人文/思想/歴史
時代考証にみる新江戸意識
大河ドラマ「新選組!」「篤姫」「龍馬伝」の実践から
大石学 編
従来、清河達は尊王、京都に残った近藤達は幕府側という図式が描かれていましたが、そうではありません。また、両者とも、攘夷を目的としています。では何が違ったのでしょうか?清河達は、浪士組という二〇〇人以上の軍事力が既にあり、朝廷から命を受けたのだから、すぐに攘夷戦争をすべきだと主張します。一方近藤達は、朝廷の命を受けた将軍が中心となって攘夷戦争をすべきだと主張します。つまり、目的は同じで、実現のための方法や道筋が違っていたのです。(四「『新選組!』剣術家集団の実像」より)
大河ドラマ「新選組!」「篤姫」「龍馬伝」の時代考証を担当した時代考証学会のメンバーが、江戸意識の変化に関する歴史学研究と時代考証とのコラボレーションの成果を紹介した一冊。“暴れん坊将軍”徳川吉宗の実際の足跡や、無知無学の無骨者として描かれがちな近藤勇の意外な人物像、現代社会との連続性を持つ江戸社会の真の姿、明治期から今日に至る龍馬像の変遷と実像など、幕末好き&大河ドラマ好きにとって興味津々のネタが満載である。巷の歴史研究家や作家による私見や推論ではなく、歴史学研究の手順を踏んだ専門家達の実地研究に基づく記述ばかりなので、読んでいても説得力と納得感がひと味違う。特に近藤勇については、同時代の地域史料や本人が遺した膨大な書簡を丹念に読み込んでゆくことで、これまでと180度異なる人物評価を導き出す可能性を大いに秘めていると感じた。
『龍馬伝』(第27回)で描かれた、武市半平太が切腹する前に龍馬が土佐に戻った話は創作です。あの頃の龍馬の動きを掴むことが難しいのです。考証作業のなかで、史実としてあったことを証明するのは簡単ですが、なかったことを証明するのは大変難しい作業です。
こうした状況下でどうやって龍馬らしさを出すか?お節介な龍馬が、ひょっとしたら土佐に戻って後藤象二郎を殴っていたかもしれない。そのような人間味溢れる龍馬蔵があってもいいかなと思います。(六「龍馬が遺したモノ!—ぼくの龍馬・わたしの龍馬・「本物」の龍馬—」より)
[2011年12月20日] この日の感想・書評へ→
白洲次郎 日本を復興させた男
須藤孝光
毎日、行動をともにすることで永山は、次郎が世間でいわれているような、剛腕にものをいわせて乱暴に事を進めるタイプでないことがよくわかってきた。
坐る椅子の数が決まっている以上、去ってもらわねばならぬ人が出る。そんなとき次郎は「そいつは辞めても食っていけるのか」と必ず訊いた。
浪花節かと思えば、自分には思いもつかないようなしゃれたセリフをさらりと言ってのける。若いころに世界を知ったからこそ、こうした人ができたのだろう。永山は自分に理解できないところで妙に納得した。(「ミイラになったミイラ取り」より)
「1946 白洲次郎と日本国憲法」に続くドキュメントノベル第2弾。時代背景的にも続編という位置づけで、日本の復興に果たした次郎の役割が活写されている。
まずは商工省の解体。1948年12月に貿易庁初代長官として就任するや、「白洲三百人力」と称された辣腕を振るい、電光石火の早業で汚職根絶等を成し遂げ商工省を改組。経済復興の原動力となる「通商産業省」を設立した。サンフランシスコ講和条約においては、調印前年の1950年に吉田茂の特使として訪米し、ロックフェラー三世やダレス国務長官らと会談して条約調印をお膳立て。調印当日には、吉田首相の演説草稿がGHQへの追従を並べたてた英文であることに激怒し、「晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝。自ら骨子を書いて日本語に変更させた上、奄美群島、沖縄、小笠原諸島等の施政権返還を盛り込ませた。また日本の電力事業再編に際しては、東北電力会長として東京電力との水利権争いを制し、福島県・只見川流域の電源開発事業を推進した。こうした史実の舞台裏が、前作同様リアリティのある会話を挟みながら分かりやすく描かれている。
ディテールには虚実織り混ざった感もあるが、楽しみながら次郎の足跡を追うのに格好の一冊。3.11からの復興を目指す今の日本にこそ、こんな男がいてほしい。
「あのとき、じいさんがゲートのところで…」。
そうつぶやいたきり、次郎は言葉を詰まらせてしまった。顔を伏せている。三人には次郎が泣いているのがわかった。かすかに嗚咽さえ漏らしているようだ。
—白洲次郎も人前で泣くことがあるのか。
宮沢は意外の感に打たれた。(「アワ・フレンド・ジャパン!」より)
[2011年12月 4日] この日の感想・書評へ→
灘中 奇跡の国語教室
橋本武の超スロー・リーディング
黒岩祐治
通常、名著と言われる作品はそれを受動的に自分の中に受け入れることしか考えないが、この表題付けは違う。自分の方からおこがましくも、能動的に名著の中に入り込んでいくのである。そして、自ら編集者の気分よろしく、章ごとに表題をつけていくのである。まるで自ら本の製作に関わっているような楽しさがある。
しかも正解がないから、自分がつけた表題によって自分なりの『銀の匙』に生まれ変わっていく。この瞬間から、『銀の匙』は恭しく奉っている“名著”ではなく、親しみあふれる自分なりの“作品”に変質していくのである。(第二章「自由奔放な授業」より)
中勘助『銀の匙』一冊を中学3年間かけて読み込むという、灘中の“伝説の国語教師”橋本武の授業風景と、手作りの「銀の匙研究ノート」のエッセンスを、かつての教え子である神奈川県知事・黒岩祐治氏が再現した興味深い一冊である。
橋本の授業スタイルは「横道に外れることこそ私の狙い」という言葉に集約されるだろう。百人一首の場面が出てくると授業中に百人一首大会をやる。駄菓子の描写が出てくれば皆で駄菓子を食べ、凧揚げの情景が出てくれば、美術の先生の協力を得て美術の時間に凧を作るetc.…。そうしてどんどん横道にそれていく中で、生徒それぞれが自主的に何かを感じ、自ら興味の赴くままに『銀の匙』という作品を深堀りしていくのだ。但し授業以外では、古典を含めた課題図書を読ませて毎月感想文を書かせたり、短歌を作らせて歌集を編んだりというハードワークも課すことで、多角的に国語力が身に付く指導も並行して行っている。
つまるところ、「自ら学びたい気持にさせる」というのが教育の真髄なのかも知れない。本書を読んで、灘中・灘高に対するイメージも少し変わった。
百人一首には恋の歌も多いが、そこに歌われた恋の意味をああでもないこうでもないと中学一年生相手に論じてみたところで、詮無いことである。それよりも、言葉の響きがなんとはなしに体の中にしみ込んでいく方が、古典としての百人一首に向き合う意義ははるかに大きい。しかも、もともとかるた遊びが百人一首の本来のあり方なのだから、みんなで暗誦してかるた大会に臨むことこそ、本来の百人一首の勉強法だと先生は考えたのであった。(第二章「自由奔放な授業」より)
[2011年12月 1日] この日の感想・書評へ→
戦後世界経済史
自由と平等の視点から
猪木武徳
現在、われわれが直面する難問の根底には必ず「価値」の選択問題がある。さまざまな価値のうち何を優先させるのか、それらにいかなる順序付けを与えるのかという問題である。社会科学でまず問題とすべきは、「自由」と「平等」という価値であり、この二つの価値の相克をどう解決するのかという問いかけである。本書の副題を「自由と平等の視点から」としたのも、そうした問題意識による。(「はしがき」より)
「2009年エコノミストが選ぶ経済書ベスト10」第一位、「週刊ダイヤモンド」の2009年「ベスト経済書」第二位、という書店の手書きPOPに惹かれて手に取った。堅い内容だが、文章が平易で読みやすい上に中身が濃い。
欧米諸国と日本の歩みを軸にしながらも、中国、東南アジア、インドと中央アジア、ロシアと東欧、中近東とアフリカ、中南米etc.…類書で省略されがちな国・地域まで含めた戦後経済史の歩みが、バランスよく、ツボを押さえた記述でまとめられている。また各国の経済史を挟む形で、冒頭に5つの視点(市場の浸透と公共部門の拡大/グローバリゼーションと米国の時代/所得分配の不平等/グローバルガヴァナンス/市場の「設計」と信頼)を提示し、結びで「機会の均等が進むとある時点で自由が侵蝕され始める」という「自由と平等の相克」について論じるなど、著者独自の問題意識もしっかりと主張。単なる教科書的な内容で終わらせない構成となっている。これほど中身の充実した新書を読んだのは久しぶり。
「平等化の進展は自由の侵食を生む」という問題は、人的資本の水準の低い国に起こる可能性が大きい。…(中略)…その意味では、人的資本の蓄積が不十分な(知徳の水準が不十分な)国でのデモクラシーは、「全体による全体の支配」を生み出しやすい。
この議論は、経済的に遅れた国だけを問題にしているのではない。先の暫定的な結論を拡張解釈すれば、日本のような経済の先進国でも、市民文化や国民の教育内容が劣化してゆけば、経済のパフォーマンス自体も瞬く間に貧弱になる危険性を示唆していると考えると、知育・徳育を中心とした教育問題こそがこれからの世界経済の最大の課題であることは否定すべくもない。(「むすびにかえて」より)
[2011年11月24日] この日の感想・書評へ→
不合理だからすべてがうまくいく
行動経済学で「人を動かす」
ダン・アリエリー著/櫻井祐子訳
わたしたちは不合理だからこそ、新しい環境に順応し、他人を信頼し、進んで努力を払い、子どもを愛することができる。こういった能力は、わたしたち人間のすばらしい、驚くべき、生まれながらの−−そして不合理な−−本質と、表裏一体をなしている(じっさいの話、環境に順応することも、人を信頼することも、仕事を楽しむこともできなければ、とてもみじめな人生になってしまう)。(序章「先延ばしと治療の副作用からの教訓」より)
「予想どおりに不合理」の続編。人の不合理性の「不都合な面」に光を当てた前著と対照的に、不合理性の「好都合な面」、即ち人が社会の中で生きていくのに必要な性質、という肯定的スタンスで不合理性を捉えている。取り上げられた不合理性の事例と結論は、自身でも思い当たる経験ばかりなので新たな発見こそないが、全ての結論が著者自らの実験結果に基づくため説得力があり、何となく「人ってそういうものだろう」と直感していたことを論理的に納得させてくれる。
そして最終章で著者は、「全身の70%に大火傷を負い、片腕を切断するか否かの決断を迫られた」という自らの悲壮な体験自体を、不合理性分析の思考実験対象として考察。読む側にも痛みが伝わってくる程のリアリティで、本書全体を見事に総括して見せた。この冷徹な学者魂には頭が下がる思いがする。
もしわたしが完全に合理的な、計算高い人間で、自分の腕に愛着のかけらももっていなかったなら、授かり効果や損失回避、現状維持バイアス、それに決定の不可逆性に悩まされはしなかっただろう。また義手をつけたら将来どうなるかを、正確に予測できたはずだから、医師と同じ目で自分の現状を見ることができただろう。…(中略)…だがわたしは、そんなに合理的ではなかった。だから腕を温存した。その結果、度重なる手術や不自由、頻繁な痛みに苦しむことになった。(第11章「わたしたちの不合理性が教えてくれること」より)
[2011年11月 5日] この日の感想・書評へ→
幕末のお江戸を時代考証!
山田順子
仁先生がタイムスリップした場所は、今はJR中央線の御茶ノ水駅と神田川をはさんでそびえ立つ大学病院で、江戸時代の恭太郎が襲われた場所が、小石川にある水戸家上屋敷の周辺です。水戸家の上屋敷は現代でいえば、東京ドーム、後楽園遊園地、中央大学理工学部、そして水戸家の庭園だった小石川後楽園などを含む広大なものです。
その後、仁先生がたびたび川を望みながら、現代に残して来た恋人の未来を思い出すことになる場所で、外堀(神田川)に面した現代の外堀通りと思われます。(第一章「小石川の大名屋敷」より)
人気ドラマ「仁−JIN−」の時代考証家による、花のお江戸の徹底ガイドブック。ドラマにおける実際の1シーン毎の細かいこだわりに加えて、幕末の江戸の町並み、人々の暮らしぶり、旗本屋敷と長屋の典型的な間取り、当時の職業の実態、芝居等の娯楽、さらには吉原で花魁と遊ぶための手順や費用の事まで詳しく解説してくれているので、ドラマのファンだけでなく、時代劇マニア全般にとっても楽しい読み物になっていると思う。
そもそも「現代の医者が幕末にタイムスリップする」という突飛な設定がベースのドラマなので、その分時代考証を含めたディテールまでがおろそかになると、全てが嘘臭くなって見る気がしなくなるもの。その点「仁−JIN−」が続編まで作られる程の人気を博したのは、キャストの魅力やストーリー展開の面白さもさることながら、場面毎にリアリティを追求する作り手側の真摯な姿勢が、随所に垣間見られたが故かも知れない。
ドラマ『JIN-仁-』で、ペニシリンの製造所が作られた場所を細かく特定していませんが、後援者となった銚子の醤油醸造業者・広屋の当主、七代目濱口儀兵衛が所有する醤油の保管倉だとすれば、日本橋の小網町か蛎殻町と推定されます。なぜなら江戸時代、この町には、銚子で製造された醤油が運ばれて保管された倉や、それを売りさばく出店があったからです。
しかもその伝統は現代まで続き、ヤマサ醤油の東京支店は蛎殻町に、同じ銚子のヒゲタ醤油の東京本社は小網町にあります。(第八章「日本橋の醤油倉」より)
(2011/9/28更新)
[2011年9月27日] この日の感想・書評へ→
思想としての3.11
河出書房新社編集部編
こうした原発事故の状況や情報を「隠蔽」したり「秘匿」したりする人は、そうすることによって「自分が一体何をやっているのか」が判っていないのです。一番大事なことが判っていない。把握できていない。自分だけが判っていて、パニックなり何なりを防ぐために情報を止める、と。しかし、その判断の根拠は一体何でしょう。自分が一体何をやっていて、どういう帰結を招くのか、どのような禍根を未来の人類に残すのか、彼は本当に「判っている」のでしょうか。(佐々木中「砕かれた大地に、ひとつの場処を」より)
「3.11」という未曾有の災害によって、人間が自然の振る舞いに対していかに無力か、自然の破壊力を「想定内」として片付ける姿勢がいかに傲慢だったかを改めて思い知らされた。その一方で、先が見えない原発の事故処理や放射能汚染の問題を前に、今日の都市の繁栄が実は相当脆弱なバランスの元で成り立っていた事実にも気づかされた。この度の災害は、多くの人々にとって暮らしと技術のあり方を見直す契機となったことは間違いない。
さて「思想としての」という大上段に構えたタイトルが付いた本書は、鶴見俊輔、吉本隆明、木田元など17人の思想家・哲学者が、各々の角度から「3.11」について述べた論考集である。率直に言って玉石混淆。新たな知見を与えてくれる一文もあるが、己が哲学的教養を披瀝しただけのマスターベーション的一文もある。せっかく日本中の誰もが共有できる普遍的テーマなのに、内輪の思想家同士にしか伝わらない難解な言説をこねくり回してどうするのだろう…。
自然とは、そもそも想定を超えたものであるよりほかはないではないか。わたしたちはどうあっても自然によって培われ、生きてきたのではないか。それを人間が想定できる範囲におさめることなどできないはずだ。想定外を強調する言説は、すべてを想定せよ、想定しないことは悪だというリスク社会的言説をまき散らす。だがそれは、あまりに自然に対して傲慢な姿勢ではないか。(檜垣立哉「自然は乱暴であるに決まっている」より)
[2011年9月10日] この日の感想・書評へ→
利他的な遺伝子
ヒトにモラルはあるか
柳澤嘉一郎
生まれつきセロトニンの分泌量が少ない人は、ちょっとしたことで不安を感じたり、興奮したりする。いわゆる心配性とよばれる人たちも、セロトニンが少ないと思われる。また、些細なことに文句をつけるクレーマーや、モンスター・ペアレンツなどとよばれる人たちも、セロトニンのレベルが低い可能性がある。さらには、反骨の精神に満ちた人たち、熱狂的な革命家なども、セロトニン不足であるのかもしれない。(第四章「ヒトを変える脳内物質」より)
約20年程前、R・ドーキンス「利己的な遺伝子」という本が話題になった。「生物は遺伝子によって利用される“乗り物”に過ぎない」という表現に、聞き覚えのある人は少なくないだろう。少々粗っぽいが、「Gene is selfish=遺伝子は利己的である」というのが同書の趣旨だ。
対する本書は「There is altruistic gene=利他的な(性質を持つ)遺伝子もある」との見解で書かれている。外敵から身を守るには「利己的な遺伝子」が不可欠だが、人間のように群れて行動する型の動物にとっては、他者と協調して利他的行動を取る方が生きやすく、パートナーを得て子孫を残すにも有利だから、世代を重ねる毎に多くの個体が「利他的な遺伝子」を受け継ぐようになった、という訳だ。確かに先頃の大震災をはじめ、自己犠牲の下に他者を救う行動を取る人の話を耳にする機会は多い。またチンパンジーや猿も傷ついた仲間を気遣い、著者の近くの動物園でもゴリラが空堀に落ちた少女を救った事例があったらしい。2004年のスマトラ沖大地震では、ゾウが人の命を救ったとロイター通信が報道した。人間の場合は「正義感」「使命感」という動機もあるだろうが、動物の場合を考えると、やはり「利他的な遺伝子」がある、と考える方が自然かも知れない。遺伝子レベルで、「性善説」は理に適っていたのである。
動物行動学の研究者たちが、動物の純粋な利他行動の存在を否定するのは、利他的な行動をとる個体は、進化の過程で淘汰されて、生き残れないと考えるからであるが、もし、利他的な遺伝子が母性愛の遺伝子に由来していて、現在も、母性愛の遺伝子から突然変異によって生じていると考えれば、あるいは、母性愛の遺伝子の一部が、いまだに利他的な遺伝子の働きを担っていると考えれば、利他的な遺伝子の淘汰は、気にしなくていいことになるだろう。(第九章「利他的な遺伝子」より)
[2011年9月 6日] この日の感想・書評へ→
日本の1/2革命
池上彰・佐藤賢一
池上 日本のほうがリーズナブルで、フランスのほうがやりすぎだった、という言い方もできるわけでしょう。日本も残り二分の一をやっていたら、大混乱になって収拾がつかなくなっていた可能性がありますよ。
佐藤 そうなんです。たとえば最後の将軍、徳川慶喜を処刑したりなんかしていたら、あるいは担ぎ出した天皇をどこかの段階で廃位してしまっていたら、だいぶ雰囲気が違ってしまったでしょうね。(第二章「『半分』だった明治維新」より)
日本史に「革命」はない。大化の「改新」や建武の「新政」、明治「維新」、GHQ「改革」はあっても、「革命」は起きなかった。最も革命のイメージに近い明治維新ですら、徳川幕藩体制から王政復古へと統治主体が一変したにも関わらず、「革命」と呼ぶには少々憚られる。その辺りの日本的な“不徹底性”を、フランス革命と対比して論じようと言うのが本書の趣旨である。対談するのは今を時めく解説上手の池上彰と、長編「フランス革命」を執筆中の直木賞作家・佐藤賢一。
日本史上の改革的な出来事は悉くフランス革命の“半分”で終焉した、というのが佐藤の持論。例えばフランス革命では王政を廃止して共和制を樹立した後、さらに王を処刑したが、明治維新では将軍は殺されずに済んだ。GHQ改革でも天皇は助命され、六十年代の安保反対デモや学生運動でも政権が覆る迄には全く至らなかった。いずれも革命と呼ぶには中途半端だ。
では民主党が政権を奪った今の日本はどうか。「どうせ何も変わらないさ」と思い続けて来た戦後の日本人にとって、「やればできる」という初めての経験であり、一種の革命に近い状況ではある。しかしいざ政権が替わったものの、既に国民の中には失望感が広がり、まさしく中途半端な状態だ。折しもその状況下で日本を襲った未曾有の大震災。世の中はどうなるのか、今の革命らしき動きが、この天変地異によって次の段階へ進むのか。本書に結論はないが、今の時勢を俯瞰する一つの視点が与えられた気はする。
池上 なるほど。とりあえず攻撃してみたら、あらら、パスティーユ落ちちゃった、どうしましょうと。
佐藤 今回の政権交代も似ていますよね。あれれ、民主党が勝っちゃった。どうしようと、そこから動きはじめた感じですよね。
池上 さきほど、日本人には「やればできる」の経験がほとんどないってお話をしました。今回初めて、「やればできるじゃないか」という感じに、ちょっとなったんでしょうか。
佐藤 ちょっとはなったかもしれないですね。しかし、やっぱり経験不足が響いています。(第四章「言葉の時代、あぶない後半戦」より)
[2011年8月28日] この日の感想・書評へ→
選択の科学
コロンビア大学ビジネススクール特別講義
シーナ・アイエンガー著/櫻井祐子訳
わたしたちは選択の結果だけでなく、選択の進化を通して自分探しをする、彫刻家なのだ。発想を変えて、選択が流動的なプロセスであることを受け入れれば、選択は、なりたくない自分をたたき壊す破壊の力ではなくなり、わたしたちを解き放つ、継続的な創造活動になるのだ。わたしたちはいま意味をなす選択、いま置かれている社会的状況の中で自分の必要を満たすような選択を行わなくてはならない。(第3講「『強制』された選択」より)
人生は選択の連続である。進学や就職、結婚といった人生の岐路は勿論のこと、仕事上や日常生活での細々した選択の積み重ねが、少しずつ運命の歯車を変えてゆく。それ故に人は選択の自由を希求し、豊富な選択肢の中から納得のゆく答えを選び出したいと願う。そのくせ、山のような選択肢が目の前に広がると人は迷い、困惑し、その結果占いに頼ったり、くじ引きやコインの裏表で答えを決めたりする。選択の自由を渇望するのも人なら、選択肢が多すぎると選べなくなるのも人。実に矛盾しているが、思い当たる人は多いに違いない。
食品店の試食コーナーに24種のジャムと6種のジャムを並べた時、6種の時の方が圧倒的に売上が多かった、というのが「ジャム研究」であり、この著名な研究で学者として名を馳せたのが著者である。戒律の厳しいシーク教徒の家に生まれ、幼い頃に視力を失った彼女は、選択の自由が少ない自らの境遇をバネにして、徹底的に「選択を科学する」道を選んだのだろう。マーケティングに携わる者なら必読の良書。
選択は、人生を切りひらく力になる。わたしたちは選択を行い、そして選択自身がわたしたちを形作る。科学の力を借りて巧みに選択を行うこともできるが、それでも選択が本質的に芸術であることに変わりはない。選択の力を最大限に活用するには、その不確実性と矛盾を受け入れなくてはならないのだ。…(中略)…選択の全貌を明らかにすることはできないが、だからこそ選択には力が、神秘が、そして並はずれた美しさが備わっているのだ。(最終講「選択と偶然と運命の三元連立方程式」より)
[2011年8月19日] この日の感想・書評へ→
ヘーゲルを総理大臣に!
小川仁志
私たちの生きる場である市民社会を支えるものが労働で、その市民社会の土台のもとに国家が成り立っているというのがヘーゲルの考えです。ということは、少し大げさにいうならば、国家を支えているものは労働にほかならないということもできるわけです。
そう考えると、働くということほど意義あることはありません。どんな仕事であれ、国家を支える土台の一部なのですから。(第11章「認め合うこと」より)
ブックカバーなしで四十男が読むには少々辛い表紙。内容も一口で言うなら、低成長や貧困化、就職難等で閉塞感を抱く若年層向けに、政府や社会に失望しているだけではダメ、社会に積極的に関わる生き方こそが新しい社会と国家を作り上げるんだよ、と説いている。第一部では「貧乏人は救うべきか?」「なぜ働くのか?」「家族に意味なんてあるのか?」「僕らは本当に自由なのか?」等々のテーマを、社会との関わりに悩む若者と著者との対話形式で問題提起。続く第二部ではヘーゲル哲学を元に、これらの議論を総括し解き明かしている。その骨子は「認め合うこと」「つながること」「生きること」の三つ。至って判りやすい。
ただ論点と論旨がシンプルに整理され過ぎたせいか、「何かヘーゲルっぽくないなぁ?!」という違和感が読み終えた後も消えなかった。
ヘーゲルは自由のことを「他在のもとにありながら自分のもとにあること」と表現します。他者にかかわりながら、その中で自分を維持するという意味です。自由というのは社会の秩序を無視することではけっしてなく、むしろその秩序に従いながら、現実を変えていくことなのだと。これは抽象的自由に対して具体的自由とも表現されます。
このようにいうと、「そんなのは本当の自由じゃない」という人がいます。これは自由と恣意とを取り違えているのでしょう。(第13章「生きること」より)
[2011年8月11日] この日の感想・書評へ→
語感トレーニング
日本語のセンスをみがく55題
中村明
なんと「普通においしい」はほめことばらしい。「三個年上」「一個若い」といった「個」の拡大用法、「わたし的には」のような「的」の無差別用法、名詞そのものをむやみに形容動詞化する「問題な日本語」「神戸な人」といった「な」の用法、…(中略)…「タバコのほう」「テレビとか見る」のような「ほう」「とか」のぼかし用法、「ラーメンになります」「以上でよろしかったでしょうか」といった店内の無意味な応対表現なども、伝統的な言語感覚の健全な保守層には〈新用法〉の俗っぽさを意識させる。(第3部「〈ことば〉のにおいを感じるために」より)
言葉を本当の意味で使いこなすには、単に事実を正確に伝える技術を持つだけでは足りない。「思い」と「想い」では相手に寄せる「おもい」が異なるし、「楽しみ」より「愉しみ」の方が、「喜び」よりも「悦び」の方がそれぞれ甘美な愉悦の匂いが漂う。「悲しみ」も、中年男なら「哀しみ」の方がしっくりくる。「些細」な違いに過ぎないが、こうした語感の違いにこだわるのは決して「瑣末」なことではない。ついでながら「こだわる」は元々「瑣末な事にこだわる」など負の語感を帯びていたが、今日では「味と品質にこだわる」など褒めるニュアンスが主流だ。
さてこうした豊穣な日本語表現の世界へ、楽しみながら深く分け入って行くためのガイド役を務めてくれるのが本書である。言葉のセンスを磨くためには、暮らしの中で意識的に語感に関する言語感覚を研ぎ澄ませる必要があるぞと、改めて胸に刻んだ次第。
「いつの間にか」という表現に特別の語感はないが、「いつか」となると若干〈抒情的〉に感じられ、「いつしか」「いつの日か」となるとそういう雰囲気がさらに強くなる。「そして」に比べ「そうして」は〈抒情的〉に感じられ、文脈によって万感の思いをひきずる雰囲気をかもしだすこともある。「町」に対する「街」にも、「感懐」や「追懐」といった漢語にもそういう雰囲気が感じられる。「昼過ぎ」には何の雰囲気もないが、「昼下がり」となると〈情緒的〉になる。「気持ち」に対する「心情」や、「行きずりの人」の「行きずり」もそれに近いだろう。(第3部「〈ことば〉のにおいを感じるために」より)
[2011年8月 1日] この日の感想・書評へ→
慶喜の捨て身
幕末バトル・ロワイヤル
野口武彦
こんな落とし咄がはやった。このたび長州ご征伐につき、江戸市中はもちろん、全国の天領、寺院にまで御用金を仰せ付けられて困っているという話を毛利大膳父子が聞き、「これも自分たちのせいだ」と責任を感じて上納を申し出たというのである。幕府がこれを許可すると毛利父子は大いに喜び「お聞き済み有難うございます。しかし無利息というわけには参りかねますので、手前どもは禁裏を頂きます」(第一部慶応狂瀾録「その六 将軍御進発」より)
前作「天誅と新選組」に続く、幕末バトル・ロワイヤルの第四弾。江戸時代最後の年号となった慶応年間の出来事が題材であり、大政奉還という乾坤一擲の勝負に全てを張った「慶喜の捨て身」と、その顛末が本編のクライマックスとなっている。
薩長による武力討伐を回避するべく、意表を突く形で自ら先手を打って将軍職を投げ出し、混乱の中で時間を稼いで政治の実勢を握り直そうと図った慶喜。しかし、一つの致命的な判断ミスによって彼の野望は潰えた。それは、反幕諸藩との正面衝突を回避するべく朝廷主宰の諸侯会議を欠席、主導権を岩倉具視の手に委ねてしまったことである。その結果欠席裁判の様な形で徳川家処分へと流れが大きく傾き、「王政復古の大号令」が発せられることとなった。まさに才子が才に溺れた形だ。
なおこうした歴史の本流以外に、物価高に激怒した民衆による打ち壊しや、「ええじゃないか」の流行等、幕末の世をしぶとく生きる庶民の息遣いもイキイキと描かれている。
幕府瓦解の主題旋律は、まずは社会の低温部の暗いざわめきから始まった。第二次征長に備えて、幕府・諸藩では兵糧米や軍需物資の大量買付を行ったため、典型的な戦時インフレーションが発生した。米・油・炭・薪など生活必需品の値段が騰貴する。とりわけ米価は記録破りに高騰し、五月には百文で一合五勺しか買えなくなった。前年の慶応元年にはまだ二合五勺は買えたのだ。(第二部幕府瓦解録「その一 江戸打壊し」より)
[2011年7月28日] この日の感想・書評へ→
日中国交正常化
田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦
服部龍二
このとき田中は大平に、「お互いに日中問題は解決すると国民に公約しているのだから、やるしかない。やろう」と語っていた。後年に田中は「中国へ出かける前の時点では、すべてが解決できるとは思わなかった」とも述べており、北京での交渉を楽観できずにいた。二階堂によると田中は、「私は死ぬ覚悟で来ている」とまで口にした。(第6章「田中訪中と『ご迷惑』スピーチ − 交渉第一日」より)
幼少期に華僑学校で学んでいた私にとって、1971年の日中国交正常化はある意味“革命”に近かった。学校を取り巻く世間の空気が明らかに変わったのである。中国政府の要人が頻繁に見学に訪れ始め、校内行事では「五星紅旗」が翻り、音楽の時間には「東方紅」等の革命歌が教材になり、「人民公社」「文化大革命」等の言葉が授業で登場する機会が増えた。何かと突っかかってきた他校とのケンカの数も減り、逆に学園祭等を通じて交流する機会が増えた。日中国交回復は世界的にも大事件だったが、市井のガキにとっても結構大きなトピックだったのである。今思えば少々異常な熱気が、当時の学校現場を取り巻いていたのだろう。
だからこそ40年経って、本書を通じてその政治的交渉の舞台裏をつぶさに知ることが出来たのは実に興味深い。特に主役を演じた田中角栄、大平正芳の言動から垣間見える、歴史的視点から来る政治家としての「使命感」は、昨今の短命内閣に最も欠けている素養かも知れない。
田中、大平の間柄は、毛沢東、周恩来の関係と同じではない。周が毛に重要局面で必ず了解を求めたのに対して、田中は大きな方針だけを示し、全権を大平に委ねていた。全幅の信頼を得た大平は、いくつもの困難な局面を打開した。田中に決断を促したのも大平であり、大平の役割は決定的だった。
田中や大平が優れた指導力を発揮したにせよ、外務官僚たちに頼るところは大きかった。すべてを首脳が決められるほどに現代外交が単純なはずもなく、詰めの作業は官僚に頼らざるをえない。日中共同声明の大半を書いたのは外務官僚である。(終章「日中講話の精神」より)
[2011年7月25日] この日の感想・書評へ→
社会主義への挑戦
シリーズ中国近現代史4
久保亨
戦後中国は社会主義に向かって進んだ。しかし第二次世界大戦が終了した一九四五年の時点では、中国は社会主義をめざしていたわけではない。国民党政権の下、アメリカを中心とする国際秩序の一角に自らを位置づけ、戦後復興をめざしていたのが、大戦終結直後の中国であった。いや実は国民党政権に代わって共産党が政権を掌握し、人民共和国政府が成立してからも、新民主主義という旗印の下、富強の中国をめざすことが呼びかけられただけで、社会主義は「遠い将来の話」 (毛沢東)だとされていた。(「はじめに」より)
今日の経済開放政策が本格化する1990年代まで、中国は「人民服」「毛沢東語録」に象徴されるバリバリの社会主義国家であったが、新中国成立を宣言した 1949年当初から早急な社会主義化を目指した訳ではなく、諸党派連合による新民主主義を目標に掲げていた。しかし東西冷戦の拡大、朝鮮戦争、台湾海峡の緊張激化、水面下におけるソ連との確執等を経て危機感を強めた結果、中国は急速な工業化による経済発展と軍事力増強を図るべく、社会主義実現へ向け大きく舵を切ることになる。
以後百花斉放・百家争鳴、反右派闘争、大躍進政策、市場経済の一部復活、文化大革命と、中国の社会主義は試行錯誤による蛇行を繰り返し、その煽りで莫大な人命が失われた。そうした迷走の根本には、性急に社会主義を断行しようとする毛沢東と、穏健な社会主義化を目指した多数派との党内抗争があり、その余震は 1976年に毛沢東が世を去るまで続くことになる。
鉄鋼生産という大規模な設備投資を必要とする工業生産について、わずか二年間で五倍化しようという計画は、計画の名にも値しない無謀な発想であったというほかない。しかし社会主義を掲げ、一五年後にイギリスを追い越すためには何でもやる、という毛沢東らの思いは本気であった。原料やエネルギー、労働力などを鉄鋼生産をはじめとする重化学工業部門に集中するとともに、後述するように民衆を動員し小規模な溶鉱炉を大量に増設するならば、目標を達成できるはず、と信じ込もうとしたのである。(第3章「急進的社会主義路線『大躍進』の頓挫」より)
[2011年7月13日] この日の感想・書評へ→
二人の兵法 孫子
永井義男
戦争は軽々しく行うべきではないというのは、「孫子」にも「孫ピン兵法」にも共通する考え方である。戦争は避けられないにしても、好戦的な姿勢は固く戒めている。ただ、戦争を積極的に評価する点では、「孫ピン兵法」のほうが主張が強いし、攻撃も重視している。これは時代背景の差であろう。 つまり、孫武が生きた春秋時代に比べ、孫ピンが生きた戦国時代のほうがはるかに弱肉強食の度合いが色濃くなっており、生き残るためには何よりも武力が大事だった。 (第三章「孫ピンの兵法」より)
「孫子」と言えば兵書の最高峰、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」等の箴言でも知られる古典の名著だが、歴史好きなら知っての通り、「孫子」と呼ばれた兵法家は歴史上に二人いる。一人は春秋時代に呉の軍師として采配を振るった孫武、そしてもう一人は戦国時代に斉の軍師として活躍した孫ピンである。全十三編からなる「孫子」の著者が二人のうちのどちらであるかは長年議論の的となり、孫武は架空の人物ではないかとの説もあったが、1972年に中国山東省で大量の竹簡が出土。その中に両者が著したそれぞれの兵書が含まれていたことから、二人の「孫子」が実在していたことが裏付けられ、二つの「孫子」が約一千数百年ぶりに地上で揃い踏みことになったのである。 この二冊を比較すると、「戦争は国家の一大事であり、軽々しく行ってはならない」という基本思想は同じだが、春秋の「孫子」ではマクロな戦略的視点で戦争の原理原則が解かれており、一方戦国時代に書かれた後者は、どちらかと言えばミクロな視点での具体的な戦術に比重が置かれている。これは偏に両者が書かれた時代背景の相違によるものだろうが、祖先(孫武)の想いを深く理解した子孫が実践的な戦術論を補ったと考えれば、時代を超えた合作と見なす事も出来て興味深い。
卒寡くして兵強きは、義あればなり。
厳にしてこれに利を示せ。
天地の間に間するもの、人より尊きはなし。
十戦して十勝するは、もっと善とするも、過を生ずるものなり。
将はもって義ならざるべからず。 (第四章「孫ピン兵法の金言名句」より)
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革命とナショナリズム
シリーズ中国近現代史3
石川禎浩
本書が扱う一九二五年から四五年までの歴史は、二大当事者である国民党と共産党の協力・対立を背景としているため、一つの歴史事象に相反する解釈がなされることが珍しくない。…(中略)…そして、そうした異なる歴史解釈が両党の関係が近くなったり遠くなったりすると一変再変するのだから、この二〇年の歴史を叙述するには、時々の国共両党の都合に合わせて改変されてきた歴史から、史実をひとつひとつ解き放つ努力をしなければなるまい。(「はじめに」より)
「革命なお未だ成功せず」の言葉を残した孫文の死から、抗日戦争終結に至るまで(1925-1945)が本書の対象時期。国民党と共産党が協力と対立を繰り返しながらも合作して日本の侵略に抗った20年であり、砂粒の様にバラバラで愛国心に欠けていた中国の民衆が、「抗日」の旗印の下でナショナリズムに覚醒していく20年でもある。近年の中国の過度なナショナリズムには批判的論調も多いが、そもそも中国のナショナリズムを作り出したのが日本であるという歴史上の経緯が、本書を読めばよく判る。
さて一般的には「『国民党vs.共産党』vs.日本」という構図で捉えられがちなこの時期だが、実は両党の他に直隷派、奉天派、安徽派と呼ばれる軍閥や、ソ連コミンテルン、日本の傀儡政権など、複数の政治勢力が虚々実々の合従連衡を繰り広げた興味深い時代であった。そして二度にわたる国共合作や張作霖爆殺、満州事変、長征、西安事件、盧溝橋事件等歴史の流れを変える重要トピックも多く、また蒋介石、毛沢東、張学良等食えない役者も揃っていることから、既に読んだ本シリーズの前2巻と比べ物語的な読みやすさも備わった一巻であった。
張学良は、蒋を拘束するや否や、一致抗日の意向を持つとみられる各地の有力者に呼応をうながすとともに、毛沢東らにも電報を発して蒋の拘束を伝え、協力を仰いだ。共産党は、張が何らかの行動を起こす可能性はあると予測してはいたが、まさかそれが武力による蒋の身柄拘束というクーデターになるとは、まったく予期していなかった。事態を理解できなかったのは共産党ばかりではない。東京はモスクワの陰謀であるといい、モスクワは東京の陰謀だといい、さらには蒋介石の死亡説も飛び交った。(第4章「帝国日本に抗して」より)
[2011年7月 2日] この日の感想・書評へ→
三国志
演義から正史、そして史実へ
渡邊義浩
曹魏を滅ぼして建国された西晋(265〜316年)の史官であった陳寿は、曹魏から西晋への革命が正統であることを示すため、三国の中で曹魏を正統とし、蜀漢・孫呉を曹魏の臣下として扱う必要があった。(中略)
また、旧蜀臣であった陳寿は、蜀という地域とその歴史を愛していた。…(中略)…陳寿は、蜀漢を代表する宰相として諸葛亮の忠義を強調し、諸葛亮と劉備との関係を関羽・張飛とのそれ以上に密接に描こうとした。…(中略)…『演義』に虚構が含まれるように、『三国志』の記述にも、陳寿が生きた西晋という国家のための、そして著者である陳寿の考えに基づく偏向が存在するのである。(「はじめに」より)
いわゆる「三国志」には、物語としての「三国演義」と、正史の「三国志」があることは衆知の通り。そして「演義」は虚構に過ぎず、「正史」の記述こそが歴史的事実だと思われがちだが、著者は本書の冒頭において、正史の成り立ちから否応なく生じる“偏向”をロジカルに指摘。その上で、一般に親しまれている「演義」を入口にして「正史」の記述を検討し、読み手を史実の世界へと誘う。そもそも正史は、決して“正しい歴史”という意味ではなく、前王朝を倒した後継王朝が、自らの正統性を後世に伝えるために残す歴史に過ぎないのだ。
本書によれば、暴君の董卓や優柔不断な袁紹にも意外な美点があり、劉備と諸葛孔明の間には知られざる葛藤があったと言う。また志半ばで非業の死を遂げた一介の武将・関羽が、なぜに「関帝」として世界中の中国人社会で祀られるに至ったのか、その経緯についても分かりやすい説明がなされている。ディープな三国志ファンなら、一度は読んでおいて損はない一冊。
『演義』の中で、関羽の義を示す虚構は多いが、最も見事な表現は、「義もて曹操を釈つ」である。史実に基づくものは、曹操から劉備のもとに帰参した事実であった。この両者に曹操が関わっている。しかも、「義絶」である関羽を史実において義と評した者は、曹操なのである。ここから『演義』の主役には、諸葛亮と関羽だけではなく、「奸絶」の曹操が書かせないことを理解できよう。(第五章「『義絶』関羽 神となった英雄」より)
[2011年5月29日] この日の感想・書評へ→
近代国家への模索
シリーズ中国近現代史2
川島真
清朝皇帝の退位にともない、二〇〇〇年以上にわたる皇帝制は終焉を迎え、共和制が採用された。立憲君主政体への模索はここでいったん潰えたが、皇帝制から君主を戴かない共和制への移行は、決して容易ではなかった。
袁世凱は、孫文から臨時大総統の職位を継承するにあたり、共和制を支持した。また、孫は臨時政府を南京に置くこと、袁が南京に大総統の職位に就くこと、臨時参議院の定める臨時約法を遵守することなどを求めた。(第4章「中華民国の国家構想と袁世凱政権」より)
日清戦争勃発の1894年から孫文死去の1925年までの約30年を対象とする、中国近現代史のシリーズ第2巻。紀元前から連綿と続いてきた王朝制の統治が終焉を迎え、共和制による国家運営が新たに模索されたエポックメイキングな時期でもある。前半部分がちょうど「坂の上の雲」の時代背景と被っているため、ストーリーを思い返しながら読み進めていくと、この時期が持つ歴史的な意味合いが頭に入りやすい。
さて本書を通じて、学生時代に習った中国近代史と異なる見解を二つ学んだ。一つは、辛亥革命において孫文が果たした役割というのが意外に大きくなかったこと。そしてもう一つは、かつて近代と現代の歴史的分岐点とまで位置づけられていた1919年の「五・四運動」が、今ではそれほどの評価を受けていないことである。また当時の中国政府が、自国の国際的地位向上を目指して、様々な国際会議で精力的な外交努力を重ねていた事実もよく分かった。
ともあれ、大学レベルの中国史の講義でも十分使用に耐えうるだけの、充実した内容を持つ新書であることは間違いないだろう。
総じて、本書で扱った三〇年は近代的な意味での「中国」の輪郭が、地理的、人的、政治的、思想的に育まれた時期だということができる。むろん、政党と政府、政党と軍隊の関係など、現代に継続するような問題は一九二〇年代以降の論点であろうが、それでもナショナリズムや主権、歴史の問題や正義の位置づけ、そしていわゆる民族問題など、現在へと連続する歴史的な事象が多くみられる。(「おわりに」より)
[2011年5月26日] この日の感想・書評へ→
はじめての政治哲学
「正しさ」をめぐる23の問い
小川仁志
では、反対にEUのような東アジア共同体が成立して、人口の上では日本は中国などに比べ、少数派になったとしましょう。今度は域内において日本人がマイノリティになるのです。そうなると、日本に不利な条件を課されることも頻繁に生じます。あるいは日本人のことを、「俺たちの邪魔をしやがって」という目で見ている人がいるかもしれません。 つまり立場が異なるだけで、こうも印象が異なるものなのです。いかがでしょう? マイノリティの気持も少しは想像できたでしょうか?(12「差異は共存しうるのか?−多文化主義」より)
昨年末、マイケル・サンデル教授による「ハーバード白熱教室@東京大学」をTVで見る機会があった。評判通りの面白さである。「富の分配」「戦争責任」等のテーマについて、複数の視点で学生同士を議論させ、全ての意見に的確な知見を挟み、徐々に聴講者を学問的高みへと誘導する。こんな授業が受けられるなら、もう一度学生をやり直してみたいと思う人も多いだろう(ハーバードに入れるかどうかは別として…)。
さて本家ハーバード大での「白熱教室」は、既にTV放映済で書籍化もされているが、幸い年末に集中再放送されたものを録画できた。そしてこれを機に「政治哲学」の基本を改めて知りたくなり、書店でオススメとなっていた本書を手に取った。
「正義とは何か」「人命救助は義務か」等の問いかけに沿って、リベラリズムやリバタリアニズムといった考え方を平易に紹介する構成。「もし日本人がマイノリティになったら」等々テーマ毎のつかみも興味深い。ただ今回の大震災の様な状況に直面すると、正義とは何か?、平等とは何か?、最大多数の幸福とは何か?といった問いかけの重さと、明確な答えを出すことの困難さが身に染みる。
もし仮に、日本が長年外国に占領されており、しかも権利も保障されず、日頃、自分たちの人権が虐げられているとしたらどうでしょうか?奴隷のような扱いを受け、濡れ衣を着せられては投獄される。子どもたちは学校に行くこともできず、食べ物もろくに手に入らない。そんな生活を余儀なくされていたとしたらどうでしょう。しかも政治の場面で改善を訴える道も閉ざされているとしたら…。 そんな人たちが武器を手に入れ、あるいは自らの体を武器にして、腐敗した政府に向かって立ち上がるのです。それがテロです。(23「テロに同情していいのか?−テロリズム」より)
[2011年3月16日] この日の感想・書評へ→
1946 白洲次郎と日本国憲法
須藤孝光
「あなたの英語だってそう聞き苦しくはありません。もう少し勉強なされば一流になりますよ」
ホイットニーの顔から、さっと血の気が引いた。二重にたるんだ顎が震えている。
「敗者であることを忘れんようにな」
「いま申しあげたとおり、私の任務は双方の連絡をとることです。そのためには立場を中立にしておかねばなりません。したがって、ことさら敗者の側に立つつもりもありません。もとより勝者の側には立てるはずもありませんが…」(「だれだ?」より)
戦後日本のブラックボックスとも云うべき占領期に光を当て、憲法改正問題に関する白洲次郎の一連の言動をドキュメントノベル風に描いた作品。吉田茂とのやりとりをはじめ、随所で交わされる会話の語り口にリアリティがあり、評伝の類とはまた違った趣がある。
「新憲法誕生の生き証人」と言われながらも、彼は生涯多くを語らず、保管していた多くの資料も、「墓場まで持っていく」と言いながら死の直前に燃してしまった。そんな中、GHQによる憲法草案の提示(1946/2/13)から、修正作業を経て日本国憲法草案が閣議で承認されるまでの動きを書き残した「白洲手記」は彼による数少ない一次資料で、全編漢字とカタカナで記されているが、唯一「今に見ていろ」の言葉だけが平仮名であった。「憲法は本来自分達の手で作られるべきものだった」という悔しさと抑えた憤りが、この六文字には込められているのだろう。
雨に打たれながら淡々と祝辞を述べる吉田を見るうち、次郎はいたたまれぬ気分にさいなまれた。昨年三月、手記につづった「涙」と、絶え間なく頬を打つ雨粒が重なる。
ー借りものの国旗で、借りものの憲法を祝うなんてまっぴらだ。
片手をポケットにつっこむと、次郎は吉田の演説が終わるのも待たずに会場を後にした。(「エピローグ」より)
[2011年3月 9日] この日の感想・書評へ→
高杉晋作の「革命日記」
一坂太郎
浅草に至り旗亭に上がり、皆で別れの酒を酌み交わす。小塚原へ行き、二十一回先生の墓に参り別れを告げる。千住に近づいた時、前方から馬に乗った者がある。近づいてみたら、桂小五郎だった。小五郎は僕が藩邸を発った時、ちょうど公用があって見送れなかったから、急ぎ馬を飛ばし、来てくれたのだという。千住の常州道・日光道の分岐点に着くと僕は、見送りに来てくれた人たちにこう言って感謝した。
「離情は尽きることがないが、ここでお別れしよう」(第二章「試撃行日譜」八月二十八日より)
高杉晋作といえば、巷の人気で坂本龍馬と双璧を成す維新史のヒーロー。「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」という伊藤博文の言葉に代表されるように、天才的な閃きで破天荒な行動を取る、奔放で型破りな志士としてのイメージが強い。
だがこの日記の中に立ち現れてくる高杉像は、藩主には忠義、両親には孝養を尽くし、己に厳しく自省的でかつ筆まめな教養人だ。あの「功山寺挙兵」や「下関海戦」を指揮した風雲児と同一人物とは思えない。「革命家」であり「忠臣」であるという矛盾した二つの顔を持つところが、維新期の大半を“浪人”として暴れ回った龍馬との違いであり、またそこが、高杉ならではの魅力ともなっているのだろう。
わずか27年8ヶ月という短い生涯の中で、彼は240余通の書簡、400篇以上の詩歌、そして6冊の日記を残した。そのエッセンスが340余頁の新書に巧く凝縮されており、高杉晋作を深く知る端緒としては必携の資料。
この日、終日閑坐してよくよく上海の形勢を考える。支那人はことごとく外国人にこき使われ、イギリス・フランス人が市街を歩けば、清人はみな傍らに避けて道を譲る。実に上海の地は支那に属すといえども、イギリスやフランスの属地といってもよい。北京はここを去ること三百里。そこには必ずや、中国の美風が残っているはずである。期待してこの地を訪れたら、ああ、慨嘆してしまうだろう。よって、呂蒙正が宋の太宗を、見聞を広めねばよろしくないと諫めたことを思う。
わが国といえども油断してはならない。支那だけのことではないのだ。(第五章「遊情五録」五月二十一日より)
[2011年3月 3日] この日の感想・書評へ→
第1感
「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい
マルコム・グラッドウェル著/沢田博・阿部尚美訳
どのジャムがおいしいか無意識のレベルではわかる。…(中略)…でもなぜそう思うのか、しかるべき言葉で説明しろと急に言われても、その言葉の意味がわからない。たとえば食感、いったいどういう意味だろう?これまでジャムの食感について考えたことなんてないかもしれないし、そもそも深いレベルではあまり気にしていない特徴なのかもしれない。だが今、食感という概念が意識に加わった。食感について考えてみて、ちょっと変かもしれないと判断する。もしかするとこのジャムはおいしくないのかもしれないと思う。(第5章「プロの勘と大衆の反応」より)
第一印象は結構当たる、というのは多くの人が経験則として感じている。また、テスト問題の選択肢で迷った時も、最初に浮かんだ答えを選ぶと正解だったりするケースが多い。こうした理屈ではない直感、瞬時の判断というのは意外と侮れないし、本書にはそうした「第1感」の普遍的な経験を、実証的に裏づける事例や研究成果が様々な角度から紹介されている。
例えば他人の心を読むことに長けた人は、相手の些細な表情や声のトーンなどから、瞬間的に何かを“感じる”能力に優れているのだろう。本書によると人間の顔の表情の組み合わせのうち、意味を持つものは約三千通りにも上るらしいので、その察知能力は文字通り理屈ではない。
「燃えよドラゴン」のブルースリーの名台詞にある通り、「Don't Think. Feel!」である。
すぐには信じられないかもしれない。私たちはまず感情を体験し、それから顔にその感情を出す(あるいは出さない)ものだと思い込んでいるからだ。顔の表情は感情のおまけ、というわけだ。しかし、このプロセスは逆方向にも働くことが実験で示された。感情は顔の表情から始まることもあるのだ。顔は内面の感情を表す副次的な表示板ではなく、寛恕のプロセスにおける対等なパートナーだったのだ。(第6章「心を読む力」より)
[2011年2月 7日] この日の感想・書評へ→
なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか
ダウエ・ドラーイスマ著/鈴木晶訳
老齢とともに、私たちはだんだん、ゆっくりと時を刻む昔の旅行用携帯時計になっていくらしい。歯車は、以前のように速すぎたり遅すぎたりということはなく、ゆっくりと規則正しく回るだけである。自分自身のずれを承知している人は、それを計算に入れて、以前と同じくらい正確に時を判断できるだろう。(第14章「なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか」より)
図書館で、タイトルに惹かれて思わず手に取った。誰しも感じている普遍的な問いであろう。そして答えは、本書によればどうやら下記の三つの複合体の様だ。
第一は「望遠鏡効果」。人は昔の出来事に実際より近い日付をつける習性がある、と実験で証明されているそうだ。
第二は「レミニセンス効果」。幼い頃は印象に残る“初体験”の出来事が多く、参照できる“時間標識”が多いため想い出せる事柄も多く、結果的に最近の事の様に感じてしまうというもの。(ちなみに私の場合、二十代前後の記憶は1985年の阪神の優勝が“標識”となり、多くの出来事がその周りをグルグル回っている。)
そして第三が「体内の生理時計のリズム」。歳を取る毎に体内メトロノームが減速していくという理由だ。
なるほど、納得である。ただ答えが解ったところで、年々速まる時の流れは如何とも出来ない。
人生の朝のうちは、人はまだその川よりも速く、川沿いを颯爽と走っている。正午ごろになると、スピードはいくらか落ちてきて、川と同じ速度を保つ。夜に近づくと彼は疲れ、川のほうが速く流れるので、彼は遅れていく。ついに彼は立ち止まり、川べりで横たわるようになるが、川はそれまでずっと流れてきたのと同じコースを、何事もなかったかのように、変わらぬ速度で流れ続けている。(第14章「なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか」より)
[2011年1月28日] この日の感想・書評へ→
単純な「脳」、複雑な「私」
または、自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義
池谷裕二
身体と魂の関係については、さらに仰天するような刺激実験がある。先ほどの実験と同様に角回を刺激する。右脳の角回だ。すると何が起こったか。
刺激された人によれば「自分が2メートルぐらい浮かび上がって、天井の下から、自分がベッドに寝ているのが部分的に見える」という。これは何だ?
−幽体離脱。
その通り。幽体離脱だね。専門的には「体外離脱体験」と言う。心が身体の外にワープするというわけ。(2-41「幽体離脱を生じさせる脳部位がある」より)
「進化しすぎた脳」同様、高校生への最先端脳科学の講義録。前著もやたら面白かったが、今回も期待を裏切らない。「脳は私のことをホントに理解しているのか」「脳は空から心を眺めている」「脳はゆらいで自由を作りあげる」「脳はノイズから生命を生み出す」の四章構成に沿って、脳科学最前線のエッセンスが日常の言葉で解説されている。高校時代にこんなワクワクする授業を受けてしまったら、きっと理系に進んだに違いない…そう思わせる程の巧みな講義だ。己の頭蓋骨の中にこれ程精妙にできた物体が入っているのかと思うと、その偉大さに改めて感心させられる。
脳科学的説明に基づく幽体離脱現象や、脳の“ゆらぎ”が行動を左右する仕組み、未来を予測しつつ身体に行動指令を出す脳の不思議etc.、人に話して聞かせたい話がぎっしり詰まっているが、あまりに中身が濃すぎてこちらの脳が飽和状態になってしまった。また著者の問題提起や質問に、的確かつクレバーな発言で切り返す高校生達にも脱帽である。
僕らの行動の大半は、過去の「学習」によって習得した「記憶」に基づいている。記憶を使ってつねに未来を読んでいる。
脳はいつも、未来を感じようと懸命に努力している。その結果として、「動いた」と感じてから、実際に「動く」というような奇妙な現象が生じているのだろうと思うんだ。(3-60「僕らは、行動の結果を想定してから動く−記憶は未来志向」より)
[2010年11月 1日] この日の感想・書評へ→
龍馬の手紙
宮地佐一郎
今朝永井玄蕃方ニ参り色々談じ候所、天下の事ハ危共、御気の毒とも言葉に尽し不被申候。大兄御事も今しバらく命を御大事ニ被成度、実ハ可為の時ハ今ニて御座候。やがて方向を定め、シュラか極楽かに御供可申奉存候。謹言。 十一月十一日 龍馬(「一一九 慶応三年十一月十一日林謙三あて」より)
龍馬は幕末の英雄の中で、屈指の筆まめだった。その筆跡は奔放な躍動感に溢れ、型にはまらぬ自由人・龍馬の面貌が滲み出ている。
本書は現存する手紙で最も古い父親宛(嘉永6年9月23日)のものから、亡くなる4日前(慶応3年11月11日林謙三宛 ※冒頭にて引用)の書簡まで全139通を時系列で収録。自筆の文は全て写真入りで、加えて文末に「船中八策」「海援隊約規」等の関連文書、及び龍馬自身が詠んだ和歌を併載。まさに人間龍馬の生きた証が一冊に凝縮された形だ。
勝海舟との出会い、神戸海軍操練所の創設、寺田屋事件、お龍との新婚旅行、馬関の海戦、いろは丸事件、大政奉還といった様々な出来事と重ね合わせながら一編ずつ丹念に目を通していくと、折々に龍馬が胸の内で感じた喜び、熱情、希望、焦り、困惑、孤独etc.の生の感情がひしひしと伝わってくる。
桂小五郎揮毫を需めける時示すとて
ゆく春も心やすげに見ゆるかな
花なき里の夕暮の空
伏見より江戸へ旅立つとき
又あふと思ふ心をしるべにて
道なき世にも出づる旅かな(「詠草四 和歌」より)
[2010年10月14日] この日の感想・書評へ→
清朝と近代世界
シリーズ中国近現代史1
吉澤誠一郎
清朝は、一八世紀末から、さまざまな政治的困難・社会的矛盾に直面していた。それが極まったのが、一九世紀半ばに連鎖的に発生する民衆反乱である。同時に、清朝が対抗しなくてはならなかったのは、近代世界の成立、なかでも西洋諸国の覇権と日本の台頭である。李鴻章は、まさに太平天国や捻軍といった反乱勢力を鎮定するなかで官僚としての権力を握ったあと、近代世界のなかに清朝を位置づけることを終生の課題とすることになった。(「はじめに」より)
今はもう違うようだが、かつて私の母校(神戸のとある華僑学校)では、小学三年生から社会科で中国史を教えていた。10歳に満たないうちから、テスト勉強で秦の始皇帝の事績(度量衡の統一や焚書坑儒ほか)や、阿片戦争後の南京条約の内容(香港割譲ほか)等を覚えさせられたわけだ。おかげで漢や唐の様な栄華を誇った王朝と比べて、清朝には「列強に食い物にされた情けない王朝」という暗い印象が強く刻まれている。そのせいか中国史に興味はあるが、清朝末期は読んで暗い気分になるから普段は食指がそそられない。
ただ新書の気軽さ故に本書を手に取ってみると、国内の争乱や列強の干渉に見舞われつつも、何とか自国の体制を立て直し、列強との交渉で少しでも有利な状況を導き出そうと努めた清朝の別の一面が見えてきた。ある事績の真の歴史的評価は、一定時間を置いて俯瞰しないと定まらないものだが、観る側の成熟度にも大きく左右されるのだろう。
一九一一年の辛亥革命ののち清朝が政権を失うと、勝った側の視点からさまざまな評価が清朝に与えられた。外国の侵略に対し何らなすすべもなかった腐敗堕落した王朝という見方は、実は辛亥革命を正当化するという政治性を強く帯びていたのであり、今日の我々がそのまま受け入れることはできない。(「あとがき」より)
[2010年10月 6日] この日の感想・書評へ→

