合戦”的視点で描いた作品。戦国の荒い気風がわずかに残る三代将軍家光の時代に、ホモセクシャルな横恋慕から引き起こされた刃傷沙汰が、旗本対外様大名の意地の張り合いへと発展、そこに戦国のカオス状態から泰平の世へのソフトランディングに心を砕く家康の隠し子・老中土井利勝の政治的思惑が絡むという、池宮作品らしい奥行きのあるストーリーである。
荒木又右衛門については名前こそ聞いたことはあったが、この仇討ちの結末や又右衛門の運命について全く知識がなかったため、最後の“結末=身の処し方”までを興味深く読み通すことができた。さすがにこの人の作品にはハズレがない。
「河合又五郎、みごとなり。よくぞ戦った」
又右衛門の手向けの言葉に、又五郎はかすかな微笑を浮かべると、ゆらり揺らいでばたりと前に突っ伏した。午後の日を受けて乱れた髪が光った。
「数馬!止めを!」(下巻「決戦」より)
[2006年7月30日] この日の感想・書評へ→

十時半睡事件帖 東海道をゆく
白石一郎
三太夫は肩を並べて歩き出した半睡と柏木のぶの二人の背中を睨みながら、
「まったくもう、手のつけられぬお人じゃわ」
と大きく舌打ちし、何やら怒ったように肩をひと揺りして歩きだした。
(絶筆)(「海の関所」より)
海洋歴史小説の地平を切り拓いた直木賞作家・白石一郎の遺作でもあり、TVドラマにもなった人気シリーズ「十時半睡事件帖」の最終作。迂闊にも2004年 9月に著者が亡くなられていたことを忘れていたため、本作の最後で‘絶筆’の二文字が目に飛び込んで来た時は思わず軽い眩暈を覚え、「そうだった、白石一郎は亡くなってたんだ・・・」と暗澹たる気持ちになった。「海狼伝」「海王伝」を読んで以来の一ファンとしては、もう二度と新作が読めないという事実に、一抹の寂寥感を禁じ得ない。そして本作における半睡と、“薄倖の未亡人”柏木のぶの行く末も大いに気になるところだが、これまたどうしようもない。
「この世で会いがたい人に会えば、その出会いを愛でて慈しむことが大切じゃというに・・・・それがわからぬ」
「会いがたい人に会い、これがそのお人と察しられるものでございましょうか」
「わからぬなあ。人はみな心の垢で眼がくもっておる」(「さつた峠」より)
[2006年6月 1日] この日の感想・書評へ→

龍馬(五)流星篇
津本陽
龍馬は懐手をして、しばらく考えていたが、やがて顔をあげていった。
「よし、きまったぜよ」
「どげな名じゃ」
「海より援くじゃき、海援隊じゃ。慎やんは陸より援くじゃき、陸援隊としいや」(「海援隊」より)
第一巻を読み始めてからちょうど1ヶ月が経ち、遂に最終巻を読み終えるに至った。海援隊の設立、いろは丸事件、イカルス号事件、最後の帰郷、大政奉還、そして運命の1867年11月15日、龍馬暗殺当夜の様子までが詳らかに描かれている。暗殺の状況は多くの書物やTVの歴史番組で繰り返し目にしているものの、約1800頁の長編を通じて龍馬の人生をたどり直した分、非業の結末に改めて心が痛む。満年齢で享年32歳。西郷らとは違って最後まで無血革命の目を探り続けた龍馬が、あと1年、いや半年でも長く生きながらえていたら、有為の人材の多くはムダな血を流さずに済み、明治維新はもう少し違う結末を迎えていたかも知れない。
龍馬は中岡とともに、新時代の扉をひらく先導者としてのはたらきを充分になしとげ、その結実を手中にすることなく、二個の流星のように宇宙のいずこかへ飛び去っていった。(「帰らぬ道を」より)
[2006年4月19日] この日の感想・書評へ→

龍馬(四)薩長篇
津本陽
「気の毒じゃが、おんしを殺さんかったら、俺が死ぬきに」
身動きのとれなくなった敵の頸骨を、龍馬は気合とともに押す。
骨の折れる鈍い音がした。
何者とも知れない浪人が新選組隊士六人に襲われ、そのすべてを倒したという噂は、京都の町人たちのあいだでひそかにささやかれた。(「浮き沈み」より)
神戸海軍操練所の閉鎖、師・勝海舟との別れ、再度の脱藩、薩長同盟、伏見・寺田屋での遭難、日本初の新婚旅行と言われるお龍との旅、ワイルウェフ号の遭難、小倉戦争への参戦等、龍馬の人生もいよいよクライマックスに近づいて来た。
さてこの津本版「龍馬」の特徴の一つは、忠実に龍馬の足跡を再現していることだが、もう一つの特徴は、“剣の遣い手”としての側面に光を当てていること。これまで多くの歴史家・作家によって龍馬は強かった、いや実は大したことなかった等様々な見解がなされているが、剣道・抜刀術の有段者でもある著者は、相当な遣い手として龍馬を位置づけ、随所にリアルな斬り合いの場面を挟んでいる。正面切って“剣豪・坂本龍馬”を描いた作品は意外とないので、龍馬ファンとしてはなかなか気分がいい。
龍馬は胸のうちで、どうしても薩長連合をなしとげさせねばならないと思った。
そうすれば新しい世がひらける、と想像するだけで、身内の血が踊るようであった。藩の枠をはずし、身分制度をとりはらう。中浜万次郎のいうように、四民平等のアメリカと変わらない生活ができるようになる。(「浮き沈み」より)
[2006年4月10日] この日の感想・書評へ→

龍馬(三)海軍篇
津本陽
龍馬は塾が神戸へ移ってのち、佐藤与之助にかわり、塾頭となった。しだいに数をふやしてくる諸藩からの塾生を統率するため、龍馬の指導力が必要となってきたのである。塾中には諸藩の藩士と、無頼浮浪のの徒といわれる脱藩浪士が入りまじり、塾頭が目をゆきとどかせていないと、いかなる騒動をおこすか、予想もつかない。(「波濤」より)
龍馬の人生をたどりながらあえてゆっくりと読み進めている本作も、いよいよ全五巻中の折り返し点を過ぎてしまった。神戸と京都を主な舞台に、時代は文久三年(1863)の正月から、翌年夏の「禁門の変」終息に至る約一年半。龍馬にとって「日本第一の人物」である勝海舟の一番弟子として、「神戸海軍操練所」創設のために東奔西走する傍ら、死に急ごうとする同志達を何とか一人でも多く塾に引き入れ、無駄死にさせまいと苦心する姿が描かれている。やがて妻となるお龍(りょう)に一目惚れし、国事の合間を縫って激しく逢瀬を重ねる様も、なかなか情感たっぷりで興味深い。
龍馬が我が神戸の地と深く関わりを持ったのは、本巻で取り上げられているわずか二年程に過ぎない。が、自分自身が慣れ親しんだ神戸の海を同じように龍馬も見つめ、遠い異国の地に思いを馳せていたと確信できるのは、実に喜ばしい限りである。
七月十九日の丑の八つ(午前二時)頃、神戸海軍塾の自室で寝込んでいた龍馬は、揺りおこされた。
高松太郎が、蚊帳の外から声をかけた。
「龍やん、東の空がまっかに見えるぜよ。京都で戦がおこったがじゃないだろうか」
龍馬ははね起き、浜辺へ走り出た。(「別離のとき」より)
[2006年4月 4日] この日の感想・書評へ→

