マーケティング/広告
新版 戦略PR
空気をつくる。世論で売る。
本田哲也
STEP1 商品の便益に関連しそうな、世の中の「関心事」を調べる
STEP2 商品の便益を世の中や消費者の関心に合わせて翻訳する
STEP3 その二つを結びつけ、テーマを設定する
STEP4 テーマを「ニュース」にするための材料を用意する
STEP5 テーマを広げるための具体的なPRプランを策定する(第4章「カジュアル世論のつくりかた」より)
『明日の広告』(佐藤尚之著)の続編的な位置づけで、消費者が「買いたい気分」になる「空気」(=カジュアル世論)を作り出すための方法論を説いた本。サントリー「ハイボール」、アディダス「迷走ランナー」、フェディリティ投信「老後難民」といった戦略PRの成功例を通じて、広告と店頭販促の連動やテーマ設定のプロセスなどを分かりやすく解説している。
そういえば日本酒5:ワイン3:ビール2の割合だった私のアルコールライフの中に、ふと気がつけばいつの間にかハイボールが食い込んでいたが、これもハイボールを「飲みたい気分」にさせる「空気」を、新橋界隈で大量に吸い込んでしまったせいかも知れないなあ。
カジュアル世論をつくるためには、この3要素それぞれに合わせたメディアや第三者的な存在を活用していくことになるのだ。こんな具合に。
1「おおやけ」感を生み出すために 「マスコミ」の活用
2「ばったり」感を生み出すために 「クチコミ」の活用
3「おすみつき」感を生み出すために 「インフルエンサー」の活用(第4章「カジュアル世論のつくりかた」より)
[2011年12月23日] この日の感想・書評へ→
ブランドをデザインする!
西澤明洋
ブランディングにはいろいろな側面がありますが、こと“ブランドをつくる”という視点で見たときに、この「差別化」は非常に重要です。言い換えるなら差別化できていないブランディングは、その他のいろいろな点が押さえられていても結局は成果をあげることができません。差別化できていない情報では「正しく伝えていくこと」はできないのです。(第1章「ブランディングデザインとは何か」より)
ブランディングとは差別化である、というのが本書を貫くコンセプト。余る位にモノが溢れている今の時代には、「他者と違う」ことが選ばれるきっかけになる。「いいモノを作りさえすれば売れる」というのは独りよがりに過ぎず、どれ程「いいモノ」でも、差別化されていなければ競争には勝ち抜けない。
例えば只今人気絶頂のAKB48。程度の差はあれ、全員それなりに粒揃いである。だからこそメンバー個々にとって、「可愛いければ売れる」は通用しない。何としても他の47名との差別化(今風にいえばキャラ立ち)が必要なことを、二十歳そこそこの彼女達全員が理解しているのである。そこで歌唱力・ダンス・演技力といった技術を磨く以外に、握手会で一人ひとりと目を合わす、1日200回ブログを更新する、街なかで突然演説をするetc.…自らの存在感を高める努力を怠らない。
AKBを一つのブランディングのケースと捉えるなら、48人の大所帯+総選挙というシステムでまずAKB自体を他者と差別化し、その上で個々のメンバーも独自の差別化を図っている訳だ。卑近ではあるが、これも立派なブランディングの一例。
ブランディングデザインでいちばん望ましいのは、ある一人のトップの熱い思いをそのままブランドという目に見える形にすることです。そして、そのトップを中心にブランドに関わる人々全員でこの思いを共有し、それをお客様までに広げる。結局のところ、ブランディングはモノ(商品やサービス)を通した、人と人のコミュニケーション活動です。人が最も共感するのは、そうしたブランドの根底にあるトップの熱い思いです。(第2章「ブランディングデザインの方法」より)
[2011年10月 5日] この日の感想・書評へ→
コトラーのマーケティング3.0
ソーシャルメディア時代の新法則
フィリップ・コトラー他著/恩蔵直人監訳
マーケティング3.0では、マーケターは人びとを単に消費者とみなすのではなく、マインドとハートと精神を持つ全人的存在ととらえて彼らに働きかける。消費者はグローバル化した世界をよりよい場所にしたいという思いから、自分たちの不安に対するソリューション(解決策)を求めるようになっている。混乱に満ちた世界において、自分たちの一番深いところにある欲求、社会的・経済的・環境的公正さに対する欲求に、ミッションやビジョンや価値で対応しようとしている企業を探している。選択する製品やサービスに、機能的・感情的充足だけでなく精神の充足をも求めている。(第1章「マーケティング3.0へようこそ」より)
マーケティング界の第一人者による最新の論考ではあるが、もはやマーケティングは、「4P」に代表される古典的枠組みを完全に脱した感がある。
本書によればマーケティングの進化は三段階にわたる。「1.0」の時代は製品(プロダクト)を中心のマーケティングで、プライス、プレイス、プロモーションの4Pを最適化することが主眼であった。次の「2.0」は顧客志向。市場を細分化してターゲットを明確にし、製品を上手くポジショニングすることが求められた。
それに対し「3.0」とは「価値主導」のマーケティングであり、今後は社会的な「価値創造」こそが消費者を惹き付けると説く。特に大手企業に対しては、収益最優先の従来型発想からいち早く脱却し、自社のミッションや存在価値、人類社会へのビジョンを提示する発想がなければ、いずれ行き詰まるよと警鐘を鳴らす。消費者同士がネットを駆使して対話・協働する世界では、もはや企業論理のマスマーケティングは通用しない。
原著の出版は昨年5月だが、日本で起きた今回の大震災を通じて、本気で自社の「社会的価値」を事業に組み込む事こそが最強のマーケティングになる、という本書の主旨に共感する人は増えたはずだ。
やがて人びとは、企業に利益創出の推進役ではなく社会文化的発展の推進役になることを期待するようになる。ますます多くの消費者が、公的・社会的課題にどの程度取り組んでいるかを、企業を評価する基準のひとつにするようになるだろう。一部の企業は、社会的課題を自社のキャラクターの基本に織り込むことによって期待に応えるかもしれない。それらの企業は社会を変化させる。その時点で、それらの企業はマーケティング3.0の段階に突入しているのである。(第7章「社会文化的変化の創出」より)
[2011年10月 1日] この日の感想・書評へ→
マーケティング22の法則
売れるもマーケ当たるもマーケ
アル・ライズ、ジャック・トラウト著/新井喜美夫訳
マーケティングの基本的な課題は、あなたが先頭を切れる分野を創造することである。
これが「一番手の法則」である。他に優っていることよりも、先頭を切ることのほうが大切なのだ。最初に顧客の心に入り込むことのほうが、最初に入り込んだ商品より自分の商品の方がベターだと人に納得させることよりもはるかに容易なのである。(第1章「一番手の法則」より)
1994年初版だが、陳腐化が進みやすいこの類の本にしてはまだまだ錆びてない、というか結構使える内容だ。
有用な箇所だけを強引にまとめるなら、「マーケティングとは商品の戦いではなく知覚の戦い。だから一番手になるか、顧客の心に最初に入り込むか、一番手になれるカテゴリーを新たに創るべし。さらには自分達の強みを明確な一つの言葉にしてライバルと対比させ、弱みは正直に認め、何より金づるを捜すこと」といったところか。22の法則の最後に「財源の法則」を置き、「金のないアイデアは無意味に近いから、金づるを探すことにアイデアを使え!」と言い放つところが現実的だ。
ライバルよりも品質・性能的に優れたモノを作れば勝てる、と我々はつい考えがちだが、結局どのジャンルにおいても絶対的に「ベストのもの」などなく、モノの良し悪しなんて所詮は「相対的なもの」。だからこそ、好意的な知覚をいかに増やすかがマーケティングの勝敗を分ける。言われてみれば当たり前のことだが、妙に新鮮に思えたのは、まだまだ自分が未熟者だからであろう。
マーケティングの世界に存在するのは、ただ、顧客や見込客の心の中にある知覚だけである。知覚こそ現実であり、その他のものはすべて幻である。…(中略) マーケティングとは商品の戦いではない。知覚の戦いなのである。(第4章「知覚の法則」より)
[2011年6月24日] この日の感想・書評へ→
ブランドのデザイン
川島蓉子
ブランドをデザインしていくにあたっては、以下の六つのテーマが求められてくる。
○“蓄積に基づいた技術力”と“時代に合ったデザイン力”
○“自らの美学”と“受け手の共感”
○“揺るぎない伝統”と“絶えざる革新”
○“歴史的な哲学・信条”と“現代的な物語性”
○“世界に通用すること”と“一人の心を打つこと”
○“開放的な枠組み”と“突き詰めていく価値”(I「ブランドをデザインする要件とは」より)
ブランドイメージ、という言葉がある。通常は「ブランドイメージが良い/悪い」とか「ブランドイメージを向上させる」といった使われ方をするが、考えてみるとブランドとはイメージ以外の何物でもないから、ブランド=イメージとも言える。「ブランドをデザインする」とは、イメージをデザインすること、即ち形のないものをデザインするということになる。
形のないものをデザインするのは、ある意味空気をデザインする様なもの。目には見えないが、確かに誰もが感じ取っている。華やかな空気もあれば、澱んだ空気も澄んだ空気もある。新しい空気もあれば、古びた空気も枯れた空気もある。空気が変われば気分も変わる。気分が変われば目に映るもののイメージも変わる。だから長く愛されるブランドであり続けるためには、そこに関わる全ての者が、常に時代の空気を同じように感じながら、同じ理念のもと、同じ未来へ向かってブレずに絵を描き続ける信念が必要なんだろう。
「ブランドについて、謎の部分、夢の部分は残しておかなくてはならない」。確かにすべてがわかってしまうと、人は興味を失う。どこかに夢を感じると、人は引き寄せられてくる。それも、奇を衒った謎だったり、あり得ない夢を作り上げるのではなく、そのブランドが本来持っている価値を土台に、それをどう謎として見せていくか、夢として伝えていくかが、クリエイティブに表現されているからこそ、ブランドとして認知されていくのだと思う。(「『夢』を作るのが広告の役割」より)
[2011年4月 8日] この日の感想・書評へ→
CM
小田桐昭×岡康道
岡 …もしかしたら僕は、全部の広告が“人生と関係したい”っていうキャッチで成立しうるんじゃないかと思っているんです。ビールでも、コンピュータでも、車でも、旅行でも、すべてが。
小田桐 それはひとつのアプローチとして間違っていないよ。社会も、企業も、広告表現としても、それを求めている。ただ問題は企業の方で、どれだけそこのポイントを切実に理解してるか。…(第1章「新しい出発」より)
今回も、そして阪神大震災の時にも痛感したことではあるが、いわゆる広告業というのは非常時で役に立たない職種だ。積み重ねて来た知識も技術も全く意味を持たない。16年前、散髪屋さんが避難所で日頃の腕を活かし喜ばれている姿をTVで見た時、「散髪屋さんにも及ばんなあ…」と溜息をついた記憶がある。
ただ当時一つだけ、自らの仕事にちょっとした勇気を与えてくれたCMがあった。手書きの「水、自由に使って下さい」の文字だけを延々と映しながら、「水、出てるよ。水、持ってって!そやけど、ナマで飲まんといてな。ポンポンこわすよってに」とナレーションが流れるCMである(AC「阪神大震災・井戸水編」)。このCMを企画制作した元大阪電通の堀井博次氏によると、被災地の生活実感とかけ離れた公共広告ばかりが流れていた中(今と同じだ!)、被災した人達が元気になれるCMを作ろうと、震災からわずか10日足らずで完成させたという。このCMを観たのは自宅で水もガスも使えない時期だったので、被災者の一人として心に響いたのと同時に、「人を救うのは、人しかいない」という締めのキャッチコピーに、「あぁ、広告も被災者の力になれるかも…」と深く感じ入るものがあった。
少なくとも今流れているACの「むやみに買い占めるのはやめよう」云々の上から目線のCMよりは、メッセージを発する側の立ち位置が正しかったと思う。いっそ「使っていない電化製品のコンセントは抜いておこう」の代わりに、「テレビを消しましょう」と自ら言い放つのなら潔いのだが…。
岡 … この日焼けをしていない白い肌の女の子は、実はずっと太陽の下にいた。そういう嘘に僕はだまされる当事者なんだ。これで僕は日焼け止めの当事者じゃなかったけど、日焼け止めの周囲にある世界の当事者になった。商品と自分が関係したわけです。こんな風に自分というものが、直接か間接かはともかく、当事者になってしまえば企画はもうできてしまう。
小田桐 かなり屈折してるね。それもすごいんだけど。ともかく岡はそこまでして商品を“自分の人生の諸問題”にすりかえるんだ(笑)。(第4章「小田桐昭、岡康道、それぞれのCM方法論」より)
[2011年4月 1日] この日の感想・書評へ→
文章がうまくなるコピーライターの読書術
鈴木康之
コピーライターは読書が好きです。言葉が好きです。文字そのものが好きです。仕事だから当然でしょ、と言われればそれまでですが、仕事である以前に好きです。
本来人間みんなそうであるはずなのです。言葉で人とつきあい、言葉で生きているのですから。誤解を恐れずに言うと、人間、言葉でなんでもできる。人の心も、仕事の質も効率も、社会や世界の動きも、当然歴史の流れも、変えることができる。先人たちはやってきました。(第1部「コピーライターは手紙のつもりで書いている」より)
よほどの天才でない限り、インプットなしにろくなアウトプットはできない。だから自分の言葉で人を動かしたいなら、多くの言葉に触れて自らの“引き出し” を増やす必要があるし、それは何も特別な努力ではない。例えば映画監督を目指す者なら好きな映画について一つや二つは語れるはずだし、小説家、画家、カメラマン、デザイナー等々、何かを創作する仕事に就きたい人なら、きっと自分の心を動かした作品や目指す先人があるはずだ。
しかしコピーライターを志望する若手の中には、残念ながら本をほとんど読まない人、読んでも月に1,2冊(それもエンターテインメント系のライトなノベルス類)、という人が存在する。自分をよほどの天才だと思っているのかなぁ。読書量を増やしても優れたコピーを書ける保証はないが、インプットなしに、プロとして合格点のコピーを書き続けることはゼッタイできない。
ということで、姉妹本「名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方」と共に、若手の教養課程には必須の一冊。
コピーライターは、広告主からコピーを頼まれると、その会社とその商品とその商品のセールスポイントが好きになります。好きにならなければ書けるものじゃありません。(中略)
書く作業、書くテーマ、読んでもらう人、読むこと、読む本、書いた人を好きになることは、いいものを書き、読んでもらい、自分自身が読む上で、絶対的な条件です。(第7部「好きならばこそ見つめ、調べ、読み、書く」より)
[2010年10月 2日] この日の感想・書評へ→

マーケティングを学ぶ
石井淳蔵
伊藤園の飲料化比率とヤマト運輸の集配密度のコンセプトに共通しているのは、マーケティング定番のS→T→P方式ではなく、P→S・Tのポジショニング先行方式である。ポジショニングからスタートするマーケティングは、ラディカルなマーケティングであるだけにリスクもある。それだけに、その根拠となる、周囲の者を納得させるだけのセオリーが必要だ。(第5章「第1部のまとめ:市場志向の戦略を立てる」より)
STP(セグメンテーション/ターゲティング/ポジショニング)やブランディング戦略など、取り上げている内容自体や事例は特に目新しくはない。にも関わらず論理的で無理のない構成と、個々の文章の平易さ、さらには理論的解説と組み合わせている事例の的確さによって、一つひとつの説明が実にすんなりと頭に入ってくる。まさに「マーケティングを学ぶ」という至って素直な題名通りの本。おまけにこれがお手頃価格の新書というスタイルで刊行されているのもうれしい。
「マーケティングの世界は、ちょっとした言葉の工夫で、大ヒットに結びつく可能性をもった繊細な世界なのである」という一文が本書にあるが、知恵と工夫一つで市場の流れを劇的に変えられるマーケティングの面白さが、わずか300ページ程の中に巧く凝縮されている。
「布の臭いをとることで、部屋の臭いをとる」、このちょっとしたメッセージ上の工夫が、ファブリーズの大きい成功をもたらした。「布の臭いをとる」という直接のニーズよりもより高次のニーズである「部屋の臭いをとる」に働きかけることで商品と生活者との関係を変えたわけである。ちょっとした、しかも焦点の合ったコミュニケーションを行うことによって、商品と顧客との関係を変えることができるのだ。商品と顧客との関係を変えることができれば、技術革新を伴わずに大きな市場を獲得することができる。(第6章「ポジショニングを通じてブランド・エクィティを確立する」より)
[2010年9月22日] この日の感想・書評へ→
伝える本
受け手を動かす言葉の技術。
山本高史
言葉は伝える技術である。
言葉の送り手が言葉の受け手を、自分の望む方向へ動かすための技術である。
それを叶える方法は、送り手が受け手の言って欲しいことを言ってあげることだ。すべてを決めるのは受け手だから、である。(序「言葉を、もういちど。」より)
言葉で人を動かすにはどうすればいいか?著者はたった一行、「受け手の言って欲しいことを、言って欲しいように言ってあげる」こと、と結論付けている。そして「逆もまた真なり」。「受け手の言って欲しくないことを、言って欲しくないように言ってやる」ことで、人を動かすことも可能である。確かに暴走族を「オナラ族」、ストーカーを「つきまとい」、ドラッグを「アホ薬」に変えるだけで、世の中が少しはマシになりそうだ。リストカットも自殺未遂、フリーターも「定職なし」や「無職」とはっきり言ってあげた方が、より早く現実と向き合えるに違いない。ましてや(本書で初めて知ったが)、女性のパンチラ狙いでカメラを低く構える輩を「ローアングラー」と呼ぶなど愚の骨頂である。著者の提言通り「パンチラマン」と蔑んでやれば、そのおバカな響き故に自制する者も現れるんじゃないか。
言葉のプロフェッショナルが、真摯に言葉の在り方と向き合った「良心の一冊」。
ある新聞社が「言葉はときに無力だ」のキャッチフレーズを掲げたことがあった。もちろんそれで終わるはずはなく「それでもまだ言葉を信じている」が言いたいことの結論だったが、そんなところで弱気に逡巡している暇があれば伝わる言葉を送ればよい。その言葉で世の中という受け手を、自分の正しいと信じる方向へ動かせばよい。言葉が無力なのではない。送り手の言葉に技術がないのだ。無力なのはその程度の言葉しか使えない人間なのだ。だから言葉が伝わらないのだ。言葉のせいにするなよ。言葉の力を信じて戦いましょうよ。(第4章「さあ、言葉を伝えよう。」より)
[2010年6月23日] この日の感想・書評へ→