孫子
浅野裕一
世俗で優秀なものとは、数多くの相い矛盾した性質を、一個の身体中に同時に備えているものを指す。航空機を例に挙げると、グライダーのように翼面積を大きくすれば、航続時間は増大するが、飛行速度は低下する。逆にロケットのように翼を小さくすれば、速度は増すが、今度は航続時間が低下する。そこで、速く、しかも長く飛べるという矛盾した性能を兼備したとき、それは名機と称賛されるのである。実社会で優秀であることの難しさは、ここにある。(第八章「九変篇」より)
読むたびに新たな発見がある、それが毎回「孫子」の様々な訳本に触れた時の感想だ。本文の解釈とそこから敷衍される解説の中味には、訳者毎の視座の違いと洞察力の深浅、読解力の優劣が否応なく顕れてしまう。これは偏に「孫子」が、戦争における普遍的な基本原則を語る書物であるが故であり、だからこそ読み手の方も自分なりの哲学を持って立ち向かわないと、単に字面を追うだけの浅はかな読書体験に終わってしまう。
スポーツであれば、百戦百勝できるチーム作りこそが最大の目標となろうが、ビジネスの場では、いかに戦わずして実質的勝利を収め続けるかが究極の目標となる。一つの大きなコンペを終え、つくづくと「戦わずして勝つ」事の難しさを想う今日この頃。
軽はずみに戦争を始めて敗北すれば、滅んでしまった国家は決して再興できず、死んでいった者たちも二度と生き返らせることはできない。だから、先見の明を備える君主は、軽々しく戦争を起こさぬよう慎重な態度で臨み、国家を利する将軍は、軽率に軍を戦闘に突入させぬように自戒する。これこそが、国家を安泰にし、軍隊を保全する方法なのである。(第十三章「火攻篇」より)
[2010年9月29日] この日の感想・書評へ→