龍馬(二)脱藩篇
津本陽
--この座敷で寝るがは、二度とないかもしれん--
行燈の微光のなかで、赤い砂壁をみつめながら、龍馬は亡き両親と祖母、お琴の俤に語りかけた。
「俺は明日の朝には出ていくぜよ。気儘者じゃき、高知にはおれん。どこぞで野垂れ死にするかもしれんが、そのときはお前さんらあに会えるろう」(「陽は蒼く」より)
土佐勤王党への加盟、脱藩、勝麟太郎(海舟)への弟子入りなど、文久元年から2年(1861-2)の末にかけて、時勢に大きく開眼して行く龍馬を描く第二巻。特に勝との邂逅なくして後半生の龍馬の活躍はなく、まさに“日本史を動かした出会い”と言っても過言ではない。ちなみにこの出会いの場面については、晩年の海舟が『氷川清話』で「坂本は己を殺しに来た奴だが・・・」と語っているが、龍馬にはそうした物騒な意図はなく、勝一流の法螺か記憶違いというのが今日の定説であり、本書もその立場で二人の出会いを描いている。
なお興味深いのは、通常の龍馬の年譜では文久2年12月5日に当時の政治総裁・松平春嶽を龍馬が訪ね、そこで得た紹介状を持って後日勝を訪問したとされているが、本書では咸臨丸で勝と共に渡米したジョン万次郎の口利きで、既に8月半ばには勝に弟子入りし、その後勝の添え状を持って12月5日に松平春嶽を訪問したと描いていること。確かに一介の浪人がいきなり時の政治総裁を訪ねるより、本書の流れの方が信憑性があるように思えるが、事実や如何に。
麟太郎は独特な威風をただよわす外見を備えている龍馬を見て、遠い土佐の激しい陽が照りわたる海を思い浮かべた。龍馬の顔は鍋墨を塗ったように黒く陽灼けしている。
平伏する二人に麟太郎は声をかける。
「そんなところでかしこまってねえでここへきな」(「追風」より)[2006年3月26日] この日の感想・書評へ→

龍馬(一)青雲篇
津本陽
龍馬は異国の力を象徴する、不気味に黒い船体を眼前にして、身内の血が湧きかえるような昂りをおぼえた。
−−やつらは、戦をしかけにきよったか。安閑無事にゃおれんぞ−−
辺りがしだいに明るくなってきた。(「黒船」より)
「竜馬がゆく」以来、本格的に坂本龍馬の生涯を描いた小説は久しく登場しなかった。その結果、坂本龍馬の人物造型は対抗馬を持たないまま、司馬遼太郎の描いた龍馬像に同一化している。そして今日の龍馬人気は、ひとえに「竜馬がゆく」によって形成されたものであり、この先も同書は、永遠の青春小説として読み継がれていくことだろう。
さてその国民的ベストセラーに対する本書の立ち位置はと言うと、架空の人物や事件が一切登場しない、史実に忠実な龍馬伝の創造ということになる。作者自身もあるインタビューで「僕は物語を作ることに、あまり興味がなくて、龍馬が実際にどのような動きをしたのかを調べていきました」と述べている位なので、しばらくは龍馬の生き様を正確にたどり直すことの楽しみを、全五巻の本書を通じてゆっくりと味わい尽くしたいものだ。
という訳で今回の「青雲篇」は、龍馬17歳のある夏の一日から、父・八平が亡くなる21歳の冬までの四年間が描かれており、江戸での剣術修行、黒船騒動などに彩られた眩しいばかりの“青い”龍馬が息づいている。
龍馬は財力も地位もないが、あり余る時間があった。彼は自分にいい聞かせた。
−−これから世間は変わってくる。しばらくは形勢を見ることじゃ。あわてちゃいかん。龍が雲を呼ぶにも、機をはからにゃいかんがじゃ−−(「浦戸の月」より)
[2006年3月21日] この日の感想・書評へ→

楽毅
宮城谷昌光
戦いは戦場にあるばかりではなく、平凡にみえる人の一生も戦いの連続であろう。自分が勝って相手をゆるすということはあっても、自分が負けてゆるされるということはない。それが現実なのである。相手にさとられないように戦い、それでこそ、敵の運命を司ることができる。真に兵法を知るとは、そういうことなのである。(第二巻「幽明の門」より)
三国志の英雄・諸葛亮孔明に「このような人物になりたい」と言わしめた、戦国時代を代表する名将・楽毅。今で言うなら、当代一の腕を持つ職人であると同時に、優れたマネジメント能力を備えた一流の経営者でもあるといったところか。そんな主人公を通じて、「人はいかに見事に生きるべきか」を主題としたのが本作である。
時は紀元前3 ̄4世紀の頃。弱小国である「中山国」の宰相の子として生まれた楽毅は、他国との圧倒的な国力差の下で苦心と工夫を重ね、将として奮戦するも亡国の憂き目に遭う。ただその後失意の中で暮らしながら己の器量を磨き続け、やがて弱小国である「燕」の将として大国「斉」を撃破、名将として大輪の花を咲かせその名を青史に刻む。そんな一人の男の“見事なる”生涯が、ゆったりと格調高いトーンで描かれている。宮城谷節炸裂の気品ある名作。
足を止めた楽毅は、雑踏をながめ、
「留学中のわたしは、人がみごとに生きることは、むずかしい、と考えたことがあった。それからおよそ三十年という歳月がながれて、わたしはおなじところに立っている。わたしはみごとに生きてきたのか、と、ここで問うつもりであったが、その問いの虚しさに気づいたよ」
と、微笑をまじえていった。(第四巻「望諸君」より)
[2006年2月12日] この日の感想・書評へ→

義経
司馬遼太郎
都には、貴族の栄華がある。
この物語は、そういう古い世のことだ。しかし人間の歔くこと笑うことは、いまもむかしもかわらない。(「寝腐れの殿」より)
一途で純粋で情けに厚く、こと戦にかけては誰にも負けない才能を持ちながらも、世間と自分の「常識」の間の決定的な乖離に気付かずに周囲から無用な誤解を招き、悲劇的な最期を遂げる義経。いわゆる判官贔屓という情緒的な想いではなく、十数年前に初めて読んだ時には気付かなかった義経の滑稽なほどの悲劇性が、今回は身にしみるほど理解できた。(自分では正確に把握しきっていないが、)残念ながら同じ社会的常識に欠ける(らしい)一人の人間として、かなりの親近感と同情を覚えながら本書を読み切った。
ついでながら、文庫本上下冊計800ページ強の長編でありながら、義経の都落ちから結末の討ち死までわずか2ページしか割かれておらず、それまでのペースからすれば唐突さは否めない。有名な弁慶の立ち往生にさえ一言も触れていない程だ。思うにこの幼児性の強い、愛情に飢えた哀れな戦の天才の末路を丹念に描くのが、作者としてもあまりに忍びなかったのだろう。
要するに頼朝の全存在は関東・東海の武士団の利益代表であるということであり、それ以外のなにものでもなく、そのことはかれは流人生活二十年を通じて知りすぎるほどに知っている。
ーーところが、義経はそれがまるでわからない。
ということが、いまや頼朝の憎悪になっていた。(「腰越状」より)
[2005年9月 4日] この日の感想・書評へ→

平家
池宮彰一郎
いまを去る八百四十年の昔。
遠い年月である。
時代区分を遡れば、近代・近世・中世を超えて古代に属する。桓武天皇が都を京に定めてより三百六十四年、平安期の末期に当る。
時は平治元年(一一五九)十二月、厳寒の候。(第一章「兵乱発起」より)
日本史は好きだが、源平の時代は苦手だ。とにかく平某、源某等似たような名前が多くて始末が悪い。清盛、義経、頼朝といった有名人はともかく、他の登場人物の相関関係まで頭に入りづらいため、どうも食指が進まないのである。ただ今回は、どんな題材でも独自の歴史解釈で面白く読ませる池宮版「平家」ということで、全4巻にチャレンジする気になった。
「祇園精舎の・・・」でおなじみ「平家物語」以来、とかく悪役として描かれがちな清盛であるが、本作では好意的に、腐った官僚体制に挑んで経済立て直しに苦心する孤独な英雄として描かれている。そして清盛vs.後白河法皇との丁々発止の心理戦や、大胆な知略で平家を絶滅へと追い込む義経の活躍等、小説的な見せ場も随所にあって飽きさせない。さすがである。
「長成・・・・・それで御諚はどうであった。誰を後継ぎと目された」
「それが・・・・・言うを憚りまするが、義経、と申されました」
「なに、義経?」
事の意外に清盛は鋭く反応した。(第十二章「山高ければ谷深し」より)
*池宮彰一郎のその他の本:
本能寺
[2005年8月15日] この日の感想・書評へ→