次世代広告進化論
須田伸
論点1-6:躍進するネット広告に任せておけば大丈夫か?
ネットはまだまだ「買いたい気分」をつくるのが苦手
論点1-7:「嫌消費」とどう向き合うか?
「私」を表現できる商品やサービスを、消費者はいつも求めている(Chapter1「まだ広告で『騙せる』か?」より)
論点3-2:なぜ人はブログを書くのか?
情報発信の根源には、「自分語り」という感情がある(Chapter3「発言する消費者は脅威か?」より)
何もネットが普及したせいで広告表現が変わった訳ではない。時代の“気分”が変わったから、広告表現も変わらざるを得なくなったのだ。本書にもあるが、「いいクルマが好きだ。男ですから」というホンダのCMが恰好の例である。一昔前の成年男子なら、ほぼ誰もが「良いクルマに乗りたい」と思っていたから、わざわざそんな野暮をメーカーが言わなくても良かった。タバコや酒も同じ。男の小道具として欠かせない存在だったからこそ、「カッコよく飲む(吸う)スタイル」をどう表現するかが腕の見せ所だった。しかし、そんな社会的コンセンサスは今や風前の灯。「男はいいクルマを欲しがるもんだぜ〜」と煽ってやらねば動かない時代になったのである。
ではこんな気分の下で、次世代の広告はどう“進化”していくべきか。そのための有効なコミュニケーション戦略のヒントが平易にまとめられている。
論点4-1:そもそも広告がすべきこととは何か?
広告の重要な役割のひとつが、幸せな気持ちの提供である
論点4-4:広告が伝えなければいけないものは何か?
人間は物語を必要とする生き物。だから広告は、いい物語を提供しなければならない(Chapter4「広告の成功法則は変わったか?」より) 論点5-2:ウケる広告に秘密はあるか?
消費者が「ツッコミ」を入れたくなる表現には、ヒットのチャンスが隠れている(Chapter5「これから広告は何をすればいいのか?」より)
[2010年6月 1日] この日の感想・書評へ→

センスのデザイン
クリエイターの感性と技術
大内エキオ
センスという言葉は小さく捉えれば、感覚という意味になるし、大きく考えれば、デザインを語る上ではすべてを包含する核となる概念かもしれないね。すべての表現に通じることなんだけど、人が共感したり、感動するのは、送り手の一方的なものじゃ届かないんです。受け手の心のなかに、もともとある琴線に触れないと届かない。共感するということは、送り手と受け手がインタラクティブ(双方向)な関係になるということなんです。(「センス・インタヴュー《1》副田高行」より)
センスがあるとかないとか、我々はふだん自他を評価する際に何気なく使用しているが、いざ「センスって何?」と訊かれると返答に困ってしまう。広辞苑には「物事の微妙な感じあるいは意味をさとる働き。勘。感覚。思慮。分別」とあり、確かに妥当な説明ではあるが、まだ何か、大事なものが欠けている気がしてならない。
というわけで、広告デザイン(副田高行)・コピー(岩崎俊一)・広告写真(白鳥真太郎)・CMプランナー(福里真一)・エディトリアルデザイン(木村裕治)の一流クリエイター5名へのインタビューを通じて、各氏の持つ技術論の核心に迫りながら、「センス」の存在を可視化しようと試みたのが本書である。そして各氏それぞれ表現こそ異なるが、センスだけでやっていける程仕事は甘くないということ。そしてセンスを発揮するには、何より「対象への深い理解と愛情」が必要なことだけはどうやら確からしい。
こちらが無理矢理作り出すという力技を使うのではなくて、神経を研ぎ澄まして向こうからやって来るものを受け止めるという、この感覚が持てるかどうかというのが、ある意味、僕はセンスが問われるところであると思っているのです。
だからコピーは、作るものではなく、“見つけるもの”だとずっと言い続けているんですよ。
その見つけ方、掴まえ方は、明らかにこれはセンスの成せる技だと思うんですね。(「センス・インタヴュー《2》岩崎俊一」より)
[2010年5月21日] この日の感想・書評へ→

ザグを探せ!
マーティ・ニューマイヤー著/千葉敏生訳
・ブランドとは、商品、サービス、企業に対する消費者の直感だ。
・似たもの商品・横並びサービスに囲まれている消費者は、あふれかえる物の中から勝者をえり分けるための“何か”を探している。
・商品やサービスが極度に氾濫する現代においては、差別化だけでは不充分だ。必要なのは、「過激な差別化」なのだ。(「まえがき・プロローグ」より)
「ザグ」とはジグザグの「ザグ」。ジグザグの線は「ジグ」方向と、その逆の「ザグ」方向から成り、他社が「ジグ」ならあなたは「ザグ」へ進むべき、というのが本書の趣旨。一時話題になった「ブルーオーシャン戦略」をカジュアルに、取っ付きやすくしたイメージだが、本書の方が具体的かつ実用的だ。特に「ザグをデザインする」17項目のCheckpointが有用。親切にも記入用のシートまで付いている。順に「1.あなたたちは何者か?/2.何をしているのか?/3.ビジョンは何か?/4.捕らえているトレンドは? /5.ブランドを取り巻く状況は?/6.あなたたちの「唯一性」は?…」といった内容だが、読者が抱える実際の課題に応じて取捨選択すれば、結構使えそうだ。
他にも、ブランドの成長過程は「チョキ、グー、パーの順」で、チョキ(フォーカス)はパー(規模)に勝ち、パーは勢い(グー)に勝ち、勢いはフォーカスに勝つ、という独自の論法がユニーク。数多の戦略本がある中、本書自体がまさに「ザグ」を実践している感がある。
あらゆるブランド・コミュニケーションは、内部のポジショニング方針(これを「トゥルーライン」と呼ぼう)に基づいて発せられたものでなければならない。トゥルーラインとは…(中略)…あなたのブランドについてのたったひとつの事実のことだ。トゥルーラインとは、競合他社が主張できない(しない)ものであり、顧客が価値と信頼を置くものでなければならない。…(中略)…トゥルーラインとはブランドの「独自の強み」であり、ブランドが顧客にとって価値のある理由のことである。(「CHECKPOINT11 ブランドをどう説明するか?」より)
[2010年4月 1日] この日の感想・書評へ→

自分ごとだと人は動く
博報堂DYグループエンゲージメント研究会
自分が感動をした経験を誰かに伝えたいという欲求は、私たちの本能的な性質です。
体験したことに感動したり、好意を持つことは素直に「自分ごと」になったということ。シェアする方法が格段に広がった生活者主導社会の中で、「感動」「好意」のレベルにまで達する経験をしたならば、生活者は積極的にその経験を発信するようになっていくのです。(第4章「コミュニケーションは『自分ごと』で成功する」より)
情報の洪水で溢れかえる今日、もはや人は、企業が発信するメッセージにいちいち付き合っていられず、99%を「他人ごと」としてスルーしている。ではこんな時代、情報を狙った相手に食いつかせるにはどうすればいいのか? 多くの人がその情報を「自分ごと」に思える様、敢えて「突っ込みどころ」満載にしておきなさい、というのが本書の処方箋である。ソフトバンク「犬のお父さん」のTVCMは、まさにその好例と言えよう。
本書では他にも、人は自らに貼った「タグ」を相手に応じて使い分けながら暮らしている…とか、プランナーなら「凸と凹」を考えましょう…とか(凸は生活者に気づいてもらう最初の出っ張り/凹は生活者が関与したくなるくぼみ)、使える表現が随所に見られた。
突っ込みから始まった両者の出会いがいつしかエンゲージメントのあるハッピーな関係に移行する。そんなコミュニケーションが私たちの目指すところ。
そのための架け橋となるのが「エンゲージメント・テーマ」。架け橋の上でするデートは、やっぱり真ん中で語り合うのが素敵です。そのためにはお互いが楽しく歩み寄るシーンが欲しいな、と思うのです。
これからのマーケティングや広告に関わる人たちにとって、この「エンゲージメント・テーマ」を見つけられるかどうかが成功するかどうかの分かれ目になるだろうと思います。(第4章「コミュニケーションは『自分ごと』で成功する」より)
[2010年3月15日] この日の感想・書評へ→

カオティクス
波乱の時代のマーケティングと経営
フィリップ・コトラー/ジョン・A・キャスリオーネ著/斎藤慎子訳
わたしたち著者の仮定は、乱気流、特に強度の乱気流と、その結果生じるカオス・リスク・不確実性こそが、業界・市場・企業のいまの通常状態だということである。
乱気流こそが新しい通常状態(ニューノーマル)であり、そこに、景気が突然よくなったり沈滞したりということが断続的に起こる。そして、景気沈滞が長引いて景気後退や不況にまで至ることもあるのだ。(「原著はじめに−カオティクスとはなにか?」より)
カオティクスとは、経済の乱気流時代において「不確実性に対処する仕組み」のこと。いわば一種のリスクマネジメントである。具体的には:
(1)「早期警報システム」を開発し乱気流源を検知する
(2)「キーシナリオの構築」でカオスに対応する
(3)優先順位の高いシナリオとリスクに対する態度に基づいた「戦略を選択する」
という三要素からなる。そしてこれらのカオティクス・マネジメントによってリスクと不確実性を巧みに管理し、機会を巧く活用する「反応性・強靱性・弾力性」のある企業を作ろう、というのが本書の趣旨で、そのための方法論が教科書的に並べられている。
企業人を前にして話す機会の多い経営コンサルタントや、社員に訓示を垂れる必要のある企業の経営者層にとっては、使える言葉やチャートがいろいろ盛り込まれている必読書、かな。
認識すべきことは、正常・好景気用のシナリオと、下向き・不景気用の別のシナリオという、いままでのやり方ではもう通用しないということである。現在はどの国の企業にも、あるレベルの乱気流にさらされた環境下で経営して売っていく力が欠かせない。いま必要なのは、断続的に意表をついて発生する乱気流に直面しても機能する、新しい戦略のフレームワークである。(第1章「ノーマルからニューノーマルへ」より)
[2009年11月21日] この日の感想・書評へ→

クロスイッチ
電通式クロスメディアコミュニケーションのつくりかた
電通「クロスメディア開発プロジェクト」チーム
「クロスメディア」をひとことで言うならば、次のように表現できるだろう。
「ターゲットを動かすためのシナリオ(導線)づくり」
具体的には、わたしたちは「クロスメディア」を次のように定義している。
(1)ターゲットインサイトやメディアインサイトにもとづいて、
(2)「広さ」(リーチ&フリークエンシー)と「深さ」(関与が深まる度合い)を考えた、
(3)コミュニケーションの「シナリオ(導線)」を、
(4)複数のコンタクトポイントを効果的に掛け合わせてつくること。(第2章「誰も教えてくれなかった『クロスメディア』の秘密」より)
単に複数の媒体を組み合わせて「リーチ&フリークエンシー」の獲得を目指すためだけの「メディアミックス」とは違い、「情報バリア」を張った消費者を誘い出すシナリオと表裏一体になったメディア戦略が「クロスメディア」である、というのが本書の(というか電通による)定義。よく考えれば当たり前の内容を、カタカナの新たな概念として世に送り出すのは大手広告代理店のお家芸だが、本書の場合はそうした概念の呈示に止まらず、ご丁寧にも「d-camp」「ターゲットビジュアライザー」「CONNECT MEDIA」「VALCON」等、自社“商品”のPRを後半部分に満載してある。真の「クロスメディア」を成功させるには、我が社の“商品”がオススメでっせ、ということだろう。
書かれてある内容には肯けることも多いし、分かりやすいイラストやチャートも随所にあって教科書としては悪くないが、いくら広告屋さんの親玉とは言え、ここまで宣伝臭が強いとちょっと辟易する。
クロスメディア時代のプランニングに重要な視点は、「仕組み」をデザインするのではなく、消費者の「気持ち」をデザインすることです。「クロスメディアにしたい」「消費者に検索させたい」というのがゴールではありません。
コンタクトポイントの先の「光景(シーン)」をイメージすることが重要です。つまりターゲットが直面する事態や場面、そのときの気持ち(心理)を想像する。それは「妄想力」と言ってもいいでしょう。(interview02「『仕組み』ではなく、消費者の『気持ち』をデザインする」より)
[2009年11月 1日] この日の感想・書評へ→

幸福を見つめるコピー
岩崎俊一
いとおしい者を得るとは、心配事がふえることなのだ。自分以外の人間のために、身をよじるほど胸を痛めることなのだ。そして、無事を知り、心の底から安堵し、ひたひたと押しよせるよろこびに満たされていくことなのだ。
そして思った。はじめて知る、このえも言われぬ感覚こそ、人生の味わいというものかも知れない。結婚しなければ、あるいは子どもが生まれなければ、この切実で、胸を切りさかれるような激しい感情を知らずにいただろう。(「消えた娘」より)
「お父さんが撮ると、私が主役になるから、不思議だな。」「この子の3歳は、たったの1年。」「旅に出る服は、写真に残る服だ。」「本は、飛行機よりも遠くに運んでくれる。」「本を読む子どもを見るのは、なぜうれしいんだろう。」「花を育てるようになると、雨が好きになる。」etc.。岩崎俊一氏のコピーは、まさに氏が言うところの、「コピーはつくるものではなく、見つけるものだ」という言葉そのものだ。うれしい時、切ない時、つらい時、寂しい時、人を愛しく思う時…。誰しもこんな風に感じるのだろうなという感情をすくい取り、誰にでも伝わるシンプルな言葉で定着させる。そこには何の作為もない。あるのはコンマ一秒でも早く伝わる様に言葉を選び、カタチにするための技術だけ。頭の中ででっちあげた言葉では人の心は動かせない、ということを、この本を読んで改めて知らされた。そしてこの先年齢を重ねる程に、コピーを「見つけられる」機会が増えるかも知れないという勇気も、もらった気がする。
つまり、コピーライターがでっちあげたものではなく、ひとつの「ほんとうのこと」として、さながら数学でいう「定理」のように、すでにこの世に存在していたもの、といえないだろうか。「コピーは、つくるものではなく、見つけるものだ」と思うのは、まさにそこなのである。
この空中のそこここに、人知れずひっそりと浮遊している「ほんとうのことたち」を、ひょいとつかまえ、誰の心にも入りやすいカタチにして人々の前に呈示する。それが、僕の考えるコピーライターの仕事である。
作業はもちろんやさしくはない。(「あとがき」より)
[2009年10月12日] この日の感想・書評へ→

広告新時代
ネット×広告の素敵な関係
電通
クチコミでも広がるような、吸引力のあるWebコンテンツを作るということは、売れる雑誌を1冊作るのと同じくらいのクリエーティブな才能と編集能力が必要なのではないだろうか。・・・(中略)・・・「そのWebサイトは、世の中のあまたある娯楽情報に比べておもしろく、ユニークな価値を提供しているか?」、常に問いかけながらその土俵にあがるべきだと思う。(第5部「『実験』から『実戦』へ」より)
取り立てて深い洞察や新しい知見はないし、何が「ネット×広告の素敵な関係」なのかはイマイチ分からないが、広告業界のド真ん中に君臨する最大手代理店の立ち位置を知っておいて損はない・・・、という観点で言えば読む価値がある本。こうした網羅的・総花的なネット関連書籍って意外にあるようでなかったし、広告クリエイティブ業界に入ったばかりの若手には格好のテキストだろう。書いている人達も皆気合い入っているみたいだし。
結局のところ、ネットの分野でもついに電通が一つのスタンダードを呈示する時代になってしまった、という点こそが本書の一番のトピックかも知れない。
「大衆」から「個衆」へと分解を続けてきた生活者は、インターネットというコミュニケーションツールの登場によって、むしろ「つながる」「共有する」ことへの欲求を深めている。そして、実際にそのような「つながる」「共有する」ためのネタを意識的に提供する広告手法も登場している。とすれば、このような動きは「精告」の半面で起きているインターネットの影響がもたらした広告の新しい変化とも言える。それは、あえて呼べば「共有するために告げる」、つまり「共告」とでも呼べるだろうか。(第6部「広告の未来図」より)
[2009年8月21日] この日の感想・書評へ→

みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。(勝つ広告のぜんぶ)
仲畑貴志
毎年、制作者を変えるようでは商品もすこやかに育たない。子供の育成を考えてみても、年ごとに育てる人物が変わるような環境では、その子はすこやかに育つわけがない。それに、だいいち不幸ではないか。(13「毎年、競合をするという浪費。」より)
「あ、風がかわったみたい。」の土屋耕一氏に続き、「恋が着せ、愛が脱がせる。」眞木準氏が急逝した。享年六十歳。同世代の糸井、仲畑の両氏はもちろん、一回り上の大御所・秋山晶氏がまだキューピーの広告等でバリバリ活躍しているのを見ると、含蓄のある「駄洒落コピー」がこの先何本も世に出たはずなのに・・・と残念でならない。
さて本書。「宣伝会議」での連載時からちょこちょこ立ち読みしていたが、こうして一冊にまとめられると、「価値あるひとつを確かに伝える」「表現力の差は、他者の思いを想い、想い至る力の差」「こころの病理に触れるコピーは、恐るべき深度を持って刺さっていく」といった一言一句が、波状攻撃のように染み入ってくる。理想と現実の狭間で日々消耗している制作者の「ココロを満タンに」してくれる本。
いっぱいコピーを書いて、その中から一本を選ぶとき、コピーライターは、結局自分がいちばん言ってほしい言葉、いちばん聞きたい言葉を選んでいるに違いない。自分が共感できるかどうかという尺度が表現を最終決定すると思うからだ。だとすれば、表現者は自己の尺度を磨かなければならない。表現を選択する尺度を広く持つこと、それには低い方より高い方を伸ばすしかない。(28「ごみの山を目指す人はいらない。」より)
[2009年7月12日] この日の感想・書評へ→

デザインを科学する
人はなぜその色や形に惹かれるのか?
ポーポー・ポロダクション
メインカラーは全体の70%、配色のサブカラーを 25%で組み合わせる。それに5%のアクセントカラーをつけ加えることで全体が締まり、バランスがとれる。メインカラーとサブカラーの組み合わせは、どのようなイメージを発信したいか、メインカラーのイメージを活かすためにどのような組み合わせが心地よいかで決めるとよい。(第4章「人はなぜその色や形に惹かれるのか?−デザインに隠された法則」より)
「デザインを科学する」という硬派な書名に惹かれ図書館に予約を入れたが、カウンターでお猿の装丁が施された本書を受け取った瞬間、(げっ、お子ちゃま向けか?!)と四十男の気持ちは萎えた。でもせっかく借りたし、見た目通りの内容なら即止めればエエやんと気を取り直して読み始めると、これが意外に興味深い。統計上色柄を紙面にどう配すれば、人は「かわいい」とか「オシャレ」と感じるのか、女性がなぜ微妙に違う何種類もの「赤」のルージュを使い分けられるのか、なぜ人は人の顔をあしらったキービジュアルに反応するのか等々、まさに書名通り「デザインを科学する」内容が満載である。専門職のデザイナーには既知の話ばかりだろうが、門外漢にはありがたいデザインの入門書だ。ただし、この装丁はどう見ても「子どものデザイン教室」にしか見えないので、そこはもう少し「科学」的にデザインしてほしかった。
有益な情報は、雑音化したデザインに妨げられてしまう。そこでどの程度、有益な情報が伝わるかを比率で考える。それが「SN比」である。有益な情報の信号 (Signal)と雑音(Noise)との量の比率であるS/N比によって、デザインの品質を表現するものだ。本来は、技術開発・新製品開発を効率的に行う品質工学などで使われる言葉である。簡単にいってしまえば、意味ある情報と無意味な情報の比率といえる。
無意味な情報が少ないデザインを、SN比が高いデザインという。(第5章「デザインのパワー」より)
[2009年7月 5日] この日の感想・書評へ→

コミュニケーションをデザインするための本
岸勇希
最も大切なのが、テレビCMやWEBといったメディア(手段)から考えないということです。私は広告コミュニケーションを展開した後、誰が、どのような状態になっていることで課題が解決されるのかというゴール・イメージから逆算して考えるようにしています。(第三章「コミュニケーション・デザインの実践 考え方とヒント」より)
コミュニケーション・デザインとは「気持ちをデザインする」ことである。プランナーであれコピーライターであれデザイナーであれ、着地点に向けて人の気持ちを心地良く動かしていくのが仕事だから、クリエイターはみな須く優れたコミュニケーション・デザイナーでなければならない。本書の例を借りれば、雨の日に傘を求める顧客を前にした時、即座に美しい傘を作って手渡そうとするだけでなく、もっと本質的に、「濡れたくない」という顧客の気持ちに応える方法を同時に考える視野の広さを持たねばならないということ。
特定のメディアに長年携わっていると、どうしてもそのメディアありきの発想に縛られ、こうした本質論を忘れがちである。豊富な事例も含め、久々に理論的にも実践的にも直接仕事の参考になった本である。
最終的に“人が動く感じ”がコミュニケーション・デザインにとって一番大切なことであり、厳密に定義しなかったのも、人それぞれのやり方、考え方があってしかるべきだと思うからです。私の場合は、自分が考えたキャンペーンに、自分がいち生活者として接触した場合に動くかどうかをよく想像します。自分が動かないキャンペーンが人が動いてくれるはずがないからです。(第三章「コミュニケーション・デザインの実践 考え方とヒント」より)
[2009年4月 1日] この日の感想・書評へ→

マーケティング・アンビション思考
嶋口充輝ほか
マーケティングのみが、かならずしもリアルの積み重ねを必要としない。ルール・ブレイカーであり、常識にとらわれない発想が求められる以上、積み重ねはあまりないほうがむしろ良いとすらいえる。
では何が必要か。夢を見る力、使命感、洞察力、ビジュアライズする力、ほかの人を巻き込むコミュニケーション能力、目標設定能力、そして強固な意志の力だ。(第2章「マーケティングの使命は夢を売ること」より)
まさに「Marketers be ambitious.(マーケターよ、大志を抱け)」とでも呼びかけている様な、名の知れた学者のセンセー方が寄り集まって書かれたにしては、ミョーに“熱い”マーケティングのサブテキストである。
様々な商品・サービスがコモディティ化していく中にあって、マーケティングとは「夢を追いかけるもの」であり「哲学でもある」と提言。コカコーラやハーレーダビッドソン、スターバックスなどの例を挙げながら、経営やマーケティングの中に未来構想を大局的に方向づけるアンビション(=大志、夢、志、野望)を持ち続ける大切さを説いている。理論的ではないし実用的な要素も少ないが、マーケティングに携わる者が自らの「志」を改めて問い直すきっかけになる本、ではある。
跳ぶために不可欠の条件は、すでに述べたように、アンビションを持つことである。そうすることで、日常の活動を超え、しかも説得力のある戦略を構築する手がかりを得ることができる。今世紀の企業の経営者に要求される要件とはこうしたことなのだ。しかし、アンビションを持つだけで、そのアンビションへの揺るぎのない確信を得ることは難しい。そこには、創造的瞬間が不可欠なのだ。(第6章「創造的瞬間がアンビションを確信に変える」より)
[2009年3月18日] この日の感想・書評へ→

笑うマーケティング
竹中雄三
二極分化とか究極とかいうものは話が面白く、誰でも最初は引き込まれるであろう。だがマーケティングの世界に身を置く者なら自戒として、これは怠け者の逃げ道にもなり得ることをわきまえておかねばならない。・・・(中略)・・・、マーケティングに身を置くなら、手順としてまず大衆の存在を信じ、大衆を追究し、苦心さんたん手だてを考えるべきだろう。(「平成のテラ小屋」より)
略歴紹介によると1950年生まれ、来年還暦を迎えるベテランマーケターということだが、本書を読むと歳に関係なく、柔軟なアタマというのはいくつになっても持ち続けられるのだなと、企画とプレゼンに追われる同業の後輩として大いに勇気づけられた。
人間年齢と経験を重ねるほど「社会とはこういうもの」「人はこうあるべき」とヘンに落ち着いてしまいがちだが、常に「もし●●が△△だったら」「仮に■■を○○と考えてみよう」という姿勢で世の中を括り直していくと、結構いろんなヒントがそこから得られることが分かる。
仮説は想像力と創造力の第一歩、「チセツなカセツでも立てないよりマシ」というノリでまずはやっていくことにしよう。
不況も少子化も高齢化も、ニートもフリーターも治安悪化も食料危機も誰かにとってはビジネスチャンスなのかもしれない。ところが普通のマーケッターによってはマクロな要因は企画の背景か、もしくは不振の言い訳だ。売れたら商品企画の勝利、売れなかったら景気が悪かったから、という具合(「ご法度トリック」より)
[2009年3月 8日] この日の感想・書評へ→

広告も変わったねぇ。
天野祐吉
批評は相手(つくり手)からお金をもらうわけじゃないから広告とはいえないけれど、すぐれた批評には広告性がある。げんに、へたな広告なんかよりも、すぐれた書評や映画批評のほうが、よりよく商品を売っていると思いませんか?
ついでにいうと、「逆もまた真なり」で、すぐれた広告には、なまじっかな批評よりも、ずっとすぐれた批評性がある。(第1章「広告も変わったねぇ。」より)
「広告批評」が今年の4月号で休刊する。毎号チェックする程の熱心な読者ではなかったが、テーマ次第でランダムに購入した他、毎年の広告ベストテンが載る 12月号だけは必ず入手し、発想のヒントを得るため折に触れてパラパラと捲っていたので、個人的には結構ショックだ。
本書はその「広告批評」を立ち上げ、三十年にわたって日本の広告を見つめ続けてきた天野祐吉氏の最新刊。時代と共に転形する広告の今昔を創刊からの歩みに絡めて語った第1章を皮切りに、電通常務の杉山恒太郎氏、「明日の広告」著者の佐藤尚之氏、コピーライターの谷山雅計氏など五人のクリエイターとの対談形式で、WEBを含めた各種メディアや広告表現、コミュニケーションに関する現在進行形の話題が展開されている。
それにしても、七十代半ばにして此程まで広告やメディアの“今”を語れるなんて、大したジイ様だ。
天野 それはあるかもしれないね。たしかに、いいコピーというのは自己完結していないのかもしれない。どこか、受け手に対して投げ出しているところがあるんだよね。オープンで。
谷山 そうなんですよ。ぼくも名コピーだといわれているものを見ていて、「いや、これは名言なんだけれど、完結しちゃっていて、受け手が入る隙がないから、名コピーではないな」なんて思うことが、すごくあります。
天野 コピーと名言は違うよね。箴言なんかになっちゃ困る。(第6章「やっぱり変わるんだよねぇ、言葉も広告も」より)
[2009年1月26日] この日の感想・書評へ→

刺さる広告
コミュニケーション最適化のマーケティング戦略
レックス・ブリッグス,グレッグ・スチュアート著/井上哲浩,加茂純監訳/高橋至訳
マーケティング・プログラムの要素にとって理想的な状況とは、各メッセージが一つひとつのスピーカーの役割を果たすサラウンド・ステレオ・システムのように機能することだ。いっしょに機能しても一つひとつはどこか違う。だが、いっせいに音を出すと、システム全体が消費者に対してより力強い経験をもたらし、より良い成果が達成できる。(第12章「タッチポイントへのメッセージ」より)
米国の広告業界誌Advertising Ageが選ぶ「2006 One of the Top Ten Books You Should Have read」で第1位に輝いたベストセラー。米国では毎年、マーケティング総予算の4割に当たる1120億ドル(約12兆円)もの費用がムダに使われているとのこと。そこで消費者の心に「刺さる広告」を実現し、投資収益率(ROI)を高めるための方法論を、ある程度具体的に説き明かしているのが本書である。論旨のキモは2つ。1つはCOP(コミュニケーション最適化プロセス)、もう1つは4Mである。COPとは要するにシナリオプランニングの手法に基づき、何を以て広告の成功と定義付けるかを関係者全員で事前共有した上で、望む効果が上がらなかった場合に備え、次善のシナリオ案も複数用意しておく手法をいう。また4Mとはモチベーション、メッセージ、メディア、そしてマキシマイゼーション(最大化)の4つを指す。いずれも古典的な広告・マーケティングとは違う切り口であるが、ここで詳細を論ずるには全く誌面が足りない。
なぜ、ひとつのメディアでメッセージを繰り返すよりも、サラウンド・サウンド・マーケティングのほうが有効なのだろう?それは消費者が無意識のうちにパターンを読み取るからだ。 さまざまなメディアに現れるメッセージの外観や感触が一貫していれば、コア・メッセージは強化される。同じ意味が身体のすべての感覚(視覚、味覚、触覚、嗅覚、聴覚)で強化されれば、よりよいタッチポイントの統合を達成できる。(第12章「タッチポイントへのメッセージ」より)
[2008年12月22日] この日の感想・書評へ→

空気のトリセツ
指南役
そう、グループ内の誰か1人をKYに仕立てることで、それ以外のメンバーは「空気が読める」仲間になれる。同じ空気を吸っている同志になれる。
誰か1人を仮想敵に仕立てることで、それ以外のメンバーは「空気が読める」という一点で結束できるのである。(「『KY』と言ってまとまる空気」より)
「空気」とは、いかにも厄介な代物である。理性で判断すれば誰もが「白」と感じていても、その場の空気次第で「黒」と答えざるを得ない事が往々にしてある。空気の前で理性は無力であり、そうやって日本はズルズルと太平洋戦争に突入し、少し前には小泉さんの下、郵政民営化“だけ”が選挙の争点となった。
そして近頃、空気はいよいよその存在感を増している。KY=空気が読めない人が軽くさげすまれ、空気を読んで巧く立ち回れる人間がデキるヤツとの称号を得る。こうして人はますます自分の立場や意見を曖昧にし、「私的には〜みたいな」な〜んて言い回しで様子を窺いつつ、周りの空気に自分を合わせようとする。何だかイヤな「空気」だ。
こうした時代だからこそ、トリセツなのである。本書に批評精神はない。ひたすら、様々な空気の事例紹介と取扱説明に終始している。その点でこの著者たちも、時代の「空気」を読むのが上手なんだろう。
「ごめん。あの場の空気じゃ、ああ言うしかなかったんだ」なんて場面に象徴されるように、僕らは空気の前では極めて無力な存在。自分の意志で行動しているようで、その実、知らずしらずに空気に動かされているのです。
そんな空気はどこにでも存在し、小さくも大きくもなれば、形も自由自在に変えられる。会議みたいな小さな空間から、時に一国を動かすような強大な存在にもなる。(「あとがき」より)
[2008年11月22日] この日の感想・書評へ→

名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方
鈴木康之
「これは人にぜひ聞かせたい」と思わず膝を叩きたくなるいい話を聞き出せたら持ち帰って書く。このことを私は「コピーは読者への土産話である」と言ってます。喜んでもらえない話は土産話になりません。(中略)
このことを私はコピー教室などでは「コピーライターは、書き上手になるな、聞き上手になれ」と教えています。(第三部「話の見つけ方」より)
今は絶版になったと本書で知ったが、著者には「名作コピー読本」という“名作”がある。日本を代表する広告のボディコピーを俎上に乗せ、一文一語にサクサク包丁を入れながら手練れの技を解説してくれる、コピーライター志望者にとって究極の入門書である。この世界に入って間もなく師匠をガンで失った私にとって、「名作コピー読本」は文字通り干天の慈雨。貪るように読み返しては、そのたびにコピー職人の技の奥深さに感嘆させられたものだった。
本書はその「名作」の流れを汲みつつも、業界人ではなく一般の方に向けて平易に著された、「読んでもらえる文章の書き方」の指南書である。分析の精緻さは勿論のこと、本書の構成&本文自体がそのまま「読まれる文章」のお手本となっており、まさに理論と実践が見事に一致した一冊。
そうなんです、いちばんは本人なんです。本人が楽しんでいないと、読み手にそれが伝わりません。土産話は、楽しみ方まで、語り手からのおすそ分けなのです。料理する人自身がいちばん美味しいと思うから、ご馳走になる人も美味しいと舌鼓を打つ。料理と同じだと思います。(第三部「話の見つけ方」より)
[2008年9月24日] この日の感想・書評へ→

ブランド再生工場
関橋英作
ブランディングとは何かといえば、「消費者の心のなかに、そのブランドに対する好感を作ること」。平たく言えば、「好きになってもらうこと」。これしかありません。(第2工程「ブランディング・アイディアの創造」より)
個人的には、過去に読んだブランディングの本の中で最も分かりやすいと感じた本。「誰かの心の中に“好き”という感情を植えつけること」というのがブランディングに対する本書の基本見解であり、そのロジックの下、身近で分かりやすいケーススタディ型の講義が展開されている。
著者はキットカットのキャンペーンを成功させた元外資系広告代理店の副社長で、「ブランドは成長魚のようなもの」、「マーケティングは心理学にいちばん近い経済学」等々、随所に使えるレトリックが散りばめられている。再生事例としてクリームシチューや扇風機、懐中電灯、大手新聞、狂言を取り上げる視点もユニーク。カタカナの業界用語に極力頼らず、いかに分かりやすく説明するかに徹しようとする姿勢は大いに見習いたい。
無関心こそ、ブランドの大敵。人間を考えてみれば簡単です。無関心と言われるほどひどい言われ方はありません。まだ、大嫌いと言われたほうがよほどマシ。無関心には、感情というものが関係していないのです。(第5工程「ブランド再生実験工房」より)
[2008年9月11日] この日の感想・書評へ→