昭和史 戦後編 1946-1989
半藤一利
そうこうするうち、いよいよ日本は講和条約を結ぶことになりました。何度も申しますが、朝鮮戦争のさなか、日本を早く独立国にして味方陣営に入れ込もうというアメリカの戦略を背景にして、条約は昭和二十六年(1951)九月八日、サンフランシスコで結ばれました。発効は翌年ですが、ともかくこの時から戦後の独立国日本がスタートします。そしてかたちとしては、親米的な、アメリカの傘下に入った、同時に重装備の軍事力を持たない「通商国家」として国際復帰することが決定づけられたのです。(第九章「新しい独立国日本への船出」より)
歴史というものは、一定期間を隔てて俯瞰しなければ正確な評価を下せないとされる。その意味では「昭和史」も、個々の出来事を表裏から客観的に評価しつつ、歴史全体における意味づけが定まるのは、せいぜい昭和四十年代迄かも知れない。そのため本書では一応終戦後から昭和天皇崩御に至る43年間を扱ってはいるが、本編550頁中300頁以上は占領下からサンフランシスコ講和条約に至る昭和二十年代の事象に割かれている。そして続く200頁以上は昭和三十年代の高度成長から四十七年の沖縄返還迄となっており、五十〜六十年代は駆け足でなぞられたに過ぎない。いずれ誰かが、「昭和元禄」と言われたこの時期を客観的に意味づけてくれるのだろうか。
ちょうど平成元年に所帯を持ったこともあり、昭和は我が身にとって、精神的にも戸籍上も“子供でいられた”甘美な郷愁に彩られている。本書はそんな昭和「後期」のお気楽世代にとって、自らの立ち位置を知るための良い読書体験となった。
翌四十七年(一九七二)五月十五日、沖縄の施政権が日本に完全に返還され、沖縄県が発足しました。戦後二十六年たって、ようやく一道一都四十二県が「四十三県」になったのです。考えてみれば戦後二十六年間もずっと沖縄がアメリカ占領下にあったこと自体おかしな話で、六十年安保で戦後の葬式を済ませたと前に言いましたが、そういう厳密な意味では戦後日本はやはり終わってなかったかもしれなかったんですね。実際は現在もまだ北方四島が残っていますが、これはソ連が相手ですから別問題となりまして、そもかくこの沖縄返還で日本の戦後は一応、終わったとみていいのではないかと思います。(第十五章「昭和元禄の“ツケ”」より)
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昭和史 1926-1945
半藤一利
歴史にイフはありません。けれども、中国国内も国連もそんな状態ですから、ここで日本がぱっと戦争をやめて天皇がいう不拡大の大方針を守れば、あるいは国際的大事にならなかったと思うんです。ところがそうはいかないんですね。新聞は煽るし、国民は喜ぶし、景気もよくなりはじめるし、軍は「こうなれば満州全部を取っちゃえ」という勢いになり、国際連盟がごちゃごちゃ議論をしている間に、ついに山海関という満州と中国本土の国境線、万里の長城がはじまる突端まで進出し、そこに日章旗つまり日の丸を立ててしまうのです。(第三章「満州国は日本を“栄光ある孤立”に導いた」より)
ここ数年来「昭和」がブームになって久しい。映画「三丁目の夕日」が話題となった前後から、経済が右肩上がりを続け、庶民が“豊かな明日”を信じられた古き良き時代として、肯定的に昭和を捉える論調が増えたようだ。といっても、懐かしさで語られる昭和はあくまで戦後、特に高度成長期以降だけ。大半の人々にとって、戦前から戦時中の昭和史は単なるエピソードであり、自国の近代史を体系立てて知らない事に何ら疑問を感じない人は多い。
ただそんな中、2003年に刊行(ハードカバー版)された本書がロングセラーとなり、遂には文庫化されたのを見ると、自虐史観でも皇国史観でもない、平易でニュートラルな「昭和史」を渇望していた人が実は少なくないのだなと判る。私も授業で教わらなかった戦前・戦時の昭和史を、本書で初めて体系的に知ることができ、読んで良かったと実感している。「歴史は繰り返す」の箴言通り、地続きとなっている過去を理解しなければ、「現代」の本質は見えてこないだろう。
昭和史は、一番はじめに申しました通り、日露戦争の遺産を受けて、満州を日本の国防の最前線として領土にしようとしたところからスタートしました。最終的にはその満州にソ連軍が攻め込んできて、明治維新このかた日露戦争まで四十年かかって築いてきた大日本帝国を、日露戦争後の四十年で滅ぼしてしまう、満州国はあっという間にソ連軍に侵略され、のち元の中国領土となるかたちで戦争が終わるという、昭和史とは、なんと無残にして徒労な時代であったかということになるわけです。(むすびの章「三百十万の死者が語りかけてくれるものは?」より)
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マンウォッチング
デズモンド・モリス著/藤田統訳
種としての人間は、技術的・知的にすぐれているが、身体活動という動物の特性までをも失ったわけではない。それゆえ、マン・ウォッチャーが関心をもつのは、こうした身体活動である。ヒトという動物は、しばしば自分の動作が、多くのことを表していることに気づいていない。ヒトは言語に重点を置きすぎるので、動作、姿勢、表情が自分を語っていることを忘れがちなのである。(「マンウォッチングとは」より)
人間観察に関する有名な古典的名著。「FBI捜査官が教える『しぐさ』の心理学」と同時並行で読んだが、こちらは600頁を越える大作なので少々時間がかかった。前者が“ウソ”を見破ることに重点を絞った内容であるのに対し、本書はもっと幅広く、社会の中で人々が示す身振り・手振り・眉の上げ下げ・縄張り行動・求愛行動etc.…、あらゆる何気ない人間の動作を観察し尽くしている。
拙い剣道の経験からしても、上級者と相対して竹刀を構えただけで、心の動きを悉く読まれる感覚に捕らわれたものだった。結局文明社会に生きていても、人間というのは百万年前の先祖と同じく、自らの感情や欲望を結構無防備に晒しながら暮らしているもんだなあ…、と改めて痛感させられた次第。
うそをつくもっともよい方法は、信号をことばと顔の表情にかぎることである。 …(中略)うそをつかなければならないのなら、電話で、あるいは壁越しにやりなさい。あるいは、針に糸を通すときや、自動車を駐車場に寄せるときにしなさい。 もし、身体の大部分が相手に見えたり、機械的作業をなにもしていないときに、うそを成功させるのなら、声や顔だけでなく、身体全体でうその動作をしなければならない。(「うそを見破る手がかり」より)
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FBI捜査官が教える「しぐさ」の心理学
ジョー・ナヴァロ/マーヴィン・カーリンズ
足と脚は、人類の進化を通して生き残りに直接かかわる重要な役割を果たしてきたから、体の中で一番正直な部分だ。注意深く見守る観察者に、私たちの下肢は最も正確な生の情報を伝えてくれる。うまく利用すれば、あらゆる状況で、この情報が人の心を正確に読み取るのに役立つだろう。(第3章「ボディー・ランゲージへの第一歩を踏み出す」より)
「人間ウソ発見器」の異名を取る元FBI捜査官が、わずかな身体の動きやしぐさ、顔の表情から「心を読み取る」方法を明かした一冊。人のウソを見抜く手がかりが満載で、読み進めるうちに、つい街なかで人の動きを観察したくなる。特に「顔が一番のウソつきで、足こそが一番正直者」という説明は興味深い。緊張、ストレス、恐怖、心配、警戒、退屈、不安、歓喜、苦痛、当惑、自信、怒りといった様々な感情は、全て足を通じて無意識に外へ現れており、大半の人がその事を自覚していない。そのため取調の際に著者は、まず最初に容疑者の足に注目し、そこから少しずつ観察の対象を上に移していくそうだ。
但し何事も生兵法はケガの元。「ウソを確実に見抜ける手がかりはなく、ひとつの手がかりでウソだと断定してはならない」という著者の忠告こそ肝に銘じるべきである。
私は、テーブルにこぶしを叩き付けながら、「私はやっていない」とウソの宣言を叫んだ人を、見たことも聞いたこともない。よく見るのは弱々しく強調のない発言で、身振りも同じく小さい。ウソをついている人は、言っていることに対して自信も責任ももてない。考える脳(大脳新皮質)は欺くために言うことを決めたが、情動脳(大脳辺縁系−脳の正直な部分)はその策略に肩入れしないから、(身振りなどの)ノンバーバル行動を使って言葉を強調することもない。辺縁系の感情を打ち消すのは難しい。(第8章「ウソを見抜く」より)
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考える力が身につく社会学入門
浅野智彦・編著
現在進んでいるのは、この諸集団の安定性が徐々に崩れていく過程です。テンニースが述べたような変化を「古典的な個人化」と呼ぶならば、現在起こっている変化は「第二の個人化」とでも呼ぶことができるものです。第一段階の個人化が、人々を伝統的な共同体から引き離し、都市部において形成された新しい小共同体に支えられた個人に変化させていく過程であったとすると、第二段階ではそのような小共同体自体が流動化し、個人はそれに支えを求められなくなっていくのです。(第1章「社会学でわかる『私』という存在」より)
「社会学入門」と題する本はいろいろあるが、「社会」を「学」ぶ「入門」書という意味では極めて取っつきやすい一冊。考察対象となる社会を「私(という存在)」「人間関係」「家族」「会社と仕事」「文化・流行」の五つの断面に分け、「自分探し」「就活/婚活」「少子化」「雇用」「自殺」「マイブーム」「スピリチュアル」といった、世相を映す様々な現象の背後に何があるのかを共に考える構成になっている。
さて本書において、今の社会を読み解くキーワードと位置づけられているのが、「第二の個人化」という概念である。地縁/血縁を軸とした社会から、戦後の「企業体」を軸とした社会へ変化した過程が「第一の個人化」とすれば、「第二の個人化」とは、日本型経営システムの疲弊や地縁血縁社会の崩壊により、個々人が武装して自らを守らねばならない、いわゆる「自己責任社会」への変化を指す。そして、そんな社会の中で人は「空気を読み」「キャラを演じ」ながら、「就活」「婚活」に汗を流す。そして「マイブーム」「スピリチュアル」に「癒し」を求めつつ、「オレ様」や「モンスター○○」が跋扈する陰で、自ら命を絶つ者が1日80人もいる…。
若い世代が将来に夢が持てない社会に、未来はあるのかなあ?
「あなたが好きなことをやりなさい」といわれて育つ現代人は、おのずと、「どう生きるか?」を自ら探していくほかありません。これは、個を尊重するとてもすばらしい世界です。しかし、選択の自由が保障されている反面で、選択の結果がうまくいかない場合、その最終的な責任も自分が背負うしかないのが、今の日本社会だともいえます。(第5章「社会学でわかる『文化・流行』」より)
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信長街道
安部龍太郎
この年から信長の戦ぶりが明らかに変わっている。 まるで人が変わったような暴虐ぶりを示すようになったのは、いったいなぜだろう。
天下統一を急ぐ必要に迫られたのか、あるいは一向一揆の相次ぐ蜂起に苛立ったのか。
いずれにせよ、信長の内面で大きな変化が起こったことだけは確かである。
その変化の本質を突き止めることこそ、信長研究の最大の課題ではないだろうか。(第六紀行「比叡山焼き討ち」より)
立て続けの信長物。生誕の地・那古野城から終焉の地・本能寺までを実地に踏査した取材紀行である。
「本能寺の変」に関して、小説「信長燃ゆ」で「明智光秀と近衛前久の共同謀殺」説を唱えた著者は、本書でも発掘された新史料等を基に、信長の事績についての新たな歴史解釈を世に問う。それは、銃砲・船舶設計等の新技術や火薬の原料(硝石)を独占するため、イスパニアの大物宣教師ヴァリニャーノに布教活動を容認していた信長だったが、それに止まらずイスパニア本国が企図した明国侵略に対する協力まで約束していた、という説である。またそれに絡めて、有名な天正九年の馬揃えも、自らの勢威をヴァリニャーノに誇示するのが狙いだったとの解釈も呈示している。
真偽はともあれ、筋の通った新説が登場するたびに、歴史を彷徨う愉しみがさらに深みを増すから面白い。
信長はイエズス会と盟約を結び、ガレオン船の建造技術の指導や火薬の供与などを受けることによって、上位の者たちの包囲網を打ち破った。
その時、いつまでに天下統一をなし遂げると宣教師たちに約束したのではないかと先に記したが、この馬揃えはその約束を果たしたことをヴァリニャーノに示すためのセレモニーだったのかもしれない。(第九紀行「ヴァリニャーノの要求」より)
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海援隊秘記
1867年長崎。龍馬と弥太郎が歴史を変える
織田毅
おそらく、慶応三年の長崎で、弥太郎が日頃から抱いている志を理解してくれたのは、龍馬だけではなかったろうか。弥太郎の日記には、「午後坂本良馬(龍馬) 来置酒、従容談心事、兼而余素心ノ所在ヲ談候処、坂本抵掌称善」(慶応三年六月三日)とある。弥太郎が素心(平生の思い、かねてからの志)を話したところ、龍馬は手をうって「善し、とほめた」のだ。また、弥太郎は龍馬から政治情勢についてレクチャーも受けている(慶応三年四月十九日)。(プロローグ「龍馬と弥太郎が駆け抜けた街・長崎」より)
「一介の龍馬ファン」を自称する長崎市職員の、約20年間の研究成果をまとめた一冊。長崎での龍馬の足跡に絞られている分、昨年から今年にかけて数多登場した「龍馬本」の中では、一際ディープな内容となっていて読み応えがある。中でも、岩崎弥太郎の日記を丹念に読み込んで二人を「盟友」と結論付けたり、「亀山社中」は薩摩藩家老の小松帯刀が作ったという見方を取り上げるなど、随所に定説と異なる論考が見られて興味深い。また巻末に、現在入手しにくい文献資料の永見徳太郎著「長崎時代の坂本龍馬」や、海援隊士関義臣の談話「海援隊の回顧」等の抄録が掲載されており、本格的な龍馬ファンにとっての資料的価値も高い。神戸での龍馬の足跡も本書をお手本にしてぜひまとめてみたいものだが…。
弥太郎昇進告示の二日後、後藤と龍馬らは土佐藩船・夕顔に乗り上京。弥太郎はそれを見送り、「余及一同送之、余不覚流涕数行」と日記に書き付けている。彼らはこれから京都に上り、大政奉還という大仕事にかからなければならない。…(中略)…弥太郎にとって、自分の後盾である後藤と、話せる友人である龍馬が長崎からいなくなることは痛手であり寂しいことだった。そして、これからどうなるかわからない自分と商会の将来を思って、思わず涙が流れたのかもしれない。(第6章「岩崎弥太郎と盟友・龍馬−二人が目指した“世界の海援隊”」より)
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反経済学講座
犬走文彦
ここで重要なのは、マーコウィッツの説くリスクとリターンという概念は、あくまで「これぐらい危険なのではないかな」とか「これぐらいは儲かるのではないかな」という投資家の「期待」に過ぎないということです。
マーコウィッツの理論には、一般に誤解を招きやすいところがあります。マーコウィッツの定式化した、リスクやリターンというのは、決して投資対象の将来の価格や変動のリスクを「予測」している訳ではありません。(第1章「反金融工学I モダンポートフォリオ理論の正体」より)
サブプライムローン問題に端を発した世界経済不況以来、経済学、とりわけ金融工学への風当たりが強い。元来経済学という学問自体、「本当に世の中の役に立つの?」という疑念を持たれがちだったが、証券化技法に見られる金融工学の手法が今回の経済破綻に拍車をかけたため、ますます悪者扱いされている。そして本書もまた、経済学に対する疑念を書名に掲げ、順に「反金融工学」「反ミクロ経済学」「反マクロ経済学」「反恐慌論」という章立てで、今日の金融エリート達の“失敗”について平易な解説を試みている。
ただ正体不明ながら、経済・金融理論の実践的エキスパートと見受けられる著者は、“反”の旗を掲げてはいるものの経済学自体を否定はしない。「バカとハサミは使いよう」の諺通り、経済学も「不完全な道具」と認識して使えば役に立つのだ、との主張で最終章を締め括っている。投資や資産運用に関心はあるものの基本知識がない、という人は必読。
そもそも現代天文学から言えば、ガリレオが支持した「太陽中心説」も誤りであるわけですし、宇宙に中心がないのなら、地球のまわりを太陽がまわっていると言おうが、地球が太陽のまわりをまわっていると言おうが、同じ現象のコインの裏表に過ぎないからです。…(中略)
さて、翻って経済学の論争ですが、ケインジアンとマネタリストが入れ替わり主導権を奪いあう様子をみると、なにか天動説と地動説の争いのようにも見えてきます。(第6章「反経済学 方法への挑戦」より)
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清水次郎長
幕末維新と博徒の世界
高橋敏
清水次郎長は幕末から明治維新、近代国家の誕生まで変転止まない血を血で洗う過酷な大動乱の時代を生き抜き、七十四年の生涯を畳の上で大往生して閉じた、きわめて稀な博徒であった。若き日、博打と喧嘩の積みで人別から除かれ無宿者となって依頼博徒の世界に入り、敵を殺しては売り出し、一家を形成。一大勢力を築いてしぶとく生き残った。いわば博徒、侠客の典型の一人である。換言するなら、明治維新のアウトローを語るに清水次郎長をおいて他にないといっても過言ではない。(「はじめに」より)
子供の時に見た連続TVドラマ「清水次郎長」では、時の二枚目竹脇無我が次郎長を演じていた。子供心に「どう見ても大政(大木実)の方が親分みたいや…」とツッコミを入れまくった記憶があるが、海道一の侠客らしからぬヤサ男のイケメン次郎長も、今思えばそれはそれで味わい深いものがあった様に思う。
それはさておき。この種のドラマを含めた世の次郎長物は、ほとんどが天田愚庵「東海遊侠伝」を底本に相当脚色されているが、本書は史学的手法によって「ヒーロー次郎長」とは一味違う人物像を提示。次郎長だけでなく、黒駒勝蔵をはじめとする当時の有力博徒の生き様・死に様を、維新史のうねりの中に巧く位置付けて見せている。
思えば、そもそも次郎長が海道一の侠客ならば、必然的に斬った張ったの暴力的性質も海道一だったという事。そんな人物が船頭だった父譲りの勘の良さで、時代の潮目を正確に読みながら腕と度胸で維新の大波をくぐり抜け、ついには畳の上で大往生を遂げしかも銅像にまでなった。殺伐とはしているものの、総じて幸福な一生と言えるだろう。
しかし、次郎長は烈火のごとく怒って、東海遊侠伝中五指に入る名台詞の啖呵を切って巳之助を追い返した。「オレを子分の命を金で売る親分にするつもりか。オレの目の黒いうちは、たとえ吉兵衛に翼があって空に飛んでいこうが、術を使って地下に隠れようが探し出し、首を取って石松の怨恨を慰めてやる」。次郎長と石松の親分子分の絆・紐帯は博徒の世界の賠償の常識とは相容れない。次郎長の任侠の独自性を訴えた日本人の心情の琴線に触れる箇所である。(第2章「清水一家の親分次郎長」より)
[2010年5月 4日] この日の感想・書評へ→