江戸の海
白石一郎著
「天涯孤独か・・・・いちどそんな身分になってみたい」
「どうしてです」
「家族を六人も抱えてみろ。どんなに煩わしいか、おぬしには判るまい。ましてや狭い国もとの城下町、侍ぐらしには体面やら体裁やら、身分の上下やら・・・・とにかく面倒なことばかりだ」(「勤番ざむらい」より)
歴史小説から民話風小説、海洋小説まで、まさに白石一郎の世界を一望できるかのような、味わい深い十編の短編小説が収録されている。
さて、最近古本屋で購入したばかりの本書。全編を十二分に堪能し、(ああ、さすがに巧い作家だなあ・・・)などと思いつつ、書棚へ置こうとして愕然とした。何と目の前に、全く同じ文庫本の「江戸の海」が、既に書棚の中に鎮座していたのだ。かつてどういう状況で、いつ読んだのか全く記憶にない。同じ本を敢えて二度以上読むことは多々あるが、全く気付かないまま二度目の通読をし、まるで初めて読んだかのように満足したというのは初めての経験だ。
女たちは亭主など忘れて、それぞれに逞しく生きている。
清二郎と軍次がどこで何をして生きていようと、もうこの島には何のかかわりもない。
女たちに知らせる必要もなければ、女たちも知る必要はない。
あの二人の勝手な男のことは、きれいさっぱり忘れることにしようと、理兵衛は苦笑しながら考えていた。(「夕凪ぎ」より)
[2005年7月24日] この日の感想・書評へ→

侍はこわい
司馬遼太郎
「ご寮人さん。申しわけないが、わいのは恋やない。好色や。せやけお、わいはこの好色の道に生涯を賭けてるでえ」
「ああ気儘人・・・・」
「そうや、この稼業がわかったか」
(「庄兵衛稲荷」より)
司馬さんが亡くなってはや9年。もう新作は読めないと諦めていたところに、昭和三十年代から四十年代にかけての、雑誌で発表されたまま書籍になっていなかった短編集がこうして文庫本として刊行された。ファンとしてはまさにうれしい限り。それもなぜ今まで書籍にしなかったのだろう、と不思議に思わせる程の秀作ばかりだ。時代的にも、司馬さんが直木賞を取った前後の、作家として上昇気流に乗りつつあった時期の作品であるから尚の事興味深いし、上方を舞台にした作品がいくつか含まれているのもうれしい限り。
来年のNHK大河ドラマも、山内一豊夫婦を描いた司馬さんの「功名が辻」に決まったことだし、ここらで久々に、若い頃読んだ数々の名作を読み返してみようかなあ、と思ったりもする。
「だいじなことを忘れていた。きいているだろうが、おれはこんど近藤周助先生の御養子になった。名も勝太じゃねえ」
「なんというの」
おえいは、別に興味はなかったが、はなしのついで、といった気持で訊いた。
「近藤勇というんだ」(「だたいま十六歳」より)
*司馬遼太郎のその他の本:
大盗禅師/城をとる話
宮本武蔵
新選組血風録
以下、無用のことながら
[2005年5月 2日] この日の感想・書評へ→

運命の剣 のきばしら
中村隆資/鳴海丈/火坂雅志/宮部みゆき/安部龍太郎/宮本昌孝/東郷隆著
「これほどの太刀が無銘ですかのう・・・・」
口惜しげな物言いに助平は小さく笑みを返した。
「むろん、品質の責はこの身が負いますがの。あとは大昔から太刀作りに命を懸けた幾千幾万の刀工が御身をお護り致しますのじゃ」
(第一話「敢えて銘を刻まず」より)
鎌倉末期の刀工、助平(すけべ、ではない、「すけひら」)によって生み出された一振りの名刀「のきばしら」が、室町~戦国~江戸~幕末~明治~昭和と歴史を縦断しながら流転していく様を、当代の人気作家七人が、それぞれの個性を打ち出しながら書き継いだリレー小説。執筆に先立ち何度か会合を重ねた上での連作とあって、顔見せ興業的な競作とはひと味違う読み応えあるアンソロジーに仕上がっている。
ただ、宮部みゆきの受け持ちパート「あかね転生」だけが、現実離れしたオカルトファンタジーとなっていたため、前後のリアリティある六作と比べ少々浮き気味なのが残念。無論ストーリー自体は面白いのだが。
龍馬も刀に魅入られたらしく、以蔵の手からもぎ取ると、庭に飛び出して二、三度素振りをくれた。
「確かにこいつぁ業物じゃ」
人の腕ほどもある松の枝をすぱりと両断し、しきりに感嘆の声を上げている。
「じゃけんど、おまんが言うように人を斬るために打った刀じゃなかぜよ。もっと真っ正直な気持でこしらえた、濁りのない品じゃ」(第五話「斬奸刀)
[2005年4月15日] この日の感想・書評へ→

全宗
火坂雅志著
「人の力で天命を変えるなど、不遜とは思われぬのか」
「いや、私は不遜とは思わない」
全宗は、きっぱりと言いきった。
「天命を変えられぬというのであれば、医家の仕事はあまりにむなしすぎる。そうは思われぬか、半兵衛どの」
全宗は相手の澄んだ目を睨むように見た。
風が、過ぎた。(第七章「湖国の風」より)
本書に出会うまで、施薬院全宗という人物の名も足跡も全く知らなかった。秀吉の側近(侍医)として「望むところ必ず達す」とまで言われ、絶大な力をふるった実在の人物である。過去読んだ太閤記をはじめとするいわゆる“秀吉もの”の中に登場していたのかもしれないが、全く印象に残っていない。が、この作品を通じて、医学への貪欲な迄の知識欲と権力への野心に満ちたアクの強い人物像が、しっかりと心に刻まれてしまった。まさに、
「本書の成功の第一要因は戦国時代を生きた数多くの人物の中から全宗を発見したところにある」と巻末の解説に書かれている通り。作家にとっては、まさに掘り出し物の歴史人物であったろう。
そして火坂雅志という作家についても、本書で初めてその実力の一端を垣間見た。読みやすさと、豊富な語彙に彩られた品の良さが並立しており、テンポ良く読み進めながらストーリーもしっかり頭に入ってくる。
秀吉とともに戦場で嗅いだ硝煙と血の匂いが、ふと鼻孔によみがえった。
(あの苛烈で、野心に満ち、獣のように強靱な魂で駆け抜けた我らの時代は終わったのだ・・・・・)
全宗は研ぎ澄まされたようなするどい光をふくんだ目で、闇の満ちた庭を見つめつづけた。(第十三章「帰去来」より)
[2005年4月 7日] この日の感想・書評へ→

華栄の丘
宮城谷昌光著
出目と太鼓腹という特徴をもったこの男の外貌はどうみても貧弱ではなく、さらに貴族であることをあらわす衣冠をつければ、大いにたよりがいのある容姿が出現するということになる。この男の氏名は、
「華元」 という。宋の国の大夫である。
(「天の章」より)
中国の春秋時代、当時大国だった楚と晋のはざまで苦しみながらも、詐術に頼ることなく礼節を重んじ、自らの信念のままに乱世を生き抜いた小国・宋の名宰相、華元の生涯をさわやかに描いた古代王朝譚。
やたらと難しい漢字や熟語ばかり出てきて、ちょっと読んでて疲れるなあというのが、初期の著者の作品を数冊読んで感じた私の率直な感想であった。ただ今回、「司馬遼太郎賞」を受賞したという本作品をたまたま読んだところ、難解な漢字や熟語表現満開の宮城谷ワールドは相変わらず健在だが、随分と読みやすくなった印象がある。もともと好きなジャンルだし、これならもっと読んでみようか、という気にさせられた。
漢字の勉強にもなるし・・。
長い籠城戦であった。
文公が荘王に屈したというかたちをみせずに、この戦いを終わらせたのは、華元の殊勲であろう。けっきょく宋は晋との盟約を破棄し、楚の盟下にはいったが、諸侯は援軍をださなかった晋に不実を感じ、宋の信義に驚嘆した。
ーーこういう国があったのか。(「華の章」より)
[2005年3月14日] この日の感想・書評へ→