プレミアム戦略
遠藤功
すべての人にアピールするプレミアムは存在しない。
すべては作り手の主観から出発する。
そして、自分の主観にこだわりつづけた結果生み出される「尖り」を持った「レベルの違う上質感」は、間違いなく、ある特定の消費者を魅了する。(第3章「プレミアムとは何か」より)
150円のコーヒーから○千万円の高級車迄、様々なジャンルで「プレミアム」という言葉が濫用される中、「そもそもプレミアムとは何?」を論じるだけでなく、最終的には「プレミアム作りの方策」も指南しましょうという結構野心的な書。
プレミアムとは単なるキャッチコピーではなく「思想」「戦略」であり、圧倒的に優れた「機能的価値」に加え「情緒的価値」(=精神的満足に繋がる物語)が必須と筆者は説く。「究極のモノづくり」と「究極のストーリーづくり」が融合して初めて、買い手を「ワクワク、ドキドキさせる」プレミアムになれる、という訳だ。では人為的にプレミアム感を生み出すにはどうするか?ということで、8つの原則(派手に広告しない/枯渇感を醸成する/販路を絞るetc.)と5 つの施策(本物の職人を育てる/上場にこだわらないetc.)を呈示している。
論旨も明解、文章も平易で納得しながら読み終えたが、この本の通りにやればプレミアム品が作れるのか、と言えばきっとそうではなく、またそう易々とは行かないからこそプレミアムはプレミアムなんだろうね。
プレミアムとは、ひとことで言ってしまえば「惚れる」ことである。
自分が惚れ込んでしまうような商品やサービスに出会えた時、人は五感で「豊かさ」を感じ、幸せになる。人との「出会い」が「豊かさ」をもたらすように、惚れ込むようなモノやサービスとの「出会い」も、人生を豊かにする貴重なアクセントになる。(「おわりに」より)
[2008年6月14日] この日の感想・書評へ→

明日の広告
佐藤尚之
情報が溢れている時代だからこそ、消費者は「ニーズがある時に伝えてもらえないとすごく損した気になる」ものなのだ。そういう「伝えてもらいたがっている消費者」がどこで何をしているか、リアルに想像してみよう、ということだ。・・・(中略)・・・で、彼らに情報をデリバリーするために、どこでどんな表現をすれば届きやすいのかを、彼らの生活動線を想像しながら辿っていくのである。(第4章「消費者をもっともっとよく見る」より)
マーケティング戦略を企画する場合、まず「伝える相手」を明確に定めることは最重要作業の一つだ。そうした場合、我々はつい年齢・性別等を基準にステレオタイプなターゲット像を設定しがちだが、著者の「伝えてもらいたがっている消費者をリアルに想像する」という方法論は非常に参考になった。確かに自分自身の消費生活を思い浮かべてみても、その時々で「伝えてもらいたい」情報は確かにあるし、そうした場面では、見え見えの広告でさえ貴重な情報源となり得る。
逆に言えば、幾ら考えても「伝えてもらいたがっている消費者」の像が浮かばない時は、企画やクリエイティブ表現で悩む以前に、その商品やサービスの存在価値自体を疑ってかかる必要がある、のかも知れない。
だって消費者は頭を働かせて広告なんか見てくれない。それどころか頭のスイッチをオフにしているときに偶然出会うのが広告なのである。そういうときに消費者の共感と感激を得るためには、スイッチをオフにした彼らでもわかるような、ハードルの低い表現で迫らなければいけない。・・・(中略)・・・頭のスイッチを切った消費者でも受け取れるような、いい意味で「フールな表現」の方が相手の心に届くのである。(第6章「クリエイティブの重要性」より)
[2008年5月 1日] この日の感想・書評へ→

キミがこの本を買ったワケ
指南役
そりゃあ、ACCの大賞には素晴らしい作品が多い。・・・(中略)・・・でも、松下の企業広告なんて、年1回の「テレビCMの日」1日限りの放映。それでブランディングはないだろう。
いや、それ以前に、年1回しか放映されないCMに、広告界の最高の賞を与えてしまっていいものだろうか。そもそも、商品を売ることに最も貢献したCM以上に、この世に優れたCMなどあるものだろうか。(8「CMは好きなのに商品を買ったことがない理由」より)
2月に読んだ「透明人間の買いもの」がマーケティングの副読本として随所にイイ線を突いてたので、さかのぼって前作に当たる本書を読んでみたところ、前回感じた「あるある!」感が期待した程得られなかった。
本書の考察を踏み台に論議が熟成し、「透明人間」というユニークなコンセプトに結実したのだとしたら、発刊順通りに読んでいればそれなりに満足できたのだろう。でも先に本書と出会っていても物足りなさを感じていたとしたら、次作の「透明人間・・・」は手に取らなかったかも知れない。
そう考えると、本との出会いというのもちょっとしたタイミングだなと改めて思う。
フランスのことわざに、こんなものがある − 不在者は、常に悪者。
新しい宣伝担当者は、広告代理店各社の営業マンらを招いた最初の挨拶で、大抵、次のようなことを言う。
「前任者のことは忘れてほしい。僕は僕のやり方でいく」・・・(中略)・・・つまり、フランスのことわざをもじれば、こういうことになる。
−前任者は、常に悪者。(9「何年も変わらないCMが好きな理由」より)
[2008年4月25日] この日の感想・書評へ→

透明人間の買いもの
指南役
この際、腹を割って話そうと思う。
それは、最近の宮崎駿のアニメについて−。
僕は、最近の宮崎アニメを正直、微妙と思っている。・・・(中略)
皆、心の奥底で「微妙・・・・・」と思いつつも、誰かが口火を切ってくれればと周囲を窺い、結局誰も本音を明かせない。映画評論家だって100億円という配収の前では、そう簡単に批判できない。(1「透明人間は、最近の宮崎駿は正直微妙と思っている」より)
透明人間とは、際立った個性のないこの世の大多数=サイレントマジョリティを指す。私もその一人だ。とりわけ本書の前半は、心の中で「そやねん!」と何度も相槌を打ちながら読ませてもらった。
著者の「指南役」とは1983年発足のエンタテインメント企画集団。個人名ではないからこそ、ここまで本音が書けたのだろう。透明人間(=我々一般ピープル)は「W杯の時だけサッカーを知ったフリして語る」し、「アート寄りの芸能人の良さが実はピンとこない」し、「力ある人の意見になびきやすい」し、「単館系の映画を好んでは観に行かない」し、「選択の余地がない状態の方が気が楽」なのである。
僕らは他人からセンスのいい人間と思われたい生き物。裏を返せば、それはセンスのいい人間へのコンプレックスともとれる。
ここだけの話、僕らは「アート寄り」の人たちが、少々ニガテである。
アート寄りとは、オダギリジョーとか浅野忠信とか木村カエラといったタイプの人たちを指す。アートディレクターの佐藤可士和とかCMプランナーの多田琢みたいな半分芸能人のようなクリエイターもそう。(3「透明人間は、関ジャニ∞より本当は木村拓哉が好き」より)
[2008年2月27日] この日の感想・書評へ→

ターゲット・メディア・トルネード
Web広告、雑誌広告、交通広告(OOH)が効果的なワケ
吉良俊彦
これからは、もう一つのステップが重要になってくる。それは、一度購入した人たちに対して、さらに広告を継続していくことだ。自分が買って、それなりの満足を得た商品が、絞り込んだターゲットに向けて継続的に広告されることを「嫌だ」と思う人はいないだろう。その心理を狙うのである。この広告戦略を「メンテナンス広告」と呼ぶ。(第6章「ターゲットブランディングのためのトリプルサティスファクション」より)
TVと新聞をマスメディア、Web広告、雑誌広告、交通広告(OOH)をターゲットメディアと改めて定義。その上で、「これからの時代はマスメディアが生活者に届かなくなるから、ターゲットメディアをどう上手に使いこなすかが広告戦略成功のカギである」という至極真っ当な結論を、論理的というか、少々回りくどく解説した書。
ロイヤルカスタマーを生み出すための「メンテナンス広告」という切り口と、メディアプラン戦略の理想型を明解に表現した著者オリジナルの「逆円錐形チャート(トルネード)」は実に見事な力作だが、全体としてはわざわざ一冊の本にしなくても・・・という印象。雑誌「宣伝会議」上で4p程かけて説明すれば十分語り尽くせる内容に思えた。センスリーダーであるべき広告マンが出す本にしては、ちょっと装丁もイケてないし。
2008年型広告とは、[A]の[B]を[C]の力を使い、広く[D]に告げ、[D]から[E]を導き出し、最終的に[F]を探し出す。※[A]企業[B]商品[C]メディア[D]生活者[E]興味者=ターゲット[F]消費者[G]メンテナンス[H]ロイヤルカスタマー[I]ターゲット・ブランディング
そして、その[F]に対して、継続的な[G]を行い、再購入を促進し、[H]を生み出していく。
その一連の業務を[I]と呼ぶ(第6章「ターゲットブランディングのためのトリプルサティスファクション」より)
[2008年2月 2日] この日の感想・書評へ→

胸からジャック。
眞木準
恋が着せ、愛が脱がせる。(眞木準)
目的があるから、弾丸は速く飛ぶ(仲畑貴志)
あなたのヌードは、ちゃんとエッチですか。(児島令子)
愛は無断でやってくる。(眞木準)
異常も、日々続くと、正常になる。(仲畑貴志)
「ジャック」とは、短歌、俳句、川柳とは違って、何の決まりもない一行詩の提案であり、「コピーは、表現目的こそ純粋ではないが、表現創意そのものは、純粋である。このことを以前から強く感じていた」著者からの、一行詩民である日本人へのささやかな提案だ。そして仕事に使え、スピーチに使え、愛を伝え、人生をサポートする一行のジャックについて、過去の秀逸なキャッチコピーの数々を見本に挙げつつ、イメージの共有を図っている。
確かに、優れたキャッチコピーは優れた「惹句」であり、ビジュアルや広告主から分離した後も、すっくと独り立ちできる強さを備えている。
ただ広告コピーの本質はあくまで、その広告によってどれ程商品が売れたか、あるいは企業やブランドのイメージが高まったのかetc.といった“効果”によって図られるべきもの。それぞれがいかに優れたジャックの見本となり、心の琴線を振るわす一行詩となっていても、あくまで“抜け殻”に過ぎないことを忘れてはならない、と思う。
生きているうちに、生まれ変わろう。(こしみず幸三)
恋は、遠い日の花火ではない(小野田隆雄)
ひとりよりふたり(魚住勉)
一瞬も一生も美しく(国井美果)
未来のとなりで、現在はすぐ過去になる。(眞木準)
[2007年12月10日] この日の感想・書評へ→

風とロック
箭内道彦と21世紀広告
アジール・デザイン編
広告制作者たちはよく「自由度が与えられていない」「クライアントはわかっちゃいない」ってボヤきますけど、違うと思うんですよ。・・・(中略)・・・不況で自由度がなくなってきているって言うならね、自由度のないものをすごく新しいやり方でやってみせるっていうのがアタリマエの態度だと思いますけど。(「広告をめぐる根本的な話をしよう(1)」より)
南野陽子の彼氏らしいという以外、箭内氏には元々特に関心はなかった。が、たまたま図書館の棚で本書を見かけた時、当代勢いのあるクリエイターが広告というものをどの様に捉え、どんなスタンスで表現活動を行っているのだろうとふと興味を覚え、読んでみた。
すると、実はほぼ同世代だったこと、金髪で一見やんちゃな風貌の奥に、意外に硬派でノーマルな視座を備えていたこと、それでいて「自分は『ダメ人間』だから表現スタイルがない」「自分にうまいデザインができるなんて考えたことがない」と広言しながら、広告業界の枠を超えたコラボレーションで次々と話題作を世に送り出していることを知り、その計算された割り切りと、肩の力の抜き加減に好感を持った。
制作者同士がお互いの持ち場の垣根を超えて混じり合いながら仕事をしていくということだけじゃなくて、広告そのものがその外側のシステムとも行き来して次のコミュニケーションを用意していく。そういうことでもあると思います。だからまだやってないことだらけなんです。不況で不自由だとかなんとか言ってるのは、結局は自分でそうしているだけのことなんですよ。(「広告をめぐる根本的な話をしよう(1)」より)
[2007年11月22日] この日の感想・書評へ→

広告コピーってこう書くんだ!読本
谷山雅計
広告が広く世の中で話題になるためには、「みんなが言いたいことを言わせてあげる」という考え方が大切です。ポイントは「言ってあげる」ではなく、「言わせてあげる」のところにあるのですが。
話題になる広告づくりの条件は、ほかにもあります。それは、いっしょに遊べるものをつくってあげること。(第2章「もっと伝えるために」より)
元々は自社の若手コピーライターに勧めた本だが、私自身も中身が大いに気になっていたので、図書館で借りることにした。やはりこの歳になっても、少しでも巧くコピーが書ける様になりたいもの。我流でコピーを磨いてきた者にとってこうしたテキストは大変貴重であり、実際読んでみると、これ以上ないという位にやさしくコピーライティングの基礎が説明されている。
中でも、みんなが言いたいことを“言わせてあげる”とか、読み手が突っ込めるスキをわざと作るとか、みんなに遊んでもらうことを織り込んで作る、という視点はあまり意識したことがないので、大いに勉強になった。上手く伝えることばかりを考えるより、確かにその方が仕事としても楽しいし、世の中を動かす力はますます大きくなるだろう。
誰もが知っている「そりゃそうだ」でも、誰も知らない「そんなのわかんない」でもコピーにはならない。そうではなくて、「知っているのに意識の下に眠っているようなもの」を言語化することによってよみがえらせてあげる。そこに、コピーの納得が生まれるポイントがあるような気がします。(第3章「コピーを超えるコピー」より)
[2007年11月18日] この日の感想・書評へ→

ある広告人の告白
デイヴィッド・オグルヴィ
これからクライアントになってくれそうなところには、これまで他社のためにどういうことをしてきたかを見せ、我が社のポリシーを説明し、各部門の部長を紹介する。欠点も含めて、我々のありのままの姿を一切合切見てもらうよう努めるのだ。それが気に入れば我が社を雇うだろうし、もし気に入らないのなら、そことは仕事をしない方がいいのだ。(2「クライアント獲得の秘訣」より)
以前いた会社のM社長はオグルヴィ氏の信奉者だった。米国の大学院で広告を学んだ人で、仕事場には本書の旧版が置かれ、飲んでいる最中でも「俺が尊敬するディヴィッド・オグルヴィは・・・」と熱く語り始めることがよくあった。自ずと私も感化され、またほんの少し負けん気もあったので、敢えてM社長からはオグルヴィの著作を借りずに、自ら原書の「Ogilvy on Advertising」(邦訳「勝つ広告」)を購入し読みふけった。その時以来久々のオグルヴィとの邂逅である。
この人の言葉は、広告に携わる全ての人にとっての道標とも言えるだろう。特に本書の前半3/5程は、どこを開いても金言・名言のオンパレード。自分たちが今置かれている過渡期の苦しさ、しんどさを抜け出す一筋の光明が垣間見えた気がした。
私はまた、製品に対する信頼をなくしたときも、広告から手を引くことにしている。自分の女房に買わせたくないような商品を消費者に買わせようと仕向けるとは、広告人として許すべからざる不誠実ではないか。(3「クライアントとの関係を持続させるには?」より)
[2007年11月10日] この日の感想・書評へ→

広告でいちばん大切なこと
クロード・C・ホプキンス
競争に勝つために自分たちがどんな努力を払っているのかを伝えよう。あたりまえすぎて他社が伝える価値はないと思っている事柄や特徴を伝えよう。そうすれば、消費者はそうした美点をその商品と結びつけて考えるようになる。他社が後から同じことを主張しても、それは先行した企業の宣伝となるだけだ。(第7章「医薬品広告」より)
ちょうど80年前に刊行された、広告業界人にとっての古典的テキスト。著者はテストマーケティングやクーポン、コピーリサーチ等、今日では当たり前の様に用いられている広告・販促手法を最初に編み出したマーケティングのパイオニアである。
紹介されている成功事例はクーポンによるものが多く、今日では広告というより販促手法の範疇に入る内容がほとんど。時代背景や経済状況も異なるため、そのまま現代に即役立つ内容では決してない。ただ、クーポンの配布を通じて売り手側が“否応なく参加せざるを得ない”状況を創り出し、その上で潜在顧客の行動を引き出すという基本戦略の骨組みは、今日でも十分に応用が利くのではないかと思った。
広告人であれ誰であれ、人間は自分の信条を曲げるべきではない。金のために妥協したとたん、その人は敗者となる。一般的な意味での成功は手に入るかも知れない。しかし専門家として、あるいは自分の職業や天職に誇りを持ち、さらなる高みを目指す者としての成功は遠のく。(第11章「タイヤ広告」より)
[2007年11月 4日] この日の感想・書評へ→