コミュニケーションの社会学
長谷正人・奥村隆[編]
じっさい、自分はコミュニケーション力が低い、コミュニケーションが下手だ、といった悩みを訴える学生なども少なくないのだが、客観的にみると、コミュニケーションの能力が低いというより、コミュニケーションのなかで生じるディスコミュニケーションに対して敏感であるにすぎない場合が多い。そういう感受性のゆえに、かえって対応がうまくいかないのだ。だいたい、自分はコミュニケーションが上手だ、得意だ、などと思っている人のほうがどこかおかしいのである。(第5章「対話というコミュニケーション」より)
この15年程の間に、コミュニケーションの手段は劇的に進化し、また多様化した。ネットの世界でも、少し前までブログやmixiがもてはやされていたが、今はどうやらTwitterである。何気なく、あるいは意図的に“つぶやいた”言葉が別の“つぶやき”によってフォローされ、その連鎖と波及が新たな情報や気づきを生む。そんなコミュニケーションの形態がここまで話題を呼ぶとは、一年前に誰が想像し得ただろう。
考えてみると、メールの様に返事を期待するものでもなく、mixiみたく“友達の輪”的でもない。誰かが読んでくれてるだろう…と想定しつつの“言いっぱなし”の言葉であり、誰に対する何の強制もない。単なる“つぶやき”だから、スルーしても構わないし、リアクションがなくても傷付かない(フリができる)。いかにも今風のコミュニケーションであるし、こうした浅く、広く、軽いコミュニケーションこそが、今の気分なのだろうか。
多様性が賞揚されるこの時代に、自己と他者のあいだの安定した関係を担保してくれる共通の目標を見つけることは難しい。しかし同時に、この時代を生きる自己は、普遍的な基準に合わせることで安定感を得ようとするのではなく、具体的な他者から承認を受けることでそれを保とうとする。そのため、他者とつながることに対してつねに強迫観念を抱き、他者への依存度が増している。したがって、コミュニケーション回路に載せられるべき切実な課題はすでになくなっているにもかかわらず、その回路だけは切実に死守していかなければならない。(第14章「フラット化するコミュニケーション」より)
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文藝春秋に見る坂本龍馬と明治維新
文藝春秋 編
テレビの影響もあって今や国民の英雄的存在になった勝海舟に、六人もの青い目の孫がいたといえば、おどろかれるだろうか。しかも、八十七歳の長兄と七十七歳の末妹が、今もアメリカに生きている。…(中略)
広く知られるように、海舟には多くの愛人がいた。そのなかのひとり、おくまは長崎時代からつづいた愛人であり、二人の間には男子が出生している。梅太郎と名づけられ、海舟の三男として育てられることになるが、この梅太郎のもとに嫁いだのが、クララだったのである。(『青い目の嫁』が見た勝海舟」より)
大正12年の創刊から今日に至る「文藝春秋」の記事の中から、坂本龍馬や幕末維新に関するエッセイ・座談をまとめた一冊。歴史の長い雑誌だけに、維新史上の人物に直接縁のある人達から集めた貴重な逸話も少なくない。
なかでも題名からして興味を惹いたのが、海舟の三男梅太郎の妻として6人の子を産んだ米国女性クララ・ホイットニーの日記を、海舟の曾孫の国際法学者・一又正雄が翻訳した「『青い目の嫁』が見た勝海舟」である(昭和49年10月号掲載)。クララの日記が公開されたのはこの時が初めて。まさに歴史スクープと言える記事であり、この青い目の嫁が記した海舟一家の日常は、古き良き江戸っ子の人間味に溢れ何とも清々しい。
この他にも西郷隆盛の孫が語る「隆盛じいさんとばあさん」、龍馬暗殺の実行犯とされる今井信郎の孫・今井幸彦氏による「私の祖父が龍馬を殺した!」他、幕末ファンの心をくすぐる興味深い記事が目白押し。
山岡鉄舟は名だたる剣客だった。明治天皇は、山岡が本当に強いかどうか、ひとつためしてやろうとお考えになった。常の御殿の暗まぎれ、木刀でいきなりお斬りつけになった。体をかわした鉄舟はすぐとっておさえた。維新前ならいざ知らず、明治宮殿の廊下の闇から斬ってかかるのは、明治天皇以外にない、ということは鉄舟は知っていたにちがいない。(入江相政「人間・明治天皇」より)
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名著で学ぶ戦争論
石津朋之・編著
ナポレオン戦争とそれがロシア社会に与えた衝撃を描くことによって、複雑なロシア社会の本質を解明することが「戦争と平和」の大きなテーマであるが、トルストイがこの作品を通じて追い求めたもう一つの重要テーマは、新たに歴史を動かすものは何かという問いであった。そして彼が出した答えは、歴史を動かしつくり出すのは、ナポレオンのような一人の天才ではなく、ロシアが進攻されたときに見せた名もなき多くのロシア民衆の力と英知であるという事実であった。(10トルストイ「戦争と平和」より)
古今東西の軍事戦略に関する50の名著を厳選し、各々のエッセンスをコンパクトな解説にまとめた有用なガイドブック。「孫子」やクラウゼヴィッツ「戦争論」、リデル・ハート「戦略論」といった純粋な軍事戦略書に止まらず、ヘロドトス「歴史」、マキャベリ「君主論」、キッシンジャー「回復された世界平和」、さらにはトルストイ「戦争と平和」等、歴史書、政治学書から小説迄幅広く網羅した点がユニークだ。
戦争は政治の“表現形態”の一つであり、政治目的を達成する“手段”に過ぎない、というのがクラウゼヴィッツ「戦争論」の基本スタンス。そして本書によれば、近現代の多くの軍事戦略書は、この「戦争論」を基準に論旨が展開されている。でも詰まるところ、どの書よりも昔に孫子が説いた“戦わずして勝つ戦略の追求”こそが最上なのは疑うべくもない。
毛沢東は、ゲリラ戦争で「政治」が果たす決定的なまでに重要な役割に注目した点で、他のゲリラ戦争の指導者とは一線を画す。彼にとってゲリラ戦争とは、新しい国家の樹立という明確な政治目的を達成するための手段を意味するものであり、そうした戦いを成功に導く鍵は、何と言っても今後、新国家の国民となる民衆をどれだけ多く味方につけるかという点にあった。(21毛沢東「遊撃戦論」より)
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幕臣たちの明治維新
安藤優一郎
新聞を武器として、政府批判の言論活動を展開した彼ら旧幕臣にとり、その精神的な拠り所となったのが、懐かしき江戸の文化・社会だった。いわば、江戸を理想化することで、幕府に代って政権を握った薩長土肥の藩閥政府に対し、鬱憤を晴らしたのだ。それに、東京市民も大きな喝采を送る。江戸っ子の不満の格好のはけ口になったのである。明治初年の東京には反政府の気運が渦巻いていたことが、成島たちの言論活動を通じて証明されてしまったのだ。(第3章「静岡藩の消滅」より)
勝海舟、福沢諭吉、榎本武揚など、明治期にも活躍した一部幕臣の事績はよく知られているが、名もなき旗本・御家人達が維新後どんな運命をたどったかを知る人は少ない。本書は、そんな無名の幕臣達の“その後”を明らかにした一冊。
小説やドラマでは彰義隊や函館戦争等を題材に、新政府に抵抗し続けた者達の生き様に光が当たりがちだが、実際のところ彼らは少数派に過ぎず、多くの幕臣は現状維持的な選択をし、結果的に移住した静岡で相当な困窮に喘いだ。一方、徳川治世下で平穏な暮らしを謳歌してきた江戸の庶民は、心情的に新政府への反感が根強く、西南戦争時は“敵の敵は味方”=西郷隆盛の人気が沸騰したという。他にも、明治期の言論界には旧幕臣が多く、活発な政府批判の論陣を張ったことや、明治中頃に江戸回顧熱が沸騰したこと、繁殖を奨励されたウサギが一時東京の街に溢れたこと等、語られることの少なかった明治の実情が垣間見られる。幕臣の日常にまつわる蘊蓄も豊富で、歴史好きにとって興味は尽きない。
この頃の政恒の気持ちを考えてみると、幕末から明治維新にかけて、数え切れないほどの旧幕臣が零落していくのを見て、当然、明日は我が身という危機感は強かっただろう。
いつ職を失い、路頭に迷うか分からない危機感から、手に職を付けておくという意識で、農業を学んだに違いない。旧幕臣が浜松の地で必死に生き抜いている姿が浮かび上がってくる。(第3章「静岡藩の消滅」より)
[2010年4月 4日] この日の感想・書評へ→

坂本龍馬脱藩の道をゆく
左古文男 著/小島真也 撮影
峻険な山道を歩くだけでも厳しいというのに、分厚い雨雲が頭上を覆い今にも雨が降り出しそうだった。雨になれば足下が滑りやすくなり慎重にならざるを得ない。予定した時間通りに進むことができない場合も予想される。雨が落ちてくる前に少しでも時間と距離を稼いでおきたかった。
龍馬と惣之丞が高知城下を発って一夜目を過ごした那須俊平・信吾邸跡までは二キロの距離だった。所要時間は三〇分を見ていたのだが、八時半を過ぎても到着しなかった。(「脱藩の道をゆく 三日目」より)
タイトル通り、龍馬が維新回天に向かって疾駆した脱藩の道やゆかりの場所を、アラフィフ男の漫画家とカメラマンが、昨年11月に五日間かけ実際に足で歩いたルポルタージュである。大河の「龍馬伝」も本日ちょうど脱藩したばかりだし(第13回「さらば土佐よ」)、読むタイミングとしてはタイムリーだ。ふんだんに掲載されているゆかりの地の写真も、土佐の空気感がよくとらえられていて美しい。
史実上の龍馬の脱藩は、絹糸の様な雨が降る文久二年(1862)3月24日の夕暮れ時。「神田(こうだ)に桜を見に行くき」と家族に言い置き、ふらりと家を出たという。傍らには彼を慕う八歳下の同志で、後に海援隊士となる沢村惣之丞の姿があった。現在龍馬脱藩の道は、関係市町村によって案内板が設置され、通行可能になっている。その一部でも良いから、機会があれば歩いてみたい。
高知から長浜まで龍馬とともに旅をしてひとつわかったことがあった。それは「日本を今一度せんたくいたし申候」という龍馬の大志が伝わってくる名言は、桂浜に広がる太平洋と広い空を見て育ったからこその大きな言葉だということである。
現実に「もし」はないが、もし、龍馬が現在に生きていたなら何をやっていただろうか?(「脱藩の道をゆく 五日目」より)
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竜馬という日本人
司馬遼太郎が描いたこと
高橋誠一郎
われわれの歴史のあるかぎり、竜馬は生きつづけるだろう。私はそれを感じている自分の気持ちを書く。冥利というべきである。
この文章には坂本竜馬という人物に対する司馬の深い思いが端的に表れており、それゆえ司馬は、伝説や親和的な要素さえも忌避することなく存分に用いることで、読者の前に竜馬という若者の姿を生き生きと現出させたのである。(第一章「幕末の風雲−竜馬は生きている。」より)
比較文明論の専門家が、「竜馬がゆく」を中心に「世に棲む日々」「花神」「胡蝶の夢」「菜の花の沖」など幕末期を舞台とした作品を読み解きながら、司馬遼太郎の日本人観に迫ろうとした書。読む前にイメージした様な史実に基づく論考ではないが、「竜馬がゆく」を通じて作者が伝えたかったこと、その陰にある自身の思いなどを深く読み取る視点は、龍馬&司馬フリークにとってはなかなか楽しいものであった。
思えば司馬遼太郎は、高杉晋作、吉田松陰、大村益次郎、土方歳三、西郷隆盛、大久保利通、河合継之助etc.、幕末の英雄を主役に据えた作品を数多く著しているが、今もなお国民を虜にしている人物造型の魅力度から考えても、結局司馬が最も愛し、自らのメッセージをその生き様の中に込めようとした幕末の英雄は、やはり龍馬だったのではないか。
史実的には万次郎と竜馬の出会いが記された文書はまだ見つかっていないようであるが、安岡章太郎は中浜万次郎が竜馬と勝海舟のところか、後藤象二郎とともに上海に行く際に会った可能性があることを指摘しており、会ったと考えるほうが自然だろう。
それゆえ司馬は、「いまだに日本語といえば、土佐の幡多郡の漁夫ことばしかつかえない」ために「あまりものはいわず、ひどく気むずかしい顔をしていた」万次郎は「おンしのことは小竜の手紙で、うらァよく知っちょった。いつ訪ねてくるかと心待ちにしちょったが、いま来なされたか」と親しく言葉をかけたと描いているのである。(第四章「『日本人』の誕生−竜馬と勝海舟との出会い」より)
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12歳からの現代思想
岡本裕一朗
一見したところ、「現実の教師」と「教師を演じること」はまったく違っています。演技する場合、教師らしく見えるように気を配り、現実の教師のマネをします。それに対して、現実の教師は自然のままにふるまい、教師のマネをするわけではありません。
ところが、マネをするという点では、現実の教師だって同じではないでしょうか。なぜなら、現実の教師も、教師らしくふるまわなければ、周りは彼を教師と認めてくれないからです。(第1章「コピーからオリジナルが生まれる?」より)
今や「現代思想」に関する文章が、国語の中学入試に出題される時代らしい。ろくに教わってもいない(たぶん教師達も理解できない)ことを必死で答えさせられる子供達が不憫でならないが、せめて「現代思想ではどんなことが問題になっているのかを、子どもにも分かるように提示したい」と考え、著者は本書を構想したという。
これはありがたい。12歳向けに書かれたのであれば、いい歳のオッサンなら十分理解できるだろうと期待し、読み始めた。が…、なるほど各章の書き出しから中盤位迄はとても平易に書かれているものの、キモの部分に入ると、結局難解な表現が剥き出しのまま、分かった様な分からない様な、中途半端な状態で毎度放り出される感じであった。これって、当方の理解力が12歳未満だということか…。次はちびまるこちゃん(小3)レベル迄敷居を下げてもらえるとありがたい。
かつては、「アイデンティティの確立」が、真剣に追求された時代もありました。しかし、現代では、そうした真面目な「パーソナリティ」ではなく、むしろ遊びのような「キャラ」を演じることが、日常的な風景となったのです。その場その場に応じて、「キャラ」を演じながら、コミュニケーションすること−これこそが、私たちの生き方になったのです。とすれば、その人の「アイデンティティ」は、消滅したのでしょうか。(第2章「n個の性、n個の人格?」より)
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わが夫 坂本龍馬
おりょう聞書き
一坂太郎
私は裏の秘密梯子から駆け上がって、
「捕り手が来ました。ご油断はなりませぬ」
と言うと、
「よし、心得た」
と三吉さんは起き上がって手早く袴をつけ、槍を取って身構え、龍馬は小松(帯刀)さんがくれた六連発の短銃を握って待ち構えましたが、敵の奴らは二階梯子のところまで来て、何やらがやがや言うばかり。進んでは来ないのです。(第四章「伏見遭難」より)
龍馬の妻・おりょうへの複数の取材回想録(「反魂香」等3編)を、現代語に訳して読みやすく編集した書。語られている内容自体は断片的に紹介される機会が多く、また本人の記憶に結構誤りも見られるが、一冊に編まれた形で改めて彼女の言葉を読み通すと、愛する女性の眼に映った等身大の龍馬の姿が随所に垣間見えて興味深い。
「有名な美人の事なれども、賢夫人や否やは知らず、善悪共為し兼ねるように思われたり」
これは土佐藩大監察・佐々木高行が記したおりょうの人物評である。妹を拐かしたならず者の元に刃物片手に乗り込んで奪い返したり、寺田屋事件では半裸姿で龍馬に危難を知らせたりと、巷間伝えられるおりょうの人柄は性根の坐った男勝りの美人だった様だが、そんなおりょうを龍馬は「おもしろき女」として生涯愛おしんだ。「龍馬伝」では真木よう子が演じる。イメージ的には合いそうなので楽しみだ。
長州の長府(三吉慎蔵の家)にいた時分、すぐ向うに巌流島といって仇討ちの名高い島があるのです。
春は桜が咲いて綺麗でしたから、みなと花見に行きました。
ある晩、龍馬と二人でこっそりと小舟に乗り、島へ上がって煙火を挙げましたが、戻って来ると三吉さんらがびっくりして、
「いままさに向うの島で妙な火が出たが、なんだろう」
と不思議がっておりました。岸からは僅か七、八丁しか離れていないので、極々小さい島でした。(第六章「海援隊」より)
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天誅と新選組−幕末バトルロワイヤル
野口武彦
テロは有効な手段なのだ!大老暗殺で幕府がこんなに怯えるのだったら、同じ方法で次々と揺さぶりを掛けられるではないか。幕府要人が難しいなら、手頃なターゲットがいくらでもいる。威張り散らす外国人を斬れば、民衆は喝采し、幕府は後始末に苦労する。尊攘派にとっては幕府が困れば困るほど好都合なのだ。 幕末テロリズムは、やがて公武合体論を下から掘り崩す暗黒の力として増殖するであろう。文久年間はまず《天誅の季節》として幕を開けるのである。(第一部 文久天誅録「その一 公武合体論」より)
前作「井伊直弼の首」(下田開港〜桜田門外の変までの安政年間)に続く「幕末バトルロワイヤル」の第3弾。舞台は、天誅テロリズムが荒れ狂う文久年間である。
元禄の「赤穂義士の討入」を最後に、刀は侍の象徴あるいは装飾品となり、紛争解決の手段として本格的に用いられることはなかった。それが銃砲の時代を前に、刀が“武器”として最後の花道を飾ったのが幕末である。特に文久の三年間は、京都を中心に「天誅」の名による殺戮が荒れ狂った。俯瞰的に歴史を見れば、天誅テロは大きく時代を変えはしなかったが、少しずつ国家を疲弊させ、時代の針を進める役割は果たしたようだ。
ちなみに文久2年(1862)12月21日、国学者の塙次郎が斬られた。犯人は伊藤俊輔、後の初代総理大臣・伊藤博文である。テロリストが日本の首相第1 号というのも悲しい事実だが、周知の通り伊藤自身も1909年10月26日、テロによる非業の死を遂げた。因果応報である。
池田屋騒動の大きな悲劇性は、新選組が多くの錚々たる人材を手にかけながら、どんな相手を斬ったかの自覚がまるでない点にある。死闘を交わした当事者同士がおたがいに顔も名前も知らなかったのである。 浪士たちは死力を奮って抗戦した。刀を構えた睨み合いは筋肉をジワジワ消耗させる。刀を支えている腕が鉛のように重くなり、血管がドクドクと脈打ち、心臓が口から飛び出しそうになる。先に疲労した方が負けだ。切先が少しでも下がると、容赦ない太刀風が凄まじい加速度で薙いでくる。(第二部 文久殺陣録「その十四 池田屋騒動」より)
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養老孟司の人間科学講義
養老孟司
ヘラクレイトスのいうとおり、「万物は流転する」。実体は絶えず変化してやまないのである。そこにある水たまりの水だって、分子はブラウン運動をしているから、二度と同じ状態など、とれるわけがない。ところがこの言明自体は情報だから、ヘラクレイトス以来二千年を超えて、そのまま固定している。それだけのことである。それでも頭の固い人は、だから真理は永遠だというかもしれない。それは真理と情報を取り違えているだけである。どこまで行っても、「万物は流転するが、情報は固定している」。そう述べるしかない。それが私の二元論である。(第3章「世界は二つ」より)
人間とは何か?−−なかなか壮大なテーマである。ヒトのDNA塩基配列は既に判明しているが、それは「人間」を知る手がかりの第一歩に過ぎない。本書では、人間=[細胞(物質)×遺伝子(情報)]+[脳(物質)×言語(情報)]という視点から、人間という存在をとらえ直そうとしている。文章が平易で取っつきやすいので興味深く読めたが、自分がどこまで理解できたかは正直アヤシイ。
そもそも「人間とは何か?」という問いは、「物質」としての人間というより、心や意識までを含めた人間の「全て」が対象となるので、人間を「科学」しようとしても、議論はどうしても「哲学」的な色彩を帯びてしまう。直観的に「意識」は「脳」から生み出されている様に思えるが、なぜそこに「心」が生じるのかは、脳研究がいくら飛躍的に進展しようとも当分判りそうにない。
私の赤とあなたの赤がどこまで同じ赤か、それは確かめようがない、あるいは確認が難しい。そこをもっと詰めていうなら、赤という問題についても、具体的に確かめようがある部分についていうなら、それは認知科学的な心に蔵するはたらきで、どうにも確認の手段がないなら、それは現象学的な心だということになる。つまり客観的に確かめようがないはたらき、それを現象学的な心とする。これはつまり心あるいは意識について、主観と客観を分けていることになる。(第4章「差異と同一性」より)
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インテレクチュアルズ
知の巨人の実像に迫る
ポール・ジョンソン著/別宮貞徳訳
家族との手紙のほとんどを占めるのは金銭問題である。一八三八年二月、すでに死の床にあった父からの最後の手紙は、マルクスが援助を求めるとき以外に、まったく家族に無関心であることにくり返し不満をもらしている。…(中略)…母親は息子の借金の支払いを拒否したばかりでなく、支払ってやればもっと借金をつくるだけだと考え、ついには完全に援助を打ち切りさえした。その後、両者の関係はあるかなきか、といった程度になっている。母親は苦い思いでこう言ったと伝えられる。「カールは資本について書くよりも、いっそ資本を蓄えたらいいのに」。(第2章「カール・マルクス」より)
知的遺産・芸術的遺産と称される程の作品を遺した「知識人」は、とりわけ若者から見れば、それなりに高潔な生き方をしたのだろうと幻想されがちだ。だが本書を信じるなら、ルソーは虚栄心の強い自己チューな嘘つき。マルクスは異常に怒りっぽく尊大で金銭能力ゼロ。イプセンは度を超した小心者で吝嗇なエゴイスト。トルストイは利己的で女性蔑視のセックス依存症。ヘミングウェイは虚言家で女好きのアル中。ラッセルは妄想症の女たらし。そしてサルトルは、「文学史上これほど女性を食い物にした男はまずいない」…。
本書で言う「インテレクチュアルズ」(知識人)とは、宗教(聖職者)の影響力が衰えた18世紀以後、自らの奉ずる思想によって人類を進歩させ、社会を変革できると自認した思想家・文筆家・芸術家等を指す。そんな(随分と立派な事を書き遺した)代表的知識人の道徳的資質、良識の有無を検証したのが本書であり、結果は上述の通り惨憺たるもの。知的で下世話な暴露本として大いに楽しめたが、刊行当時は随分と物議を醸した様だ。(原書ではノーマン・メイラー等さらに12人が俎上に上がっている)。無論人間的資質と作品(思想)は別物、それらの価値を不当に貶める意図はなさそうだが、最終的には「知識人部隊の出す声明を信用するべからず。彼らの意見は話半分に聞くべし」とのメッセージで締めくくっている。
さて、影響力ある文筆家という点では著者自身も立派な「知識人」だが、その点の自覚はどうなんだろう?
ヘミングウェイには、嘆かわしい欠点が山ほどある。しかし、たった一つ、いいものが備わっていた−芸術的高潔さである。それは生涯を通じて一つの光明となって周囲を照らす。彼がみずからに課したのは、英語を、ひいては小説を、新しい方法で書くこと。そして、それをみごとにやり遂げた。…(中略)…この使命を果たすために、彼は創造的技法と熱情と忍耐の限りを尽くした。それだけでもたやすいことではない。しかし、さらに難しいのは、自分でも痛感しているように、みずから課した高い水準の創造を維持しつづけることだった。(第5章「アーネスト・ヘミングウェイ」より)
[2010年2月11日] この日の感想・書評へ→

「世間体」の構造
社会心理史への試み
井上忠司
こと「世間」観についていえば、「せまい世間」に固執しようとする世代に反発している若い世代も、「ひろい世間」にとらわれていることでは、まったく同様であった。ソトなる「世間」の価値にコミットすることによって、ウチなる自分を見つめるという、わが国の人びとに特有な「準拠集団」の構造の本質は、戦後もいっこうに変わってはいないのである。(第三章「『世間』の構造」より)
原本は1977年刊、今から30年以上も前に書かれた本であるが、内容自体は十分今日的、というか予言的であった。本書の定義によれば、「世間体」とは「世間に準拠して体面・体裁をつくろい、恥ずかしくない行動をしようとする規範意識」をいう。30年以上も前に著者は本書を通じて、「世間体」という概念を単に古臭い考えとして排斥するだけでなく、そうした日本独特の文化を美点として再評価してはどうかと提言した。しかし30年経った今日、世間体という語は半ば死語となり(読めない人もいる)、満員の電車内で普通に化粧や飲食をする、裕福なのに給食代を払わない、公共の場で騒ぐ子供を親が叱らないetc.、そのような行為が恥ずかしいということが根本的に理解できない人達が増殖するに至った。正直なところ、本書に触れる迄は私自身も「世間体を気にする考え方」に批判的だったが、こうした視座も次世代に伝えていく必要があるのだと、少し考えが変わった。
『「世間体」を、ただ古いもの、悪いものとして一方的に排撃し、かんたんに否定しさってはなるまい。「世間」に準拠して、はずかしくない行動をすることの良し悪しを評価し、あれこれと自嘲的に批難する前に、まず、私たちにとって「世間」とは何か(あるいは、何であったか)、が正面きって問われ、「はじ」の文化の意義が、あらためて問いなおされねばならぬ。「世間体」を重んじるということは、じつは、私たちの生き方にとって、まことに古くて新しい問題なのである。(第六章「『世間体』の文化再考」より)[2010年2月 1日] この日の感想・書評へ→