本能寺
池宮彰一郎著
その儚い一生の間に、人間は何を為し、どのような足跡を残すか。
信長は、新しき世を自らの力で創造するには、おのれの一生では時間が足らず、とみた。
---生あるうちに、世のあらゆる既得権を打破・討滅しよう。さすればわれに続く者が新しき世を作る。(下巻「抜山蓋世」より)
旧弊と既得権打破への信念、行動の全てに対する強烈な美意識、そして天才的な先見性による中央集権的政治体制へのビジョン。これが本書における信長の生き様を貫くコンセプトである。そのため、様々な小説や歴史書でさんざん描かれてきた、奇矯で苛烈な独裁者とはひと味違う、ロジカルで一貫性のある理想主義者=信長、がここにはある。そして光秀叛逆の謎についても、(多少強引な気はするものの)これまでにない新たな回答が呈示されている。
ちょっと信長を美化し過ぎかも・・・と思わないでもないが、忠臣蔵を“合戦”という新たな視点で捉え直した「四十七人の刺客」以来、上質のエンターテインメントの中に独自の歴史・人物解釈を絡ませ続ける著者への期待は、今回も裏切られることはなかった。
「これで、楽に寝ねる」
一生は、苛烈の一語に尽きる。寝る暇を惜しんだ。
だが、それを悔いたことはない。天の与えた時は、余りにも短かった。志を遂げるに到らなかった。それも天運である。
志、満たすべからず、という。満つれば欠ける。満たされぬから信長の志は永遠である。(下巻「志、満たすべからず」より)
*池宮彰一郎のその他の本:
平家
[2005年3月 6日] この日の感想・書評へ→

項羽 騅逝かず
塚本青史著
乳母に促されて、その娘は出てきた。綺麗に結い上げた髪に、歩揺が光っている。淡い袿裳が、彼女によく似合っていた。戦場には不似合いな存在が、一輪の花になって佇んでいるのだ。項羽は、口元の小さな黒子が映えるその妖しい美貌に、思わず持っていた指揮刀を落としそうになった。(第六章 B.C.(208~206)年より)
項羽と劉邦の物語には、戦いには滅法強いが己を恃む心が強すぎる余り人心を掌握できず滅びた項羽、武人としては無能であるが周囲の力を上手に引き出して王位に上り詰めた劉邦、という古より類型化された構図がある。本作もその枠内にあるが、項羽の少年時代から書き起こされている点、また劉邦を遠景に配しその人間像をほとんど描かなかった点に新味を感じた。
結局項羽は、自分の欠点や滅びの要因に死ぬまで気づかない。己が弱いから滅びるのではなく、天の嫉妬によって滅ぼされるのだと結論づけ、死ぬ直前まで自らの“強さ”を証明しようとする。確かに、歴史の傍観者の立場で見れば愚かかも知れないが、本人にとっては幸せな死に様だと言えるだろう。死ぬ間際に過ちに気づいて臍を噛むより、自らに誇りを持ったままあの世へ行ける方が余程いいから。
「どうだ。判ったか。天帝は、儂に嫉妬して滅ぼそうとしておる」 鼻息の荒い騅が、相槌を打っているように聞こえてくる。 「項王の力に、天帝も羨みましょう」 部下の言葉に、項羽は笑う。 「なにを言っておる。天帝の力が儂に劣るものか。天帝の僻みは、虞姫に対してだ」(第九章 B.C.(202)より)
[2005年2月25日] この日の感想・書評へ→

遊撃隊始末
中村彰彦
八郎の右腕は疲れを知らず、刀の柄が血に濡れほとびていることにも気づかない。この間、八郎の胸にあるのは、
(おいらはまだ、こんなにやれる。こんなに戦えるんだ)
という、高笑いしたいような思いのみであった。(第九章「五稜郭の苔とならん」より)
最後の最後まで明治新政府を敵に回して戦い抜いた、伊庭八郎、林昌之助、人見勝太郎率いる「遊撃隊」の発足から最期迄を描き切った作品。「池田屋事件」の時のように華やかな上げ潮の時期を持つ新選組とは違い、遊撃隊の場合は発足当初から悲劇的色彩が色濃く、ひたすら死に場所を求めて戦う姿は痛々しく、哀しさに満ちている。にもかかわらず、ここに描かれている個々の人間模様自体は常に前向きで、粋で、男臭い。リアリティのある緻密なディテールの書き込みと、子母澤寛の作品を彷彿とさせる粋な科白回しが印象的。
「そうか。近藤さんも縄目の恥辱を受けたあげくに斬首されちまったし、かつておれとは悪所通いの仲間だった伊庭八郎も、もう虫の息だ。明日はいっちょう、生き残ったおのしとおれが、最後のいくさとはどういうものかを官賊どもに見せつけてやろうじゃねえか」
「うむ、是が非でもな」
勝太郎がうなすいて盃を返すと、土方はうれしそうに笑って悠然とそれを干した。(第九章「五稜郭の苔とならん」より)
[2005年1月30日] この日の感想・書評へ→

落日の宴 勘定奉行川路聖謨
吉村昭著
裁きを終えたかれは、居室にいる佐登の前にゆくと平伏し、ありがたや、ありがたやと何度も頭を下げた。佐登は大いに驚き、精神錯乱をおこしたかと不安になってただすと、かれは醜女のおかした事件を口にし、美しい佐登を妻にしていることがもったいない、と、さらに頭をさげつづけた。その姿に、佐登をはじめ居合わせた用人たちは、息をつまらせて笑った。(三)
幕末期の徳川幕府を主に外交面で支えた超一級の優れた官僚の足跡を、日記を思わせる丁寧さで丹念に描き切った上質の歴史ノンフィクション。主にロシアの使節プチャーチンとの、タフでシビアな外交交渉のやりとりが読みどころとなっており、図らずも交渉術のテキストとしても一級の作品となっている。
何より、吉村昭の淡々とした筆致の中に秘められた“静かな炎”の如き情感が、謹厳実直な中に骨太さを秘めた能吏・川路聖謨の生き様を見事に浮き彫りにする形となっている。濡れ場までが妙にぎこちなく、生真面目な調子で描かれているのが微笑ましい。文体が主人公に息を吹き込み、リアリティを増幅させた感のある興味深い作品。
かれは、これまで強大な権力をもつ井伊の鋭い眼を絶えず意識し、どのような罰が自分にふりかかるかという恐れをいだきつづけてきた。それが井伊の死によって消滅することに、深い安堵を感じた。
それと同時に、激動期に確乎とした政治信念をいだいていた井伊が必要不可欠の人物であり、それをうしなったことは国の大きな損失である、とも思った。(十)
[2005年1月 4日] この日の感想・書評へ→

壬生義士伝
浅田次郎
「許してくれ。わしは吉村を見殺しにした。一国と替えてでも殺してはならぬ、かけがえのない男の命を、見殺しにしてしもうた。とり返しのつかぬ退却をしてしもうた」
慟哭するわしを扶け起こし、子供は着物の袖で瞼を拭うてくれた。
「泣かねえで下んせ。南部も会津もこたびの戦には敗け申したが、決して賊軍ではござりませぬ。ともに義のために戦い申しました」(下巻/p.85)
大河ドラマで新選組にハマった高校生の長女にせがまれ、先月末に二人で京都に出かけた。高台寺から二年坂・産寧坂をぶらぶら歩き、霊山歴史館で「大新選組展」を観て、龍馬の墓参りの後壬生へ足をのばして前川邸、八木邸(新選組屯所跡)、壬生寺を見学した。特に八木邸の中は往時のまま残っており、今後小説を読む際に情景を浮かべやすくなるからありがたい。(但し不要な講釈付の見学料1000円は高すぎ・・・。)
この「壬生義士伝」も娘に薦められて読んでみた。いかにも「ハンカチをご用意下さい」的なので日頃は敬遠気味の浅田次郎ではあるが、結局きっちり計算通りに泣かせ所を素通りできず、電車の中で涙目になるのを隠すのに苦労した。「蒼穹の昴」には泣けなかったが、こちらはやられたって感じ。ただ、ここまで手の込んだ構成で泣かせるバリエーションを用意しなくてもいいのに、と斜に構えたくもなる。登場する子供達が皆あまりに賢すぎるしね。
でも、実際の吉村貫一郎って、どんな男だったのだろう?
此者之父吉村輩 身命不惜妻子息女ノ為ニ戦ヒ候 此行ヒ軽輩之賤挙ト言下ニ申及ビ候者 多々御座候ト雖 拙者熟々思料仕リ候処 此一挙 正ニ男子之本懐 士道之精華ト思ヒ至リ候
依テ拙者吉村貫一郎之士魂 南部一国ト取替申シ候 妄挙狂気ノ沙汰 譏ハ万々覚悟之上ニテ御座候(下巻/p.442)
[2004年12月19日] この日の感想・書評へ→