売れないのは誰のせい?
最新マーケティング入門
山本直人
・・・最近のクルマのCMで、典型的な「平和な家族」の風景をどれだけ見たことがありますか?
段々と、家族が遠景に遠ざかっていく。それがクルマCMの現在に思える。姿が見えなくなったわけではないけれど、二〇〜三〇年前と比較すれば、その違いは明らかだろう。「消費による幸せ」を象徴する商品で、典型的家族がいなくなってきた。(第3章「急増した『日本人の種類』」より)
「4P」の説明から始まったので、ああフレッシュマン向けの教科書的な入門書なのね〜と本を閉じかけたが、実際は80年代から静かに起き始めていた消費社会の地殻変動を、広告の流れと共に判りやすく論じた興味深い本。著者がほぼ同世代(但し写真を見る限り年下とは思いたくない・・・)ということもあってか、読んでいて納得感を覚えた箇所も少なくない。
マーケティングとは「他者を知る人間学」であり「日本人の潜在的な活力を次代へ向かわせるテコ」である、というのが著者の結論である。物を効率よく売るためのツール・ノウハウとしてだけではなく、社会に明るさと前向きな動力を与える「知恵の集積」としてマーケティングを捉えている視点が共感できた。そう。マーケティングの力で世の中を明るく元気にできるなら、それに越したことはないから。
もう、幻のような心の豊かさを追いかけるのは考え直した方がいいのではないか。みんなでいい物を産み出し、いいサービスを提供して、適切な対価を得て、稼いだお金で欲しい物を買う。人が生きていく根底にはそうした単純な循環がある。 これからマーケティングに関わる人は、そうしたシンプルなメッセージを発して欲しい。冷静に「他者を知る」ことを続けていけば、いまの日本人がまだまだ潜在的な活力を持っていることも見えてくるはずだ。(終章「他者を知るということ」より)
[2007年9月27日] この日の感想・書評へ→
ゲリラ・マーケティング進化論
ジェイ・C・レビンソン/ポール・ハンリー著
これは有効なウェポンなのだが、不思議なことにそれほど使われていない。さまざまな調査の結果によると、PS(追伸)はどんなレターでも一番読まれるところで、しかも全文が読まれるという(ちなみに、その次に読まれるのが見出しのキャッチ・コピーで、PSが読まれる程度とほぼ変わらない)。(第6章「無意識に向けたコピー」より)
「ゲリラ・マーケティング」に関する本は書店で長年見かけていたが、売上アップの様々な“ゲリラ的”手法を紹介した安直なノウハウ本だろうと勝手に想像し、あまりそそられなかった。で、実際に中身を読むと、脳の『無意識』に働きかけ、顧客を獲得し確実にリピーターにするための戦略的セールストークのテキスト・・・だと判った。
「マーケティング・メッセージが十分機能するかどうかは、単語の寄せ集め方ではなく、言葉から何をどう連想させるかにかかっている」という考え方のもと、一語一語に込める意図を徹底的に考え、実践するのがゲリラ・マーケティングの基本スタンス。コピーを書く上では大いに参考にすべき方法論だ。ただこれを「マーケティング」というジャンルに入れていいものか、ちょっと疑問ではある。
人は何かを読む時、頭の中で声が聞こえる。普通、それは自分の声だ。 これはまったく自然なことで、見込み客があなたのつくったコピーを読む時、見込み客の頭の中でも同じことが起きる。だから、コピーをつくる際には、読み手の頭の中では読み手の声がするのだ、ということを念頭におくべきだろう。(第6章「無意識に向けたコピー」より)
[2007年9月16日] この日の感想・書評へ→
行列ができる店はどこが違うのか
飲食店の心理学
大久保一彦
「そうか、お客さんはとんかつを食べていないんだ。ソースを飲んでいるんだ!」。
念のため、回転寿司、天ぷら屋、餃子屋などいろいろな店に赴き、その仮説を確認してみました。すると、大衆はいかにソースやドレッシングやたれで食べているのかが実感できたのです。たれはその人の無意識の食習慣、すなわち、その人のそれぞれの生活習慣からきた食文化だと気づいたのです。(第1章「行動の9割は無意識」より)
著者は多くの不振店を甦らせた実績を持つフードコンサルタント。飲食店の経営に携わる人が主対象となる内容だが、自分自身が客として外食する時の心理と重ね合わせながら読めたので、実践的マーケティングの事例として大いに参考になった。
「貧乏人はタレを飲み、塩を食べ、裕福になって時間を食べる」「売上が上がった時から本当の商売が始まる」「二流の店はよさそうなもの同士を組み合わせ、一流の店は意外なものを組み合わせる」「井の中の蛙になる場所を探せ」「従業員を猿と思え」など、豊富なコンサルティング経験から導き出された、刺激的な表現の“使える”警句が随所に散りばめられている。飲食店をやっている友人に、いつか受け売りで使ってみよう・・・。
お客さんからいただく対価が高くならなければ、店のオーナーをはじめとしたスタッフの生活の水準を上げることはできません。ですので、単価アップは自分のためにも大切なことです。そのためには、自ら進化し、文化発信できる立場になる志が重要なのです。(第1章「行動の9割は無意識」より)
[2007年9月12日] この日の感想・書評へ→

クジラは潮を吹いていた。
佐藤卓
多くの人が関わり多くの意見を汲み入れることは、デザインでもっとも大切なことであるが、「デザインの決定においては民主主義はあり得ない」ということを実感した仕事であった。ものごとは失敗した時よりも成功した時に、どれだけその成功の理由を知るかが重要である。(「失敗した仕事」より)
確かに著者が上に記している通り、デザインを含めたクリエイティブの決定に「民主主義はあり得ない」。誰もが責任を取らない「民主主義的」多数決では、結局無難な平均点の表現しか選ばれないし、受け手を揺さぶる表現はそこから生まれない。
そしてまた、「失敗から学ぶ」大切さについては多くの人が語っているが、「成功した時に、どれだけその成功の理由を知るかが重要である」という下りはなかなか新鮮で、共感を覚えた。大切なのは、成功に「酔う」ことなく「学ぶ」こと。自分たちの勝ちパターンや成功体験をきちんと研究しておくことが、次の勝利を呼び込んでくれることもきっとあるから。
日本酒文化という長い年月を掛けて育まれた、生活と密接に関係してきたものが、知らず知らずのうちに壊れてきている。「便利」で社会全体が壊れてきている。日本酒を味わうとはどういうことなのか。ただ味を口の中で味わっているだけではなく、入れ物、焼き物、テーブル、空間などとともに在るということを少し考えてみてはどうだろうか。(「『便利』により失うもの」より)
[2007年8月28日] この日の感想・書評へ→

欲望解剖
茂木健一郎・田中洋
ですから人間にとってどういう不確実性なら嬉しく感じられるのか、ということは非常に奥が深い問題ですし、新商品を手にとってもらえるかどうかということとも絡んでくるわけです。つまり、新商品のキャンペーンというのはまさにこの、人間の脳にとって「嬉しい不確実性」を作るということとイコールなのです。(第一章「脳科学の視点」より)
人間の欲望の有り様を脳科学の視点から検討し、マーケティングに関わる諸問題へアプローチしようというのが本書の趣旨。心理学とマーケティングの融合ならさほど珍しくはないが、市場を動かす人間の欲望のメカニズムを脳の働きを元に分析し、その成果をマーケティングに活かそうとの考え方は意外に例がなく、根っからの文系人間にとっても発想のヒントとなり興味深いものがあった。
情報やモノが氾濫している中で、どうすれば人々の記憶に残るコピーやデザインを生み出し、ひいては実際の購買行動につなげられるのか。脳科学的な知見や研究成果を取り入れることで、表現者としての日々の苦悩を些少でも和らげてくれるのであれば大歓迎だ。
むしろ人は欲望をどのように抑制するのかという点に、マーケターはより着目すべきかもしれません。つまり、「なぜ消費者はそのときその商品を買わなかったのか」ということへの着目です。マーケターは往々にして消費者はすべからくわが社の商品を買ってしかるべきだ、と考えがちです。しかし自分自身のことを考えてみてもわかるように、我々は普段、自分の欲望を抑えることで生活しているのです。(第二章「マーケターの視点」より)
[2007年8月12日] この日の感想・書評へ→

ブルー・オーシャン戦略
W・チャン・キム+レネ・モボルニュ著/有賀祐子訳
バリュー・イノベーションこそ、ブルー・オーシャン戦略の土台をなしている。「バリュー・イノベーション」という呼称を用いたのは、ライバル企業を打ち負かそうとするのではなく、むしろ、買い手や自社にとっての価値を大幅に高め、競争のない道の市場空間を開拓することによって、競争を無意味にするからだ。(第1章「ブルー・オーシャンを生み出す」より)
血みどろの消耗戦が展開される既存市場=「レッド・オーシャン」で戦わず、競争自体を無意味にする未開拓市場=「ブルー・オーシャン」を創造しよう、というのが本書の要点。語られている骨子自体は、従来のマーケティングで言うところの「セグメンテーション」と「ポジショニング」の組み合わせに過ぎない。ただ理論的枠組みの中で、そうした方法論を使いやすい形に整理し、なおかつ「ブルー・オーシャン」という直感的に受容されやすい名付けを施した点こそが、本書を国際的ベストセラーの座に押し上げた要因と言えるだろう。
まさにこのネーミング自体が、数多の学者がひしめくマーケティングの分野における「ブルー・オーシャン」という訳である。
視野を広げて、これまでの競争の土俵の外にも目を向けよう。そうすれば、従来の殻を破る戦略的な動き、既存の市場の枠組みを超えてブルー・オーシャンを創造する動きについて、着想が得られるだろう。・・・(中略)・・・業界や市場の垣根を越えて新しい要素を取り入れ、不要な要素をそぎ落としていけば、レッド・オーシャンでの血みどろの競争から抜け出せるはずだ。(第3章「市場の境界を引き直す」より)
[2007年5月28日] この日の感想・書評へ→

ひとつ上のチーム。
眞木準編
一定レベル以上のスキルをもったスタッフとならば、誰とでも組める。目的に向かって、誰とでも課題を解決してみせる。
そういう姿勢であらゆる仕事にのぞめるのが、真のプロフェッショナルであり、その哲学のもとで編成されるのが、本当のプロフェッショナルチームではないかとぼくは思います。(小沢正光「チームの環境2」より)
広告業界の一流クリエイターへの取材と寄稿によって構成された、「ひとつ上のプレゼン。」「ひとつ上のアイディア。」に続くシリーズ第三弾。今回のテーマは組織論で、個人の個性をフルに生かしながら、クリエイティブチームとしてベストの表現を産み出すための、各人のポリシーと心構えが十九人十九様に語られている。
ちなみに私自身が目指すクリエイティブチームの在り方は「ジャズ型組織」。ソロでも一流の演奏が披露できるが、数人集まってセッションをすることで、自分たちも予想だにしなかったパフォーマンスが引き出され、お客さんからも怒濤の様な拍手喝采・・・というのが理想である。
とにかく、ぼくは必ずしも一丸である必要はないと思うわけです。バラバラでありながら、ゆるやかな統一がなされている状態がいちばん望ましい。
唯一のしばりは、いいものをつくりたいというモラル。クリエイティブに対する情熱といってもいいかもしれませんが、それによって繋がっていればいいと考えています。(柴田常文「チームの環境3」より)
[2007年4月25日] この日の感想・書評へ→

仮想経験のデザイン
石井淳蔵・水越康介編
本章において、顕示的消費の理論を用いて検討してきたのは、ネット・コミュニティにおける仮想消費の創出や維持のために、消費されるモノの可視化の重要性である。しかも、その可視化されるモノのデザインが、ネット・コミュニティのコミュニケーションにも影響を与える。このことは、すなわち、今後のネット・コミュニティの可能性を左右するカギとして、デザインの質が問われることにほかならないのである。(第13章「仮想経験における顕示的消費」より)
「インターネットマーケティングの新地平」(副題)としての「ネット・コミュニティ」の可能性を論じた本。「mixi」を題材にしたありがちな研究ではなく、「愛情公寓」「HabboHotel」「Cyworld」等、「アバター」による直接的な仮想消費で成功している国内外の事例が中心となっている。
正直本書を読むまで、アバターを使ったコミュニティが国内外でこれ程普及し、莫大な収益を上げているとは知らなかった。仮想空間内での自分や他人の分身に対し、対価を払っておしゃれさせたりモノを贈ったり、(仮想の)部屋を飾る心理は理解し難いし、執筆者も「はために見ればおかしな光景」「おままごとの一種にしか見えない」と同様の感想を述べているが、実際にビジネスモデルとして急成長を遂げているのだ。
その成功要因は複数あるが、要はコミュニティの「可視化」による「顕示的消費」が「象徴的交換」につながる価値を生み出す中、「仮想経験のデザイン」はますます重要度を増すということ。Webのクリエイティブに携わる者としては首肯すべき結論である。
モノの価値は、それ自体に内在して存在しているのではなく、交換の過程で生み出されるということを意味している。とすれば、デジタル画像にすぎない衣服や家具が価値をもつのは、それ自体にどういう価値があるかという問題ではなく、それがコミュニティにおいて交換されているかどうかに依存しているということになる。アバター・サイトにおいては、もちろん、それらは交換の対象であろう。だからこそ、価値があるのである。(第14章「象徴的交換の論理からみる仮想経験」より)
[2007年3月28日] この日の感想・書評へ→

少年少女通販広告博覧会
串間努
私の友だちは、空手を通信で習おうとし、『少年マガジン』の広告によって申し込んだ。ブルース・リーの「燃えよ!ドラゴン」という映画の影響で「アチョー」という掛け声や「ヌンチャク」が流行った頃である。(「空手を通信で習う」より)
ブルースリーに憧れた中一の頃、友人とお小遣いを出し合って通信教育の「剛柔流」空手講座に入会した。それなりに丁寧に解説が施された教材だったが、そもそも通信教育で強くなれる程空手は甘くなかった。だからさすがに「ヌンチャク」の通信講座には入会せず、部屋で手作りのものを振り回して独習し、蛍光灯を割った・・・。
通販で記念切手を買い集めた時期もあった(すぐに飽きた)。頭が良くなる「催眠法講座」にも入会した(効き目はなかった)。レザークラフトの通信講座で財布を手作りし付き合っていた彼女に贈った(半年後にフラれた)。ギターを買って通信講座で学んだ(三ヶ月で挫折した)。厚い胸板を目指して「ブルーワーカー」も買った(今や胴回りだけが厚い・・・)。大リーグボール養成ギブスの様にバネを使った手首鍛錬器具「スナッパーマシン」も買った(これは結構良かったかな・・・と思う)。
本書を読んで、堰を切った様にいろんな記憶が甦った。どれもこれも甘美な記憶となっているのは自分でも意外だ。
子どもたち用には「鉱石ラジオ」「ゲルマニウムラジオ」というラジオが喜ばれた。ラジオの筐体のなかに、ゲルマニウムダイオードという検波器が入っていて、電池もいらず、ラジオ局の放送が聞こえる。ゲルマニウムは空中を飛び交う電波をよく集めるのだ。しかし、このラジオは安いだけあって、スピーカーがなくイヤホンを耳にあてて聞くものであった。(「鉱石ラジオ」より)
[2007年3月15日] この日の感想・書評へ→

ブランドは遊び心
銀座ママ麗子の成功の教えシリーズ
高橋朗
「・・・・そもそも芸術というものは、人間の情動の発露であって、その人の真心そのものですわ。ですから、芸術を理解するということは、真心を受け止めることと同じですわ。そして、芸術を理解するためには、常識に捕らわれない自由な気持ちで、相手の真心を見つめる必要がありますわ。・・・・」(第5章「ブランドの価値は自分そのものの価値」より)
マーケティングの最新理論や現代日本の社会構造を、物語形式で身に付けられる“ケーススタディ小説”シリーズの第2巻(全5巻)。図書館で見かけたので軽い気持ちで借りたが、想像よりは結構ちゃんとした内容だった。
設定は、大手ビールメーカー「タイガービール」社が、ヨーロッパで大ヒットさせた高級ブランドビールの「ニョライ」を、いかに日本に逆輸入し定着させるかというテーマに、広告代理店「芸通」の面々が取り組むというもの。そして広告マン達に思索の場と貴重なヒントを与えるのが、心理学とマーケティングに精通した銀座のスーパーママ麗子だ。本書では、現代日本の生活者を大きく4つ(知的ラディカル層、享楽的エリート層、小市民的保守層、無気力ノンポリ層)にセグメントし、各層の深層心理を詳しく分析しながら、高級ビールの最適なブランディング戦略を提示している。
主人公の「〜ですわ」「〜ですの」といったリアリティのない言葉遣いが相当目障りだが、教科書的な記述に比べ、小説仕立てにすると確かに分かりやすいな、というのが正直な感想。
「自分は勝ち組なんだと思い込んだまま育つ若者が増えたということです。なぜなら、競争がないので負けることがない。また、親をはじめ誰からも否定されないので、このままでいいんだと思いながら育つわけですよ。つまり、自己否定することが一度もないまま大人になるのが、今の若者なんですよ」(第6章「ブランドは資本主義を乗り越える」より)
[2007年2月 1日] この日の感想・書評へ→

消費者行動論
平久保仲人
型を知らなければ型破りなこともできない。消費者行動を型にはめて分析することで、行動の分析・理解に道筋をつけるのだ。消費者行動の型がわかれば、それに対処する戦略も練りやすくなるはずである。(「まえがき」より)
「なぜ、消費者はAではなくBを選ぶのか?」という副題の通り、消費者行動に影響を与える様々な要因を論理的・網羅的に体系立てて整理してくれている教科書。ライフスタイル、サイコグラフィックス、セルフイメージ、関与度、ニーズとウォンツ、動機付け、条件付け、知覚、社会的要因etc...、特定の消費者行動を引き起こす要因は実に多彩であり、この要因同士のかけ算を解くのはなかなか厄介だ。
結局自らの購買行動を思い返してみても、各要因が複合的に絡み合った結果であることが多い。その意味で必然的に「消費者行動分析」というのは、「あの時消費者が△△を選んだのは××な理由だった」と後付けで分析するには極めて便利なツールだが、こいつを使って消費者行動を一定の精度で予測するには、どうしてもマーケターの経験、直感、決断力といった個人の才覚に依存せざるを得ない。まあ、そこがマーケティングの仕事に携わる面白さでもあるが。
数千円のディスカウントを求めて格安の航空券を購入する消費者が、飛行場まで電車を使わずにタクシーに乗ったりする。・・・(中略)・・・会社や他人の金ならさらに抵抗なく使うのも人間である。(Column11「埋没費用−サンク・コスト(Sunk Cost)とは?」より)
[2006年12月13日] この日の感想・書評へ→