ウンコな議論
ハリー・G・フランクファート著/山形浩生訳
正直者が語るとき、その人物は自分が真実だと信じることしか語らない。そして嘘つきの場合、当然ながらその人物は自分の発言が偽だと信じていることが不可欠である。しかしウンコ議論屋にとって、これはどれも保証の限りではない。その人物は真実の側にもいなければ偽の側にもいない。その目は正直者や嘘つきの目のように真実のほうを向いておらず、単に自分の発言で切り抜けるにあたって有益なときだけ事実のほうを見ている。自分の発言が現実を正しく描いているか気にしない。目的にあわせて適当に選び出し、あるいはでっちあげるのみである。(「ウンコな議論」より)
インパクト絶大である。何せウンコだ。有無を言わさず売場で人を引き付ける。著者は米国の道徳哲学者で、プリンストン大から出版された原著名は「On Bullshit」。直訳すれば牛のウンコで、一般的に戯言、でたらめ、でっち上げの意味で使われるから、一概に訳者のウケ狙いとは言えないが、山形氏でなければ絶対つけない書名だろう。良くも悪くもこの人の翻訳は一種の芸の域に達しており、近頃は「山形浩生・訳」というだけでつい手に取ってしまうことが多い。試しに数えたところ、本文52p中「ウンコ」が82回も登場する。
それはさておき、本書で言うところの“ウンコな議論”とは、多くの言葉を費やしながらも、結局は何も言ってないのと同じ様な中味のない議論であり、ウソでこそないが延々と垂れ流される屁理屈のことである。具体例としては小泉元首相の言説を思い浮かべれば解りやすい。訳者解説(本文より長い!)にも「ウンコ議論がなにやら自立して存在してしまうという、その存在様式の点でも小泉純一郎首相は傑出した存在である」とある。そして「ウンコ議論のない単刀直入の議論は身も蓋もない議論と言われることが多い」という側面もあるので、実際のウンコ同様、“ウンコ議論”にも立派な効用と存在意義はあるのだ。
こうした信頼喪失のもたらした結果の一つとして、正しさという理想への献身において求められる規律から撤退し、まったく別の誠実さという理想の追求からくる規律に移行しようという動きが見られる。もっぱら共通世界の正確な表象を追求するかわりに、自分自身を正直に表現しようとするのである。そうした輩は、現実には物事の真実として見極めるべき本質がないと思いこんで、自分らしさに忠実たらんとする。いわばそうした輩は、事実に忠実であろうとしても無意味である以上、自分自身に素直たらんとするしかない、と判断したわけである。(「ウンコな議論」より)
[2010年1月 5日] この日の感想・書評へ→

それからの海舟
半藤一利
その痩我慢をとおすことで日本全土を西欧列強の代理戦争に投じてしまうことが正しかったかどうか。炸裂するような激しさで、美学的な破滅を選ぶ。一国の存亡の責任を負うものとして、そうした一個の凶器となることが、武士道の粋ということなのか。華々しくて見栄えがするが、政治家としては決してそういうものではあるまいと思う。
そうした達人の生き方がわからず、どういうわけか「変節」といった言葉で海舟を批判する勇ましい輩がやたらと多い。(第十一章「『我が行蔵』と『痩我慢』」より)
話題のドラマ「仁-jin」も然り、また2010年の大河「龍馬伝」でも恐らくそうだろうが、今日描かれる勝は龍馬とセットで、“龍馬の目を世界に開かせた師匠”という扱いを超えないことが多い。まして福沢諭吉の「痩我慢の説」の影響で、新政府に仕え爵位を得た勝の後半生をあれこれ批判する輩もある。
しかし勝の最大の功績は、四方八方を敵に回しながらも、首尾一貫して西欧列強の代理戦争としての内戦を避けるべく、平和理に「無血開城」を果たして維新の始末を付けたことにある。そして語られることの少ない「それからの海舟」は、徳川慶喜を筆頭とする徳川家臣団の生活が立ち行くよう陰で助力し、死の直前まで慶喜の名誉回復に尽力、その完遂を見届けて世を去った。見事な男の一生である。
こうした勝の後半生が不当に貶められていると義憤を感じ、著者は本書を著したのだろう。野暮が嫌いな勝っつぁんに倣い、努めて軽妙な語り口でその生き様を辿っているが、終わりの数章には、抑えきれない熱情と勝への敬愛が行間より迸っている。
では、勝っつぁんが貫いたおのれの武士道とは?・・・結局のところ、彼の果たさなければならなかった政治責任ということになろう。その日、海舟は必敗を期して江戸城を明け渡した。私情を捨て日本の国のために、徳川八万騎の反乱を抑えきった。結果として徳川慶喜をして兵を語らざる敗軍の将とせねばならなかった。それゆえに、江戸城無血開城の談判このかた、いつの日にかかならずや「朝敵」徳川慶喜の汚名を雪がねばならないと心に決めた。海舟の「政治責任をとる」ということはその一事にある。(第十二章「誰か知る『あひるの水かき』」より)
[2009年12月15日] この日の感想・書評へ→

社会科学の方法
ヴェーバーとマルクス
大塚久雄
マルクスによると、自然成長的な分業に由来する疎外現象の結果、人間自身の力にほかならぬ社会の生産力が、人間自身から離れ、むしろ対立して、見渡しがたい、さしあたって個個人の力ではどうにもならないような客観的過程と化して、そうしたものが人間を支配するようになっている。この疎外或いは物化の状態から人間を救い出さなければならない、というわけですね。ところで、こうした疎外あるいは物化という状態は、いうまでもなく、人間にとっては自由の喪失に他なりません。(「I.社会科学の方法 3」より)
社会科学という領域は、不確定要素の高い「人間」の諸活動を対象とする分、自然科学と違って因果関係を厳密に実証できない=従って科学とは呼べない、と理系の人達に言われがちだ。学生時代、経済学の講義の冒頭でよくそんな話を聞かされた記憶がある。
でも当時の先生方が本書のロジックを上手に引用してくれていたら、「例えば彼らは台風発生の原理は知っていても、進行方向を毎度正確に予測できないだろう。自然科学もその点では社会科学とさほど変わらないのだよ、フフッ」と言ってやれたのに…。ましてや社会科学は、人間の「動機」を分析して先を読む、という合わせ技も備えており、その点「動機」のない台風の動きを予測するよりは高精度で世の中の役に立てるのだ、と言い放ったかも知れない。
おまけに、個々の人間は確かに不確定要素満載だが、それがいわゆる「世間」を形成する程の集合体になれば、実は案外「科学的」推論の範疇に収まったりするものだ。
理系の人々にプチ劣等感を持つ文系人間を、知的に勇気づけてくれる一冊。学生時代に読んでおきたかった。
たとえば、経済学における景気の分析や予測のことをお考えになればよくお判かりのことと思います。そして、そういう点では自然科学のばあいとまったく同じことなんですが、ただ、社会科学のばあいには、単なる外面的な経験によって得られた規則性というか、そういう法則論的知識に加えて、動機の意味理解という手続をとることによって因果関連の認識が成りたつばかりか、いっそう確実になると、ヴェーバーはいうのです。というのは、人間の行動のばあいにはそうした行動をとる意味がわかるわけですが、自然現象にはそういうふうな意味などあろうはずがありません。(「I.社会科学の方法 5」より)
[2009年12月10日] この日の感想・書評へ→

社会科学における人間
大塚久雄
ヴェーバーによりますと、「資本主義の精神」とは、なによりもまず、「中産的生産者層」に属する人々の掌中に蓄積されてくる貨幣あるいは資金を、ぼろ儲けのできる商業などにではなくて、堅実な産業経営の建設のほうに振りむけさせるような、言いかえると、そういう資金を進んで産業投資のほうに向けるような方向に、中産的生産者層に属する人々の思考と行動を押し進める、そういうエートスなんです。(15「資本主義の精神とは何か(2)」より)
大学1年のゼミで読んだ課題図書。その時以来長年本棚の肥やしになり果てていたが、ふと気紛れで手に取ってみたくなり、秋晴れの午後、荒川の河川敷でひなたぼっこをしながら読みふけった。どうやら原稿用紙10枚分の論文提出が求められていたらしく(巻末にメモしてあった)、あちこちに赤ペンや鉛筆で乱雑に線が引いてある。ただ線引きの跡を見る限り、意外にポイントを押さえていたなと、当時の自分を少し見直したりもしている。そう言えば今でも、「利潤の獲得は隣人愛を実践した結果であり、利潤の追求は人間としての義務である」と書かれた辺りは、やけに深く印象に残っている。
思えば当時は、本書を読む意義がほとんど分かっていなかったが、経済学という社会科学を学ぶ上で大前提となる「経済人(ホモ・エコノミクス)」の由来を知る点で、ゼミの課題図書としては実に的を射た選択であったと言えるだろう。
隣人愛の実践として、われわれは日常の仕事に献身しなければならない。言いかえるならば、金儲けのためでなく、仕事そのもののためにわれわれは仕事に励まなければならない。けれども、それは結果として利潤をもたらす。まことに意味連関の明瞭な、価値合理的な態度です。が、そればかりか、彼らはさらに、その倫理的義務をもっとも効率高く、つまり目的合理的にそれを遂行しようと考えたのです。(15「資本主義の精神とは何か(2)」より)
[2009年10月19日] この日の感想・書評へ→

坂本龍馬
松浦玲
勝海舟(麟太郎)は日記でしばしば坂本龍馬にだけ「龍馬子」と「子」をつける。これは傑出した存在だと認めたことのあらわれである。ほとんど無意識のうちに筆が動いて「子」と書くのだと思われる。
政治的に天才的なところのある海舟だが、記録は不得意で、日記には日付の間違いや重要な事実の欠落が多い。しかしその時々の気分に従って勝手気ままに書いているのが特色で、それを心得て読むと、海舟の心の内側をのぞくことができる。ごく自然に「龍馬子」と書いているところも、その一つである。(「はじめに」より)
来年の大河ドラマは「龍馬伝」。龍馬が主役となるのは、1968年に北大路欣也主演・司馬遼太郎原作の「竜馬がゆく」以来で、今回は原作のない書き下ろしである。龍馬を演ずるのは当代一二を争う人気男・福山雅治(40)。ちょいと老け過ぎの感は否めないが、上背もあるし、格好良い龍馬になりそうなので贅沢は言うまい。既に書店では龍馬関連の新刊がちらほら並び始めており、ここしばらくは玉石混淆で色々登場することだろう。
さて本書は、多くの“龍馬本”の中でもなかなかに手強い一冊。本人と周りの人たちの手紙や文献を元に、折々の龍馬の行動を時系列的に細かく実証している。大河を前に少し龍馬の事でも囓っておこうか、という人にはお勧めできないコアな内容で、ある程度維新史の知識がないと若干骨が折れるだろう。ただその分、 ○年×月△日に龍馬がどこで何をしていたかという点の論証については、見解を異にする類書に一歩も退かないだけの執念深さ、頑固さを随所に漂わせている。
裏書は五日付、次いで六日付で木戸宛の独立の手紙を書き、伏見遭難を報じた。木戸は二月二十二日付で裏書きを受取った喜びと遭難が軽傷で済んだ安心とを述べている。「ちょつと最早承り候ときは骨も冷く相成り驚入候処弥御無難之様子巨細承知仕不耐雀躍候」。遭難と聞けば殺されたかと思う。骨も冷く相成、木戸は本当に身が凍るほど驚いたのであろう。友人としての驚きに加えて、大切な密約のただ一人の証人が消えたかもしれないという恐怖が重なる。(第3章「薩長密約を仲介」より)
[2009年10月 1日] この日の感想・書評へ→

三国志談義
安野光雅/半藤一利
安野 「青年将校」の趙雲、私はそれこそ本人の顔を見たわけでもないし(笑)、話したわけでもないのに、なんかいいんだよねえ。
半藤 嫉妬深い優等生の関羽はなんとなくあまり側に寄りたくないし、張飛は暴力的だし(笑)、その点、いちばん頼りになりそうな人なんですね。
安野 やっぱりダルタニヤンだ(笑)。(二「英雄・豪傑を採点すれば」より)
昨年は「赤壁の戦い」からちょうど千八百周年。「レッドクリフ」が制作されたのも、たぶんその辺りがきっかけなのだろう。年季の入った三国志ファンから観れば突っ込み所満載の映画ではあったが、これを機に若い世代の間に「三国志」好きが増えてくれたらこれもまた良し、である。
今さらではあるが、劉備びいきの物語本「三国演義」と、曹操の魏を正統視する史書の「三国志」では、中身も立場も全く異なる。ただ、本書でも何とか両者を区別した上で三国時代を語ろうと試みてはいるが、結局は「演義」によって刷り込まれた人物像に引きずられ、爺さん二人が童心に返ってやれ趙雲が良いだの、やはり曹操はひとかどの人物だのと、自分達の好き嫌いをうれしそうに語り合っている。
半藤 単なる孫子とか呉子の兵法だけじゃなくて、アイデアマンです。すでに申しましたように日本の戦国時代なら秀吉の軍師、竹中半兵衛にたとえられます。
安野 幕末の勝海舟も、少し孔明的なところがありませんか。
半藤 ああ、ありますね。引き潮の戦に強い。・・・(略)(三「軍師・猛将を採点すれば」より)
[2009年9月 2日] この日の感想・書評へ→

明治という国家
司馬遼太郎
攘夷論者はすなわち鎖国継続論者です。同時に多くの場合、倒幕論者です。かれらは、幕末のぎりぎりに、
−−鎖国は、日本古来のものでなく、徳川幕府がその初期にとった国是にすぎないものらしい。
という、いまなら、中学生のすみずみまで知っている簡単な事実に気づきます。・・・(中略)・・・それを知らずに、幕府に対して、国を鎖せとざせとむりやりに要求しつづけていた攘夷的革命論者は足もとをすくわれたのです。(第四章「“青写真”なしの新国家」より)
知れば知るほど、明治維新は不思議な“革命”である。構図を単純化すれば徳川が敗者で、薩長を中心とする官軍が勝者ということになるが、いざ維新が成って新しい世が到来するや、革命の原動力であった武士階級は消滅し、敗者も勝者も仲良く職を失った。生き残った大半の武士達にすれば、わざわざ体を張って自分達が食えなくなる世の中を創り上げた様なもの。「こんなはずじゃなかった・・・」というのが、上は西郷から下は名も無き下級武士達までの、共通した思いだったに違いない。
新国家の青写真をもっていた人物は坂本龍馬だけだと、本書で著者は述べている。まあそこまでは言わないにしても、龍馬が生き長らえていれば進んで両刀を捨て、「世界の海援隊」作りに向け喜々として第二の人生を疾駆した気がする。
明治維新は、士族による革命でした。多くの武士が死にました。この歴史劇を進行するために支払われた莫大な経費−軍事費や、政略のための費用−はすべて諸大名が自腹を切ってのことでした。
そのお返しが、領地とりあげ、武士はすべて失業、という廃藩置県になったのです。なんのための明治維新だったのか、かれらは思ったでしょう。(第五章「廃藩置県−−第二の革命」より)
[2009年7月29日] この日の感想・書評へ→

昭和史(戦後編)
半藤一利
つまり、今私たちの日常生活で使っているほとんどの器具は、昭和三十三、三十四年くらいにだいたいそろったんですね。極端な言い方をすると、このころにあの貧しかった戦後生活がパァッと様変わりしちゃったんじゃないか。いまの私たちの日常生活のスタートはまさにこのころに切られた。昭和二十年からのあの飢餓と貧しかった生活とは連続しないで、ここでスパッと切り換わり、新しい戦後がはじまった、と私なんか非常に強く感じるのです。(第十四章「嵐のごとき高度経済成長」より)
先日行きつけの立呑み「粋酔」で、「時間ですよ」と「寺内貫太郎一家」のDVDを見せてもらった。画面の中はまさに昭和一色、懐かしいことこの上ない。もっと上の世代なら、例えば小津安二郎の映画に昭和を感じるのだろうが、私の様に昭和の後半に生まれた人間は、懐かしいホームドラマの一コマに“古き良き”昭和を探してしまう。もっとも「貫太郎」の場合、放映された昭和49年(1974)時点で既に「昔懐かしい頑固親父の物語」として捉えられていたので、35年ぶりに改めて見ると、懐かしさが入れ子構造になった様な妙な具合でもある。
さてそんな「懐かしい昭和」の歴史を、「話し上手なおじいさんの昔語り」的にまとめ上げたのが本書。平成生まれの中高生も、本書が教科書なら少しは自国の歴史に興味を持つんじゃなかろうか。
語り終わっていま考えることは、幅広く語ったつもりでも、歴史とは政治的な主題に終始するもんだな、ということである。人間いかに生くべきかを思うことは、文学的な命題である。政治的とは、人間がいかに動かされるか、動かされたか、を考えることであろう。戦後の昭和史はまさしく政治、いや軍事が人間をいかに強引に動かしたかの物語であった。戦後の昭和はそれから脱却し、いかに私たちが自主的に動こうとしてきたかの物語である。(「あとがき」より)
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ポスト戦後社会
吉見俊哉
このようなリアリティの存立面の対照は、若者たちによって引き起こされていった社会的事件にも認めることができる。「夢」の時代が内包する自己否定の契機を極限まで推し進めたのが一九七一年から七二年にかけての連合赤軍事件であったなら、九〇年代、「虚構」の時代のリアリティ感覚を極限まで推し進めていったところで生じたのは、オウム真理教事件であった。(「はじめに」より)
「ポスト戦後社会」とはあまり耳慣れない言葉であるが、本書では「戦後社会」を1945年から1970年代前半、「ポスト戦後社会」を1970年代後半から現代までと定義づけている。昭和で言えばちょうど昭和50年前後に該当するが、確かに当時はドルショック、沖縄返還、日中国交回復、石油ショック、ロッキード事件etc.、時代の転換を象徴するような大事件が目白押しだった。今思えば70年の大阪万博が、「戦後社会」の「終わりの始まり」だったのだろう。高度成長を通じてたどり着いた「一億総中流時代」も今は昔、安定成長からバブル崩壊を経て、気が付けば日本では「格差社会」化が論じられ始めている。平成もようやく成人期を超えた今、冷静に「昭和」を総括すべき時期が来たのかも知れない。
「昭和」の終わりは、ある国民共同体の時代の終わりであった。その後に来る「平成」は、その字義上の意味とは正反対に、それまで「天皇=祖父」によってピン止めされていた自己意識が、大きく拡散と統合の間で揺れ動き、分裂ないしは空洞化していく可能性を孕んでいた。(第3章「家族は溶解したか」より)
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入門経済思想史 世俗の思想家たち
ロバート・L・ハイルブローナー著/八木甫ほか訳
あるときアダム・スミスは友人に自分の蔵書を誇らしげに示しながら、「私は本だけを心の友としている」、みずからを評した。彼はどう見ても、美男子といえるような人物ではなかった。大メダルに刻まれた彼の横顔を見ると、突き出た下唇が大きな鷲鼻にとどくほど押し上がっており、大きく出っ張った目が重く垂れ下がったまぶたからのぞいている。(第3章「アダム・スミスのすばらしい世界」より)
一応経済学部出身なので、スミスやマルクス、ケインズといった著名な経済学者の名前にはなじみがある。ただあくまでそれは学説を学ぶ際の“記号”の様なもの。血の通った一人の人間として彼らをとらえてはいなかった。しかし当たり前のことだが、彼らも私達と同じ、一癖も二癖もある世俗の人間である。放心癖があったり(スミス)、商売上手だったり(リカード)、愛妻家なのにメイドを孕ませたり(マルクス)、ノイローゼだったり(ヴェブレン)、両刀遣いだったり (ケインズ)と、なかなか一筋縄ではいかない。そんな錚々たる碩学達の人となりを含めた足跡を、主な学説の解説と絡めながら紹介しているのが本書である。大学時代の無味乾燥な経済学の教科書とは一味違う面白さ。学生時代に出会いたかった一冊。
私の答えを述べよう。経済学の目的は、予見しうる未来へ向け、われわれが集団としての運命を形づくっていかざるをえなくなるであろう資本主義の環境について、よりよく理解するのを助けることである。・・・(略)・・・社会主義体験は二〇世紀の形をもって与えられたのであるから、来るべき(二一)世紀に運よく復活すると期待するのは難しい。(第11章「世俗の思想の終わり?」より)
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幕末史
半藤一利
さて、と、ここは張り扇をパパンパーンと叩いてやりたくなります。その時ちょうど、龍馬の彼女であるおりょうさんがお風呂に入っていた。いとしい男の危機と察知すると、素っ裸のまま飛び出してきて、龍馬に「たいへんだ」と知らせた−−というのは、講談本などでは有名な場面となっております。どうもインチキくさいですがね。(第六章「皇国の御為に砕身人力」より)
2008年3月から7月にかけて、「張り扇の講談調、落語の人情咄調」で著者が語り下ろした社会人向け特別講座の内容がベース。江戸っ子のざっくばらんな名調子に乗せられながら、嘉永六年(1853)のペリー来航から明治十年(1878)の大久保利通暗殺までの25年が一気に俯瞰できる。
自らの生い立ちから「反薩長史観となることは請け合い」と冒頭に宣言しているが、実のところその視点は結構公正である。人物評価においても片方を不当に持ち上げたり貶めたりすることはなく、例えば「西郷隆盛は毛沢東と同じ」という説などは、“永久革命を追い求める詩人的政治家”という共通項を浮き彫りにする意味で、個人的にかなり腑に落ちた。ディテールに踏み込み過ぎず、かといって浅過ぎることもない、幕末好きにはかなりお勧めの一冊。
このカリスマ性豊かな、道義と理想こそ政治の基底とする大物がいなくならなければ、真の日本の文明化=ヨーロッパ化ははじまらなかったのかもしれません。西郷起つ、の報告をうけて大久保が「笑み」を洩らしたのは当然であったといえます。つまり、戊辰戦争のつづきといえるこの明治の権力をめぐってガタガタした十年間は、古代日本人的な道義主義者の西郷と、近代を代表する超合理主義の建設と秩序の政治家大久保との、やむにやまざる「私闘」であったといえそうです。(むすびの章「だれもいなくなった後」より)
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服従の心理
スタンレー・ミルグラム著/山形浩生訳
多くの被験者は、電撃を受ける人物の懇願がどんなに切実になろうとも、電撃がどんなに苦痛をもたらすように見えようとも、被害者がどれほどやめてくれと懇願しようとも、実験者に従い続ける。・・・(中略)・・・このような、権威の命令とあればほとんど何でもするという成人たちの強い意欲こそが、この研究の最大の発見であるとともに、きわめて緊急に説明を要する事実である。(第1章「服従のジレンマ」より)
様々な社会心理学の本で頻繁に引用される「アイヒマン実験」の全容を記した原著。「人は正当と思われる権威に命令されると、非人道的レベルまで他者を傷つけ得る」という、人間の恐るべき性質を明るみにした事で知られている。本実験の概要や結論は幾度となく見聞していたが、此程まで緻密かつ慎重にいろんな角度から実験が繰り返され、細心の注意を払って結論を導いていたとは知らなかった。
さて本書を読んだ人なら、誰もが自分に置き換えて考えるだろう:「私が被験者だったらどの時点で命令に背き、被害者への電撃を止めさせただろう?」一般的には、非人道的な命令に服従しない被験者の方が意志が強く、人格的に優れていると思われがちだ。しかし別の角度から見れば、実験への協力を約束した以上、権威ある実験者が「大丈夫」と保証する限り、その指示に従って忠実に命令を遂行するのが正しい態度、とも言える。そしてビジネス社会を戦場と見なす場合、その中で優秀な兵士である為にはどういう行動が求められるか。答えは単純ではない。
各個人は、大なり小なり他人への破壊的な衝動の無制限な流れを抑えるための良心を持っている。だがその人が自分自身を組織構造に埋め込むと、自律的な人物にとってかわる新しい生物が生まれ、それは個人の道徳性という制約にはとらわれず、人道的な抑制から解放され、権威からの懲罰しか気にかけなくなる。(第15章「エピローグ」より)
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暴走する脳科学
哲学・倫理学からの批判的検討
河野哲也
「愛する」「考える」といったことは、実際には、現実世界との双方向的なやり取りの中で成立する過程であり、対象やそれへの行動から切り離してそれらの好意そのものを抽出することはできないように思われる。愛する心も考える心も、それが働きかける外的環境と、働きかけるための身体を必要とする。愛も思考も拡張した心によって実現する。(第二章「脳と拡張した心」より)
ビミョーに論旨とズレたタイトルが付いたおかげで、ヘンな先入観が生まれかえって論旨が掴みづらくなることがある。本書はまさにそんな感じ。書名からイメージされる様な、哲学・倫理学の立場から脳科学の「暴走」に批判的警告を発する書、という挑戦的な内容ではない。
平たく言えば、脳は“閉じられた”脳の世界だけで機能するのではなく、身体の器官との相互性や社会との関わり合いの中で機能する“開かれた”存在である。ミクロ的に脳の構造や神経伝達等を分析するだけでは、そもそも脳と心の関係といった根本的な問題さえ解けない。脳科学の究極の目標が心(=茂木健一郎氏が言うところの「クオリア」とか…)の解明にあるなら、最終的には「心と脳とは同一か?」という哲学的議論を避けて通れない訳だし、哲学と脳科学の交流がもっとあってもいいのでは? というのが全体に流れる基本スタンスである。
結局は、編集部がつけたタイトルが“暴走”した訳か。
たとえば、「知能は脳のどこの働きか」ということに関心を持つ脳科学研究はたくさんあるが、「解脱や悟りの中枢はどこか」を問う研究は寡聞にして聞かない。(中略)
科学が客観的であること、それが、ある社会的な関心を代表していて、その意味でバイアスが掛かっていることとは矛盾しない。ちょうどニュースの映像が事実を映し出していても、編集のやり方次第で偏った見方を生み出し、世論を誘導できるのと同様である。(第四章「社会的存在としての心」より)
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茂木健一郎の脳科学講義
茂木健一郎/聞き手:歌田明弘
幻覚というと何かすごいことのように思うけれども、脳は入力がなくなっちゃうと勝手に入力を作るシステムになっています。どんな宗教体験でも脳の活動であることは間違いないわけですが、日常を超えるということが何なのかは、超えたことがある人でないと想像がつかないですよね。(7「想像の少女が現実に見えるとき」より)
脳科学は、発展する程に哲学的思索と重なってくるんだなあ〜、というのが本書を読んだ一番の感想。脳内の構造や情報伝達のしくみがいくら“科学的に”説明出来ても、「人間の意識がどこからどう生まれるのか?」という人間存在の根源的問題は一向に見えてこない。そして、この「意識」の問題が解明されない限り、真の意味で「命ある存在」を人工的に生み出すことは不可能なんだろう。
教科書の様な厳めしい書名に一瞬腰が引けそうになったが、頁を捲ってみると過去に読んだ著者のどの本よりも平易で読みやすかった。編集と執筆の両方を知る手練れの聞き手が、話のレベルを巧く一般人の目線へと引き下げてくれたおかげか。
「私」はこの宇宙全体を見渡す「神の視点」は持たないが、自分自身の一部をメタ認知し、自分の脳のなかの神経細胞を見渡す「小さな神の視点」は持っている。(中略)
私たちの脳のなかには、小さな神が棲んでいるのである。
これが、私たちの意識の成り立ちを最新の脳科学の知見にもとづき考察していったときの、論理的な帰結である。(「特別講義」より)
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疑似科学入門
池内了
最も憂えることは、自分の頭で考えるのではなく、 (神仏や人からの)ご託宣を何の疑問も持たずに受け入れてしまう体質になることである。占いに典型的に現れているように、他からの言葉を丸ごと信じてしまい、自分としての意見や反論を持たずに従ってしまう風潮が強くなっているのではないだろうか。(第1章「科学の時代の非合理主義」より)
「占い」に行動を委ねたりはしないが、良い事が書かれてあると悪い気はしない。「超能力」を無闇に信じたくはないが、ないと断じるのもロマンがない様な気がする。「新興宗教」に毒されたくはないが、(毒物を撒く様な事さえなければ)「鰯の頭も信心から」なので救いを得るのは各々の勝手だと思う。要はいずれも、「神仏やエライ人が○○と言ってるんだから」と思考停止するのは危険だよということ。
さて、上記の「第一種疑似科学」に対してはそれなりに立ち位置を明らかにしやすいが、マイナスイオンやゲルマニウム、クラスター水といった、一見“科学的”説明の付く「第二種疑似科学」となると途端に態度はぐらつく。ましてや本書で言う「第三種疑似科学」、即ち地球温暖化、遺伝子組換え食物、電磁波の危険性等への態度となると、実は正確な事が分からないにも関わらず、「人類の将来のため」が金科玉条となっているから妙に反駁しづらい空気がある。とりあえず正しく証明されるまでは「予防措置原則」に則り危険を犯すべきでない、というのが著者の立場だが、では誰の主張を信じて何をどう予防するか、といった辺りは歯切れが悪くなる。「入門」なので、それ以上は今後の課題ということか。
第三種疑似科学は、これら複雑系に関わる問題で、それを要素還元主義の考え方で理解しようとすることからくる誤解・誤認・悪用・誤用などを指す。要素に分解してもわからないことをもって「科学的根拠なし」と断定したり、要素がプラスにもマイナスにもはたらくことをもって「どちらとも言えない」と不可知論に持ち込む手口である。(第4章「価額が不得手とする問題」より)
[2009年1月11日] この日の感想・書評へ→