神々に告ぐ(上)(下)
安部龍太郎義輝が気の毒そうな目を向けた瞬間、前嗣の身に思いもかけぬことが起こった。義輝の胸中がこれまでになく明確に、まざまざと分かったのである。安部龍太郎の「戦国三部作」の第一弾。時代背景はちょうど信長の若い頃、剣豪将軍として名高い足利義輝の時代で、主人公は関白・近衛前嗣、敵役が松永久秀・・・と、こんな風に並べてみても、歴史好きでなければ、信長以外はあまりなじみのない顔ぶれだろう。それも主人公がお公家さんとなると、なおさらである。でもそこを最後まで読み切らせてしまう所が、作者の力量なのだろう。前回の「霍光」同様、マイナーな実在人物を主人公に据え、有名どころを脇に置いたスタイルの佳作である。 著者は、スケールの大きな伝奇小説の大家・隆慶一郎が、最後に会いたがった新進作家(当時)と言うのが出版社の売り文句であったが、天皇(帝)に神秘性を持たせ超能力と微妙に絡ませる辺りは、隆氏未完の大作となった「花と火の帝」を思い出させる。
それは察するとかおもんぱかるという程度のことではない。義輝が何を考え何を隠しているか、心の中が手に取るように読めたのだった。
(読心術か・・・・・)(第六章「将軍出陣」より)
「敵にも一人くらい気骨のある者がいなければ、戦はつまらぬものでござる。弾正どのも侘住まいなどなされず、手強き相手となって下され」*安部龍太郎のその他の本:「海神-孫太郎漂流記」
信長は馬にぴしりと鞭を入れると、雨に煙る都大路を蹄の音も軽やかに駆けていった。
久秀はふと、都への道をもっとも早く駆け戻ってくるのは、あの若者かも知れぬと思った。(第十二章「晴信造反」より)
[2004年10月 1日] この日の感想・書評へ→

霍光
塚本青史
もっとも霍光自身も二十五年ばかり前、匈奴征伐の英雄霍去病の異母弟という引きで、十余歳にして郎官の端くれに連なることができた。亡兄の威光をもって、皇帝のおぼえめでたいという負い目はある。だから不惑に手が届こうとする今日まで、決して奢らず、控えめで地味な生活を心がけてきたのだ。ましてや、他人の批判など、口が裂けても言えるものではない。(第一章「前(96~92)年」より)
主人公の霍光(かくこう)は、漢の武帝の全盛期に天才将軍とうたわれた霍去病(かくきょへい)の異母弟。皇帝の摂政として政治の実権を握った実在の人物で、同時代人として「史記」を後世に残した大歴史家・司馬遷や、中島敦の「山月記」で描かれた悲劇の武将・李稜がいる。とまあ、かくの如く補足説明が要る地味な人物が主役で、作品内でも特に魅力的には描かれていない。
ただ何の先入観も共感性も持てない対象だからこそ、著者の手でひとたび人物像に生命が吹き込まれるや、彼を取り巻くコップの中の嵐の如き当時の宮廷内の人間模様がリアルに眼前に呈示される。「王莽」の時と同様熱過ぎず冷た過ぎず、過剰な博識をひけらかすこともなく、登場人物との程よい距離感を保つ著者のスタイルは、歴史好きには読んでいて大いに心地よい。
天誅が下ったとした思えない。 皇帝を隠れ蓑にして、権力を振るってきた報いである。霍光自身は控えめにしてきたつもりであったが、夫人顕をはじめ、奢りは著しいと言わねばならぬであろう。霍一族が責められるのであれば、責任を取るのは大司馬大将軍を拝命し、位人臣を極めた自分しかない。霍光はそう思うと、瞑目した。そして、毎晩悪夢を見た。(第五章「前(74~68)年」より)
[2004年9月21日] この日の感想・書評へ→

隠し剣秋風抄
藤沢周平著
「血をふき取った懐紙を、左十郎の死体のそばに捨てると、甚六は立ち上がってあざやかな手つきで刀を鞘にもどした。 快い酔いが身体を駆けめぐっている。少し飲み足りないが、気分は上上と言えた。 『さて、次は稲垣の屋敷だ。ケリをつけてやるぞ』」(「酒乱剣石割り」より)
「隠し剣」シリーズ、孤影抄八編に続く九編の短編集。前回二冊分まとめて紹介しようとも思ったが、もったいないから二回に分ける事にした。
酒乱、偏屈者、好色漢、盲目の剣士など、今回も多士済々の“剣豪”がギリギリの場面で秘剣の技を繰り出し、己の尊厳と誇りを守ろうとする。その剣技の描写自体もちろん魅力ではあるが、そこに追い込まれるまでのプロセスが毎回変化に富んでいて飽きさせない。作者本人もあとがきの中で「小説の締切りは、たいていは苦痛と一緒にやって来るのであるが、その意味では、この中の何篇かはめずらしく楽しみながら書いた」 と記している。藤沢周平ほどの作家が楽しんで書いたのだ。読んで面白くない訳がない。
「奥富は、上意とひと言告げると、片膝を立てて抜き打ちに庄蔵に斬りかかった。坐ったまま庄蔵は捩るように上体をかたむけて、奥富の迅い剣をかわした。そしてかわされて前に傾いた奥富の胸を、眼にもとまらぬ小刀の動きで刺していた。蟇は死んで動かない虫は食さないという。庄蔵も、奥富初之丞が動きを起こすのを待っていたのである。庄蔵の剣はさながら鈍重な蟇が一閃の舌先で翔ぶ虫を捕らえたのに似ていた」(「偏屈剣蟇ノ舌」より)
[2004年7月17日] この日の感想・書評へ→

隠し剣孤影抄
藤沢周平著
「廊下の端に、堀が姿を現したとき、宗蔵もこちらから歩き出した。宗蔵が腰をかがめて、二人は擦れ違った。堀は立ちどまって、擦れ違った宗蔵を見ようとしたようだった。少し首をねじむけた姿勢のまま、堀は不意に膝を折り、前にのめった。」(「隠し剣鬼の爪」より)
「たそがれ清兵衛」に続き、次は「隠し剣」シリーズが映画化されると聞いて、久々に読み返してみた。何を隠そう、藤沢周平の作品は全編読破し終えた程の大ファン。ストーリーの面白さもさることながら、時代小説における文章の味わい深さと美しさでは、この人は文句なしのNo.1だと信じてやまない。情景描写の文章につい引き込まれてしまう数少ない作家である。
さてこの「隠し剣」シリーズ、剣豪ものの短編集ではあるが、主人公はいずれも何らかの形で生活に問題を抱えており、いわゆるスーパーヒーローは一人も存在しない。ただそんな等身大の主人公達が、この時を置いて他にないというギリギリのシーンで秘剣・魔剣を繰り出し、読者に胸のすくような一瞬のカタルシスを与えてくれる。
「十太夫は深ぶかと膝を斬られていた。手をあててみるまでもなく、伊部の一撃が骨を断ったと知れている。 --年寄って、前のようにはうまく跳べなんだな。 喘ぎながら、十太夫はそう思った。しかし跳びながら放った、鬼走りの詰めの一撃が、伊部の顔面を斬り割ったことはわかっている。」(「宿命剣鬼走り」より)
[2004年7月11日] この日の感想・書評へ→