広告の天才たちが気づいている51の法則
ロイ・H・ウイリアムズ著/宮本喜一訳
ほとんどの広告は、製品の話かそれを製造している企業の話だ。こうした広告から生まれてくるのは、期待はずれの成果だけだ。これに対して、最高の広告は、顧客について語り、製品がその顧客の生活をどのように変えてくれるかを語ってくれる。(25「ところで私とどんな関係があるの?」より)
“良い広告”とは何だろう?
広告主の視点から言えば、狙ったターゲット層の心を動かし、広告主の商品・サービスに喜んで対価を支払う気にさせる広告が“良い広告”である。一方生活者サイドの視点からも、広告を通じて気に入った商品・サービスに出会うことができれば、それも“良い広告”だと言えよう。但しそれは(少なくとも誰かにとって)紛れもなく“良い商品・サービス”であることが大前提である。そうでない(=問題ある商品・サービス)場合、クリエイターは途端に詐欺師の片棒を担がされる羽目になる。
本書を読んだ後に「近未来通信」のニュースを新聞で読み、ふとそんなことを感じた次第。やはり少なくとも作り手自身が“良い”と思える商品・サービスでなければ、クリエイターは自分の創作技術の駆使に責任を持たなきゃいけないのだろう。
広告の対象を間違えたために失敗した、等という広告主に、私はこれまでお目にかかったことがない。反対に、メッセージに単純な変化を加えるだけで奇跡が起こった、という例を、私なら無数に上げられる。(24「単純な変化を加えるだけで奇跡が起こる」より)
[2006年12月 7日] この日の感想・書評へ→

テレビCM崩壊
Joseph Jaffe著/織田浩一監修
コミュニティこそが、今日唯一の、スケールある経済といえるのではないだろうか。つまり、クチコミ効果が生み出せるのはコミュニティだけなのだ。
コミュニティで重要なのは、消費者が力を持つということだ。必要な情報があり、つながっていて、団結しているという状態である。(6「パーフェクト・ストーム」より)
センセーショナルなタイトルではあるが、よほどガチガチのテレビCM信者でなければ、内容自体にさほど衝撃も新鮮味も感じないだろう。昨今のマス広告とメディアの関係性が程良くポイント整理されているので、読んでおいて損はない。実際のところ崩壊しつつあるのはテレビCMだけでなく、かつてはクリエーターのハレの舞台だった全国紙の全段広告も「誰に向けて作ってるの?」といった現状だし。
ただ特筆すべきは、誤字・脱字が見開き毎に最低1箇所はあるという、プロの仕事としては稀に見る校正のお粗末さだ。前後の文脈から意味が取れるものがほとんどだが、読み手のリズムを壊し興を醒ますのは確かなので、1600円も払わせる以上、監修者はもう少し責任を持って世に送り出してほしいね。以て他山の石とすべし。
1. 今日の消費者は情報通である/2.今日の消費者は主導権を握っている/3.今日の消費者は懐疑的である/4.今日の消費者はつながっている/5.今日の消費者は時間に追われている/6.今日の消費者は要求が多い/7.今日の消費者にブランド・ロイヤリティはない/8.今日の消費者は常にアクセスできる /9.今日の消費者は先を行っている/10.今日の消費者は執念深い(7「変貌する消費者を再考する」より)
[2006年10月30日] この日の感想・書評へ→

新約コピーバイブル
宣伝会議編
「受け手」は、一生「なんかいいよね」「なんかステキよね」と言い続けます。「作り手」は、「なぜいいのか。コレコレコウだからじゃないか」と考え続けます。
広告の世界でも、いい仕事をしている人は、やはり「なぜ」を考え続けている人です。(第三章本格編9「私のコピー作法」谷山雅計伝より)
トップクリエイター46人がコピーライティングの奥義を伝授したバイブル。コピー制作に携わる者なら思わず膝を叩く名言が、随所に散りばめられている。
「僕は一人でオリエンテーション会場に行く。そしてひたすら相手の想いを聞く」(馬場マコト)
「自分の気持ちに置き換えて、あっ、この感じかな、というのがつかめたら強いです」(児島玲子)
「すべての映像は言葉を持っている」(秋山晶)
「僕に文章的なテクニックはない。だけど、言葉は信じている」(佐倉康彦)
「『何を言うか』さえ決まれば、ビジュアルも音楽もおのずと決まってくる」(栗田廣)
「企画書は決して、表現の言い訳になってはならない」(中村禎)
「伝えるものではない。感じさせるものだ」(秋山晶)
これらの言葉をいっしょに“感じて”くれる人がいたら、ゆっくり酒でも飲んで語り明かしたい。
コピーはビジネスにまみれながら、文そのものは純粋でなければならない。純化すればするほど受け手にきれいに届くからである。(第三章本格編12「私のコピー作法」眞木準伝より)
[2006年7月 1日] この日の感想・書評へ→

エスキモーが氷を買うとき 奇跡のマーケティング
ジョン・スポールストラ著/宮本喜一訳
チャンスは巡ってくるものだ。・・・(中略)・・・いつかどこかでチャンスの馬が目の前に現れるはずだ。やって来る速度は速く、困ったことには、その馬に試乗しているヒマは全くない。(第5章「相手が強くないところで勝負する」より)
チームが強ければ、人気選手さえ獲得すればファンが集まる、という旧態依然としたチーム経営の常識を覆し、弱小チームやマイナースポーツのプロチームの売上アップに次々と成功した、米国のスポーツマーケティングのエキスパートによる実践的指南書。相手チームのスター選手を目玉にして自チームのチケットを営業したり、わずか5000円程度で「家族4人の試合観戦+食事+公式ボールのお土産付き」という画期的なパッケージ商品を開発し新規顧客開拓に成果を収めるなど、“常識破り”の成功事例がいくつも掲載されており、企画に携わる人間には参考になる一冊。
日本人メジャーリーガーの活躍やWBC優勝により、実力的には一目置かれる存在となった日本の野球界ではあるが、本書を読む限り、ファンサービスや“遊び心”の点ではまだまだ米国には及ばないようだ。
私が新しいクライアントと仕事を始めるときは、その企業が他社と差別化できる方法を、時を移さず考えることにしている。それはもはや習慣になっており、私にとっては楽しいゲームのようなものだ。その企業のことを詳しく理解したうえで、こうしたアイデアのいくつかを説明する。(第10章「番組支配の終焉」より)
[2006年6月 5日] この日の感想・書評へ→

シュガーマンのマーケティング30の法則
ジョセフ・シュガーマン著
/佐藤昌弘監修/石原薫訳
お客があなたの商品を買いたいと思っている。あとは、自分自身や配偶者や上司にその買い物を納得させたいというお客のニーズを満たすような理屈を、あなたが見つけてあげられるかどうかにかかっている。(心理的トリガー12「悪魔は理屈に棲んでいる」より)
書名と装丁の雰囲気から一見マーケティングのテキストのように思えるが、実際の中身は、顧客の心に働きかけ、心を動かし、ついには購入を決めさせる「心理的トリガー(引き金)」を、30種類の切り口で整理した「セールステクニック集」。著者のシュガーマンは、米国通販市場では知る人ぞ知る著名なコピーライター兼マーケターらしい。冒頭の心理的トリガー1「アイスクリームの注文手順」を立ち読みした結果、つい手に取ってレジへ向かってしまった。この段階ですでに著者の術中にはめられた感じがしないでもない。
また本書には他にも一カ所、百戦錬磨のテクニックがあからさまに埋め込まれており、見え透いた仕掛けと判っていながら、著者の計算通りにまんまとページをめくらされてしまった。そのテクニックというのは・・・。
興味のある方は実際に本書を手にとって、そのちょっとした“罠”にはめられてみてほしい。
私の広告が正直で率直であればあるほど、消費者は好感を持って反応してくれたようなのだ。正直さは、広告について私が得た最高の教訓の1つだ。そのことに早めに気づいて良かったと思っている。(心理的トリガー30「販売における最大の力」より)
[2006年4月29日] この日の感想・書評へ→

オマケつき!マーケティング
セス・ゴーディン著/沢崎冬日訳
オマケには2つの重要な特徴がある。1つは、話題にする価値があり、探し求めて買う価値のあるサービス・製品・組織に関するものだということ。もう1つは、オマケとは、誰かのニーズではなく、私たちのウォンツ(欲求)を満たすものであること。(第1部「なぜ『オマケ』は必要か」より)
オマケとは、ささやかながら気の利いたアイデアのこと。この本の原書自体朝食用シリアルを模した箱に入れて販売されており、「賞味期限:仕事にやる気のある限り使用できます」「保存方法:書斎に飾らずオフィスか仕事用バッグに常備のこと」「活字アレルギーの方へ:まれに眠くなりますが身体に害はありません」等ユーモアの利いた文言が印刷されているらしい。
そう言えば、コピーライターを志す者の必読書とも言える鈴木康之氏の「(新・)名作コピー読本」の最終章にも、“コピーは気だ”という名言があり、コピー制作においての“気を配る”“気にかける”“気をつかう”“気を入れる”etc.ことへの重要性が記されているが、“オマケ”という視点には、そこに一脈通じる表現制作の要諦が秘められていると言えるだろう。
1.まず先端(エッジ)、つまり製品・サービスを際だたせるための「オマケ」を見つける。 2.何が何でもその先端をめざすーーターゲットとする消費者が、あえてそこまでやってほしいと思うくらいに主流を外れる。 何が何でも先端をめざさなければならない。次善の策を受け入れては意味がない。(第3部「どうやって『オマケ』を生み出すか」より)
[2006年1月23日] この日の感想・書評へ→

広告の迷走
梶祐輔
それは「活字力」と呼んでもいいものかも知れない。
活字力は、文字化された「耳の言葉」にピーンとした張りと、輝きをもたらす。美しさと気品を与える。それは軽すぎて、つい視線が上滑りしそうな電波媒体出身の「耳の言葉」の表現にも、人を動かす力を吹き込むことのできる可能性を示唆している。(第五章「『農耕民族』の座に安住した新聞広告」より)
「少し愛して。なが〜く愛して。」「おいしい生活」など、一行のコピーが軽やかに世の中の気分をすくい取り、人々の気持ちの最大公約数を象徴するという、コピーライターにとっての幸福な時代はとっくの昔に終わりを告げた。その事を象徴的に表す一つの例が「流行語大賞」。「私はコレで会社を辞めました('85)」「亭主元気で留守がいい('86)」「5時から男('88)」「24時間戦えますか('89)」「ダダーン ボヨヨン ボヨヨン('91)」「すったもんだがありました('94)」など、かつてランキングに数々の流行語を送り込んだ広告コピーは、何と1995年の「変わらなきゃ」(日産自動車)を最後にバッタリと姿を消した。日本国民全般にとってTVが生活の中心だったかつての時代と違い、若い世代が新聞もTVも雑誌さえも見なくなった今日、一行のコピーが世の中を動かすことは、もはやあり得ないのかも知れない。
ぼくは企業にとって、自分を語ることは、商品を売ることよりも大事なことだ、と考えている。いや、もっと正確にいえば、企業にとって自分を語ることは、商品を売るための「原点」、もしくは「先行条件」ではないかと、考えるのだ。(第五章「『農耕民族』の座に安住した新聞広告」より)
[2006年1月18日] この日の感想・書評へ→

2010年革命
谷口正和
二〇一〇年には、ある種の生命体社会が登場する。地球全体が、一個の生命ある生き物のように動き出す。そのとき、情報はその生命体の神経細胞と同じような働きをする。末端まで情報神経細胞が行き届いた、恐ろしく敏感な生命体としての社会である。(第一章「見えざる革命」より)
2010年とは、いわゆる「団塊の世代」が全員会社から消える年であり、その瞬間から日本は未曾有の高齢化社会に突入する。とにかく人口の中で占める比率が高いことから、この世代は音楽、ファッションほか世相や消費文化の動きに様々な影響を与えてきたが、定年後もその構造は変わらない。たっぷりの年金と有り余るヒマを手にした彼らをターゲットに、いわゆる“シニア市場”への注目は今までにない高まりを見せるだろう。
谷口氏の著作は何度か読んできたが、読むたびに何となく“時代が見えた”ような気にさせられ、いろんなヒントを得たように思うのだが、読み終えるとスーッと脳裏から消えてしまう。ご託宣のようにコンセプチュアルな言葉が次々と呈示されるので、本当に役立つかどうかはともかく、受け売りで利用するには便利だ。
“大きな同質”よりも“小さな差異”が重要なのであり、顧客が求めているのは、自分に合った“小さな差異”なのだ。
つまり個人文化消費の時代である。(第二章「意識が変わる、価値観が変わる」より)
[2005年12月29日] この日の感想・書評へ→

堀井博次グループ全仕事
広告批評編
我々の作ってきたCM見てもらったらわかるんやけど、あんまり立派な人出てきませんわね。・・・(中略)・・・人間の九〇パーセントは弱者やし、そっちの方が共感性あるんやないか。普通の人が普通に生きていく過程で感じる不平や不満を、広告が代弁していけばええんちゃうかと。(私がしてきたこと「会社の中に井戸端を作る」より)
「人と同じことをやれば目立たなくなる、だから人と違うことをやるんや」の精神で、金鳥、ミスタードーナツ、関西電気保安協会など一連のユニークなCMを生み出してきたのが、電通関西支社・堀井グループ。大将の堀井氏は既に現役を退いたが、その遺伝子は今もユーポスや、ホットペッパー等のCMにも着実に受け継がれている。
そのCM作りにおける方法論の極意は、同グループの中核を担う石井達矢氏、田井中邦彦氏の言によると「最初が言葉(へのこだわり)で、次にそれを発する場」だという。つまりどんな場所で、誰が、どんなふうに言うかにしつこくこだわり、なおかつそれを徹底的に一般庶民の目線から、“頭でひねり出した”ものではなく“生きている”言葉で伝えること。簡単そうに聞こえるが、言葉と格闘した経験のある人なら、その難易度の高さが理解できるだろう。
まあ、ギリギリのことやってますからクレームも多いですけど。ギリギリのとこに常に鉱脈があるしね。・・・(中略)・・・やっぱり世の中をわかす快感というのがありますからね。エネルギーは要りますけど、その快感に比べたらトラブルなんてしんぼうできる。僕はそう思ってるんです。(私がしてきたこと「会社の中に井戸端を作る」より)
[2005年12月24日] この日の感想・書評へ→

心脳マーケティング−顧客の無意識を解き明かす
ジェラルド・ザルトマン
無意識の心は、マーケターが競争優位の獲得につながる足がかりを確立し得る未開拓のフロンティアである。このチャンスに満ち溢れた新天地を征服しない限り、消費者を理解したと主張することはできない。(第3章「顧客の無意識を分析する」より)
「心脳マーケティング」とはいかにも大層な書名だが、原題は「How Customers Think」(顧客はいかに考えるか)と至ってシンプル。そしてThinkとは言っても、実は人間の思考の95%は無意識の心的過程で行われ、しかも5%の意識的心的過程において認知は言語によるものではない、というのが本書のベースとなっている知見である。確かに世の中の流行廃りを見ていると、人間の購買行動が理性的でも論理的でもなく、無意識の賜物だと考えた方が説明が付きやすい場合が多々ある。だからこそ無意識という未開の領域を自在に制する事ができれば、かなりの確率でマーケティング上の勝者となれるかも知れない。面白いテーマである。
消費者の多くは、広告に基づいてではなく、その製品に関する直接的な経験に基づいて購買意思決定をしていると主張する。しかし、広告は明らかに消費者の記憶を変化させることができ、したがってその行動に影響を与えることができるのである。(第8章「壊れやすい記憶」より)
[2005年12月15日] この日の感想・書評へ→

マーケティングは消費者に勝てるか?−消費者の「無意識」vs.売り手の「意識」
ルディー和子
消費者は言葉で考えないし言葉で自分の思考を表現できない、また、自分の思考とか感情の多くを意識的に認識しているわけではないというのです。それなのに、マーケターは、アンケート調査やフォーカスグループ調査といった言葉を介して消費者の考えを知ろうとしているのです。(第二章「消費者の頭の中はどうなっているのか?」より)
従来のマーケティング界で常識とされてきた通説や理論、あるいはマクドナルド、ユニクロにおける失敗例の解釈に対し、公平で冷静な視点から新たな分析を加えつつマーケティングの“今後”を提示した本。消費者心理、需要予測、ブーム予測、価格政策、CRM/データベースマーケティング等の項目毎に、ロジカルで納得感に満ちた論旨が気取りのない明解な文章で展開されている。
とっつきやすさを保ちながら、分かりやすく、品良く現代の消費者の実像が描かれている辺り、著者の優れたバランス感覚と知性が伺える。またダイレクトマーケティングに対する造詣が深いせいか、定説とされている理論であっても、常に実践を通じて検証を加えながら時代に適合させていかねばならない、との思いが行間から伝わってくる。勉強になった好著。
マーケティングは「欲望」という人間真理の根幹にあるものに影響を与えようとする企みなのです。もっと原始的であり、もっと艶めかしく、もっと興奮させるもの、もっと直接的に感情に訴えるものでなくてはいけないはずなのです。(第七章「マーケティングは消費者に勝てるのか?」より)
[2005年12月10日] この日の感想・書評へ→

ひとつ上のアイディア
眞木準編
本当のシンプルというのは、削ぎ落として捨て去ることではなくて、じつは足し算作業なのです。・・・(中略)・・・足すべきものをすべて足して、ひとつの答を出す。それがぼくのいう本当のシンプル。(大貫卓也)
本書のタイトル通り、「ひとつ上のアイディア」を出すことがプランナーとしての私の使命である。コピーを一から書き始める時も、大型のプレゼンテーションに臨む瞬間もそれ相応のプレッシャーはあるが、自社の業績を左右するような大型案件で、パソコンの前に向かってゼロから企画を生み出す時の重圧と不安には及ばない。“All or Nothing”の競合案件もあれば、ありがたくも指名で託して頂ける時もある。いずれにせよ、責任の重さで胃がシクシクと痛み出す。
さて、こうした産みの苦しみを何度も経て悟った事は、アイディアというのは、そのほとんどが考えに考え抜いた結果の“ご褒美”として生まれ出ること。あたかも、突如天から降ってくるかのように立ち現れるのだ。私は神も占いも運命も信じない質だが、苦しんだ末にアイデアが“出て来てくれた”時には、自分の力だけではない“何か”がふと自分の中に降りて来た様な錯覚に陥ることがある。
例えば100本考えたときの1本めが「こりゃイケる!」と思ったとしても、あと99本考えてみて、「やっぱり1本めのコレだ」となるのです。 山のような失敗を経て、いいものがひとつだけ残るというのが本当だと思います。(中村禎)
[2005年11月20日] この日の感想・書評へ→