戦争における「人殺し」の心理学
デーヴ・グロスマン著/安原和見訳
殺された兵士は苦しみも痛みもそれきりだが、殺したほうはそうはいかない。自分が手にかけた相手の記憶を抱えて生き、死なねばならない。教訓はいよいよはっきりしてくる。戦争の実態はまさしく殺人であり、戦闘での殺人は、まさにその本質によって、苦痛と罪悪感という深い傷をもたらす。(第11章「殺人の重圧」より)
生命が危険に晒されている極限状況にあっても、いかに人が人を「殺したくない」ものなのか。そしてその「殺したくない」心理を克服するため、軍隊が兵士達にどの様な訓練を施しているのかを,元米軍将校で心理学者の著者が多くの事例を元に解説している。
戦場での最大の心理的苦痛は「殺される」恐怖だと,我々一般人は想像しがちである。だが多くの研究成果によると、戦場で実際に兵士を苛むのは「人を殺す」ことへの抵抗感と,殺した後に湧き出る自責の念である。人は殺し屋として生まれた訳ではないからだ。
そこで米軍はオペラント条件づけの手法を用い、「反射的」に他者を撃てる様兵士を訓練し、ベトナム戦争での兵士の発砲率は大幅に向上した。しかしそれは、「人を殺した」心理的重荷を背負う兵士の数を増やす結果ともなった。本書の後半ではベトナム帰還兵の問題に紙数が割かれ、「人を殺した」兵士を社会がどう受容すべきかが考察されている。また最後には近頃のバイオレンス色の強い映画やゲームが、「人殺し」に慣れる心理的訓練を知らず知らず青少年達に施しているのではと警鐘を鳴らしている。
今年読んだ中で最も読み応えのあった一冊。
本書で私が訴えたかったのは、人間のうちには、自分自身の生命を危険にさらしても人を殺すことに抵抗しようとする力がある、ということだ。歴史に残るかぎりの昔から、その力はずっと人間のうちにあった。戦場でより効果的に敵を殺すことを目的に、社会がその構成員に殺人への抵抗を克服させようと努力してきた歴史、軍事史はそのように解釈することも可能である。(第41章「アメリカでの再感作」より)
[2008年12月29日] この日の感想・書評へ→

記憶力を強くする
池谷裕二
海馬に記憶が保管されている期間は、長くても一ヶ月であるといわれています。・・・(中略)・・・効率のよい復習とは、以前の記憶が海馬に保管されているうちに、覚えたい情報をもう一度、海馬に送信してやることです。そうすれば、海馬はこの情報を「必要」な情報であると判定して、側頭葉に「これを記憶せよ」と送り返すのです。(第6章「科学的に記憶力を鍛えよう」より)
本書を読み始めたのを見て、受験生の息子から「いい記憶法が書いてあったら教えて」と頼まれた。もちろん、それで志望校に合格してくれるのなら、親としてはおやすい御用だ。
「頭を多く使って鍛えれば、神経細胞はこれに応えるように増殖し・・・」か。脳みそも筋肉と同じだぞ、と教えてやることにしよう。
「もっとも効率的な方法は、覚えたい対象に興味を持つこと」か。野球と同じ位勉強にも興味を持てよ、ってか。
「寝ることは、ものごとをしっかり覚えるための大切な行為」とあるが、寝てばかりのヤツには伏せておこう・・・。
「記憶は時間をかけて熟成するワインのようなもの」とは実に巧い表現だが、未成年にこの含蓄は分からんな。
というわけで、「結局は『本人の意欲が大切である』という結論にたどり着きました」。めでたしめでたし。
脳が記憶するときには、記憶の対象となる「事象」を理解するだけではなく、事象の「理解の仕方」も同時に記憶していることがわかります。「法則性」を見つけ理解することが、記憶において重要なポイントであることはすでに述べましたが、ひとつのことを記憶すれば自然と、ほかのことの法則性を見出す能力も身につくというわけです。つまり、記憶には相乗効果があるのです。(第6章「科学的に記憶力を鍛えよう」より)
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日本史の一級史料
山本博文
本書で言いたいことは、二つあります。
一つは、歴史は過去に確かにあったことですが、現在、われわれが知りうる「歴史」というのは、史料から復元されたものであり、かつ史料からしか復元されえないものだということです。(中略)
もう一つは、歴史は「歴史家」というフィルターを通してしか描かれないということです。(はじめに「歴史は何によって描かれるのか」より)
歴史小説家も歴史家も、一般の歴史好きにとってはどちらも同じ「フィルター」であるが、求められる機能が全く異なる。
小説家に求められるのはいわば「偏光フィルター」としての役割であり、史実を曲げずに創造力一つで豊穣な作品世界を現出させる「芸」のレベルの高さである。一方歴史家に求められるのは、偽りや偏り、誤りに満ちた膨大な文書の山の中から、ただ一つであるはずの歴史的「事実」だけを正確に掬い取る、「濾過フィルター」としてのパフォーマンスの高さである。
そのため、著者の様に史料編纂所等の専門機関で勤務する職業的歴史家は、西へ東へと足を運んで史料を採訪しては、集めた史料を一点一点深く読み込む作業と、何千何万もの史料を短時間で処理する作業とを並行しながら、事実という「宝物」を掘り起こすべく気の遠くなる様な作業に勤しんでいる。読んでいるといろいろ大変そうだが、歴史に没頭できる浮世離れした仕事を少々羨ましく思う。
わたしは、武蔵の死後に、『五輪書』や『二天記』などが書かれたこと自体が、それが書かれた時代を考察する「史料」となりうると考えています。
そのことから、二天一流の流派の広まりや、それぞれの流派の創始者の精神を類推することによって芸道に高めていこうとする社会の様子がわかるからです。(第1章「有名時代劇のもと史料 」より)
[2008年7月12日] この日の感想・書評へ→

思考の補助線
茂木健一郎
世界全体を引き受けるとは、すなわち、知の技法に依拠することであると同時に、かなりの程度、感情の技術に属することなのではないだろうかと思うのである。・・・(中略)・・・アルベルト・アインシュタインは『ドン・キホーテ』の物語を好んで読んでいたと伝えられるが、統一場理論をつくって世界の究極の秩序を説明しようとしたアインシュタインが自分をかの有名な騎士に重ねたとしても不思議ではない。一人は実在、もう一方はフィクションだが、この二人の人格は共鳴している。(「この世界のすべてを引き受けて」より)
梅田・紀伊国屋書店の書棚には、著者の声として「一番本気で書きました」と手書きのPOPが添えられている。その本気度のせいだろうか、衒学的と言いたくなる様な小難しい言い回しが随所に駆使され、本文そのものに“補助線”を入れて分かりやすくしてよと皮肉の一つも言いたくなる。
「欲望する脳」を読んだ時にも感じたことだが、この人は大変真っ当な「勉強オタク」だ。あるいは脳から汗を流すことに快感を覚える「知のアスリート」と言うべきか。その流れで本書の主旨を強引に野球へと置き換えるなら、勝てるピッチャーになるには、直接球を投げる部分(肩/腕)ばかりを鍛えるのではなく、全身をバランス良く鍛えながら、広い視野でゲーム全体を俯瞰する姿勢が大切なんだよ、ということか。
「絵画」という専門領域におけるダ・ヴィンチの卓越は、「万能の天才」と称されるその幅広い素養に裏づけられている。一筋縄でいかない人間という存在についての深い洞察がなければ、生涯手元において手放さなかった「モナリザ」の微笑みは描くことができまい。・・・(中略)・・・心ある人は、今すぐにでも自らを閉じこめる「専門性」のガラスの壁をやぶり、世界という広大な偶有性の海に飛び込むべきであろう。(「総合的知性と専門的知性」より)
[2008年6月26日] この日の感想・書評へ→

白洲次郎 占領を背負った男
北康利
彼は吉田茂に見込まれ、戦後、日本復興の推進役として辣腕を振るった人物である。“プリンシプル”(生き方の大原則)を大事にし、筋の通らない話には相手が誰であろうと一歩も引かなかった。正子は次郎のことを「直情一徹の士」、「乱世に生き甲斐を感じるような野人」と評している。(「稀代の目利き」より)
GHQに“従順ならざる唯一の日本人”と言わしめた男・白洲次郎の本格的な評伝。2005年度「山本七平賞」受賞作。読後の感想はただひと言、「これ程格好良い男が戦後日本に実在したのか」。本宮ひろ志の劇画の中に出て来そうな、現実離れした現実の人物である。ちなみに、日本で初めてジーンズを履いた男としても知られている。
“大宰相”吉田茂の懐刀として戦後日本の“支配者”だったGHQと渡り合い、日本の早期独立と経済復興に力を尽くした足跡は勿論のこと、英国留学時代や家族との日常、退隠後の逸話で描かれる素顔までが、男としての痛快さとダンディズムに満ち溢れている。私的にはこれ程の人物が母校の大先輩と判り恐悦至極 (しかも野球部。但し校風に馴染めず辛かったらしいが・・・)。
−戦争には負けたけれども奴隷になったわけではない。
それが彼の口癖だった。日本人離れした体躯と英国流のエレガンスを身につけていた彼は、アメリカ人と相対しても位負けするどころか相手が威圧感を感じるほど。英国仕込みの語学力を武器にしてGHQ高官とも堂々とわたりあった。(「稀代の目利き」より)
[2008年6月 4日] この日の感想・書評へ→

井伊直弼の首
幕末バトルロワイヤル
野口武彦
これまでの幕末維新史は、安政江戸地震をまともに扱ってこなかった。歴史記述の中でほんの付けたり的に触れるだけで、安政二年(1855)十月二日に江戸で大きな地震が起き、被害が多かったとしか書かれていない。政治史・経済史とは別枠の災害史に属すると思われているのだ。
しかし現実の出来事では、すべてが具体的に連なって同時進行する。(第一部 安政内憂録「その七 お台場崩壊」より)
週刊新潮の人気連載を新書化した二冊目の本。堅苦しい歴史書でもなく、かといってお気軽な小説や講談風でもない。公文書や史書の記述に裏付けれた幕末の世相が、小気味よい文体でいきいきと綴られた良質の歴史エンターテイメント。これまで様々なタイプの幕末物を読んできたが、そのどれにも当てはまらない不思議な臨場感が全編を覆っている。
ひとえにそれは、教科書には記述されない庶民の生き様や暮らしの息吹が、適度な粗さの網目で掬い取られているからであろう。歴史には「表」と「裏」がある、とはよく言われるが、同時に「日向」と「日陰」があるのだという事を改めて感じさせてくれる本。
天下の大老が首を取られたのだから、幕府にとってこんな大失態はなかった。だが、大老暗殺を「なかったこと」にしようとする《事実隠し》は、それに輪を掛けた醜態だった。前代未聞の《あいまい解決》が図られたのである。(中略)
それ以来、日本の政治の中枢部にはウソが居座ることになった。(第二部 安政血風録「その十一 あいまい解決」より)
[2008年5月19日] この日の感想・書評へ→

進化しすぎた脳
中高生と語る「大脳生理学」の最前線
池谷裕二
進化の教科書を読むと、環境に合わせて動物は進化してきた、と書いてあるけど、これはあくまでも体の話。脳に関しては、環境に適応する以上に進化してしまっていて、それゆえに、全能力は使いこなされていない、と僕は考えている。能力のリミッターは脳ではなく体というわけだ。・・・(中略)
でも僕は、あえて前向きに脳は過剰進化したと考えてみたいんだ。(第一章「人間は脳の力を使いこなせていない」より)
ニューヨーク留学中の中高生8人を相手に、脳科学界の若き精鋭が4回にわたって行った特別講義を書籍化したもの。冒頭に「高校生レベルの知識層に説明して伝えることができなければ、その人は科学を理解しているとは言えない」という物理学者ファインマンの言葉を引用しているが、まさにその自負通り、最先端の脳科学の知見や実績、研究成果を実に判りやすく、親しみやすくレクチャーしている。糸井サンとの対談書「海馬」もかなり面白く読めたが、今回は次代を担う中高生相手ということもあって、最新の成果を“伝えたい・判らせたい”という思いと情熱が、手書きの資料等からもより強く伝わってきた。
著者自身あとがきで、今回(2007年1月)のブルーバックスでの増補刊行(初版は04年10月朝日出版社)を前に再読して「なにかこう、よい講義を受けたような、そんな得した気分になりました」と自画自賛しているが、その言葉が嫌みにならないほど知的刺激に満ちた本。
意識とか心というのは多くの場合、言葉によって生まれている。意識や心は言語がつくり上げた幽霊、つまり抽象だ。こう考えると、ひとつの結論にたどり着く。そう、意識とか心は〈汎化〉の手助けをしているんだよ。わかるかな。
つまり、「言葉→心→汎化」だ。人に心がある〈理由〉はきっと言葉があるからだけど、人に心がある〈目的〉は汎化するためなんだろうね。(第三章「人間はあいまいな記憶しかもてない」より)
[2008年4月16日] この日の感想・書評へ→

幕末百人一首
菊池明
世の中の 人はなにとも 言はば言へ
我がなすことは我のみぞ知る (坂本龍馬)
おもしろき 事もなき世を おもしろく
住みなすものは 心なりけり (高杉晋作)
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも
留置かまし 大和魂 (吉田松陰)
朝顔の 花のようなる コップにて
きょうも酒々 明日も酒々 (大村益次郎)
今までありそうでなかった本。豪華な顔ぶれはまさに幕末オールスターズ。貴人も博徒も、勤王も佐幕も、大名も浪人も、肖像画付きの一人一見開きで一首ずつ、詠まれた状況やプロフィールの説明を簡潔に添えて紹介している。ほとんどが憂国の志に満ちた“熱い”歌ばかりで、「死」「命」といった殺伐とした言葉も少なくない。また秀作揃いという訳では決してなく、中には技巧も何もない粗削りなものも相当数混じってはいるが、この人がこんな歌をという意外な発見もあったりして、幕末ファンには結構興味深い。
中でもあの清水次郎長が、死に際に亡き妻(お蝶)への想いを詠んだ辞世の歌は、憂国の歌ばかりが並ぶ中で少しばかり泣かせる。
君がため 深き海原 ゆく船を
あらくな吹きそ しなとへの神 (西郷隆盛)
大君の 春ならぬ世と 知りぬらん
花もことしは 去年にかはれる (木戸孝允)
よしや身は 蝦夷が島辺に 朽ちぬとも
魂は東の 君や守らむ (土方歳三)
ろくでなき しごとも今は あきはてて
先立つ妻(さい)に 逢うぞうれしき (清水次郎長)
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「私」のための現代思想
高田明典
大根役者、つまりこの世界で生きていくことを辛いと考え、そこに幸せを見出すことに困難を感じている人たちこそが、この世界を変える力をもっていると言えます。(第2章「『私』はどこで、どのように生きているのか」より)
年間3万人以上が自殺している今日、「自殺には『正しい自殺』と『正しくない自殺』がある」という刺激的な帯に惹かれ、本書を手に取った人も少なくないだろう。著者の言う「正しい自殺」とは、自分なりに闘い抜いた結果、「ぎりぎりの判断において、『死ぬことによってしか、〈私〉が〈私〉でありつづけることはできない」と考えるとき、それは『正しい自殺』となる」という自己判断であり、「死ぬしかない」という追い込まれた気持ちでの自殺とは大きく一線を画すことになる。「他にも方法はあるが、これが最も正しい」という思い(それが例え独善的な覚悟であっても)がそこにはある訳で、2004年の大河ドラマ「新選組!」で強烈なインパクトを残した山南敬助の切腹の回なんかは、そうしたイメージに近いのかなあと、ふと思い出したりした。
「正しい自殺」とは、盤石な《私》が存在し、その上に頑強な「超越確実性言明」が発生しているという条件のもとで決意される自殺です。 そのとき人は、「超越確実性言明」を守るために闘い、その闘いの一環として「自らを殺す」ことを決意します。(第5章「「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味」より)
[2008年1月24日] この日の感想・書評へ→

社会と人間関係の心理学
松井豊・上瀬由美子
心理学では、多くの人にあてはまるような一般的な性格記述が自分だけにあてはまる正確な記述であると受け止めてしまう現象が知られており、この現象をバーナム効果(Barnum effect)と呼ぶ。占い師が発する蓋然性の高い情報は、バーナム効果を引き起こし、客に「当たった」と思わせるのである。(1-3「占いが当たる理由」より)
占い師がでたらめなご託宣を並べたとしても、確率論的に的中率は決して0%ではない。なぜなら、一定の比率でまぐれ当たりがあるからだ。ただ人はえてして、占いの場面でまぐれ当たりを計算に入れないため、その心理的ギャップのおかげで、占いが僅かでも当てはまるとつい「当たってる〜」と感じてしまう。ましてやここに引用した「バーナム効果」「自己充足予言」等の心理的要素が加わると、占いの信憑性はいやが上にも高まる。
そもそも冷静に考えると、世の全ての「O型で射手座の土星人」が、私と同じ性格を持ち、同じ様な人生を歩んでいるはずもない。でも六星占術の本に「土星人は『心の世界』の住人で理想が高く、清潔な性格で正義感にあふれ、実利より名誉を重んじる」とあったり、「射手座は自由を愛する心が12星座で一番強く、独立心が強く行動力も活発。内面に豊かな感受性やデリケートさを兼ね備える」な〜んて理想の自己像をくすぐる記述を読むと、つい自分をそこに適合させたくなり、結果的に「土星人的」「射手座的」性格が身に付いてしまうのだろう。まあそうした観点から見れば、ある特定の占いがポピュラーになればなる程、そこに「当てはまってしまう自分」が増えるのは当然かも知れない。
心理学では、人から自分に関する将来の情報(予言)や他者に関する情報を与えられると、無意識のうちにその予言や情報にあった行動をとるようになり、結果として予言された(情報にあった)状況を現実に作ってしまう現象がみられる。この現象を自己充足予言(self-fulfilling prophecy,自己成就予言や予言の自己充足傾向とも訳される)と呼ぶ。
自己充足予言は、占いが「当たる」理由をもっともよく説明する現象である。(1-3「占いが当たる理由」より)
[2008年1月16日] この日の感想・書評へ→

無思想の発見
養老孟司
自分とは「創る」ものであって、「探す」ものではない。それが大した作品にならなくたって、それはそれで仕方がない。そもそも大したものかどうか、そんなこと、神様にしかわかるはずがない。それがわかったら、もう個性とか、本当の自分とか、自分に合った仕事とか、アホなことは考えないほうがいい。どんな作品になるか、わかりゃしないのだが、ともかくできそうな自分を「創ってみる」しかない。(第二章「だれが自分を創るのか」より)
「自分探し」という言葉を聞くと虫酸が走る。正しくは、「自分探し」を言い訳に世の中と向き合わないヤツが嫌いだ。今迄はこの嫌悪感を巧く説明できなかったが、冒頭に引用した一節を読んで思わず膝を叩いた。「そうそう、自分とは探すもんやなく、創るもんやで」。今後はこの言葉を使わせて頂くことにする。
だからつい先頃迄は、「自分探し」と称して世界を漫遊している元蹴球選手が好きになれなかったが、この一節に触れてからは、ある一つの世界で一度自分を「創り上げた」人だからOKなんだ、と思える様になった。ただ自分を一度も「創ろう」としないまま、「○田だって自分探しをしているんだから・・・」と大義名分を得たと思っている浅はかな連中に、「俺はサッカー以外の世界で、再度新たな自分を『創ろう』としてるんだよ」と言ってやってほしいもんだ。
つまり「未知との遭遇」とは、本質的には新しい自分との遭遇であって、未知の環境との遭遇ではない。そこを誤解するから、若者はえてして自分を変えず、周囲を変えようとする。・・・(中略)・・・しかしいつまでも未知を訪問しているわけにはいかない。働いて、家族を養い、食っていかなきゃならないのである。その必要がなければ、今度は退屈するであろう。(第九章「じゃあどうするのか」より)
[2007年11月 1日] この日の感想・書評へ→

忠臣蔵夜咄
池宮彰一郎
自らの経験をもとに思うのだが、年寄りというのは、若い者を叱っているときほど喜びと快感を覚えるものなのだ。
美味しいものがたくさん食べられず、女色から遠ざかって何年にもなる。そうした食欲や性欲の快感もなくなってしまった老人にとって、若い者をいたぶっているときの快感は女色にも勝るものがあるのだ。・・・(略)・・・どうもはっきりしない内匠頭の遺恨は、存外、このような年齢的なことから始まったのかも知れない。(「忠臣蔵の詩と真実」より)
古稀を前にして「四十七人の刺客」で斬新な忠臣蔵像を打ち出し、華やかに小説デビューした著者が、「南部坂雪の別れ」をはじめとする数々の逸話を新たな視点から検証し直し、その意外な実像に迫った歴史エッセイである。
特に「忠臣蔵」の事件の発端である浅野内匠頭の刃傷沙汰については、吉良上野介の賄賂説を筆頭に様々な動機が語られて来たが、結局のところ原因は解らず、今となっては真相を探り出す術もない。ただ本書で披瀝されている池宮説=要するに、老人にいたぶられた(と必要以上に思い詰めた)お坊ちゃん育ちの若い者が突然キレて斬りかかった、という辺りが案外真相かも知れんなあと、妙に共感してしまった。
南條 時代劇の二枚目俳優は、集大成として必ず大石内蔵助を演じるようだけれど、時代小説を書く人も、集大成として「忠臣蔵」を書くということがあるのかな。
池宮 池波正太郎さんが「忠臣蔵」を書く準備をされていて、始めたら死ぬまで書き続けると言っておられたと聞いたことがあります。
南條 池波さんが書いたら面白かったろうな。惜しいことをした。(6「忠臣蔵を語る」より)
[2007年8月 7日] この日の感想・書評へ→

つっこみ力
パオロ・マッツァリーノ
人は正しさだけでは興味を持ってくれません。人はその正しさをおもしろいと感じたときのみ、反応してくれるのです。本当に重要なのは正しさではありません。付加価値であるおもしろさのほうなんです。(第一夜「つっこみ力とは何か」より)
そう言えば、世に「天然ボケ」という言葉はあるが、「天然ツッコミ」はない。著者も「ぼけ力は天賦の才に負うところが大きい」が「つっこみなら、凡人や秀才でも努力すればそこそこのレベルまで到達できる」と本書で述べている。そこで「つっこみ力」のススメ、という訳だ。批判や批評は相手の恨みや反感を買ったり、「ウザい」と一方的に切り捨てられかねないが、相手が見せたちょっとしたスキに的確な「つっこみ」を入れることができれば、角を立てずに周囲を巻き込んだ笑いへと昇華させつつ、論点の所在を明確にすることができる。ボケのように“スベる”心配もまあ少ないし。
近頃は「○○力」と題する啓発本がやたら多くて食傷気味ではあったが、この「つっこみ力」はなかなか巧みなネーミングだと思う。
これからの時代は、シロウトに説明できるだけの国語能力を持つことが、プロの条件なんです。それができないからといってシロウトを世間知だと責める連中こそが、時代遅れで自分に甘くて愛のない、救いようのないシロウトなんです。(第一夜「つっこみ力とは何か」より)
[2007年7月 3日] この日の感想・書評へ→
反社会学の不埒な研究報告
パオロ・マッツァリーノ
賞をあげる側は、受賞者の偉業にちゃっかり便乗して、贈呈式の舞台で並んで立ち、セレブのおこぼれにあずかれます。偉い人に賞をあげるのだから、自分はもっと偉い人になれます。しかもこれだけ偉そうにしておいて、受賞者は頭を下げて感謝してくれます。
こんなに手軽で便利で費用もかからず名誉欲を満たせるシステムが、他にあるでしょうか。(「賞マスト・ゴーオン ツッパることは勲章か」より)
前作「反社会学講座」に比べるとやや切れ味に欠ける印象は否めないし、特に後半部分は芸達者ぶりを見せようとし過ぎた結果、一冊の書物としてまとまりに欠けてしまったが、それでも知的エンターテイメントとしては十分な水準を保っている。
GDPの増減なんてただの「お祭り騒ぎ」であること、シンクタンクがおいしい天下り先であること、世の中の賞が実は「あげる側の虚栄心をお手軽に充たすためにある」こと、新渡戸稲造の本が出るまで日本人は「武士道」なんてものに関心がなかったこと、等々・・・。世の中の常識なんてものは、ほらっ、この程度に根拠が薄弱なものなんですよ〜と、物事を常に批判的に見ることの大切さを、軽妙かつシニカルに教えてくれている。
私はかねてから、一億円以上の資産を持つ金持ち老人には年金受け取りを放棄してもらうことで、年金制度は存続可能だとする抜本改革案を提示してきました。しかしそれだと、長年払ったのにもらえないのは納得いかん、とケチな老人の反発を食らうのも必至です。そこで、社長などのお金持ちが、のどから手が出るほど欲しい勲章の出番です。(「末は博士か大臣か PART2・賞より素敵な商売はない」より)
[2007年4月13日] この日の感想・書評へ→