新選組血風録
司馬遼太郎
「近藤はその頭上へ二ノ太刀をふりおろし、頭をたたき割った。刀は、うそのように相手の脳骨へ吸いこまれた。
(斬れる。さすがは虎徹だ。・・・・・)
ほとんど、手ごたえもない。しかも竹刀よりもはるかにあつかいやすく、撃ちのすさまじさは、胴田貫に似ている。
刀は、持ち手によって魔力をおびるものだ。
斬れる、と信じたとき、近藤はおそらく実力以上の使い手になっていた。」(「虎徹」より)
「司馬史観」という言葉がある。これは単に“司馬遼太郎の歴史観”という言葉以上に、司馬遼太郎がどう描いたかによって、歴史上の人物や事件に対する国民の評価が大きく左右されている“現実”を炙り出す言葉でもある。その一例が「竜馬がゆく」であり、「燃えよ剣」であろう。司馬の筆によって、龍馬は新しい時代の扉を開いた天衣無縫のヒーローとなり、土方は滅びゆく時代に殉じた哀しき英雄となり得た。同時に新選組も、維新史における安住の地を得たのである。
さて新選組を題材にした15の短編集という体裁を取った本書では、有名無名の隊士達の生き様が、小説的巧緻に彩られながらいきいきと描かれている。しかし全編通して読み進むにつれ、個々の楽器の音色が重なり合い、共に響き合いながら複雑な交響楽が奏でられていくように、やがて一本の骨太な“新選組史”が脳裏に編み上げられていくかのようである。
なおついでながら、大島渚監督の「御法度」は、本書中の「前髪の惣三郎」が原作となっている。
「あらためて加納惣三郎の顔をみた近藤と土方は、息をのむ思いだった。男で、これほどの美貌があるだろうか。
まだ前髪を残している。
眼が切れのながい単のまぶたで、凄いような色気がある。色が白く唇の形がうつくしい。 『加納君は、おいくつになられる』
『はい。十八になります』」(「前髪の惣三郎」より)
*司馬遼太郎のその他の本:
大盗禅師/城をとる話
宮本武蔵
侍はこわい
以下、無用のことながら
[2004年3月27日] この日の感想・書評へ→

新選組始末記
下母澤寛
「歴史を書くつもりなどはない。ただ新選組に就ての巷説漫談或は史実を、極くこだわらない気持で纏めたに過ぎない。従って記録文書のわずらわしいものは成るべく避けた。しかし近藤勇という人物には、ちょっと面白いところがあると思った。いい、わるいは別として、本当に憎めたり、本当に泣いてやったりの出来る人間である。」(巻頭言より)
今からちょうど30年前、1974年のNHK大河ドラマは下母澤寛原作の「勝海舟」だった。当時六年生だった私は、単純に「勝海舟」という字面のカッコよさに惹かれ、何の予備知識もないままなけなしの小遣いをはたいて上中下三巻の原作を購入した。攘夷とか、大政奉還とか、幕末ならではの用語の意味さえ知らない無謀な読書だったため、結局ほとんど内容を理解できなかったが、これがそもそも幕末史に触れるきっかけとなった。
さて本書は、当時まだ新聞記者だった著者が昭和三年に出した処女出版作であり、後の「新選組遺聞」「新選組物語」と合わせ新選組三部作として広く知られている。史実と巷説を新聞記者ならではの現地踏査と聞き取り調査によって再構成し、隊士達の生き様を客観的に描き出した実録であり、今や新選組研究の“原典”“定本”と呼んでも過言ではない。
何しろ本書が世に出るまで、新選組イコール“勤王の志士に群がる虎狼の如き人斬り集団”だと、大多数の国民は思っていたらしい。まさに新選組の歴史的評価を変える発端となった記念すべき書であった。
ついでながら、あの「座頭市」の原作者も下母澤寛である。
「剣戟閃めく中に、京の夏の夜は明ける。新選組が、壬生の屯所へ引揚げの時の沿道は見物の人をもって埋まった。沖田は幸に元気が恢復したので、隊士に看護されつつ歩いているが、藤堂は血だらけのまま釣台で運ばれ、永倉も全身血だらけであった。 隊は二列。近藤、土方は、微笑を含んで、あれ程の死戦をやったとは思われぬ程に落着いていた。 打合いのため、曲ったり、折れたりして鞘へ入らない刀は、みんな抜き身のままである。」(「池田屋事変」より)
[2004年3月22日] この日の感想・書評へ→

沖田総司(上)(下)
早乙女貢
「総司は走っていた。風が耳もとで鳴った。足もとから、雪が舞いあがり、ときどき、草鞋の足が滑った。 走りながら、かれは、うしろをふりかえった。罵り声が追ってくる。 『執こいなあ』 右手にさげた刀が、路傍の草を薙いだ。その刃はまだ血を吸ったことがない。」(「青年」より)
幕末の英雄で最も女性の人気を集めているのがこの沖田総司。写真が現存しないため、実際に美男だったかは定かでない。が、“若くして労咳に倒れた悲運の天才剣士”ということで、とりあえず美男でなきゃ絵にならないだろう。また様々な作家が新選組に多彩な光の当て方をしているが、無骨で一本気な近藤、冷徹無情な土方に対し、純情多感で明るい沖田という構図は、本書を含めほぼ誰もが踏襲している。血なまぐさい新選組の歴史の、一服の清涼剤といった感じか。
さて、会津の血を引く作者の早乙女貢は、維新史を敗者側から描く独自の作風なため、いわゆる維新の英傑は片っ端から一刀両断、勝海舟も山岡鉄舟も龍馬も晋作も皆ボロクソである。20代で初めてこの人の作品を読んだ時はさすがに(何やねん、この作者は!)と反発したが、明治維新を全く別の角度から見せられるのは結構新鮮な体験でもあった。こういう作家がいないと、会津藩の人たちも浮かばれないよなあ・・・と今は素直に思う。
「総司は抜刀した。黒猫は、それでも凝っとしていた。総司は蹌踉と近づいた。猫の一間ほど手まえまでいったが、刀をふりあげる気力もなく、よろよろと、その場に片膝をついた。 『斬れない、おれには斬れない』 総司の双眸には、絶望か悔恨か涙がいっぱいに盛り上がっていた。 おりえは総司の死に目にあえなかった。精のつくものを食べさせなければ、と、自分の着替えを入質しにいった留守であった。」(「落日」より)
[2004年3月17日] この日の感想・書評へ→

近藤勇白書
池波正太郎
「顔をあげて何かいいかけた沖田総司が顔をゆがめて、がっと血を吐き出した。 『あっ・・・・』 勇、愕然とした。 『そ、総司・・・・』 志士たちは廊下から階下へさらに二階の窓や物干場から中庭や戸外へ・・・・それぞれに脱出をはじめている。 『だ、大丈夫』 沖田は、勇の腕をはらい、よろりと立った。」(「戦火」より)
「新選組!」を初回から見続けていて、どうしても馴染んで来ないのが香取慎吾の近藤勇ではないだろうか。別に香取君の演技がどうこういうつもりはない。あまりに二枚目で愛嬌があり過ぎるため、これまで史実や写真で見聞きして来た近藤勇のイメージと、いつまでも重なって来ないのである。「もててもてて困っちゃうなあ」などと知人への手紙で自慢したほど男前だった土方と違い、実際の近藤はまさに鬼瓦みたいな顔なのだから。
それはさておき、本書は先に読んだ「幕末新選組」と同工異曲とも言うべき作品。局長としての生き様だけでなく、良き家庭人としての近藤勇が情感豊かに描かれているのがいかにも池波作品らしい所である。
「つねがとめる隙をあたえず、編笠を取った勇が、すっと立ち上ったかと重うと、もう、勝手口の外へ出ていた。 『あっ・・・・』 つねは、狼狽し、外へ走り出ようとした。 『かまうな。すぐに、また来る』 『あ、あなた・・・・』 はだしで走り出たとき、勇は植込みの向こうの枝折戸を開け、小さな門から出て行ってしまっていたのである。 この夕暮れの一時が、近藤夫婦の永別となった。」(「挽歌」より)
[2004年3月12日] この日の感想・書評へ→