儲けを生みだす表現力の魔法
平野秀典
もう、お気づきでしょうか?
「信者」と書いて「儲かる」と読めることをーー
儲けるためには、信者を作る。
これは、昔からのビジネスの鉄則ですね。(第1章「今まで誰も教えなかった成功法則」より)
一言で云えば「使える本」である。上に引用した「信+者=儲」もその一つであるが、他にも例えば、雅楽や能楽で使われる物語の構成要素「序・破・急」を、それぞれ
「おや?」→つかみ/「まあ!」→びっくり/「へえ〜」→感心・納得
と噛み砕いて表現したり、マーケティングの主な用語を戦争用語から“演劇用語”に置き換えてみたり(戦略→脚本/戦術→演出/戦闘→表現力)と、随所にオリジナルな表現創出への工夫が見られ、勉強になった。
また多くの企業が「顧客満足」を目標とする風潮に疑問を呈し、顧客に提供すべき感情のレベルは 怒り<不満<満足<感動<感激<感謝/熱狂 まであるのに、「満足」辺りで止まっているのはもったいない、とする著者の主張にも納得させられる。1時間で読めるが、企画に携わる者にとっては色々とヒントが得られる本である。
お客さんがもし、*USP=Unique Selling Proposition
「どうしてわざわざ、いろんなお店(会社)がある中で、あなたのお店(会社)で買わなきゃいけないの?」
と言い出したら、あなたはどう答えますか?
その答えがUSP*になります。(第5章「黄金のキーワード『共感力』」より)
[2005年7月 3日] この日の感想・書評へ→

「買いたい心」に火をつけろ!
ハリー・ベックウィス著/阪本啓一訳
そう。私たちは情報の海に溺れ、知識を求めて叫んでいるのである。
こんな状況の中では、歯切れの良い専門家に人気が集まる。洞察力、知恵、知識によって、ノイズを突き抜け、すっきりと整理してくれる。(第2章「コミュニケーションはすっきりと」より)
あのビジネスコンビニとして名高い「KINKO'S」のKINKOって何の事か、ご存知だろうか?
驚くなかれこの意味は・・・「変態」「異常性欲」。どうやら社名の由来としては、創業者の巻き毛(!)を仲間がからかってつけたあだ名らしいが、英語圏でのネーミングとしては極めて大胆不敵なものだ。本書内では「キンコーズの賢明さ」という一節を設け、“刺さるブランド”の成功例として紹介しているが、日本に置き換えた場合、いくら何でも自分の会社に「変態野郎」と名付ける勇気ある(?)人はいないだろう。あくまで同社のビジネスモデルが(現時点で)巧くいっているからこそ言える結果論であり、ブランド名がもたらした成功、として紹介するのはどうかと・・・。
でもこれって「トリビア」に出したらかなりの「へぇ〜」が付くかも。
「人は、人から言われたことより、自分で決めたことを信じる」。これは、「説得」について理解するのに非常に重要である。マーケターが弁舌爽やかにこう言ったとしよう。「世界一のウオッカです」。人は額面どおりには受け取らない。でも、メッセージを受け取った人が自分で結論を導き出すようにすれば、人は素直に信じてくれる。(第2章「コミュニケーションはすっきりと」より)
[2005年6月28日] この日の感想・書評へ→

なぜ高くても買ってしまうのか
マイケルJ.シルバースタイン+ニール・フィスク+ジョン・ブットマン著/ボストンコンサルティンググループ訳
ニューラグジュアリーとは、単なる消費対象ではなく、一種の言語、すなわち自己表現であり、社会的な対話における非言語的な伝達手段となっている。消費者はニューラグジュアリーという言語のおかげで、さまざまな個性的な方法で「自分は知的で見る目がある」と訴えられるのだ。(第3章「消費者の4つの感情スペース」より)
副題は「売れる贅沢品は『4つの感情スペース』を満たす」で、その4つとは「自分を大切にする」「人とのつながり」「探求」「独特のスタイル」とある。
このところ、「BMWに乗って100均ショップへ行く」という消費行動を取る人が増えているようだ。私自身は贅沢品にも100均にも興味はなく、ショッピングには無関心なので、高価なブランド品を喜々として買う人の心境が理解できない。だがその反面、夜の街ではグラス一杯の酒やカクテルに喜々として何千円も払っているから、所詮は同じ穴のムジナだ。
そして私の考察によれば、「流行る酒場が満たす感情スペース」はただ一つ、「良い気分になれる」ということに尽きるだろう。
ワンランク上の消費とは、生産者から消費者へのパワーシフトが起こり、需要サイドが供給サイドをしのぐ新たな支配力を手に入れたことを意味するとも考えられるのだ。(第11章「新しい消費行動をビジネス・チャンスに」より)
[2005年6月 7日] この日の感想・書評へ→

ブランド!ブランド!ブランド!ー理屈を超えた強さをいかに築くか
ダリル・トラヴィス著/木村達也・水野由多加・川村幸夫訳
ボルボは「安全」。BMWは「スポーティー」。メルセデスは「プレステージ」・・・(中略)・・・このような言葉は、それらを表わすブランドによって「所有」されており、その所有者を取り除くのはとても難しい。ブランドは明確なフォーカスを欠いたとき、もろく崩れていく。(19章「琴線に触れるブランド広告」より
原題はEmotional Branding(感情に訴えるブランディング)。よほどこの方が分かりやすいし、ブランド!×3した編集者の意図はイマイチ不明。まあそれはともかく、いろいろ書かれてはいるが、全体を通してのポイントは:
・ブランドは企業そのものである
・ブランドはフォーカスした領域で築き上げねばならない
・ブランドは右脳(感性・感情)と左脳(論理・知性)の両方に働きかけねばならない
ということ。翻訳がこなれてなくてやや読みづらかったのが少々残念・・。
さて、自社のブランドをいかに築いていくかは、自分たちのような業種にとっても重要なテーマである。ではメルセデス=「プレステージ」のように、どのような一言で括られたいか。「ハイクォリティ」「ハイセンス」「ユニーク」等のようにパフォーマンスの高さを表す言葉も良いが、できれば「成果を出す」ブランドとして認知されたいものだし、それを常時約束できるようなプロフェッショナル集団であり続けたい。
強力なブランドは、不倫の誘惑に決して負けない。それは分散を堪え忍ぶひとつの約束事である。ブランドのエネルギーと資源のすべてを集中することで、ひとつの狭いブランドにおいての評判をつくり上げなければならない。(22章「新しいブランドの導入を想定してみよう」より)
[2005年6月 3日] この日の感想・書評へ→

バナナがバナナじゃなくなるとき
ダイアナ・ラサール+テリー・ブリトン著/小高尚子訳
消費者が買っているのはモノやサービスではなく、商品を通して得られる自由や冒険、安心感である。商品を構成する目に見えない価値は、測定や数量化になじむものではないし、機能や便益に還元できるものでもない。実際に経験するしかないエクスペリエンスであり、それこそがすばらしい、お金で買えない、“プライスレス”な価値になり得る。(「はじめに」より)
副題は「ありふれたモノから特別な価値を生み出すマーケティング戦略」、原書のタイトルは「Priceless」。そう。「マスターカード」のTVCMの締めで使われている、ほんの少し背中がムズムズっとするあの言葉である。(本書の内容と読者対象を考えると、原題のままの方が相応しかったかなあーと思わないでもない。)
さて、現場のクリエイティブスタッフというのは、つい自分たちが創作する成果物の質さえ良ければOK、と思いがちであるが、実は成果物の完成に至る前後で顧客にもたらすちょっとした安心感、驚き、感動の積み重ねこそが評価を左右している事が多い。世の様々なジャンルにおいて、最良の品質を持つ商品が必ずしもNo.1ブランドとは限らないように、感情の動物である人間を相手にする以上、目に見えない、Pricelessなエクスペリエンスへの配慮は不可欠なのだ。
さて、私たちはお客様にPricelessな価値を提供できているのだろうか?
カスタマー・エクスペリエンスとは、何らかのリアクションにつながるようなインタラクションであり、それは顧客と商品、企業あるいはその関係者との間に生じる。リアクションが好意的だとエクスペリエンスに価値が見出される。(第2章「バナナがバナナじゃなくなるとき---バリューエクスペリエンス」より)
[2005年5月30日] この日の感想・書評へ→

コピーのぜんぶ〜仲畑貴志全コピー集
仲畑貴志 著(宣伝会議 編)
たとえば事務所に入りたいという若者が突然訪れて「何でもするから入れてくれ、田舎から飛び出して来たから、もう帰れない」などと迫られるともうダメで、こうしてスタッフになった人間が今も数人いる。(「エッセイ集」より)
新卒採用に関わる仕事をしていると、自分の就職活動時代を思い出すことが多い。当時は制作業界に身を置くなどとは夢にも思わず、貿易会社にでも勤めるつもりだった。それがひょんな事から小さな広告代理店を紹介され、生涯唯一の会社訪問で即入社を決めた。で、最初は液晶で有名な家電メーカーS社の営業担当だったが、外注していたコピーの出来にクレームが頻発したため、「人の書いたコピーで怒られる位なら自分で書かせてくれ」と上司にお願いしたのが、コピーを書き始めた発端であった。
やがて程なく、私にコピーライティングの手ほどきをして下さった上司が亡くなったため、書店で一流コピーライターの作品集を買い込み、気に入ったコピーを書き写しながら独学で勉強した。その中で最も心惹かれたのが、仲畑貴志。サントリー角瓶シリーズをはじめとする名作を何度も読み返した。
もう一度あの頃に戻って就職活動をし直せるのなら、ゼッタイ「仲畑広告制作所」に押しかけて、一からきちんとコピーの書き方を学んでみたい。
「コピーはあくまでも商業活動のなかの表現である。自己表現ではない。したがって、作者の思いや心情とは、決然と隔離すべきである。」とかなんとかエラそうに、後輩の前で演説していたのが、これはちょいとちがうぞと思った。商業活動のなかの表現ではあるけれど、ヒトのこころに訴える力という点で見れば、ラブレターと変わらないわけで、そこには必然的に想いの深さや熱さが重要になってくる。(「エッセイ集」より)
[2005年5月26日] この日の感想・書評へ→

「紫の牛」を売れ!
セス・ゴーディン著/門田美鈴訳
常識破りなものは、取り上げる価値がある。注意を払う価値がある。非凡で、目新しくて、興味深い---それが「紫の牛」である。退屈なものは目に入らない---それが茶色の牛である。(「プロローグ」より)
要するに「目立つが勝ち」というのが本書のコンセプト。「目立つ不安に打ち勝て!」「一度常識破りをやったら『勝ち』!」「もっとも無謀なことをやれ!」といった刺激的な小見出しが並ぶが、「『突飛=常識破り』ではない」と“悪目立ち”の弊害についてもきちっと押さえている。
目立つが勝ちと言えば、我々がここ数年ご発注頂いている大手即席麺メーカーの採用ホームページが、ある就職情報会社主催の「学生が選ぶ採用HPランキング」のNo.1に選ばれ、お客様から感謝のお電話を頂いた。恐縮至極である。我々にしてみれば、毎年目立つことを恐れず、採用HPの“常識を破る”提案を快くOKして頂いた上、熱演までして下さった担当部署の皆様の理解と“勇気”のおかげと、逆に感謝する次第である。
物がひしめき合っている市場では、周囲に合わせることは弱みである。せわしない市場では、目立たないことは存在しないも同然である。(「目立つ不安に打ち勝て!」より)
[2005年5月21日] この日の感想・書評へ→

岡康道の仕事と周辺
Director and Designer SCAN#3
小学校の校庭で、中学の県大会で、高校野球の地区予選で、大学のベンチで、男たちは野球をあきらめる瞬間がある。野球への果たせなかった夢をかかえて生きてゆく中年は多い。だからこそ、プロ野球の開幕があんなにも待ち遠しいのだ。中年の渇き、とは野球への渇き、ではないのか(「ここより、他の場所へ」より)
大学時代。投手志望だった私にとって不運なことに、徳島県ベスト4の実績をひっさげた好投手が同じ学年にいた。彼のおかげで2期連続リーグ優勝の美酒を味わえたが、結局公式戦のマウンドには一度も立つことなく、外野手のままで4年間を終えた。その中途半端な、“果たせなかった”思いを、中学最後の県予選に向けて白球を追っている息子に託す中年が、ここにいる。
ちなみにうちの会社には一人、何度も繰り返し高校最後の打席で打ち取られた時の夢を見ては、「なぜあの一球を・・・」と今でも悔やんでいる男もいたりする。
永遠の野球少年達に、乾杯!
僕たちの周りには素晴らしい才能をもったディレクターがたくさんいる。彼らと比肩するほどのセンスも根気も自分にはない。むしろ、クライアントの判断に何らかの影響を与えることができないかと、考えている。スタッフの人たちに「このプランナーだからこの企画が通るんだな」と思われたい。(「遙かなる甲子園」より)
[2005年5月16日] この日の感想・書評へ→

「売れるブランド」のつくり方
石澤昭彦
「知ってもらい」「好きになってもらい」、その上で「買ってもらう」まで含めて、初めて現代のブランディングと言えるのです。(CHAPTER1「ブランディングってなんだ?」より)
ここ数年企業の新卒採用WEBサイトを何社も手がけてきたが、この仕事は単なる採用のお手伝いではなく、まさにブランディング、それも企業にとってはかなり重要度の高いブランド構築支援に繋がっているため、大いにやりがいを感じている。
例えば、1万人のエントリーがありながら採用数が100人に満たない企業の場合、必然的に9900名以上の学生とは「ご縁がなかった」という事になる。では9900名がその企業に対し、良いイメージを抱いたまま社会に出るのとそうでない場合とでは、長い眼で見て企業ブランドに及ぼす影響はどれ程差が付く事だろう?学生一人当たり50~100社もの採用WEBサイトを閲覧している今日、「魅力的に見える企業」と「そうでない企業」が、日々密かに若者の頭の中で分別されているのだ。そのボディブロー的効果を考えると、販促用のお遊びサイトよりは余程重要度が高いだろう。ただ、その事に気付かないかの如き水準の採用WEBサイトが、世の中には山ほど存在している。
自らのブランドが現在どのポジションにあるかではなく、将来どのポジションにいたいのか、というビジョンが大事だと思います。そうしたビジョンを提示することが、生活者にブランドに対するイマジネーションを与え、ブランドはより大きな拡がりを持つことができるのです。(「Commencement」より)
[2005年5月13日] この日の感想・書評へ→

インサイト 消費者が思わず動く、心のホットボタン
桶谷功
ホンネのすべてがインサイトかというと、そうではない。ブランディングやマーケティング活動、コミュニケーション活動などのアクション(施策)につながるものに限られる。そうでないものは、いくら消費者のホンネであってもインサイトではない。
インサイトの本質は、消費者に行動を起こさせる点にある。インサイトは、いわば消費者の「心のホットボタン」なのだ。(第1章「インサイトがマーケティングを変える」より)
コンセプトワークや広告コピーの制作時に、商品・サービスのメリットや機能だけを頼りに語ろうとせず、顧客ベネフィットを掘り下げなさい、とはよく言われる話。でもさらに一歩踏み込んで、多くの見込客が心に抱えた“ホンネ”の最大公約数を見つけ出し、それをコミュニケーションの切り口にしましょうというのが本書「インサイト」の提案である。もちろんホンネとは結局建前の裏に隠されているものなので、やすやすと見つけられるものでもないが、それでも一消費者に立ち返り、自身の消費行動を省察すれば、何となく直感的に見えてくるものもあるだろう。
いろいろと使い道がありそうな概念なので、少し研究課題としてみたい。
おいしいというベネフィットを感じさせるために何を提案するか、どう消費者を口説くかがプロポジションである。そのために、消費者が意識している、していないにかかわらず、深く心の底で持っている気持ちを活用すること。それが、インサイトの考え方だ。(終章「本章のまとめ」より)
[2005年4月23日] この日の感想・書評へ→

ひとつ上のプレゼン。
眞木準編
いい企画をつまらなく説明するのは難しいでしょう。いい企画は、普通に話をすれば、それで伝わるはずです。(岡康道)
広告、建築等の世界の一流のクリエイター18名が、それぞれのプレゼンテーション哲学を自らの言葉で語った書。一言で云えば「含蓄たっぷりのプレゼン名言集」だ。企画とプレゼンを生業にする自分にとっては、共感できる言葉のオンパレード。日頃漠然と感じていた事が見事に言語化されていて心地よい。
信頼されるような、きちんとしてそうに思えるようなボイストーンが自分のなかにあるわけです。(杉山恒太郎)
そう。成功したプレゼンは全て、説得力のあるボイストーンだったと明確に記憶に残っている。これは自分だけの感覚かと思っていたら、杉山氏のような一流プレーヤーもそうなんだと聞くと、結構うれしい。
とにかく、「あの人のいうことは聞いたほうがいいな」と思ってもらえるようになること。(岩崎俊一)
説得するとあとでもめるんです。それよりも「共感」してもらったほうがいい。(宮崎晋)
ぼくはだれが見てもわかるものしかつくらないので、説明の必要がないんです。(大貫卓也)
答えをストレートに出すのではなく、それに新しい価値を足すことが必要。(山本幸司)
競合プレゼンは百害あって一利なし、というのがほぼ全員に共通した意見。長期的な信頼関係の構築によって初めて良いものが生まれる、という点で基本的には大賛成であるが、彼らのような有名クリエーターとは違い、私たちのような無名の小さな会社にとっては、競合プレゼンが大いなるチャンスにつながる、というのも現実。
[2005年3月10日] この日の感想・書評へ→