間合い上手
大野木裕明
「間合い」とは、良好な対人的関係を保つために豊富な行動のレパートリー・メニューの中から、適切な言語的・非言語的行動を選び出して臨機応変に対応することである。この「間合い」には、時間的「間合い」、距離的「間合い」、心理的「間合い」の三つの側面があって、それらは相互に関与し合っている。(第一章「三つの『間合い』で対人関係を読み解く」より)
ケータイを主とした電子メールの普遍化によって、物理的に離れていても心理的「間合い」を保ち続けることが可能になった。相手によっては、直接会うよりメールの方が互いに深く踏み込んで語り合える、という場合は多々あるし、ほぼリアルタイムでやりとりできるため、やりとりの最中、ディスプレイの向こう側に相手の口調や息づかいを感じ取れることも少なくない。自分自身を顧みても、今やメールのない暮らしやビジネスを想定するのは、不可能ではないものの相当困難だろう。
ただ暮らしの中でメールの存在感が増すにつれ、「メールとの間合い」の取り方に疲れを感じ始めたのも事実。特に仕事に追われている最中や心理的に不調の時は、良からぬ知らせや自分をへこませる文面が届くのではないかと、重い気持ちでメール確認をしている。そんな時は素直に、メールがなかった“不便な”頃をつい懐かしく思い出すのである。
子どもや夫(父)や妻(母)がバラバラにケータイで外部と連絡を取り合うとはどういうことか。それは、家庭という体験的「間合い」により構成された生活共同体が、外部からの目に見えない侵入によってお互いに把握できなくなることである。もはや体験的空間による「間合い」ではなく、メディア空間による「間合い」が生活の基盤になっているからである。(第二章「『間合い』の混乱」より)
[2007年2月26日] この日の感想・書評へ→

三国志の英傑たち
北方謙三
『三国志』を書き始めるとき、ぼくも頭の中には『男と男の出会い」を書くということしかなかった。たとえば劉備と曹操、呂布との間の苛烈な殺し合いですら、出会いというものの一つの形。そう考えると、この物語は第一に男と男の出会いの、そしてその結果としての滅びの物語だからである。(1章「劉備・関羽・張飛ーー男の出会いとは」より)
北方謙三の「三国志」を読んだのは2003年の9月。とにかく登場人物の大半が英雄然として“濃い”奴ばかりなので、読んでいて少々息が詰まるような感覚もあったが、そのぶんかなり異質な三国志ワールドとして深く印象に残っている。
本書はNHK教育TVで2004年2〜3月にオンエアされたNHK人間講座「三国志の英傑たち」のテキストを文庫化したもの。“北方版三国志”の創作スタンスや歴史観、人物造型の意図などが詳しく述べられており、ああこの人は三国志そのものが書きたかった訳じゃなく、「男の出会いと死」をドラマティックに描く物語世界として三国志を選んだのだな・・・ということがよく分かった。
小説を読まなくても死にはしないが、人には小説を読んでよかったなと思える瞬間が必ずある。人が生きる、そのことの意味をきちんと捉え、描写した小説との出会いというのも、その瞬間の一つではないだろうか。ぼくは『三国志』を書きながら、精一杯生きようとした人物の姿をきちんと描く、そのことばかり考えていた。(8章「その後の三国志ーー四つのキーワード」より)[2007年2月19日] この日の感想・書評へ→

反社会学講座
パオロ・マッツァリーノ
バカ息子は、日本の伝統なのです。商売などで立派に身を立てた親の子がまた優秀では、未来永劫その家系だけが繁栄し、不公平のままです。たまに出来の悪いこどもが現れて家が没落することで、よその家系にチャンスがまわってくるのです。バカ息子こそが、社会の公平を実現するカギなのです。(第5回「公平な社会を作るバカ息子(娘も)」より)
正体不明の似非外国人著者(恐らくは反骨心旺盛な日本人の社会学者であろう)による、目からウロコのシニカルでブラックな「反・世間の常識講座」。「戦後最もキレやすかったのは昭和35年の17歳」「凶悪少年犯罪の低年齢化はガセネタ」「日本より欧米の方が若者のフリーター率が高い」「ヨーロッパの国立大の授業料はタダ同然」etc...、ああそうだったのね、といいたくなるような“社会の真実”がいろいろ紹介されている。
もちろん「社会学者の一般的な研究方法」として「自分の結論を裏付けるのに都合の良い資料・データだけを集める」ことを“推奨”している著者であるから、本書内のデータも同類でないとは言い切れない。そして少し深読みするなら、自著に対しても鵜呑みにはせず批判的精神で臨まなきゃだめだよと、著者自身が暗に示唆している様な気がしないでもない。
自立していると自負する人も、親の遺産は当然のごとくもらいます。親のカネで家を建てたりします。住宅ローン減税だって、実質上は政府からのほどこしです。銀行は政府の公的資金に依存しています。サービス業はフリーターに依存しています。選挙の地盤を受け継いだ二世議員は親の築いた人脈に依存しています。ヨーロッパの学生は国に依存しています。アメリカの学生だって親に学費を出してもらいます。(まとめ「渡る世間は自立の鬼ばかり」より)[2007年2月11日] この日の感想・書評へ→

嘘とだましの心理学
箱田裕司・仁平義明編
子どもが多くの障害を抱えつつ未来に向かって歩いていくためには、真実を知る必要があると思う。だから、私は病名告知には賛成だ。しかし、死へ向かっていくときは別だ。死を知ることで、子どもは何を得るというのだろうか。(第3章「医療場面における嘘」より)
タイトルこそ○△ブックス的な安物のノウハウ本のようだが、中身は「嘘とだまし」についての学術的な研究成果を踏まえた、至って正攻法な本である。
「勧誘・悪徳商法の心理的メカニズム」や「無実の自白」「霊長類の嘘・だまし」など興味深いテーマがいくつも盛り込まれているが、中でも小児ガンの病棟で働く現役の医師が担当した第3章は、突然の告知を受けた両親の苦しみと子供への「嘘」、薄々気付いていながら両親を苦しめまいと知らぬ振りをする当の子供の「嘘」、これから起こり得る事の全てを知る医師が苦悩しながらつく「嘘」など、そのリアリティある描写に心が痛む。自分自身がガンに罹ったとしたら、残された時間を最大限有効に使うためにも絶対に告知してもらわないと困るが、もし自分の子供が、と考えるとさてどうしたもんだろう。
最初に指摘して置かねばならないのは、「真犯人を自白させる取調べ圧力が、無実の人を自白させることもある」という単純な事実である。またこの取調べの圧力は、人が一般に想像するよりもはるかに強い。(第4章「司法場面における嘘とだまし」より)
[2007年1月13日] この日の感想・書評へ→

社会学入門−人間と社会の未来
見田宗介
社会の「近代化」ということの中で、人間は、実に多くのものを獲得し、また、実に多くのものを失いました。獲得したものは、計算できるもの、目に見えるもの、言葉によって明確に表現できるものが多い。しかし喪失したものは、計算できないもの、目に見えないもの、言葉によって表現することのできないものが多い。(1「鏡の中の現代社会」より)
「社会学入門」とは名ばかり。内容は入門書の範疇を超え、特に最終章は門外漢には理解できない話題が延々続く。こんなレベルの高い内容の本に「入門」なんて付けてほしくないなあ。自分がバカに思えてしまうから。
ただし前半部には、分かりやすくて興味深い話が幾つも紹介されている。その一つがメキシコのインディオの「死者の日」。懐かしいと思う死者達をしのんで飲み食いする「お盆」の様な風習だが、面白いのはごちそうを「招きたい死者達」の数よりも必ず一人分多く作っておくところ。どの生者にも招かれない孤独な死者達のためだそうだ。メキシコでは友人を二人誘うと、その友達やフィアンセを連れて四人で来たりするので、そうした社会感覚が死者のための祭りにも投影されているのだろう。
生活の合理化・近代化という視点から見れば“余分な一人分”ではあるが、人生の大切な“何か”は、そうした余分さの中にあるように思えてならない。
「理想」は現実化(realize)することを求めるように、理想に向かう欲望は、また現実に向かう欲望です。表現のさまざまな様式の歴史において、リアリズムという運動が多くのばあい、理想主義的な原動機にうらうちされていたように、理想の時代は、また「リアリティ」の時代であった。虚構に生きようとする西晋は、もうリアリティを愛さない。二〇世紀のおわりの時代の日本を、特にその都市を特色づけたのは、リアリティの「脱臭」に向けて浮遊する〈虚構〉の言説であり、表現であり、また生の技法でもあった。(3「夢の時代と虚構の時代」より)
[2006年10月11日] この日の感想・書評へ→

海馬 −脳は疲れない
池谷裕二/糸井重里
糸井 考えが煮詰まった時に、人は「脳が疲れる」とかよく言うけど、あれを池谷さんはどう思いますか。
池谷 脳はいつでも元気いっぱいなんです。ぜんぜん疲れないんです。
糸井 おおおおおぉっっっっっ!(「脳は死ぬまで休まない」より)
気鋭の若手脳科学者と糸井重里による刺激的な脳談義。私を含む人生の中間地点を折り返した者たちにとっては、いろんな意味で大いに勇気づけられる一冊である。巷ではよく「脳細胞は年齢と共に破壊される」ことだけが強調され、「歳のせいか物覚えが・・・」なんて口にする人も多いが、最先端の脳科学によれば「三〇歳を過ぎてから頭はよくなる」し、「脳は疲れない」し、「海馬(記憶を司る部位」は増やせる」とのこと。実際仕事をしていても、10年前より今の方が確実に考える能力は上がっているし、方法論の引き出しも飛躍的に増えていると実感しているから、その感覚を科学的に裏付けられた様でうれしい。文庫の裏カバーに「オトナの読者に生きる力を与えてくれる、人間賛歌に満ちた科学書」とあるが、その通りの本だ。
池谷 ・・・「脳は使い尽くすことができる」と気づきさえすれば、どんな年齢であっても、脳を使い尽くすほうに枝分かれできるんです。それを認識するかしないかで、ずいぶん違うと思いますよ。・・・
糸井 ・・・つまり何歳になっても頭はよくなる。「今さら考えたってダメだ」と思っちゃもったいない。(「新しい観点を得ることのすごさ」より)
[2006年8月 5日] この日の感想・書評へ→

影響力の武器
−なぜ、人は動かされるのか
ロバート・B・チャルディーニ著/社会行動研究会訳
私たちの文化の中では、大多数の人が、承諾を導く引き金特徴(どういう場合に要請に応じるのが正しく、また利益になるかを教えてくれるような一連の情報)をもつようになってきている。これらの特徴を(影響力の)武器のように遣って、人々を承諾するように導くことが可能である。(第1章「影響力の武器」より)
世の中にある「他人を思い通りに動かす法」といった類のハウツー書の原典と言うべき、社会心理学の名著。人が思わず動かされる6つの心理について、豊富な実例を元に分かりやすく解説している。
1)返報性:「お返ししなきゃ」という心理の利用
2)コミットメントと一貫性:一度表明した態度を貫こうとする心理の利用
3)社会的証明:社会的に証明された事柄こそ正しいと盲信する心理の利用
4)好意:類似性やお世辞で好意を抱かせる心理の利用
5)権威:権威に屈するよう導かれる心理の利用
6)希少性:数少ないものに価値を感じる心理の利用
いや〜この本を読まずしてよく今まで世の中を渡って来れたなあという程、心理的無防備さの危険性を思い知らされた。眼からウロコの、使われ方によってはかなり危険な一冊とも言えよう。
コミットメント(つまり、自分の意見を言ったり、立場を明確にすること)をしてしまうと、人はそのコミットメントに合致した要請に同意しやすくなる。したがって、多くの承諾誘導の専門家は、後で要請しようとしている行動と一貫するような立場を最初にとらせるように誘導するのである。(第3章「コミットメントと一貫性」より)
[2006年6月25日] この日の感想・書評へ→

クロニクル坂本龍馬の33年
菊地明
剣技を生業とする千葉家に最も必要とされたものは、北進一刀流を継承することのできる実力なのだ。 それを龍馬が備えていたからこそ、佐那との関係が成立したのである。(「検証 坂本龍馬の基層/坂本龍馬の初恋」より)
津本陽の「龍馬」全五巻を読み切っておよそ三週間。心にまだ少し余韻が残る中、書店で見かけた本書で龍馬の生涯を再度振り返ってみた。過去にもさんざん龍馬に関する書籍を買い漁って来たので、新刊を捲ったところで大半は知っている事の確認に過ぎないのだが、それでもやはり何か一つ位は自分の知らない新発見があるかも・・・と期待し、その結果龍馬の名を冠した似た様な本ばかりが書棚に並ぶはめになる。
思うに、歴史というのは過ぎ去ったものであり、本来ただ一つの“事実”しかあり得ないのだが、資料の読み込み方と光の当て方一つで、時代や人間についての様々な“真実”が浮かび上がって来るから面白いのだろう。
四月二十七日に寺田屋へあてたと推定される手紙で、龍馬は「私をして海援隊長と申し付け、すなわち長崎にて一局(がくもんじょナリ)を開き、諸生の世話をいたし申し候」と、海援隊が学問所であることを明言している。つまり海援隊には、龍馬の「日本を今一度せんたくいたし申し候・・・・」という発言の原点となった神戸海軍操練所復活の思いが込められていたのである。(「龍馬海援隊長に就く」より)
[2006年5月 7日] この日の感想・書評へ→

六韜・三略の兵法
守屋洋
善く戦う者は、軍を張るを待たず。善く患を除く者は、いまだ生ぜざるに理む。善く敵に勝つ者は、形なきに勝つ。上戦は与に戦うなし。(戦巧者は敵と対陣するまえに目的を達し、やり手の人物は事が起こるまえに問題を解決し、有能な将軍は軍を動かすまえに勝利を収めます。つまり、戦わないで勝つのが理想的な勝ち方なのです。)(龍韜/二十六「作戦の要諦とは(軍勢)」より)
中国にはかの有名な「孫子」を含め、「武経七書」と呼ばれる七つの主要な兵法書がある。「六韜(りくとう)」「三略」はその中の二冊で、かつて中国で兵を率いる立場にある者は、この武経七書に精通する事が必須条件だった。そして両書の作者とされる太公望は、今から約三千年前の周王朝創建時に活躍した伝説の軍師であり、ただの“釣り好きのおっさん”ではない。
さて「六韜」と「三略」、そして「孫子」を通読して得られる“兵法の極意”とは何か。それは結局、“戦わずして勝つ”事こそが最上の策だという考え方であろう。そして両書共に用兵のテクニックよりも、人材の採用・育成・配置の重要性や人物の見抜き方といったヒューマンファクターに誌面の大半を割いているのが興味深いところだ。
兵は不祥の器なり。天道はこれを悪む。已むを得ずしてこれを用う。(もともと戦いとは不吉なもの、天道もこれを嫌っている。万やむをえない場合に行うのが、すなわち天道にほかならない。)(三略/下略「天道は戦いを嫌う」より)
[2006年2月26日] この日の感想・書評へ→

前島密と坂本龍馬
加来耕三
変わり者と評価された点でも、二人は似ていた。が、何よりこの二人の同窓生は、明治維新という未曾有の変革に遭遇し、まったくといっていいほど先行きの不透明な、読みきれない未来に対して、日本の進むべき方向を具体的に示しえた点が際立っていた。 ---「構想力」といってよい。(序章「前島密と坂本龍馬の『構想力』」より)
龍馬と高杉晋作、龍馬と沖田総司、あるいは龍馬と土方歳三という組み合わせのパターンは、歴史物の企画でよく見受けられるが、“郵政の父”前島密とのマッチングは意表をつかれた。かつて小学校の国語の教科書で学んだ記憶があるのと、めったに使わない一円切手のモチーフになっていること以外、前島という人物には何の印象もない。
で、読んだ感想はと言えば、やはりこの二人を同じ土俵に並べて論ずるのは設定上少々無理があるなぁ、というのが正直なところ。どうせなら官僚から実業家に転身し、幅広く社会に貢献した渋沢栄一の方が、「もし龍馬が明治期に生きていたら・・・」という空想を重ねる対象としては、まだしも適っているような気がした。
たとえば、駅の階段を下から上に登るとする。多くの人は一段ずつ足をあげていくのだろうが、密は違う。まず上を見た。「何段、階段はあるのか」をざっと掴み、今の時間、到達時間、その後の予定などを考える。そのうえで急がねばならないとなれば、いきなり二、三段ずつ飛んであがった。これが、彼一流のやり方であったといえる。(第三章「明治新政府の旧幕臣」より)
[2006年1月28日] この日の感想・書評へ→

瞬間の君臨−リアルタイム世界の構造と人間社会の行方
ポール・ヴィリリオ著/土屋進訳
これからは、全てのものが出発することなく到着する。これまでの力学利用の乗り物(すなわち、動く乗り物、自動の乗り物)による到着地は、限定された場所だった。その限定された到着地が、突然、オーディオ・ヴィジュエルという「動かない乗り物」(画像イメージと音響イメージ)による場所を問わない到着地に置き換わってしまうのだ。こうして極の不動(一方の極からもう一方の極へ移動するという概念の無力化)が始まる。(第2章「最後の乗り物」より)
映像メディアやインターネットの発達は、空間や距離に対する人間の感覚を大きく変容させた。訪れたことのない国や土地にも行ったような気になっているし、実際にリアルタイムでN.Y.やパリの“今”を見聞きすることもできる。「光速の乗り物」=光の技術を駆使した瞬時コミュニケーション技術は、あたかも知覚(特に視聴覚)が拡張したような錯覚を人間に起こさせているが、実はそこで得られる大半のものには実体がない。今後どのように技術が進化しようとも、メディアは「どこでもドア」にはなり得ず、ドアの向こう側に行って実体に触れることは決してできないのだ。
そして実体がないという事実を頭では理解しつつ、私たちは年々加速する一方の“現実社会”を遊泳し、お互い分かったような口を聞いているのである。
透明という言葉は、今や、「視線を投げかける瞬間に事物の外観が見える状態」を指すだけではない。「突如として外観が遠くから瞬時転送される状態」をも指すようになる。こうして「現実空間」の透明という語だけでなく、「リアルタイム」の外観移送という語が必要になる。(第4章「環境コントロール」より)
[2006年1月13日] この日の感想・書評へ→

行動分析学入門−ヒトの行動の思いがけない理由
杉山尚子
人間の行動の背後には、当の本人さえ気づいていない行動の法則があるのである。そして、もっと考えなければならないのは、自分が無意識のうちに法則に従って行動していたとしても、自分が何かにコントロールされているのではなく「まったく自由である」と感じることはできるということである。(第1章「心理学をめぐる誤解」より)
すべての人間が理性的・合理的に行動できるとは限らず、「分かっちゃいるけどやめられない〜♪」のが人間だ。でも意識的にせよ無意識にせよ、やるべき事をやらない(またはやってはいけない事を、ついやってしまう)という“行動”には必ず原因や法則があり、それを科学的に追求・実証しましょうというのが、行動分析学のスタンスである。
こうした視点を取り入れる最大の利点は、本書にもあるが「個人攻撃の罠を避けられる事」。何度言ってもこちらの望む行動を取ってくれない相手がいると、つい「なぜこんな簡単な事ができないのか!」と、相手の人間性や資質を非難したり、終いには何らかの悪意があるのではと憶測しがちだが、行動分析学的に相手を観察することにより、こちらの望むように動けない何らかの理由があるのかも・・・という柔軟な視座が開かれる。一筋縄ではいかないのが人間だが、その縄の繊維を一本ずつほぐして観察することで見えてくる真実があるのだ。
行動分析学では、行動を、欲求や意志のような心ではなく、「行動随伴性」という概念で理解しようとする。随伴性、すなわち、行動のあとに「従い」、あるいは、行動と同時に「伴う」出来事が将来の行動を決定するという考え方である。どのような出来事が行動に随伴するかによって、将来の行動の頻度や方向性が変わってくる。(「あとがき」より)
[2005年12月 5日] この日の感想・書評へ→

自分を知るための哲学入門
竹田青嗣
哲学とは、要するに、自分で自分を深く知るためのひとつの技術である。あるいは自分と世界(他人や社会を含む)との“関係”を深く知るための技術である、と。
哲学を学ぶとは、哲学者の学説を学ぶことではなくて、それを通してこの技術を自分の中で大切に育て上げることだ。(第二章「わたしの哲学入門」より)
ソクラテス・プラトンなどの古典的なギリシャ哲学から、ボードリヤール、ドゥルーズ=ガタリ等に代表される現代思想までを、主-客の「一致」問題、及びフッサールの「現象学」の解説を軸に俯瞰した入門書。西洋哲学のエッセンスを平易に語るという点では、前回登場の西研氏と双璧と言えるかもしれない。
とりわけ、客観的な「真理」なるものが世の中に存在している訳ではなく、各人にとっての「本当」や「正しさ」という感覚は、人間同士の相互確信が一致(妥当)した時に“作り出される”ものである、という現象学的視点に関する解説のわかりやすさは、まさに本書の白眉と言えるだろう。
個人の中の内的な信念、「正しさ」は、それ自体として生き延ばされても何の意味も持たない。それは、具体的な人間の関係の中でつねにその妥当を試されるときにだけ、またそういう努力の中でだけ、はじめて人間的な信念として意味を持つ。(第二章「わたしの哲学入門」より)
[2005年11月28日] この日の感想・書評へ→

実存からの冒険
西研
ニーチェがいちばんいいたかったのは、神とか社会的なステータスとか金とかいうような外的な価値から自分を計るような生き方にたいして、そうでない生き方を提出してみせることだったとぼくは思う。・・・(中略)・・・苦しくても、ウラミの念で身体をいっぱいにしてしまったり元気がなくなってショボクレてしまったりしないで、そのつど自分として一番納得できる生き方をしようとすること。(第一章4「ニヒリズムと価値転換」より)
本書を読むのは約10年ぶり2度目。世のすべての哲学の本が本書ほど平易で読みやすければ、哲学という学問がもっと身近になる反面、知的優越感と自己満足が半減するかも知れないなぁ、と思わせる程とっつきやすい哲学書である。特に前半のニーチェの解説のわかりやすさは比類なきもので、前回などは、本書を読んだ勢いで思わずニーチェの「善悪の彼岸/道徳の系譜」を購入−読破してしまった程だ。
そう言えば、前回本書やニーチェを読んだ時もそうだったが、哲学書を読み漁りたくなる時というのは、自分自身の“今”が不安定だったり、現実から一歩距離を置いて自分自身を見つめ直したくなった時が多い。昼も夜も、平日も休日もなく仕事のことを考え続ける日常がこれ程長く続くと、さすがに精神衛生上良くない。早く正月休みへとなだれ込みたいものだ。(とはいえこの所2年続けて元日から原稿を書いていたが・・・)
〈単なる自分だけの孤独、苦しさを、どういう問題のかたちにできるか。つまり、それをめぐって人と話ができるようなテーマにするか。そして、自分はその問題をどう考えるかをいってみる〉。
いまは、ほんとうにこうしたことをやる「空気」がないよね。(第一章6「ニーチェの思想のまとめ」)
[2005年11月25日] この日の感想・書評へ→

哲学の教科書
中島義道
つまり、哲学の大きな特徴は、足元にころがっている単純なことーーそのテーマはおのずから決まってくるのですがーーに対して、誰でもどの時代でも真剣に考え抜けば同じ疑問に行き着くという信念のもとに、徹底的な懐疑を遂行することです。(第2章「哲学とは何でないか」より)
「哲学とは何か?」という問いにはよくお目にかかるが、逆に「哲学とは何でないか」という問いを軸に論旨を展開している点が本書のユニークなところ。思想ではなく、文学、芸術でもなく、もちろん人生論でも宗教でも、ましてや科学でもない、という執拗な否定の論証を通じて、哲学というものの輪郭を浮かび上がらせようとしている。
そして著者が定義する「哲学的態度」とは、自我・時間・他者・存在・意志・自由などの問題に真っ正面から挑み、躓き、悩み抜くことである。そのため真に「哲学的」であろうとすれば、数学や芸術の世界で求められるのと同じ様な、極めて特殊な才能が必要であり、見方を変えれば特殊な「病気」にかかるのと同じであると述べている。
いかなる高僧も芸術家もそのまま哲学者でないことは、この言語への態度にあるように思います。例えば「死」を直観するのではなく、それを論理的に精緻に語り尽くすところに哲学の真骨頂はあります。(第5章「哲学者とはどのような種族か」より)
[2005年11月 3日] この日の感想・書評へ→