幕末新選組
池波正太郎
「池田屋は間口三間半、奥行十五間の二階屋である。 中庭もせまい。この中で、三十対六の決闘がはじまったのであるから目も当てられない。 永倉新八は、近藤と共に二階へ駆け上った。沖田総司がこれにつづいた。(中略) かーっと新八の頭に血がのぼってきた。 『あせってはいかん、あせっては・・・・」」(「池田屋騒動」より)
今年のNHK大河ドラマ「新選組!」は、脚本が三谷幸喜、主演がSMAPの香取くんとあって話題性もあり、視聴率的にも好調な滑り出しとか。我が家の子供達も初回からの熱心な視聴者で、幕末フリークの父親としては蘊蓄をひけらかす機会が増え実に喜ばしい。土方役の男優のカッコよさもあってか、娘も新選組にハマったようで、私の書棚から司馬遼太郎の「燃えよ剣」を取り出し読んでいる真っ最中。父親としてはこの際、娘との話題作りのためにも新選組の生き字引になろうと、かつて読んだ本を幾つか読み返すことにしてみた。
本書は近藤・土方らに比べて地味ながら、池田屋事件の当事者でもあり、剣の腕前では新選組屈指と言われた永倉新八が主人公。壮絶な死を遂げた隊士が多い中、幹部クラスでは数少ない長寿を誇った人で、知られざる新選組の日常が今に伝えられたのも、この人が残してくれた記録のおかげとか。老境に達した後にも町のチンピラ達を震え上がらせた武勇伝が残っている。
「永倉新八あらため杉村義衛は、大正四年一月五日に世を去った。 行年、七十七歳の長寿をたもったのである。(中略) 息をひきとる直前、ふっと昏睡から目ざめ、枕頭にあつまる家族の顔を見まわしたのち、 『悔はない』 と一言、莞爾として永眠した。」(「落日」より)
[2004年3月 8日] この日の感想・書評へ→

海神-孫太郎漂流記
安部龍太郎
「腰帯の間にはさんだ地図が正しいのなら、その方向に懐かしい九州があるはずである。 唐泊の海ぞいの家で、母が孫太郎と仁兵衛の帰りを待っているはずだった。 (父ちゃん、どげんすりゃよかね。どげんすりゃ帰らるっとね) 心細さに泣きたくなった。孫太郎はまだ二十歳である。これほど過酷な状況の中で皆をまとめていくには、経験も力も足りなかった。」(「族長の首」より)
江戸時代半ば、突風のために乗っていた船が難破し、百日間の漂流の末に南国の島に漂着した水夫孫太郎が、島から島へと流転を続け、奴隷に身を落とすなどの苦難を乗り越えながら、一人前の男として成長していく物語。海洋冒険小説の大家である直木賞作家・白石一郎の作品を思い起こさせる、恋あり冒険ありサスペンスありの、いわゆる漂流譚の秀作だ。おまけに、あとがきを読むまでは全くのフィクションとばかり思っていたが、実は「南海紀聞」という実在の文献(孫太郎への聞き書きをまとめたもの)をベースに脚色を加えた歴史小説であった。へぇ~、孫太郎ってホントにいたんだ...。
それにしても、「関ヶ原連判状」「風の如く 水の如く」をはじめ、この著者の作品はハズレが少ない。
「父は嵐の海に落ちたのではない。人間としての尊厳を守り通し、最期の瞬間まで自分や母のことを思いつづけていてくれたのだ。 このことに孫太郎は大きな感動を覚えた。 (父ちゃんは海神さまにならしたとかも知れん) 人の弱さを克服した者は神になる。神となって生きる者の支えとなる。自分が窮地におちいった時に何度も救いの声が聞こえたのは、父が海神となって守っていたからにちがいない。」(「虹の旅人」より)
*安部龍太郎のその他の本:「神々に告ぐ」
[2004年2月27日] この日の感想・書評へ→

王莽
塚本青史
「『・・・この十二月一日をもって[始建国]の元年、一月一日とする。このようにして、天帝の威命を受けるものなり!』 王莽は朗々と自分が皇帝になる理由と、今後の施政方針を述べていた。冬の風が、長楽宮の回廊を吹き抜ける。細かい黄土が舞って、先の風景が霞んでいた。」(第五章「居摂・始建国期」より)
中国史の中で、“しんちょう”と呼ばれる王朝は、秦朝、新朝、清朝の三つある。そのうち始皇帝を祖とする「秦」、日清戦争などで日本との関わりが深い「清」の二者は知っていても、前漢と後漢に挟まれた短命王朝「新」については知らない人が多いだろう。
でも実は、始皇帝の「秦」も王莽の「新」も、わずか15年の短命王朝という点では変わらないのである。ただ戦国の覇者として中国全土を統一した始皇帝と、偽善者を貫いて王位を簒奪しただけの王莽とでは、歴史的な存在意義は天と地ほども違う。
という訳で、元来あまり食指がそそられそうにない歴史人物ではあるが、登場人物の造形の巧みさと、息苦しくない程度に緻密な史実的描写が生み出す重厚感で、一気に読まされてしまった。
良い歴史小説に当たると、日常の瑣事を忘れて物語に没頭できる上に、少し賢くなれたような気がするのがうれしい。
「旋回した漢兵は血刀を振りかざして王莽に斬りかかってきた。 切っ先が王莽の頸動脈を断ち切る。 敵の皇帝が倒れたのに、漢兵は外れた印爾を拾っただけでその場を去ってしまった。 『予の首を、持って行かぬか!』 王莽の声は、もう喉から出なかった。」(第六章「天鳳・地皇期」より)
*塚本青史のその他の作品:「霍光」
[2003年11月26日] この日の感想・書評へ→

宮本武蔵
吉川英治
「『・・・・・や?』 彼は、その位置のまま、身を巡らした。 円い筋のまん中に、立っている自分を見出したのである。 ---棒を。 と、先刻、愚堂がいっていたのが思い出された。その棒の先を地にあてて、何か、自分の周囲に迫ったと思ったが、この円い線を描いていたのか---と初めて今、気が付く。 『何の円?』 武蔵は、その位置から、一寸も動かず考えた。」(円明の巻「円」より)
仕事で使う資料として「バガボンド」を何冊か読んでいるうちに、久々に“吉川・武蔵”が読みたくなり、一気に読んだ。以前読んだのが13歳の時だったので、●十年ぶりということになる。
ディテールは当然覚えてはいなかったが、冒頭に引用した「円」の情景だけは、なぜか鮮明に記憶に残っていた。13歳の胸に、このシーンのどこがどう響いたのか覚えていないが、生意気盛りでもあるし、何となく悟ったような気になっていたのかも知れない。
それにしても、毎週NHKの「武蔵」を見ているが、ここまで原作と違うとは思わなかった。松岡クンの小次郎と違って、原作の小次郎って、ヤな奴だねえ・・・。
「波騒は世の常である。 波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。けれど、誰が知ろう、百尺下の水の心を。 水のふかさを。」(円明の巻「魚歌水心」より)
[2003年10月 3日] この日の感想・書評へ→

三国志(八)~(十三)
北方謙三著
「・・・名もなき老兵が、ひとり死んで行く。私の死など、いまの蜀にとってはそうあるべきなのだ」 「名もなき、老兵がひとり」 趙雲が目を見開いた。躰が痙攣している。それを、抱くようにして姜維が押さえた。啜り泣きを誰かが洩らした。 「泣くな」 趙雲は、まだ眼を見開いている。 「男の別れだ。さらば」 趙雲の眼が、静かに閉じられた。(第十二巻「老兵の花」より)
男の死をどう描くか。その一点のために三国志という題材を選んだのかと思われるほど、八巻以降は英雄達の死が次々と、見事に、美しく描かれていく。周愉、関羽、曹操、張飛、劉備、趙雲、そして諸葛亮孔明。英雄が一人また一人と消える毎に、作者の筆が冴えを増す。英雄過剰でやや息が詰まる前半とは違って、人物描写に余裕が生まれ、尚かつ焦点が少しずつ孔明に絞られていくせいであろうか。
「ほかに、書き残すべきことは、なにもなかった。 自分の生涯を、ふり返ろうとは思わなかった。人は生き、人は死ぬ。それだけのことだ。ゆっくりと、歩いた。部屋の中だ。 闇が、近づいてくる。その闇に、孔明はかすかな、懐しさのようなものを感じた。闇が、さらに歩み寄ってくる。 自分が、笑ったのがわかった。」(第十三巻「遠き五丈原」より)
[2003年9月23日] この日の感想・書評へ→