すべてはネーミング
岩永嘉弘
かつて土屋さんからこういわれたものです。 「当たり前のことを、いわれてみればなるほど、と思わすのがコピーだよ」 (7章「ネーミング職人」より)
コピーライターになりたくてこの世界に入った訳ではなかったので、何年かしてこの仕事の面白さに気づいた時には既に嫁さんと子供がいて、一から修行し直す余裕も度胸もなかった。駅貼りポスターや新聞の全段広告のような、人目に触れるような大きな仕事も両手で数える程しか経験がなく、消化不良のまま広告の世界から離れてしまったので、冒頭に挙げたようなさりげない名文句に出会うと、ああもっと早くこうした言葉に出会いたかったと少々痛い気持ちになる。
広告に限らず、優れたコピー、ふと考えさせられるコピーというのは、日常の“当たり前”の言葉で組み立てられることが多い。でもその当たり前の言葉や表現を使いこなすのは、なかなか一筋縄では行かないものなのである。
コピーライターは広告主である企業と、広告の受け手である消費者の真ん中で、互いの思いを理解するために存在します。どちらの立場におもねってもいけない。いわば通訳です。正確に商品のいわんとすることを聞き取り、そのときの世の中の声や気分をしっかり掴んで、どちらにも共感を持って、うまく要約して伝える。それがコピーライターの仕事です。(7章「ネーミング職人」より)
岩永嘉弘のその他の本:「一行力」
[2004年11月20日] この日の感想・書評へ→

TEN DEADLY MARKETING SINS
Philip Kotler
The Ten Deadly Sins of Marketing 1. The company is not sufficiently market focused and customer driven. 2. The company does not fully understand its target customers. (Introduction: The State of Marketing Today) マーケティングにおける致命的な10の過ち 1.市場に対する見方が甘く、顧客本位でない 2.対象とする顧客を十分に理解してない・・・(拙訳)
P.コトラー教授の新刊で、当分訳書が出そうにないので原書を購入。マーケティング担当者が陥りがちな10の致命的な誤りと、それぞれの回避方法を明らかにした本。
10の誤りとして「1.市場指向、顧客主導を貫いていない」「2.顧客理解が不十分」「3.競合に遅れをとっている」「4.ステークホルダーとの関係が不十分」「5.新たな商機を見つけられない」「6.効果的なマーケティング計画が立案できない」「7.製品やサービスに関する方針が曖昧」「8.ブランド力とコミュニケーション技術が弱い」「9.組織力が活かされていない」「10.技術を最大限活用していない」が挙げられ、それぞれの解決法が述べられている。
ただ、例えば2の解決法で示されているのが「もっと洗練された消費者調査をすべし」や「もっと分析的な技術を使うべし」という方向性レベルの答ばかりなので、ハウツー本の様に即効性を求めると肩すかしを食らう。地図で言えば県内図レベルの詳しさでしか、道筋を示してはくれないので、具体的な方法論はあくまで自力で・・・ということか。
*Philip Kotler教授のその他の本:
「マーケティング・コンセプト」
「コトラーのマーケティング思考法」
[2004年8月23日] この日の感想・書評へ→

1日5分の口コミプロモーションブログ
長野弘子/増田真樹著
「ブログは、インターネットにおける情報共有の潮流である。現在、さまざまなツールやサービスの存在をきっかけに新たなブームを生み、共通化された技術によって情報をシェアし、かつその利用価値を高めている。」(第一章「ブログとは何か?」より)
ブログって、何となく知ってるし実際に色々アクセスしてはいるものの、どう語ればいいか解らない。でも立場上一応それなりのコメントができないと・・・という事でこの一冊。ブログという“ムーブメント”が今後個人や社会、企業にどんな影響を与えるか、という視点で書かれているのが役に立った。
ちなみにこの「酒本舗」は、テキスト中心で、個人的に関心のある話題だけを日付入りで時系列的に載せている、という点では“ブログ風”だが、決定的な違いは、他者の意見を受け付ける余地を設けていない事。だって自分が旨い!と思った酒、面白いと思った本をとやかく云われるのって、やだもんね~。
「『ブログによりメディアの生態系が進化を遂げる』という言葉は、きわめて興味深い。それは、ブログがマスメディアにとって代わるものではなく、むしろ、これまで少数の人間しか情報を伝達することができなかったメディアを、多数の意見を反映させることのできるメディアへと変える役割を果たしているといえる。・・・(中略)・・・これまでのように少数が多数に情報を配信するようなシステムから、多数から多数へ情報をやり取りするモデルへとメディアの仕組みが変わりつつあるのだ。」(第二章「ブログで個人・企業はこう変わる」より)
[2004年6月27日] この日の感想・書評へ→

ブランドII
岡安道/岡田望著
岡「すぐれたブランドは官能的。だから『理論で問題を抽出し、感情で解決する』これが、理想だ。」 吉田「その一言でこの章は終わり、という感じだ。」(容疑4「理論と感覚のサスペンス」より)
どんな世界・領域においても、ブランドになったものが勝ちである。そして広告の世界で岡康道と言えば知らない人がいない一流ブランドだから、いずれ自分もブランドになりたいと願うクリエイティブ畑の若い人達にとっては、前作「ブランド」と合わせて必読の二冊ということになるのだろう。
特に下で引用した本書最終章の「優れたクライアントに選ばれる制作者でありたい」という岡氏の言葉は、共感度100%。一流クリエイターの口から出ると尚のことカッコいいと思う。
惜しむらくは、「ブランド」というタイトル(=テーマ)に対して前作以上に忠実にあろうとしたせいか、話の流れにやや不自然さ、唐突さが散見した気がしないでもない。内輪話的要素をブランド論に結びつけた(ように見える)箇所もあったし。
でも、どんな名作映画や小説も、「続」や「PART2」はこんなもの、と思えばどうってことはない。マーカーペンで本文に引く線の数が半分以下に減ったという、ただそれだけのこと。
岡「結局クライアントと一緒に夢を見ることなんだろうな。僕らまだ勉強が足りない。能力だってたかがしれてる。優れたクライアントがいなければ何もできない。優れたクライアントに選ばれる制作者でありたいと思う。」 吉田「同感だ。岡、明日からまたがんばろうぜ。」(終章「ブランドの次はあるか?」より)
[2004年6月13日] この日の感想・書評へ→

コトラーのマーケティング思考法
フィリップ・コトラー+フェルナンド・トリアス・デ・ベス著/恩蔵直人・大川修二訳
「連続的で論理的なプロセスを基本とする従来のマーケティングの枠組みを拡張すること、それが本書のねらいなのである。 いい換えると、水平思考をマーケティング・アイデア発見のための新たな土台として組み込むということだ。」(「まえがき」より)
原題は"Lateral Marketing-New Techniques for Finding Breakthrough Ideas"、直訳すれば「水平(思考の)マーケティング~革新的なアイデアを見つけるための新しい技術」。要するに、既存の市場を細分化して市場を創り出すだけでなく、視点と発想の“水平移動”によって、従来存在しなかった新しいカテゴリーや市場を創出しようというのが本書のテーマである。
水平移動とは、論理的な思考の流れをせき止めるような発想をすることであり、例えば
「論理的に考えれば『花は枯れる』ものだが、ここで『いつまでも枯れない花』を考えること」である。そして水平移動のための具体的な技法として、代用・逆転・強調・結合・除去・並べ替えの6つを具体例と共に挙げているが、理論的な著作が多いコトラーにしては、珍しく具体的な方法論にまで踏み込んでいるなって感じ。近々企画の中でぜひ一度試してみたい。
「製品・サービスを特定したのちのラテラル・マーケティングのステップは以下の通りである。
●ステップ1:水平移動の対象となるフォーカスを決める。
●ステップ2:水平移動によりギャップを生み出す。
●ステップ3:ギャップを埋める方法を考える。」(第6章「ラテラル・マーケティングのプロセス」より)
*Philip Kotler教授のその他の本:
「マーケティング・コンセプト」
「Ten Deadly Marketing Sins」
[2004年5月27日] この日の感想・書評へ→

ネーミングの極意
木通隆行
「ことばが意味とともに伝えるこのようなイメージのことを、私は『表情』と読んでいます。文字は意味を伝えるときには効果的に働きますが、音は表情を伝える上で決定的な働きをします。表情は意味の周りを取り巻くオーラのようなかたちで存在し、意味を修飾したり、情緒を添えて会話に幅や奥行きを作ります。」(第二章「これで十分、音相理論入門」より)
ネーミングの具体的なテクニックやコツを説いた本は数多あるが、本書は言葉自体の表情や情緒、オーラの様なものを独自の理論で解説している点で画期的。
特にゲーム感覚で楽しめるのが、著者が開設した音相システム研究所のWEBサイト内にある「Onsonic」。分析したい言葉を入れるだけで、新鮮さ、躍動感 、安らぎ、安定感、信頼感、明るさ等、その言葉の持つ表情がスコアになって表示される。
ちなみに我々の社名フリーストは、自由のFreeに主義者や職人・技術者を表すistを合わせた造語であるが、Onsonicで分析すると、スコアの高い順から「爽やかさ・清らかさ」87.5、「都会的・現代的」60.0、「安らぎ・暖かさ」54.5となり、私「ゆうしゅんじ」の名は、「信頼感・安定感」95.0、「充実感・高級感」「非活性的・静的」が各75.0であった。皆さんもぜひ。
「ネーミングが成功するか否かは、訴えるべきコンセプトをいかに適切に表現するかで決まるといっても過言ではありません。したがって、現用されている商品の音相を分析するようなときは、それがどのようなコンセプトのもとで作られたかが明らかでないと、正しい評価はできないのです。」(第三章「ブランドの価値は音相が決める」より)
[2004年5月24日] この日の感想・書評へ→

一行力
岩永嘉弘
「私たちがキリストの苦悩やアインシュタインの洞察を追体験することは不可能でも、思索の結果を、瞬時に受け取ることはできます。それが一行の力です。~(中略)~でも、力ある一行は、歴史上の天才や偉人の専売特許ではありません。」(プロローグより)
という訳で、著名なコピーライターであり、ネーミングの名人でもある著者によって選び抜かれた歴史上の名文句、歌の一節、小説の名フレーズ、広告コピー、マンガ・映画のセリフ等見覚え聞き覚えある一行が、その背景と共に紹介される。
「わかっちゃいるけどやめられない」 「善人なほもつて往生を遂ぐ。況んや、悪人をや」 「胸騒ぎの腰つき」 「遊びをせんとや生まれけむ」 「一人殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄だ」 「貧乏人は麦を食え」etc.
でも個人的な“史上最強の一行”と言えば、やっぱり
「これでいいのだ」
自らが引き起こしたあらゆる矛盾や非合理、不条理等を全て強引に解体し思考停止へと追いやってしまう、誠に恐るべき言葉の最終兵器なのだ。
「バカボンのパパの『これでいいのだ』は、ことの是非を超越しているのだ。道徳も世間常識も、まったく関係ないのだ。これをキリスト教なら『神のご意志』といい、仏教なら『縁』といい、イスラム教なら『アラーの思し召し』と呼ぶのだ。」(第1章より)
岩永嘉弘のその他の本:「すべてはネーミング」
[2004年4月23日] この日の感想・書評へ→

ジャパン・プレゼンテーション
杉山恒太郎
「インターネットを含めたメディア・クリエイションは、これからのクリエイティブをやっていく人間にとってのキーワードであり、一番刺激的な世界であり、アイデアを発揮し活躍できる自由さがたくさんあるフィールドだと思っています。」(序章「新しいメディアの誕生とクリエイティビティ」より)
著者は「ピッカピカの一年生」やサントリーローヤル「ランボー編」など、TVCM史に残る作品を数多く手がけ、カンヌ国際広告映画祭の審査員まで勤めた一流の広告クリエイター。おなじみの糸井“ほぼ日”重里氏もそうだけど、広告界でかつて一世を風靡した人たちが、ブロードバンドの普及と前後してネットの世界に進出してきた。とりあえず、広告プロモーション業界内で強い影響力を持つこの方々のチカラで、メディアプラン全体におけるWEBの位置づけを高めてくれたら、我々も随分仕事がやりやすくなるはず。せいぜいあちこちで、ネットの潜在的な威力をプレゼンテーションしてもらいたいもんです。
「ブロードバンド時代はコンテンツだ、としきりに言われるのですが、卓越したコンテキストに載せなければ、コンテンツは魅力的に映らないのです。コンテキストが重要だということを忘れてはいけません。もはや、まったく新しいコンテンツなどそう易々と生まれはしない。そのかわり、同じコンテンツでも、コンテキストを変えることによって、新鮮な驚きを与えたり価値を変えることができるからです。」(第二章「アウェイで戦う」より)
[2004年2月 6日] この日の感想・書評へ→

ブランド
岡康道/吉田望著
岡「競合というものの本質は、たとえば、『結婚したいな』と女の子が言い出したときに、5、6人からプロポーズされる方が気持ちいいよね。それで判断間違えるかもしれないけれども。ずっと付き合ってる、たまに電話してくる男とそのまま何となく結婚するよりは、何かそういう華々しい瞬間っていうのがあったほうが、うれしい。」吉田「一種の合コンみたいな(笑)。どうせ判断まちがえるなら派手にまちがえたほうがましと」
岡「そうだ。競合は一種の合コンだ。」(第1章より)
新卒採用は恋愛のプロセスに重なる。出会いがあり、デートがあり、ライバルもいて、駆け引きもある。そして決断を左右するのは、資産の豊かさや見た目だったり、住む場所だったり、「おまえが欲しいねん!」の言葉だったりするが、時には花束一つで他の誰かに奪われる場合だってある。
採用にとっても恋愛にとっても、自らの思いのたけ(What)を、どのように(How)表現するかが大切な問題。だから、企業の採用WEBサイト作りのお手伝いをする我々は、“頼りになる世話焼のオバちゃん”でなければならない。オイシイ話ばかりでなく欠点もきちんと伝えつつ、企業の真の魅力や志(メッセージ)を一撃で表現する知識、技術、そして熱意が必要なのである。
「あれも、これもじゃなくて、まずこれを言おう、というただ一行を言える会社は、もういい広告ができたのも同然ではないか。」(序章より)
著者の一人である岡康道氏は、いま日本で最も勢いのある広告クリエーターの一人。「広告」を「WEBサイト」に置き換えて読むと、いろいろと得る所の大きい書であった。久々に線を引きながら本を読んだ。
[2003年7月 1日] この日の感想・書評へ→

コトラーのマーケティング・コンセプト
フィリップ・コトラー著/恩蔵直人訳
前回、真にある分野の事を“分かっている”人は、“基本原理”を素人にも解る表現で説明してくれると書いたが、マーケティングの分野で言えばコトラー教授。マーケティングを生業としながら、教授の著書を一冊も読まずに来たという者はいないだろう。
「マーケティングは、広告を制作したり、媒体を選択したり、ダイレクトメールを発送したり、顧客からの問い合わせに答えたりする部門に限定された活動ではない。何をつくるべきか、製品を顧客のもとに届け、入手しやすくするにはどうすればよいか。これらを組織全体で解明する、より大規模なプロセスなのである。」
「マーケティングの理想は、販売活動が不要になるところまで標的顧客を知り尽くすことだ。ピーター・ドラッカーも『マーケティングの目的は販売を不要にすることだ』と断言している。マーケティング(mark-eting)とは、的(mark)に命中させる能力のことなのだ。」(いずれも序文より)
大学時代にマーケティングを学ばなかったため、以前勤めていた会社にプランナーとして雇われた際、当時の上司(米国で広告・マーケティングを学んだ方だった)の勧めで、コトラー教授の本を常に座右に置き企画書を書いたものだった。本書は今年5月に刊行された最新作で、実戦で戦うビジネスパーソンを対象に、今日理解しておくべき80の重要コンセプトをアルファベット順に解説した、いわばコトラー流「マーケティング事典」。これからも企画書を書きながら、折に触れて読み返すことになりそうだ。
*Philip Kotler教授のその他の本:
コトラーのマーケティング思考法
Ten Deadly Marketing Sins
[2003年6月 9日] この日の感想・書評へ→



「応援したくなる企業」の時代
マーケティングが通じなくなった生活者とどうつき合うか
博報堂ブランドデザイン
弁証法の世界に「正反合」という言葉がある。ある意見(正/テーゼ)と、それを否定する意見(反/アンチテーゼ)がある場合、両者を対立させずに巧く昇華させる判断(合/ジンテーゼ)もあるよ、という思考法のこと。ついでながら、こうしてより高い次元の解決策へ導くことをアウフヘーベン(止揚)と呼ぶ。平たく言えば、関西の商売人が良く使う「…ほな、“中を取って”こないしまへんか?」という事だと思えば良い。
さてそこで、いかに機能的に優れたモノを作るかという経済成長期の“シーズ発想”を「正」とすれば、モノが売れなくなった時代に、生活者視点で他者との “差別化”を図った“ニーズ発想”が「反」であった。でもこれからの企業に必要なのは、高い“志”を持ち、生活者と対峙するのではなく「共創」する姿勢であり、そうして初めて企業は生活者から「応援される存在」になれるよ、というのが本書の主張である。内容に目新しさこそ少ないが、個々の問題提起の仕方が絶妙であり、これからのマーケティングの在り方が上手くコンパクトに整理されている。
トラックバック(0)
[2012年1月26日] この日の感想・書評へ→