哲学入門
バートランド・ラッセル著/高村夏輝訳
この章で問題にしなければならないのは、どういう意味であれ、物質なるものがあるかどうかである。ある内在的な本性を持ったテーブルが存在し、見ていないときにも存在し続けているのか。それとも想像の産物にすぎず、長い夢の中で見ている夢のテーブルでしかないのか。これはとてつもなく重要な問題である(第2章「物質は存在するか」より)
物質が“本当に”眼前に存在しているかどうか、という問題は、哲学の世界では“とてつもなく”重要なテーマである、らしい。そしてバーチャルにモノの存在を再現する技術が発達しつつある今、あるいはそうした技術がますます精巧になるであろう未来において、この問題はテツガクしない一般人にとっても結構切実な問題となるかも知れない。なぜなら、五感の全てが「目の前に在るよ」と明確に知覚しても、実際は単なるバーチャルな存在であった、という事例が今後山ほど出現(体験)するかも知れないからだ。そしてそのバーチャルなモノが“リアル”なモノ同様に機能し、我々の心を満足させ得るのであれば、なおさら何が“本当の存在”で、何がそうでないかなど、とりあえず“どーでもよい”ってことになるかも知れないのだ。
問いに対して明確な解答を得るために哲学を学ぶのではない。なぜなら、明確な解答は概して、それが正しいということを知りえないようなものだからである。むしろ問いそのものを目的として哲学を学ぶのである。なぜならそれらの問いは、「何がありうるか」に関する考えをおしひろげ、知的想像力を豊かにし、多面的な考察から心を閉ざしてしまう独断的な確信を減らすからだ。(第15章「哲学の価値」より)
[2005年10月27日] この日の感想・書評へ→

曹操注解 孫子の兵法
中島悟史
その第一は「道」、すなわち《道徳による政治》、第二は「天」、すなわち《天与の条件》であり、第三は「地」、すなわち《地勢の利点》、第四は「将」、すなわち《指導者の人事》、第五は「法」、すなわち《法秩序のシステム》である。(「計篇」より)
兵法というものの存在を初めて知ったのは、中学三年の春、吉川英治の「三国志」を読んだ時であった。諸葛孔明や曹操を筆頭に、兵法に精通した軍師や将軍たちが縦横無尽に兵を操り、戦野を駆け巡る様を読むにつれ、どれ程神秘的な事が書いてあるのだろう?と深く興味を惹かれたものであった。
あれから三十年近く経ったが、兵法書への興味は深く静かに心の中を占め続けている。特に「孫子の兵法」は、遙か2500年も昔に書かれたとは思えない普遍性を備えているため、仕事に活かせないかなあなどと考えつつ、関連書籍をあれこれ読み漁っている。
本書「曹操注解 孫子の兵法」は、三国志の英傑・曹操が自ら筆をとって「孫子」に注釈をつけたもの。実戦での応用から得た自らの所感と経験が細々と項目毎に書き込まれており、当時の曹操の心情などに思いを馳せながら読むと結構興味深い。三国志ファンなら必読のテキスト。
戦略戦術を練り上げ、兵法の計算でも勝算が確実になっている指揮官の軍隊は、向かうところ敵なしである。敵軍と遭遇して戦闘すれば、必ず勝つ。
それはすでに戦略戦術の段階で敗北している敵軍に対して、実際の戦闘で確かにトドメを刺すということなのである。これが必勝の戦い方なのだ。
曹操 敵国敵軍の情報を完全に掌握して、勝算が確実な戦争をするわけだから、どうやっても間違いなく勝つわけだ。(「形篇」より)
[2005年10月 6日] この日の感想・書評へ→

名将たちの戦争学
松村劭
チーム・ワークの思想の奥にある考え方は、それぞれ「一匹狼」である個人が、自分独自の戦い方をしながら、他人の戦い方と連係プレーするということだ。各プレーヤーは個人の責任において摩擦を克服するから、チームはしたたかに戦う。(第1章「戦争はなぜ起きるのか」より)
ビジネスの現場を戦場と規定するなら、そこで勝ち抜いて行くには的確な「戦略」と「戦術」が欠かせない。特に小規模かつ限定的な戦力で、大規模な相手との競争に勝利するためには、相手の土俵で全面戦争を仕掛けられては到底勝ち目はない。自分たちの武器(強み)が最大限効果を発揮する状況を創出すべく、戦略と戦術を練り、準備を整え、相手を局地戦へと慎重に誘い込むことで、初めて勝機を見出せるのである。
「戦略とは、われにとって、できるかぎり有利な時と場所での戦闘を整え、敵にとって不利な状況において、敵に戦闘を強要することである」(「The Art of Modern Warfare」Hermann Foertsch, Oskar Piest)という言葉通り、いかに自分たちの土俵に相手を乗せ、自分たちの得意な武器での戦いに持ち込むかがポイントだ。
要は、ボブサップと殴り合ったら到底勝ち目はないが、指相撲なら勝機はあるし、ジャンケンなら五分五分、日本語での口喧嘩なら勝てるだろう、ということ。
勝敗の山場(軍事用語では勝敗分岐点)が見えずに戦い続ける指揮官は、冷静な判断力を失っていて、「強制的な戦闘中止」に追い込まれる。
どんなに熾烈な戦闘にあっても、戦局の形勢を冷静に見詰めていられる精神構造は、「平常心」に他ならない。よい戦士とは、どんな状況でも普段と同じようにクールな男たちである。(第7章「指導者・将校・兵士」より)
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社会心理学入門
我妻洋
経験を積んだ店員は、初めから自分の意見など口にださない。まず客にいくつかの商品を眺めさせて好みや意見を言わせる。「これなんかちょっといいわね」と相手が言ったらただちに同意する。客の心の中で彼への評価はそのソファと同じ高さに上昇する。「お客さまはご趣味がヨーロッパ系で・・・・・」などとつけ足せば、さらに上昇まちがいない。(第二章「場の理論-III適合性の理論」より)
かれこれ17、8年前のことである。当時勤めていた会社の先輩と一緒に、西梅田の地下街にある焼鳥屋で飲んでいたら、かつてA新聞で一コマ漫画を描いていたという、高名な漫画家の先生と意気投合した。会話の中味はほとんど覚えていないが、ただ一言今でも強く印象に残った言葉がある。
「良い広告が作りたければ、心理学を勉強しなさい。」
当時はあまりピンと来なかったが、今ではかなり肯ける言葉だ。特にキャッチコピーの制作においては、「ある状況に置かれた時、人間はどんな気持になるのか」を想像することで、答えに近づけることが少なくない。頭でこしらえたキレイなだけの表現よりも、普遍的な人間の心理を汲んだリアルな言葉を見つけ出す方が、結局は多くの人の共感を呼ぶからだろう。
日本語の会話においては・・・(中略)・・・自分も相手も私やあなたに抽象化されず、父母・兄弟・おじおば・社長・先生・運転手さんなどと、様々な具体的な身分を占める存在にとどまることが多い。・・・(中略)・・・日本人の自己概念が当人の社会的身分と密接に結びついており、日本人が自分の役割を離れて自分を考えにくいという傾向は、こうしたことばの性格からもうかがわれるのである。(第五章「役割理論-IV日本人の自己と役割」より)
[2005年9月19日] この日の感想・書評へ→

図説坂本龍馬
小椋克己・土居晴夫監修
海舟の海軍塾が完成したのは文久三年九月のこと。神戸村の庄屋・生島四郎太夫の斡旋で海舟が購入した旧生田川の西側西国街道に面した八反余の土地に海舟の屋敷と塾舎、厩などが堀と築地で囲まれて設けられた。現在の三ノ宮駅前の三宮センタープラザがその地という。(「神戸の龍馬」より)
龍馬と神戸の関わりは、文久3年(1863)9月に勝海舟の「神戸海軍塾」が開設された頃に始まり、幕府に睨まれた勝が江戸に召還され、「神戸海軍操練所」が事実上の閉鎖に追い込まれた翌年の10月に終わる。年齢で言えば29〜30歳、わずか1年ほどの短い期間に過ぎない。その間、京では八月十八日の政変や池田屋騒動、禁門の変、第一次長州征伐など幕末史を飾る大事件が続発。龍馬もそうした激動の最中で国事に奔走し、ゆっくり神戸に腰を落ち着ける暇はなかったようだ。しかしこの頃苦楽を共にした仲間の多くは、後の亀山社中や海援隊でも龍馬を支え、歴史に名を残すことになる。
操練に勤しむ日々の中で、国事を語りつつ酒を喰らい高歌放吟したであろう若き志士達は、神戸の海を見つめながらどんな夢を描いたのだろうか?
「坂本龍馬」としての活躍は、勝海舟に弟子入りしてから三十三歳で暗殺されるまでの、わずか五年間。その間に神戸で「海軍塾創設」、その閉鎖後は長崎で「亀山社中」結成、それをバックに「薩長同盟」締結を斡旋、さらに慶応三年には土佐藩参政・後藤象二郎と会談し、武力倒幕を避け、大政奉還路線で幕府政治を終わらせることを決める。(三十三分の五に生きた男」より)
[2005年8月28日] この日の感想・書評へ→

龍馬の謎〈徹底検証〉
加来耕三
龍馬が剣術より砲術を専門に伝習していた、との証左はいくつもある。
最も動かしがたいのは、現存する記録ーー安政二年(1855)十一月、二十一歳の龍馬が一度目の江戸出府ののち、帰国して十二斤カノン砲を稽古撃ちしたとの確かなもの。・・・(中略)・・・龍馬の十二斤カノン砲は、とても一夜漬けの伝習で撃てるものではない。(第三章31「龍馬は西洋流砲術を十代半ばから学んでいた!?」より)
「竜馬がゆく」を初めて読んでから約30年。書棚の一角を龍馬関連の書籍が占める程多様な資料を読んで来たが、この「龍馬の謎」は、文庫本ではあるものの類書に負けない、久々に読み応えのある500数頁だった。
薩長同盟を締結させた瞬間から、図らずも両藩にとって龍馬が不要な存在となった皮肉。にも関わらず幕府から見れば、強大な二つの敵を一つにした極悪人であり続けたこと。また龍馬自身も和戦両様の構えで、「大政奉還」という切り札を利用するべく策動していたこと等を深く考え合わせると、司馬遼太郎氏が作り上げた天衣無縫の国民的ヒーロー像とは別の、陰影に満ちた孤独で悩み多き龍馬の姿が浮かび上がってくる。
薩長両藩に土佐を連合加盟させながら、その一方で「大政奉還」を演出。見方によってはこの時期の龍馬ほど鵺のような正体不明の存在にみえるものはなかったろう。
だが、あえて述べておきたい。いかに不透明であっても、龍馬には哲理・理念があった。(終章94「海援隊約規を作った龍馬の片腕とは?」より)
[2005年2月11日] この日の感想・書評へ→

現代思想のパフォーマンス
難波江和英/内田樹
観客を映画館へ招き寄せるのは、だれにでも享受できる「できあいの意味」ではなく、解釈に抵抗し、解釈を逃れ、解釈への欲望を起動する怪しげな「鈍い意味」である。観客は「だれにでもわかる意味」にではなく、「身銭を切って解釈しなければいけない意味」に金を払うのである。(II「ロラン・バルト」より)
ソシュール、バルト、フーコー、レヴィ=ストロース、ラカン、サイードの各思想を要領よく整理した概要書。著者の言葉を借りれば、それぞれの“決めのフレーズ”を、丁寧な解説付きでまとめてくれたありがたい本である。この種の思想書は通常高価なので、「何千円も払った揚げ句に何一つ理解できなかったら・・・」と買うのを躊躇いがちだが、こいつは430頁で1000円。中味が理解できずとも、これで束の間知的な気分が味わえるなら安いものさと衝動買いしてしまった。
で、中味については、理解度6割ってところか。ただ読書好きが嵌りがちな陥穽と、文章を生業とするものが根っこの部分で理解すべきことを改めて考えさせられた。要するに、まずは言葉にしなきゃ伝わらんけど、言葉では正確に伝えきれないし、言葉にされたものを読んだからといって全て分かったような気になるな、ということ。(わかるかなあ?)。
私たちが愛する人から聴きたいことばは、「あなたのすべてを理解した」ではなく、「もっとあなたを理解したい」である。コミュニケーションを継続する促しのことば、さらに語り続けることを励起するような問いかけのことば、私たちはそのようなことばをもっとも強く欲望している。(「新書判のためのあとがき」より)
(2004/11/28更新)
内田樹のその他の本:「寝ながら学べる構造主義」
[2004年11月28日] この日の感想・書評へ→

はじめての構造主義
橋爪大三郎著
「視点が移動すると、図形は別なかたちに変化する(射影変換される)。そのときでも変化しない性質(射影変換に関して不変な性質)を、その図形の一群に共通する『骨組み』のようなものといういみで、〈構造〉とよぶ。・・(中略)・・〈構造〉は目に視えない。その意味で、抽象的なものだ。」 (第三章「構造主義のルーツ」より)
前回の「寝ながら学べる構造主義」に触発され、もう少しテツガクしたくなったので、10年程前に読んだこの本を引っ張り出し再読してみた。以前読んだ時に今ひとつピンと来なかった「構造」という概念が、今では自然に頭に入る気がする。ってゆーか、日頃の仕事の中で何となく体得し、活用している概念であることに気づく。やはり、年齢を重ねると見えて来る事ってあるもんだ。
ところで、構造主義の大家レヴィ=ストロースと、ジーンズのLEVI'Sの創始者リーヴァイ・ストラウスが実は同じスペル(LEVI STRAUSS)だって、「トリビアの泉」に出したら採用されるだろうか?(そもそもトリビアに出てる芸能人が、レヴィ=ストロースなんて知る訳ないか・・・。)
「射影幾何学がもっと進んで、位相幾何学の段階ともなると、直線もなにもなくなるから、図形もムンクかベーコンの絵みたいに、ぐにゃぐにゃになってくる。またピカソの『泣く女』みたいに、正面と横顔と、複数の視点からの像をひとつの画面に統合してもいいわけだ。」(第三章「構造主義のルーツ」より)
[2004年8月15日] この日の感想・書評へ→

寝ながら学べる構造主義
内田樹著
「むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に『見せられ』『感じさせられ』『考えさせられている』。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。」 (第1章「先人はこうして『地ならし』したーー構造主義前史」より)
構造主義とは早い話、「言語や社会制度、習慣等の『構造』に、知らず知らず人は思考や行動を規定されてしまってるのだよ」という視点のこと。当たり前のように思える考え方だが、それを当たり前と思う事自体、既に現代が「構造主義」的思考回路の中にスッポリはまっている証拠らしい。だからと言って「その枠組みからどう抜け出すか」などと、哲学的探求をするヒマも根気もない今の私のようなヤツに、こうした入門書はぴったりである。
ただ、「WEB的常識や思考パターンといった“構造”に取り込まれず、成すべき仕事の本質を常に“枠の外”から客観視しなきゃ・・・」と自戒するきっかけになるので、たまにはテツガクするのも悪くない。だって、世間の枠を大いに利用しながら、自分たちだけそこをスイスイ出入りする自由な精神こそ、freeistの“freeist”たるゆえんなのだから・・・。
「レヴィ=ストロースは要するに『みんな仲良くしようね』と言っており、バルトは『ことばづかいで人は決まる』と言っており、ラカンは『大人になれよ』と言っており、フーコーは『私はバカが嫌いだ』と言っているのでした。」(「あとがき」より)
*内田樹のその他の本「現代思想のパフォーマンス」(共著)
[2004年8月10日] この日の感想・書評へ→

ケータイを持ったサル
正高信男
「そもそもケータイを使いだすと、常に身につけていないとどうも不安な気分に陥るらしい。さきほどまで会っていた相手と離れるや、ただちに『元気?』とか、あえて伝える価値のない情報を交信している。しかしそんなことは、大昔からサルがやっていたことなのだ。ニホンザルも起きている間中、誰かとつながっていないと落ち着かないようである。」(第三章「メル友を持ったニホンザル」より)
成熟した大人になるのを拒否する今どきの若者を、気鋭のサル学者が学問的に分析した本というので、結構期待して読み始めた。ただその期待感は「はじめに」の2p目で、(そんな態度で大丈夫なの?)という不安感に変わってしまった。
「私は携帯電話を持っていない。だから『メル友』もいない。」
おや、そんな頑なな態度のまま、“ケータイを持ったサル”の心理分析をしていいのだろうか?おまけに前後の文面から察するに、携帯電話を持たない自分を少し誇らしく感じている様にも受け取れるし。
サル学の領域なら、自身がサルになれない以上“客観的観察”というアプローチを取らざるを得ないけど、ケータイは今すぐ「0円」で持てる訳だから、まずは持つ事から生まれる“世界観”を身をもって体験した上で持論を展開するのが、フェアな姿勢じゃないかなと思う。そもそも公共の場所で傍若無人にケータイで話すサルの多くは、著者の世代のオヤジ達だったりするのだから。
「・・・もっと心理的な要因が、子を持つことを控えさせているのではないだろうか。 乱暴な表現だが、若いカップルにとってそれは『誰かについて全面的に責任を引き受けることへの恐怖』とでも表現できるのかもしれない。あるいは、『自分たちが依存される対象となることへの嫌悪』と言いかえても差し支えないだろう。」(第六章「そして子どもをつくらなくなった!」より)
[2004年5月13日] この日の感想・書評へ→

三国志と中国
陳舜臣
「もともと、商人は信義を重んじなきゃいけないということで、信義を重んじた関羽が商売の神様になったと思うんですけど、信義を重んじなきゃいけないのは何も商売人に限らないわけですからね。一説によれば、神さんが分担を決めるとき、袋の中に物を入れて、取ったもので決めた。筆を取ったら、字の神様になるとかね。そのとき関羽はそろばんを取った。だからそろばんの神さんになった。(笑)」(「三国志の魅力とは何か」より)
華僑の暮らしと密接な縁のある「関帝廟」は、三国志の主役の一人である関羽を祀った寺であり、神戸にも立派なのが建っている。私にとっては子供の頃の遊び場でもあった。当時の住職さんは卓球の上手な方で、たまにお堂に卓球台を出しては遊んで頂いたものだ。
毎年旧盆の時期には、市の地域無形民俗文化財にも指定されている「水陸普度勝会(すいりくふどしょうえ)」が営まれる。廟内と境内には紙と竹で造られた家の模型(冥宅:めいたく)が並び、過去一年の間に他界した死者が祀られ、最終日の夜にはこの冥宅を廟前の路上で燃やす。私が子供の頃はスマートボールや綿菓子、金魚すくいなどの夜店が並び、路上では中国映画が上映され年寄り達が楽しそうに眺めていたものだ。
「中国のリーダー観というのは、茫洋としていて、人にいろいろいわせて、最後に決断を下す。自分ではなにもしない。それが理想像でしょう。劉備はそれに近づいていくわけです。」(「わが友諸葛孔明」より)
[2004年2月18日] この日の感想・書評へ→

痛快!心理学
和田秀樹
「うまく他人に甘えられない人は、『他人と違う自分』を周囲の人々が受け入れてくれないと思い込んでいます。他人に甘えられるほどの自信も持っていない、と言ってもいいでしょう。 逆説的になりますが、人に甘えるためには、ある種の自信が必要なのです。」(第10章「◎人間関係の心理学:あなたは甘え上手ですか?」より)
この一節を読んで、山田太一のドラマ「男たちの旅路」にある「車輪の一歩」という物話を思い出した。
主人公の警備員(鶴田浩二)が、部下を手こずらせている車椅子の青年グループたち(京本政樹、古尾谷雅人他)に語りかけるシーンで、こんなセリフがあった:
「敢えて君たちに、人に迷惑をかける勇気を持って欲しい。人の世話になってしまったと傷つくより、胸を張って迷惑をかけて欲しい。車椅子の人生は特別な人生だ。差別するなと怒るかもしれないが、特別には違いないだろう?一段上とか下とか、そういう事を言ってるんじゃない」
細かいセリフは異なるかも知れないが、たぶんこんな内容。障害者へのセリフという設定とはいえ、「人に迷惑をかける“勇気”を持て」というメッセージは、強烈なインパクトを私の胸に残している。
要は甘えっぱなしはよくないけど、節度ある甘えは、ちゃんと生きていく上で必要な事なんだということ。
「現代社会に『人間関係の病』が増えている理由の一つは、こうした『甘え』がいいものであると思われなくなったところにあるのではないでしょうか。 人に頼ることが悪いことであり、自立した人間であることのほうが素晴らしいという考えが広がったために、かえって人間は『自分』を出しにくくなりました。悩みを誰にも言えず、自分だけで抱え込んでいる人は多いのではないでしょうか。 しかし、それではけっして健全な人間関係は築けません。」(同上)
[2003年11月11日] この日の感想・書評へ→

面白いほどよくわかる社会心理学
晨永光彦監修
「群集心理は一般的に人々に『一体感』をもたらす。しかし、集団の一体感とは違って、群衆心理のもたらす一体感には個人の自我を忘れさせ、自分の行動には自分自身に責任があるという意識を忘れさせてしまう。」(第5章「偶然集まった人たちが社会に及ぼす影響」より)
先日、神戸で行われた阪神タイガースの優勝パレードに行った。何と25万人ものファンが、V戦士を一目見ようと、そして星野仙一最後のタテジマ姿をその目に焼きつけようと道路脇を埋め尽くした。「危険なので傘をささないで」とのアナウンスがあったので、ほぼ全員がそぼ降る雨に打たれながら、群衆の一部として一時間近くも立ち尽くしたわけだが、幸福なひとときを共有する不思議な「一体感」が、見知らぬ 者同士をつないでいた。通常なら一人や二人、不快な言動をする傍若無人な“バカ虎”が湧いて来るものだが、この1シーズンで阪神ファンも随分とマナーが良くなったもんだと、ちょっとうれしかった。これも星野さんのおかげだろう。
そしてパレードがスタート。ユニフォーム姿の選手たちを目の前にした途端、つい少年のように夢中になって手を振る自分がいた。今年引退する広沢でさえも年下だというのに・・。
「『個性的になりたい』という欲望そのものが、現代社会ではいたって凡庸であることに、私たちはもっと敏感であっていいのかもしれない。 『個性的になりたい人』のために企画され、機械的に大量生産された商品が、現代の市場には、溢れている。」(第5章「偶然集まった人たちが社会に及ぼす影響」より)
[2003年11月 6日] この日の感想・書評へ→

誰が竜馬を殺したか
三好徹
「『今井に命令したのは佐々木唯三郎だったでしょうが、幕府方に秘密事項の竜馬の居場所を洩らした人物です。そして、その者をかばう必要があって、十月中比、と日付からして違う矛盾の多い、かつ事実に反したこの調書が、おそらくは今井と合意の上で作成された・・・』 『児玉君、もういいじゃないか。きみの考えでは、誰が情報を洩らして、あの両雄を殺させたんだ?』 児玉は目を挙げて谷を見た。谷は息を詰めた。」(「児玉源太郎の推理」より)
坂本龍馬暗殺の真犯人については諸説があり、歴史家、作家、郷土研究家など様々な立場の人がそれぞれの推理と憶測を発表している。新撰組説、見廻組説、西郷隆盛説、大久保利通説、後藤象二郎説、岩倉具視説など、それぞれにもっともらしい論拠があって素人には判断がつかない。まあ死後140年近くが経つことだし、恐らく真相は永久に闇の中であろう。
私個人はあまり深読みをせず素直に考えて、寺田屋事件の時と同様、幕府側の誰かが坂本・中岡の両雄を危険人物と見なし、見廻組あたりに暗殺指令を出したというのが、平凡ながらも案外真相はこの程度の事ではないかと実は思ったりしている。
「余談だが、日露戦争中、日本海海戦の前に不思議なことがあった。 皇后の夢枕に坂本竜馬が立ち、 『臣は維新前、国事のために身を致したる海援隊の坂本竜馬と申すもの』 と名のり、日本海軍の勝利を誓ってかき消えた。皇后が皇宮大夫の香川敬三に命じて写真を取り寄せてみると、果たして夢の中の人物と同一人だった、という。」(「児玉源太郎の推理」より)
[2003年8月28日] この日の感想・書評へ→

坂本龍馬進化論
菊池明著
前回、「竜馬がゆく」で司馬遼太郎ファンになったと書いたが、10代前半の多感な時期でもあり、当然のように坂本龍馬にもハマった。今も我が家の書棚の二列程は龍馬関係のライブラリーで埋め尽くされている。
この本はそれらの中でも比較的最近のもので、龍馬伝の嚆矢である坂崎紫瀾著「汗血千里駒」から、龍馬研究の大家・平尾道雄氏の「坂本龍馬海援隊始末」まで、時代の異なる6つの代表的な伝記を横並びで考察。「薩長連合」「船中八策」他テーマ毎に、龍馬の歴史的役割や事実関係がどう描かれ、歴史の中で定着していったかを考証的に論じた労作である。
「それでも佐那は龍馬を待っていた。心の支えとなったのは、坂本家の桔梗紋が染められた龍馬の着物である。~(中略)~佐那は『これは坂本さんに贈るために染めましたが、国事に奔走し道場へもあまり来なくなり、私が切り取り、形見として持っています』と、笑みを浮かべながら見せたという。」(第2章/千葉道場入門より)
このシーン、「竜馬がゆく」ではこう描かれている。
「あの、・・・」
さな子は何かいいかけたが、竜馬はそれを言わさないために、自分の紋服の左袖をべりべりと引きちぎった。
「なにをなさるのです」
「わしは何ももっておらぬ。これを貰うてくれ」(狂瀾編/片袖より)
事実はどうあれ、この先永遠に語り継がれるのは、片袖を形見に引きちぎった龍馬の姿なのだろう。結局大半の日本人が抱く龍馬像は、司馬さんによってイメージづけられたものだから。ならばいっそのこと、「竜馬がゆく」も含めて論じてほしかったぜよ。
[2003年5月26日] この日の感想・書評へ→



孫文
舛添要一
歴史上の革命家といえば先陣を切って民衆を導くイメージが強い。だが孫文は辛亥革命が起きた時、欧米主要国を回って革命への理解を要請する傍ら、資金集めに奔走していた。「自分が革命事業で力を尽くすのは戦場ではなく外交にあり、得るところの効果も一層大きい」という孫文自身の卓見であり、単なる直情家ではない事がよく分かる。また革命家の大半は、事が成った後そのまま新しい権力者として振る舞うのが普通だが、孫文は中国の平和統一を最優先するため、あっさりと袁世凱に総統の座を譲った。歴史上の評価は別として、権力に執着しない根っからの革命家であることが、この一事を以て分かるというものだ。
昨年は辛亥革命100周年であり、本書の初版は革命記念日でもある10月10日(双十節)。孫文に対する著者の思い入れの深さがうかがわれる。ただ、なぜ舛添要一が孫文を?という唐突感は否めないし、最後の一章は著者自身の外交センスと中国への見識の深さを誇る内容となっている。厚生労働大臣よりも外務大臣をやりたいなあ〜というアピールなのかもしれないなと、読みながら感じてしまった次第。
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