宮本武蔵
司馬遼太郎
「『武蔵は天才だが、しかし天才が往々にしてもっているいやらしさがある』 『もし宮本武蔵というひとがこんにち存生しているとすれば、私はこのように百里を遠しとせずかれのもとにたずねてゆくようなことは、決してしない』 武蔵の人間と人生が歴史のなかで凝固し、いわば人畜無害になっているこんにちこそ、私は安心してかれの生地へたずねてゆく。」(「その生い立ち」より)
NHKの大河ドラマ「武蔵」が、視聴率的に苦戦しているとのこと。初回からずっと見ている者として、それも仕方ないかなと思う。前半快調にエピソードを消化しすぎて、山場がなくなってしまったことも大きいだろう。もう既に小次郎との勝負以外に見せ場はなさそうだし、今後どうやって話を盛り上げていくのだろうか。
それと武蔵にお通と一つ屋根の下で暮らさせたり、「剣に生きるのはやめた」なんて軽々しく言わせるのもどうかなあって感じ。あくまで武蔵にはストイックに剣の道を究めてもらわないと、見る側のイメージが狂ってしまうもんね。
「武蔵は小次郎のおもう間合に入ろうとしたとき、一瞬で構えをなおした。両拳を右肩の上にかまえ、剣尖を天に突き上げた八双の姿をとった。このとき、小次郎のすさまじい初太刀が降りおちた。それが地面に達するときに跳ねあがれば武蔵もこの天才的技巧のまえに敗れざるをえないかもしれなかった。 しかし武蔵は、小次郎が初太刀をふりおろすと同時に跳ねあがり、右片手をもって四尺一寸八分の木太刀を振りおろし、小次郎の脳天をくだいた。」(「決闘」より)
*司馬遼太郎のその他の本:
大盗禅師/城をとる話
新選組血風録
侍はこわい
以下、無用のことながら
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三国志(一)~(七)
北方謙三
「『腐っているものを、除くということですね、この国から?』 劉備が頷いた。 『私と張飛を、その覇業に加えていただけませんか?』 言っていた。そう言わなければならないような気分に、関羽は襲われていたのである。天下を取るということについては、実感などまるでなかった。ただ、自分が考えつきもしないようなことを考えている人間が、眼の前にいる。人生は捨てたものではない、と思った。」(一の巻「馬群」より)
全13巻のうち7巻を読み終えた。ちょうど前半のヤマ場「赤壁の戦い」が終わったところなので、いったん区切りを入れたい。
作者はご存知ハードボイルドの巨匠。でも、吉川英治や横山光輝の作品に慣れ親しんできた大半の三国志ファンにとって、この北方ワールドはかなり異質な世界だろう。主立った違いだけでも、「桃園の誓い」は存在せず、劉備は短気で、実は張飛は乱暴者を演じている思慮深い奴で、呂布はめっぽう魅力的で、曹操は小男で、劉備は初回訪問でいきなり諸葛孔明に会えるし、孔明は赤壁の戦いで怪しい風乞いなどやらない。(三国志を知らない人には何の事やら分かりませんよね。)
他にも、登場するはずのヒロインが全く登場しないなど、“お約束”が随所で覆される展開に戸惑いも多いが、どうやらリアリティ重視で従来の三国志を編み直そうとの腹が作者にあるようで、確かにその点では「こっちの方が史実に近いかも」と思わせるリアルな洞察がある。熱さと乾きが入り混じったハードボイルドな文体も、たまに鼻につくものの、基本的にはハマった感じがする。
ただ、英雄としての存在感を持たせた登場人物があまりに多すぎるので、読んでて少々疲れる時もあるかなあ。(→「三国志」続きはこちら)
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海の夜明け【日本海軍前史】
白石一郎
私が生まれ育った神戸には、幕末の一時期ではあるが海軍操練所があった。坂本龍馬もここで航海術を学んだ。ほんの一、二年とはいえ、我が神戸の地で龍馬が青春期を過ごしたというのは、かなりうれしい事実だ。
そして神戸海軍操練所の所長が、咸臨丸の艦長も務めた勝海舟であり、その勝が洋式軍艦の航海知識を初めて身に付けたのが、本書の舞台となった“日本最初の海軍学校”長崎海軍伝習所である。
「ちょっと風変わりなのは勝麟太郎だろう。 旗本小普請組から抜擢されて伝習所へ入ったものの、勝は数学や航海術、測量術などが、あまり好きではなかった。・・・勝麟太郎の特色は伝習生達の苦情をよく聞き、相互の結束をかためさせる人心収攬の上手さにあった。」(「航海伝習」(二)より)
黒船到来で否応なく門戸を開かされた日本が、洋船を動かす知識も経験もゼロの状態から、わずか数年先に咸臨丸で太平洋横断を成し遂げる程の操船技術をどの様に身に付けたのか。その経緯が、若い水夫の成長物語と重ねながら生き生きと描かれている。
「『神よ、彼等を守り給え』とオランダ人教官の一人が、右手で十字を切る仕種をした。 その表情は真剣そのものであった。 しかしオランダ人達の心配は杞憂に終わり、観光丸は二十三日間という長い航海の末、ぶじ江戸の品川沖に着いたのである。 日本人による蒸気軍艦の初航海であった。」( 航海伝習」(十)より)
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大盗禅師/城をとる話
司馬遼太郎著
「梅にはまだ早い。 大内峠をこえて会津盆地におりてきたこの男が、若松城下にはいったのは、慶長五年正月の四日である。 馬に乗っている。」(城をとる話/冒頭)
書き出しからして司馬ワールドである。そうそうこのリズム、このテンポと独りうなずきつつ、物語に引き込まれてスラスラ読まされるのもいつものパターンだ。
それにしても、これまで読めなかった幻の作品が立て続けに二作も文庫で甦るなんて、中学一年で「竜馬がゆく」にハマって以来の司馬ファンとしては望外の悦びである。特に「大盗禅師」は、なぜか司馬さん本人が全集収録を拒んだいわくつきの作品。読者としてはなぜこんな面白い作品を?と思いたくなるが、その理由をあれこれ想像してみるのもまた一興かも知れない。
ともあれ、これを機に「竜馬がゆく」や「世に棲む日々」「燃えよ剣」などを無性に読み返したくなってしまった今日この頃である。
*司馬遼太郎のその他の本:
宮本武蔵
新選組血風録
侍はこわい
以下、無用のことながら
[2003年5月20日] この日の感想・書評へ→



龍馬の油断
幕末七人の侍
津本陽
出版社のPR文をそのまま記すと、「幕末維新の世にひと際光を放った七人の剣士たちの、それぞれの剣の道を枯淡の筆致で描く短篇集」ということだが、七人の内訳は坂本龍馬、陸奥宗光、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟、吉田松陰、そして中村郁蔵である。
さて、私もこれまでかなり幕末絡みの小説や評伝・史書の類を読み漁ってきたが、中村郁蔵なる人物に関しては全く見覚えがない。本書(「武術の天性」)では、1967年12月7日に京都で起きた「天満屋事件」の際、龍馬暗殺の黒幕として襲撃された紀州藩用人・三浦久太郎を警護した凄腕の紀州藩士らしいが、 Googleで検索しても中村の名は出て来ない。ふと思い立ち、天満屋事件を描いた司馬遼太郎の短編「花屋町の襲撃」を読み返したが、やはりその名はない。龍馬と松陰、そして「幕末の三舟」という維新期の有名人の合間に、なぜ無名の人物をわざわざ取り上げたのか?そもそも中村郁蔵とは実在の人物だろうか? 内容以外の面で妙に興味を惹かれてしまった。
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